goo blog サービス終了のお知らせ 

ぱんくず通読帳

聖書通読メモ

じじと一緒に聖書を読む事(テモテⅡ4;2)

2008-02-20 03:40:39 | テモテⅠ、Ⅱ
御言葉を宣べ伝えなさい。
折が良くても悪くても励みなさい。(テモテⅡ4;2)


教会の仲間同士で聖書を開くのと違って
聖書を初めて開くじじのような人と
一緒に聖書を読むのは緊張する。


脱線したりおかしな事を喋ってしまって
聖書を初めて開いた人に
しかもこれから受洗を控えた人にとって
妨げにならないか物凄く心配だ。


信者同士だったらお互いに
それぞれが長年聖書を読んでるので
思った感想を率直にぶつけ合ったり、
わからない所を調べて分かち合ったりして
「それ、違うんじゃないの」とか
「ここはこう受け止めていいんじゃないの」とか
自分の読み方に方向転換や軌道修正の機会が与えられる。


じじと一緒にマルコを読み始めて、
まだ4章しか進んでいないが
聖書を読むのにこれほど責任を感じ
気骨の折れる思いをしたのは初めてかも知れない。
聖書を読んだ事のない人と一緒に読むのは
こんなにしんどいものかとしみじみ感じた。


誰かにダメ出しして貰わないとこれは大変だと思った。
仕事も散歩もおバカねたも、何もかも全部一緒くたで、
管理人自らが記事を検索出来ないほどに
ごった煮状態に膨れ上がってしまったこの日記の中から
じじと一緒に主の祈りをしたり
マルコを読んで話した記事だけを抽出して
第5のブログにした。


第5のブログの記事はこの日記でもミクシイでも
同じくアップしているので何処からでも読めるが、
第5のブログそのものについては
牧師先生にこちらから図々しくもお願いして
コメント欄に助言を下さいと
牧師先生にダメ出しをお願いした。
つまり、
第5のブログは牧師先生からのダメ出し専用回線である。


殺人的多忙にも拘らず、
牧師先生はコメント下さってた。
私は昨夜、仮眠時間にそれを読んだ。
お忙しいのに申し訳なく、有難い事だ。


しかし、
牧師先生にしかURLを知らせてなかったのに
何故か訪問者は30人を超えている。???

証しする人達(テモテⅡ4;2)

2007-12-29 11:08:56 | テモテⅠ、Ⅱ
御言葉を宣べ伝えなさい。
折が良くても悪くても励みなさい。(テモテⅡ4;2)


私は子供の頃からずっと
じじが招かれている事を知っていた。


じじが若い頃、職場には
信仰熱心なバプテスト教会の信者の方がいた。
職場のドンチャン騒ぎな宴会を嫌い、
物静かで几帳面な仕事の仕方をする変わり者と
陰口されていたらしい。


「あの人はキリスト教の人なんだとさ。
 だから見ろ、酒飲まないだろ。」


(それは誤解だ。
 キリスト者だって酒飲みます。
 キリスト者だって
 ドンチャン騒ぎ好きで飲み会だってするし
 羽目も外す。)


そのバプテストのお方が何かの折に話した聖書の事を
じじは今もちゃんと覚えている。
きっと熱心に聖書を読む信者だったのだろう。
葡萄酒と皮袋の譬えなど、
昔職場で聞いた話が今の教会の牧師先生の話とかぶっていて、
去年じじが教会に来て牧師先生の説教を聞いた時、
ああ、昔聞いたあの人の話は福音書の話だったのかと
じじは感心したらしい。


そのバプテスト教会でじじは
職場の人の親族の葬儀に参列した事もあった。
煌びやかにごてごて飾り立てた祭壇はなく
意味のわからない読経もなく
ただ簡素に花だけが飾られ、
聖書を朗読し、
牧師先生が故人の生前の人柄と思い出を紹介し、
理解出来る言語で説教をし、
参列者達が賛美歌を歌って献花する。
葬儀から帰宅したじじがしきりに言っていた。


「無駄の無い、良い葬儀だった。
 故人を偲ぶという事はあれを言うのだ。」


私は当時10歳前後だったと記憶する。
葬儀の会場であったバプテスト教会の
小さな一室で開かれていた英語教室に通い、
そこで毎年クリスマスを祝っていた。


定年後のじじの職場の社長は
熱心なカトリックの信者さんだという。
道東の山中の温泉保養所の支配人として
定年後の再就職で単身赴任したじじの管轄下にいた、
アル中でトラブルを続発する従業員の解雇をめぐって
意見が1対多数に対立し、
一人だけ解雇に反対したじじは
他の役員達からバッシングを受けた。
そのカトリック信者の社長が
じじの理解者となってくれたのだそうだ。


じじは社長の信仰に感銘を受けていた。
厨房で酩酊状態で勤務する人を
回りの従業員達と他の役員達は即クビにしろと
じじに迫ったらしい。
性格も関係するが、じじは頑として譲らなかった。
住人同士皆が顔見知りの小さなド僻地の温泉町で
役員達と従業員達が皆で
アル中の従業員を排除しようとしていた。
しかし
裁かれる人にも家族がおり、養っている子供がいた。
アル中の従業員の子供が手紙持参でじじを訪ね、
謝りに来たという。


「ご迷惑をおかけして申し訳ありません。
 お願いします。
 よく言って聞かせますから
 私の親をクビにしないで下さい。」


じじは今もその手紙を保管している。
今の住居に引っ越した時、
整理する物の中からその手紙が出て来たので
その当時の手帳や思い出の品と一緒にしてある。


その従業員をめぐって
会議の場ではバトルだったそうであるよ。


じじが言うには
「反省や立ち直りのチャンスも与えずに
 問答無用で首を切るような、
 人間を粗末に扱う企業には成長が無い。
 成長が無ければ業績など伸びない。」


役員の一人が言うには
「偉そうに何言ってんだ井上!
 ええカッコしやがって。
 酔っ払った者を厨房で働かせて
 事故起こしたら誰が責任取る!」


そういう応酬をして戦っていたそうで。
元々じじは若い時から
職場内で火花バチバチやって血気盛んだった。
職場でじじにやられっぱなしの同僚だったか
部下だったかが
深夜泥酔して我が家に怒鳴り込んで来た事もあった。
自尊心が高く自説を決して曲げない頑固者なので
反感も恨みも買い、
職場では敵も多かったであろうと思われる。


会議のやり取りを
黙って聞いていたカトリック信者である社長だけが唯一、
じじの主張に賛同したのだそうだ。


「誰にでも改善のチャンスは与えるべきだ。
 問答無用で即解雇というのはまかりならん。
 誓約書を提出させて一応職場復帰させよう。」


社長の鶴の一声でアル中の人の首はつながった。
この社長をじじは非常に尊敬し、
社長は変わり者だが
信仰者とはこういうものかと感銘を受けたのだそうだ。
キリスト者の人間観に触れたという事であろう。


じじの長い長い昔語りを延々聞かされた時、
私はじじが招かれている事を確信した。
自分が母教会と脳外科での仕事と進学を置いて
ここに来る事になったのは
そのために働けって事か・・・・・orz
と正直思った。


そして
じじは三浦綾子さんの愛読者である。
『銃口』をぼろぼろ涙流して読んでいた。
『細川ガラシャ夫人』、『塩狩峠』・・・その他たくさん。
三浦綾子さんの書いた小説は全て完読した。
読むのが異常に早くて上下間ものを
2、3日で読み終わってしまう。
しかも
小説の中にどっぷりはまって泣きながら読む。
読み終わるまでは誰が何を話しかけても上の空だ。
綾子さんの生前、ファンレター代わりに
じじは感動のお礼と称して
自分で撮った鶴の写真を送りつけたりした。
光世さんから丁重な返事の手紙を頂いて感激していた。
小説を全部読み終わったので綾子さんの
『新約聖書入門』を今読んでいる。


昨年9月末からじじが私達の教会に来るようになって
現実にじじの教会通いが始まった。
教会の皆が温かく親切に優しくして
歓迎してくれるので
じじにとって教会は居心地良い、
子供達に会う事が出来て嬉しい楽しい、
ヘルパーさんの介護技術も気配りも痒い所に手が届く、
良い事ずくめであった様子。


じじ。
教会生活は楽しくて都合の良い事ばかりではない。
良い事も良くない事もあるよ。
私達は神様から楽しい事を頂いてるのだから
楽しくない事も頂くんだよ。
わかってんのかな。


じじが教会に定着するまでの
長い長い年月の間に
私が知っているだけで
少なくとも職場で2人のキリスト者が
文学を通して1人の作家とその夫が
福音の種を蒔いていた。


福音宣教。
キリストを証しするとは
現実に彼らのような働きをする事。

恥ずかしい(テモテⅡ4;2)

2007-11-08 04:00:01 | テモテⅠ、Ⅱ
御言葉を宣べ伝えなさい。
折が良くても悪くても励みなさい。(テモテⅡ4;2)


ブログやミクシイに
散歩の写真やじじネタや
どうでもいいつまらない事ばかり書いて
本当に自分が今考えるべき事や
書かなければならない事を
置いたままにしてしまっている。


先日の土曜日に
連絡がぎりぎりだとか
夜勤明けでどうだとかこうだとか
さんざんぶつぶつ言いながら
次回の礼拝メッセージの奉仕を引き受けていたけど
恥ずかしい事であるよ。


その日、
土曜日から日曜日に日付が変わろうとする深夜、
教会の仲間から電話が入った。
早い時刻に私が送っておいたメールの返事で
わざわざ電話くれたのだった。
その人は日付も変わる深夜に
私に電話しながら車を走らせていた。
忙しくて返信してる暇がなかったのだ。
その人が何処に向かっていたかと言うと
上士幌。
北海道の真ん中近く、
山の中の小さな町である。


その人は
一晩知人宅に泊めて貰って
日曜日の朝には上士幌の教会で礼拝に出ると言った。
牧師のいない、
いつも教会員数人が礼拝を守る小さな教会で
礼拝メッセージの奉仕をするために
仕事で北海道内を走り回る合間の時間を工面して
深夜、山の中の小さな町に車を走らせていた。


私達の教派では
牧師だけでなく教会員も礼拝のメッセージをするが
牧師先生も教会員もこのように時々
別の教会から望まれて出かけて行く。
同じ教派の仲間の教会と福音を分かち合うために。
家事と子育てをして
仕事を持って
いつも車で道内あちこち移動しているこの人が
その時間を工面する努力がどれ程大変であるか
時間と労力を捧げる事がどれ程犠牲を伴うものか
私は知っているつもりで
何もわかってなかった。


だから、
恥ずかしいと思うよ。
自分が自分の所属教会で
ちょっとメッセージをするだけで
ぎりぎりで時間がないだの
夜勤明けで疲れが取れるかだの
ぶつぶつ言っていた自分がね。
恥ずかしいと思う。

空っぽ(テモテⅡ4;2)

2007-11-03 21:15:21 | テモテⅠ、Ⅱ
御言葉を宣べ伝えなさい。
折が良くても悪くても励みなさい。(テモテⅡ4;2)


今日は夜勤の後の休みで、
一日何をしていたかというと、
パソいじくって
飯食って
パソいじくって
買い物して
・・・・・つつがない一日であった。


おかげさまで
セキュリティも更新したし
教会月報も明日の礼拝に間に合ったし
牧師先生とも連絡してOK貰えた。


・・・


・・・それで急遽第2日曜日に
礼拝メッセージ奉仕を・・・
させて頂く事になったであるよ。。。orz


別の人が予定上11月のメッセージ奉仕は無理だそうで
井上にと。
その礼拝の前日、
第2土曜日の朝祷会の会場も
予定していた他教派の教会の都合で
急遽うちの教会に変更になったのだそうだ。


夜勤明けの第2土曜日に
朝祷会のメッセージ奉仕をするのは物理的に無理。
多分タクシー飛ばしても間に合わないだろう。
でも翌日の第2日曜日なら
夜勤明けの翌日休みなので奉仕可能という事で。


普通は教会員の礼拝メッセージは
第4日曜日であるが
私の場合、
既に勤務表が完成してしまっているので動かせない。
第2以外は勤務表の上では不可能なので
どうしてもその日しかない。


くっ・・・あと一週間か。
ぎりぎりなんだよ。


そう思うと
こんな自分なんかに福音語る資格があるのかとか
何喋ったらいいんだろうとか
夜勤の疲れが取れるだろうかとか
何よりも夜勤明けの後の睡眠サイクルを朝方に
間違いなく軌道修正出来るだろうか
失敗しないだろうかとか
ちゃんと滞り無く奉仕出来るかどうかとか
要らない雑念がぞろぞろ湧いてくる。


自分が喋りたい事を好き放題喋るのではないし
皆にウケるような面白おかしい話を
しなければならない訳ではないと
わかっていても
すべき奉仕を全う出来るかどうか不安になる。
何かを語りたい自分自身の欲すら
今は無いのも不安の一要因。


あれを喋りたいとか
これをこんな風に言ってやろうという下心や思惑も
ブログやミクに書くようになってからは
何も溜まっていない。
言いたい事は文字の上でさんざん吐き出して
あられも無く人目に晒しているので
既に一度文章化して鮮度の落ちた体験を
さらに噛み砕いて講壇の上から話す意欲もない。


つまり、
自分自身の言いたい事が
今は何も無い。


この空っぽの状態で
主なる神が語るべき言葉を下さるのを待とう。
鎮まって、しばらく黙想の時間を。

仲間の信仰(テモテⅡ4;2)

2007-10-20 22:02:45 | テモテⅠ、Ⅱ
御言葉を宣べ伝えなさい。
折が良くても悪くても励みなさい。(テモテⅡ4;2)


教会月報を作成する係をしていて
毎月の月報綴りが手元に置いてある。
それを参考にして
教会仲間の誕生日や記念日を月報に盛り込む。
来月の月報の下地を今日作っていて
息抜きした時に
古い月報綴りをパラパラ捲って読んだ。


私達の教会は毎月1回、
教会員が礼拝メッセージの奉仕をする。
これは当番制。
定期的に自分に回ってくるこの奉仕に
皆それぞれが祈ったり
まとめるのに苦労したり悩んだりして
仲間に励まされながら当日の礼拝の時を迎える。


皆、この奉仕のために随分前から悩んだりする。
誰もがわかり易い言葉で
聞きやすい声で
簡潔に制限時間内に話すべき事を確実に
話さなければならない。


何よりも
自分が話したい事や自分の思いや考えを語るのではなく
神が自分という人間の口を通して福音を語る、
その為に自分の欲や思いを脇に置いて
語るべき事を語らなければならない。


だから
皆お互いのために祈って
その日の奉仕を務めている。
語る人の心に平安が与えられて
語るべき言葉がこの口に与えられるように
語るべき言葉を相応しく語る事が出来るように
自分の思いではなく
主なる神御自身がこの口をお使い下さるように
聞く人一人一人の耳が開かれるように
聞く人全員が福音の恵みを頂いて
誰一人空手で虚しく帰る者がないように
奉仕の日の随分前から
お互いにそのように祈ったり祈って貰ったりして
奉仕の日の朝を迎える。


誰でも緊張する。
小さい教会だけど講壇に立って
数十人の聴衆全員が
自分の話す事に集中している。
教派の独自性もあるが
教会員は洗礼を受けて教会員になった時から
殆ど全員が定期的にこの奉仕にあたる。
ある意味訓練されている。
救いの体験、福音の恵みを語る訓練。
自分の信仰を振り返り
見直して
聖書を読み返し
言葉を何度も吟味して
聴衆の前に晒す。


弁論大会ではないので
上手く喋る必要は全然ないし
質疑応答で突っ込んだり突っ込まれたりなども
勿論一切ない。
皆は家族だし温かい雰囲気で聞いてくれる。
牧師先生も聴衆の中に座って聞いている。
自分が講壇に立ってみて
牧師先生の日頃の苦労を肌で感じ、
初めて理解出来たりする。


こうして
月1回の教会員の礼拝メッセージが終わると
そのメッセージ内容は翌々月の教会月報に載る。
今度は文章を推敲し直したり
字数を合わせたりして
月報作成者の手に渡す。
礼拝メッセージ者の奉仕はここで完了。
原稿を受け取る月報作成者が私であるよ。


今日、
来月の月報の下地を打ち込んでいて
参考資料として預かっている古い教会月報の綴りを
読んで感慨に浸った。


教会は生き物だ。
2001年からの毎月の教会月報。
何十年もの教会の歴史の中の
たった7年分であるが
重い7年間だ。
その7年間の毎月毎月、
その時その時に奉仕した教会員達の信仰が
飾らない言葉で
精一杯表現されていて
読んで胸が詰まった。


ここに信仰の証を文章で表現しながら
自分の理想の教会像を求めて私達の教会を立ち去り
いろいろな教会を転々とした人もある。
確信に満ちた、
福音の喜びに満ち溢れる言葉で信仰を表現し、
未来への希望をここに書き表したその翌月に
牧師先生の手でその人の追悼が書き表された、
そんな人もある。
日々の生活の中で目立たない小さな喜びの光を見つけて
表現した人もある。
苦労や悩みと戦い葛藤する現実の中で
聖霊の導きを祈り求める心をありのまま表現した人もある。


私が入院中に訪ねてくれた友達が言った。
その時の礼拝メッセージをした仲間の事を。


「美しいと思ったよ。
 あの人はあれだけ辛いものを背負って
 やっと教会に来る事が出来て
 神様の前でいつも疲れ切って
 うなだれているように見えてたのに
 あの人がまだ子供だった昔から
 神様がずっとあの人のそばにいて大切に守って
 導いて来られたのが目に見えるような気がする。
 辛い事があってあんなに弱り果てて見えていたのに
 講壇で淡々と語るあの人が
 何て美しいんだろうと
 私は思ってたよ。
 礼拝の間ずっとね。」


私もそう思うよ。
その時は話を聞けなかったけど
こうして
仲間達皆の
一人一人残した信仰の証を読み返すと
本当にそう思う。
私達はお互いの中に
今生きて働いておられるイエス・キリストを見ている。

珈琲店のカウンターで語る(テモテⅡ4;2)

2007-08-11 02:56:32 | テモテⅠ、Ⅱ
御言葉を宣べ伝えなさい。
折が良くても悪くても励みなさい。(テモテⅡ4;2)


店主「お父さんは教会へは
   行きたくて行ってるのかい。」


井上「じじが今日は行きたくないとか
   やめておくとか
   気に入らないとか言い出したら
   すぐにヘルパーに言って
   中止しようと思ってたけど
   去年の9月の末から今まで
   一度も行きたくないって言わないのさ。
   じじにとっては
   皆が歓迎してくれて
   美味しいもの食べられて
   子供達が可愛くて
   楽しいから行きたいだけらしいんだけどね。」


店主「それで、
   お父さんは何だ、その、
   信仰ってやつをしてるのかい。」


井上「さあどうだかな。
   牧師先生の説教だって
   聞いてるんだか聞いてないんだか。
   あ、でも牧師先生が言ってたな。
   以前は下向いて居眠りしてたけど
   最近説教していてじじとよく目が合うって。
   私はじじが楽しくてまた行きたい、
   それで充分だと思ってる。
   あ、でも次の日曜は礼拝の後
   じじはここに来るよ。
   その日は教会で昇天者記念会があるけど
   遺族が大勢集まるし教会のお墓に皆移動するから
   じじは参加しないで
   ここにトースト食べにくると思う。
   私は仕事。」


店主「何だその昇天者何とかってのは。」


井上「毎年教会関係者と遺族で亡くなった人を偲んで
   教会のお墓に集まって礼拝するのさ。」


店主「お盆みたいなものか?」


井上「ま、そんなとこ。」


店主「教会の墓とか納骨堂とかは
   浄財で建てるのか?」


井上「教会のお墓も納骨堂も献金で建てられたよ。
   仏教用語の"浄財"と教会の献金とでは
   意味が同じか違うかすら私は知らないけど。
   元々キリスト教では毎日の生活の全てを
   神様から恵みとして頂いたものと考えていて
   頂いた中から一部神様にお返しして
   神様の御用の為にお使い下さい、
   というのが献金の趣旨だと教わった。」


店主「へぇぇ何だかわからんな。」


井上「金銭も物も、
   人との出会いも
   仕事や日々の生活の全ても
   家族も自分の生命も
   何もかも全部神様のものだよ。
   キリスト教ではそう教えられる。」


店主「ふん。」


井上「例えば子供について言えばさ、
   子供は親の物ではないのさ。
   子供は神様の子供であって
   親は神様からその子を育てる為に選ばれて
   託されている。
   親は神様から子供を預かってる訳。
   だから自分の所有物でもない子供を
   勝手に捨てたり殺したりしてはならないし
   親の自由には出来ない・・・とかね。
   生命は全て神様のものであって
   託された者は使命と責任を負ってるって事。」


店主「ああ、
   子供に対するその考え方は正しいな。
   その通りだ。」


井上「・・・ダッチうまー♪」


店主「あんたは
   何時からそういうキリストをさ、
   信じるようになったんだい?
   元々お父さんもお母さんもキリスト教徒でないだろ?
   洗礼とか受けたのか?
   何でそういう気になったんだ?」


井上「洗礼を受けたのは30歳の時だったけど
   そん時はただ何となく、としか思ってなかった。
   でも洗礼受ける時に信仰告白しなきゃならなくて、
   教会の皆の前でさ、喋るのね。
   自分が何時何処でキリストと出逢ったか
   自分の事を深く掘り下げて考えなきゃならなくて。」


店主「ふ~ん。
   洗礼っちゅうのはそういう事するのか。」


井上「教会や教派によってやり方が違ったりするけどね。
   私は自分がキリストと出逢ったのは
   5歳の時だったと思うのさ。」


店主「何だ。
   そんな大昔か。」


井上「そーなんだよねー。
   身内にも信者は一人もいないのにね。
   幼稚園の時にテレビの洋画劇場で
   キリストの映画をたまたまやってたのを見た。
   親が見てたのをただ一緒に見てただけで
   キリストがどんな説教してたかとか
   山上の垂訓とか黄金律とか
   幼稚園児だったもの、
   そんなの全然わかってなかったし
   ストーリー自体全く印象にない。」


店主「ああ、
   オレもそのくらい昔、
   キリストの出て来る映画を何本か見た。
   キリストが十字架を背負って
   丘を登って行くんだろ?
   十字架に貼り付けになる、そういう映画な。
   あんたが見た映画は多分テレビの白黒ではなくて
   元々の映画そのものが白黒だったはずだ。
   オレ、見た記憶あるぞ。」


井上「その映画、誰の何ていう映画かを
   洗礼受けた当時は随分探したなぁ。
   キリストが何喋ってたのか全然わからなかったけど
   幼稚園児なりに
   犯罪を犯して死刑になったのではない事は
   感じ取ってた。
   画面にキリストの手がアップで、
   寝かせて、開かせて、
   こうして十字架の木の上に手を開いてさ、
   その手のひらにこのくらいの太い釘を突き立てて
   金槌でガン、ガン、って。」


店主「ううっさぶっ・・・」


井上「悪い事をしてもいないのに
   何でだ?と思った。
   そういう不条理に納得いかなくて
   母親に付きまとってしつこく聞いたけど
   母親だってそんなの知る筈ないさね。
   百科事典でも見てろって。(笑)
   それで、幼稚園の時にして
   初めて事典というものを開いてまで探した、
   最初の単語が"キリスト"。
   その後小学校に入って図書室で最初に借りたのも
   ポプラ社の伝記シリーズの"キリスト"。
   子供なりに執着してた。」


店主「ふ~ん。」


井上「何でそんなに執着してたのか
   自分もよくわからないけど
   それ以来、
   信じる対象はキリストが絶対的な位置を占めて
   他の宗教が入り込んでくる余地はなかった。
   親がキリスト教の信者な訳でもないのに、
   不思議でしょ?」


店主「キリストってのは実在の人物か?
   何人だ?」


井上「実在したよ。
   イスラエル人。
   西暦はキリストの誕生から始まってる。
   実際は何年か違ってるらしいけど。」


店主「イスラエルって、
   今もドンパチやってるあのイスラエルか。」


井上「そ。
   地球のへそ。」


店主「そういうのは全部聖書に書いてあるのか?」


井上「キリストの話?そうだよ。」


店主「聖書っていうのはあれだ、
   何書いてんだか訳わからんからな。
   そういうのをどうやって信じるんだ?」


井上「わかんなくてもいいんだよ。
   理解したつもりになったらそれは驕りだって
   牧師先生が言ってた。
   神様を何もかも理解して
   納得ずくで完成して出来上がって
   キリスト教徒になったのではなくて、
   私達は一生涯かけて
   キリスト者になっていくのだと教えられた。
   一番大事な事だけわかっていれば充分なんだって。」

店主「何だそれ。
   一番大事な事ってのは。」


井上「自分が罪人であって
   その為にキリストが十字架の上で苦しんで
   死んで、甦ったという事。」


店主「そういうものか、信仰とは。」


井上「理解する事と信じる事とは別ものだからね。
   聖書をいくら隅々まで読んで知識を蓄えても
   信じない人もいるし、
   信じられない人もいるし。」


店主「それはそうだな。
   わかったからって
   信じれるものではないな。」


井上「現に私は30歳で洗礼を受けた1年後だったよ。
   初めて聖書読んだのなんて。
   最初に信じたのはもっと昔の、
   5歳の頃だと思うけど
   字も読めなかったし教えも知らなかった。
   ただ、信じるようになったら
   もっとキリストを知りたいと思うようになった。
   知識として理解するのとは違う動機だと思う。
   信じる事は読む事と理解する事の原動力だと思う。
   その逆は信仰ではないんじゃないかな。」


店主「じゃあ何だ、
   幼稚園で信じるようになって
   洗礼受けたのが30歳か?
   長い話だなぁ。」


井上「長い道程かも。
   長いか短いかは人それぞれだけど。
   私の場合は25年間かかった。
   キリストの存在を知って、
   信じるようになって、
   生かされている自分を見て
   養われている現実を自覚して
   それを自分の口と言葉で
   自分の意志で告白出来るまでには
   25年の時間を必要としたって事だと思う。」

信仰告白・・・・(テモテⅡ4;2)

2007-08-10 21:09:03 | テモテⅠ、Ⅱ
御言葉を宣べ伝えなさい。
折が良くても悪くても励みなさい。(テモテⅡ4;2)


あんまりむしむしして
それでいて気温低くて
汗もかかない。
何だか浮腫みっぽくてすっきりしないから
じじん宅に行く前に
いつもの珈琲店で
冷ダッチ飲んだ。


店主がじじの教会通いの話から
またもやキリスト教について
いろいろ質問を投げてきた。


「お父さんは教会へは
 行きたくて行ってるのかい。」

「教会の墓とか納骨堂とかは
 浄財で建てるのか?」


「あんたは
 何時からそういうキリストをさ、
 信じるようになったんだい?」

「聖書っていうのはあれだ、
 何書いてんだか訳わからんからな。
 そういうのをどうやって信じるんだ?」


他に客もなくて
今夜店はヒマ。
店主はこれらの質問を投げてきて
突っ込む突っ込む。

冷ダッチ啜りながら
一つ一つ
大真面目に答えたであるよ。
はからずも
珈琲店で信仰告白してしまった。
しかし
いいのかこんなんで。

今、じじ宅にて
店主の質問に私が何て答えたかは
後程帰宅してから。


じじは今女子バレーを見終わって
放心状態。
遅くなったけど
私はこれから家事。

テモテへの手紙二読了

2007-03-18 22:45:00 | テモテⅠ、Ⅱ
迫害の手が迫る中、
パウロがテモテに宛てた手紙。

『あなたは
キリスト・イエスにおける恵みによって
強くなりなさい。』(2;1)

『あなたは、
自分が学んで確信したことから
離れてはなりません。』(3;14)

『御言葉を宣べ伝えなさい。
折りが良くても悪くても
励みなさい。』(4;2)

胸がつまる。
厳しい迫害の日々、
パウロがこの世に生きている間に
テモテはこれを読んだろうか。
それとも手紙を受け取ったのは
パウロが処刑された後だろうか。
或いは手紙を受け取る事なくテモテ自身も
世を去っていただろうか。

テモテへの手紙一読了

2007-03-18 17:04:00 | テモテⅠ、Ⅱ
パウロはエフェソの教会を
若い仲間のテモテに託した。
エフェソは様々な偶像崇拝が背景にあり、
またパウロは教会の中からさえ
邪説を唱える者が出て
教会が荒らされる事を予期していた。
その教会を託されたテモテのプレッシャーは
相当なものだったであろうし、
過酷な立場で群れを指導した事がわかる。
テモテを見下し小馬鹿にする信徒も
多数いたのだろう。
テモテはストレスで
胃をやられてたのかな。
パウロの気遣い。
親心。
教会を守り育てるのは
大変な大仕事だ。
昔も今も。


母教会でも今の教会でも他の教会でも
見た事がある。
牧師や役員よりも信仰歴長いとか
学者、医者、教師、金持ちだとか、
その他社会的に地位の高い信徒が
教会の中で発言権強く
牧師や他の奉仕者を見下しとぐろを巻くのを。
実際に耳にした言葉を並べてみる。


「あんな若造に教会の何がわかるか。」


「聖書の勉強ばかりしてる世間知らずが。」


「あんな人に牧師を務める資格はない。」


「昔、世話してやったんだから
 うちの教会で奉仕するのは当り前。」


テモテ=牧師。
こんな信徒に取り囲まれて働く牧者を
パウロは激励している。


テモテへの手紙一を上っ面だけ読み違えると、
教会の牧会者や指導者に『完璧な信仰者』という、
ある種の理想像を要求しているかに受け取れる。


実際、牧師を批判したり排斥する人は
この手紙の字面だけを根拠にして牧師を裁く。
信仰、生活態度、能力、人間性、指導力管理力
その他あらゆる面で完璧という
高いハードルを設けて
教会の指導者の理想像を生身の人間に要求する。
理想を要求された牧師は
針のむしろに座らされるも同然。


理想像。
これこそ偶像そのもの。教会を内側から蝕んで
崩壊させる、
恐ろしい悪霊の業。


人間が身勝手に都合良く作り上げた理想像など
この世にある筈がない。
それでもなお
理想の指導者を求めて
理想の教会を求めて
各教派を渡り歩いたり
或いは逆に
牧師を教会から排除して
別の牧師を招いて
また同じ事を繰り返すのは何故だろう。


自分の目にそれを見た時、
『要求する者』と
『信じる者』とは違うのだと知らされた。
心に悩みや痛みを抱えると
『信じる者』がいつの間にか『要求する者』に
変質してしまう。
それが一番恐ろしい事だ。
幸せな時も辛い時も
『信じる者』でありたいと自分は思う。


パウロがこの手紙で
「指導者は・・奉仕者は・・こうあるべき・・」と書いたのは
教会の牧師や奉仕者に
これらの条件を全部クリアしなければ
その資格がないと裁く為ではないと私は思う。
エフェソの教会にいたであろう
『自己推薦する者』や
若いテモテを見下し排斥しようとする者達が
出しゃばって教会を掻き回さないように
指導者や管理者、
奉仕者を決める際の
選別のガイドラインを
パウロはテモテに助言し
託しているのではないだろうか。
パウロは長所も短所もある生身の信徒達を
理想像という鋳型に当てはめろとは言っていない筈だ。


あー
熱く語り過ぎてしまったであるよ。
つい熱くなるテモテの一。

映画『偉大な生涯の物語』(テモテⅡ4;2)

2006-12-03 23:59:59 | テモテⅠ、Ⅱ
みことばを宣べ伝えなさい。
時が良くても悪くても
しっかりやりなさい。(テモテⅡ4;2)


12月3日の日曜日は夜勤明けだった。
くたびれて教会に行かなかった。
その夜、
私は父宅にキリスト映画を持ち込んで、
父と一緒に見た。
魂が飢え乾いてしまった自分のためであり、
父が日頃聞く牧師先生の説教の内容に
より親しむためにいいかもと思った。


『ゴルゴタの丘』
『キング・オブ・キングス(C.B.デミル)』
『奇跡の丘』
どのキリスト映画にしようか迷って、
結局教会から借りた
『偉大な生涯の物語』を見た。


私自身は『奇跡の丘』が一番好きだが、
予備知識のない人が
福音書に親しむためにより親切には、
『偉大な生涯の物語』の方が
四福音書のエピソードを
もれなくうまく盛り込んであって
より解り易いと思った。


途中、説明しながら見た。
予想外に
父は身を乗り出して見ていた。
そういえば歴史物が好きだったっけ。


「当時イスラエルはローマ帝国に占領されてた。
 イスラエルの人々はキリスト(救い主)に
 ローマから国を奪還してくれるような
 政治的軍事的指導者を期待してたのかもね。」


「ふん。
 国盗り物語みたいなもんだな。」


「そんなとこかな。」


「泊めてくれる宿屋がなくて、
 ヨセフとマリアは馬小屋に泊まらせて貰って
 そこでイエスが生まれた。
 教会でクリスマスと言ってるのはこのお祝いだよ。」


「ほー」


「キリストが生まれた時、
 王としての自分の立場が危なくなると思った
 ヘロデはベツレヘムと周辺の2歳以下の子供を
 皆殺しにしたんだよ」


「ほー」


「宗教的指導者達は
 宗教本来の宣教の役割をしなくなって
 利権の上にあぐらをかいていた。
 戒律で人々をがんじがらめに縛ってしていたけど
 救いとか慰めとか助けるとかいう事はしないで
 支配していたのさ。」


「それはどこにでもあるな。」


「ま、そうだね。
 ユダヤの民衆は二重に支配を受けていた。
 ローマ帝国と、ユダヤ教の宗教指導者と。
 ローマの支配はともかく、
 宗教がそんなんではまずいよね。」


「そうだな。」


「神様が本来意図されている憐れみとか慈しみとか、
 大切な部分が何一つ人々に伝わらないでしょ。」


「ふん。」


「で、この毛皮着たヨハネが警告してたのさ。
 悔い改めろって。」


「ふふん。」


「このヨハネは先駆者だよ。
 イエス・キリストが宣教し始める前に道を整えてた。」


「ほー」


「当時のユダヤの権力者達にとっては邪魔な存在だったけど
 民衆に人気があったから手出しするのをためらってて、
 でも結局ヨハネは首はねて殺されたんだよ。
 ヘロデが兄弟の女房を寝盗ったのを指摘したんだよね。
 それはユダヤ教の戒律では本当は死刑なのさ。
 でも当たり前みたいに権力者の座に座ってるから、
 ヨハネはそれを批判したんだよ。」


それにしても、
ここで登場するサロメ、安っぽ過ぎ。
大昔の場末のストリップダンサーか。


「うーむ。」


「イエス・キリストは
 当時のユダヤ教にとって宗教改革者だった。
 既得権益にしがみつくユダヤ教の坊さん達にとって
 都合悪かった。
 人々の人気も高いし、
 妬まれて殺されたんだよ。
 十字架に架けて生殺しにする、
 一番残酷な処刑の仕方で。」


「うーむ。なるほどな。」


「クリスマスに誕生をお祝いする赤ん坊が
 そのキリストなんだよ。
 この時こんな風にして生まれた赤ん坊が
 十字架に架けられたあのキリスト。
 キリストの生まれた時から西暦。
 その前は紀元前。
 実際は何年か誤差があるらしいけどね。」


「ほー」


「本当は、こんな真冬ではなくて
 羊が仔を産む時期に生まれた。
 春先に生まれたというのが多分本当。
 羊飼いが番をしてたっていうから。」


こんな風に途中何度か解説しながら見た。
父は足なえの青年が歩けるようになった奇跡の場面で
うるうるしている。


ラザロの復活の場面は皮肉な表情を浮かべて、


「ふふん」。


イエスが神殿の商人達を追い払う場面では
愉快そうにクスリと笑う。


最後の晩餐の場面。


「この最後の晩餐と同じ事を
 キリスト教の教会では今もしてるんだよ。
 洗礼を受けた信者が集まって、
 パンを裂いてお祈りして食べて、
 ブドウの汁を分けてお祈りして飲む。
 うちの教会で私達もしてるよ。
 この最後の晩餐を記念してるのさ。」


「ほぇぇぇ」


”お前達の一人がわたしを裏切る”の場面。


父は食い入るように見ている。


「イスカリオテのユダは
 イエスを奴隷1人に値する銀貨30枚で売った。
 だからユダは裏切り者と呼ばれてるけど
 裏切ったのは弟子達全員なんだよ。
 だってイエスが捕まった時に
 全員がイエスを見捨てて逃げたからね。」


「そうだな。
 あああ・・
 なんだー皆逃げちゃったぞ。
 こりゃだめだ。」


そうなのさ、じじ。
これは戦国時代の国盗り物語ではないからね。


「だってイエスから言われてんだもの。
 “剣をおさめよ、
  剣を持つ者は剣によって滅びる”って。
 ここで弟子達がチャンバラやっちゃったら
 キリスト教じゃなくなっちゃうよ。」


十字架刑宣告の場面。


「ピラトは
 イエスが死刑に相当するような罪犯していない事を
 知っていた。
 でも群集が騒いでクーデターが起こると
 ピラトは自分のクビが飛ぶからね。
 それで
 “この人の流す血に私は責任がない”と言って
 手を洗ったんだよ。」


「うむむむ・・・」


父、難しい顔で考え込む。


「“その血の責任は
  我々の子孫にかかってもよい”って
 この時のユダヤの人々は言ったんだよ。
 凄い言葉だよね。」


「そうだな。
 だから今でも戦争やってるのか。」


ん・・・。
そればかりが原因かどうかはわからないけどね。
でもそういう考え方もある。


十字架の道行きの場面。
キリストが血まみれで
重い大きな十字架を背負ってよろめいている。


「お父さん。
 イエスの背負っているあの重い十字架は
 私達全人類の罪なんだよ。」


父、絶句。


「・・・」


ローマ兵が通行人の一人にイエスの十字架を担がせる。


「あれはクレネ人シモン。
 今のアフリカの何処かの人だって。
 この人は後でキリスト者になった。
 妻にも子供にも伝道したんだね。
 この人の子供達は
 弟子達が後に初代教会を作った時に
 キリスト者の仲間の中で活躍したんだよ。
 パウロの手紙に書き残されてる。
 その時は無理矢理背負わされて
 頭に来たかも知れないけど、
 後になって考えたら凄い事だよ。
 だって
 実際にキリストの十字架を背負ったんだよ。」


父、感極まっている。
目がうるうるしている。


「お父さんが読んでる三浦綾子さんも光世さんも、
 塩狩峠で乗客を助けようとして
 列車の車輪の下に身を投げた鉄道員も、
 皆このイエス・キリストを信じて
 その信仰が動機となって
 本を書き残したり、
 車輪の下に自分の身を投げたりしたんだよ。」


復活。


父、
十字架の場面で感極まったままボーっとしている。
復活の話はまた今度にする。
もっと後に、もっと時間をかけてゆっくり。
うすっぺらい奇跡物語のようには
受け止められたくないので。


少しは礼拝の時の聖書に馴染めるんだろうか。
幽霊教会員のお粗末な解説だった。

時が良くても悪くても(テモテⅡ4;2)

2006-07-14 04:50:21 | テモテⅠ、Ⅱ
みことばを宣べ伝えなさい。
時が良くても悪くても
しっかりやりなさい。(テモテⅡ4;2)


研修の時にDr.Mが大好きだと言っていた映画、
『マルセリーノ・パンとブドウ酒』は、
過去に何度かテレビで放映されていた。


最初に見たのはいつだったか忘れたほど昔で、
私は小学生だった。
イエス・キリストの架けられた十字架を見てみたくて、
小学校の近くの教会の前をうろうろした。
イエス・キリストが十字架から降りて来てくれたら、
差し出したパンを受け取ってくれたら、
座って話しかけてくれたら、
どんなに嬉しいだろう。
今日あった事、今考えている事、
自分は何でも話すだろう。
イエス・キリストは何て言うだろうか。
いろんな事を聞いたら、
イエス・キリストは何て答えるだろうか。
宗教色のない環境で育った反動からか、
私は子供なりに想像していた。


今になってこの映画をもう一度見てみると、
メルヘン的な奇跡物語そのものよりも
二人の修道士の会話の方が印象深く、心に残る。


12人のフランシスコ会修道士達は、
マルセリーノの悪戯のために
村を追い出される事になった。
それでも立ち退きの日までは
いつも通りに日課を働いている。
しかし誰もが意気消沈して落ち込んでいる。
畑を耕す一人の修道士が虚しい思いを口に出す。
背後から見ていた修道院長が彼を励ます場面。


「追い出されるのにどうして耕すんですか?」

「後から誰かが恵みを受ける。」


これ、すごく重要。
それが働くって事なんだきっと。
時が良くても悪くても。