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ぱんくず通読帳

聖書通読メモ

日ごとの糧を(マタイ6;11 ルカ11;3)

2016-06-08 17:11:27 | 主の祈り
私達に必要な糧を今日与えて下さい。
                   (マタイ6;11 ルカ11;3)


 主の祈りは貧しい者の祈りだと教わった。
 今日食べる物を請い願わなければならない、
 無一物で飢え渇き、
 今日一日を生き延びるために切迫した、
 天の父なる神以外に何も頼るものが無い、
 貧しい者の祈りだと。

 
 『路上のうた ホームレス川柳 』
      ビッグイシュー日本編集部




 仕事も住む場所も無く公園やビルの隙間で雨風を凌ぎ
 炊き出しのカレーを貰って食べていると雨が降って来て
 雨がカレーにも降り注ぐ。
 今日食べる物が無くて公園にいると
 誰かが公園の鳩にパンの耳を投げ与えている。
 そのパンの耳、少しでいいからくれないか。
 思いながら空腹に耐え、じっと見つめる。
 誰かが同情してインスタントラーメンをくれても
 湯が無いからそのままがりがり齧るしかない。
 硬い、冷たい地面に敷いた段ボールと
 布団代わりに被る新聞紙の温もりの中で眠る。
 
 彼らが詠んだ歌から
 主の祈りの「日毎の糧」をどうしても思い出す。
 イエス・キリストがどんな人々を慈しんで
 弟子達にこの祈りを教えられたか
 イエス・キリストがどれほど彼らを愛おしんでおられたか
 間近に見せられる。

生きている時から死んだ親

2015-11-21 21:22:38 | ルカ
今朝読んだナウエン『放蕩息子の帰還』から
二人の息子の父を考える。
この父の苦しみを思い浮かべる。
この父親は物凄く不幸だ。

弟息子は父を捨てて出て行った。

「お父さんあなたが死ぬまで待てない、あなたの遺産を今下さい。
 それらを処分する権利をも。」

子供に金づるとしか思われず疎まれ見捨てられる親は
どんな気持ちがするだろう。
私の父ならその気持ちを知っていたに違いない。
遠方に嫁す次女にまとまった金を渡し、
婿と孫を連れていつでも会いに来いと言い、
盆と暮れには高価な珍味を送り
電話や孫の写真の入った手紙が来るのをいつも待っていた。
次女と婿と孫と、
一家で泊まりに来てくれて美味いものを食べさせて
皆で昔の話をしたりあちこち案内して楽しませようと
寝具一式を買い揃えていた。
しかし何年経っても来ないので
ある時押し入れに収納したままの布団の綿を打ち直しに出していた。
盆と暮れに送った物も届いたのか届いていないのか返事もないので
父の方から電話すると

「無駄な事にお金を使わないように。」

という返事が返って来て涙目になるほど落胆していた。
そして

「家を建ててるから行けない」

「子供が進学するから行けない」

「犬を飼って世話があるから行けない」

と言われ、
特に「犬の世話…」が理由で10年以上も全く会いにも来ず
音信もこちらからしなければ返事も来ない現実、
次女にとって犬よりも優先順位の低い父である自分を知ったのだろう。
「犬の世話…」という返事を聞いてから父は妹の話をしなくなった。
口癖の「いつ来るんだろうな」「今頃どうしてるだろうな」が
ぴたりと止まった。
遠方で生活していると父が思うほどには簡単には来られない。
来られなくても音信は出来るがそれすら面倒だったのだろう。
生活に追われてそれどころでなかったのかも知れない。
父の要介護度が段々重度化し、今度は私の方から何度か近況を知らせ
認知症は進んだが今ならまだ話は出来る、
食べる事の出来る今のうちに一度会いに来てはどうか、
意思疎通可能な今のうちに一緒に食卓を囲んではどうか、
今年に5、6回も救急搬送したり入退院を繰り返した、
血尿のため管も留置した、食べても誤嚥するようになった、
会話出来るうちに会っておかなくていいのか、
後で後悔しないのかと何度か私から打診した。

「いよいよ死にそうになってから知らせてくれれば
 それでいいよ」

返事はそれだけだった。
その間、認知症の進行した父は不穏になる度に私に詰め寄った。

「どうして会いに来ないのだ」

父が息を引き取った時は私も間に合わなかった。
妹は翌日の飛行機で来た。
「いよいよ死にそうになってからで…」と言って間に合うほど
時間は都合よく止まったり進んではくれない。
妹は葬儀に参列し数日滞在した。
その間妹は感傷的で私の眼には殆ど抑鬱状態に見えた。
父のいなくなった父宅の家財道具の処分や諸々の手続きが
まだ始まったばかりの時に妹は帰って行った。

「納骨は早い方がいいよ。
 あとよろしく。」

この妹にとって父は、生きている時から死んだ親だった。
父は歓迎の手を差し伸べていたが、
待っていた子供は父が死なないと帰って来なかった。
福音書の放蕩息子は父の生きている時に帰って来たが
妹は父が死なないと帰って来なかった。


福音書のこの譬え話を読んでも
今まで私は二人の息子の父には注目せずさらりと素通りしていた。
ナウエンの『放蕩息子の帰還』を読んだ事で
差し伸べた祝福と慈愛の腕を払い除けられる父親の苦しみ、
子供から忘れられ死んだものとされる親の苦悩に注目した。

ここまで自分と身の回りの親族を当て嵌めないと気付かないのは
自分に読解力が欠けているからだと思う。

御父の宴の食卓

2015-11-14 21:13:18 | ルカ
今朝、待合室で読んでいたナウエン『放蕩息子の帰還』の9章で
「祝宴に招き待ち続ける御父」の事を考えた。
他者にも自分にも苦難と喜びとがある。
他者との出会いの中で相手の苦難の方にばかり注目する心理は
より深刻でセンセーショナルな三面記事を求めるのと同様だと
筆者自身が告白している。
他者の苦しみに共感し涙する事は大事な事であり、
相手の直面する問題を深刻に考え人と話し合う事もある。
ナウエンはそこから更に踏み出して、
苦難を通じて見出される祝宴への招きとその喜びを
共有する事について述べている。
その章を読んで気づいた。
どんな人との出会いにも言えるが、
例えばここに移り住んで私が出会った二人の人達の
言葉で表現し得ない苦しみの生涯を思い出し、
私はこれまで彼らの苦難にばかり注目し泣いたり怒ったりしたが
その先に示されたものがあり、私が彼らと出会わせられ
わざわざ目に見せられた事には意味があった。

二人の人達を、私はこの日記ブログの初めの頃に書いた。

一人は手術の失敗によって頸から下が動かなかった。
医療過誤の裁判で被害者が勝訴するケースは稀だった。
それでもその人は手術を担当した医師と病院を告発し、
長期にわたる裁判を闘った。
 ↓
 ぱんくず日記(2006-08-22 10:21:44)
 http://blog.goo.ne.jp/t-i801025/s/%A5%AD%A5%EA%A5%B9%A5%C8%A4%CB%A4%CF


身体機能を奪われ、仕事と生活の全てを奪われ、
人生の望みの全てを奪われた。
自殺の道さえ断たれ、例え勝ち目がないと解っていても
闘わずにはいられなかった裁判は長い時間を費やし、
最終的にその人は勝訴した。
首から下が全部麻痺になった7000万円の賠償請求に対し
たった300万円の勝利だった。
その人が自分自身の境遇を語った時の言葉を私は一字一句忘れない。

「俺は負けたんだ。
 俺は裁判には勝った。
 医者の落ち度を暴いて裁判には勝った。
 医者連中と病院側に非を認めさせて裁判には勝った。
 でも俺は負けた。
 たった300万の賠償金を手にした瞬間、
 それまで力になったり励ましてくれたり
  何かと世話して支えてくれた親戚や友達が皆ハイエナに変わった。
 300万の中から半分は裁判絡みの費用や弁護士に支払って消えた。
 残りの金から医療費を支払うと親戚や友達が
  貸した金を返せと言って来た。
 残った金も、
 あの時あれをしてやったからこれをしてやったからと親戚や友達が
  みんな毟り取って行ったから、手元には数万の金しか残らなかった。
 金が無くなったら俺の回りには誰も残っていなかったね。
 身内も友達も。
 誰一人信用できる奴がいなくなった。
 だけどそういう事情でもさ、賠償金を貰ったからという理由で
  市からは生活保護費を打ち切られたよ。
 俺が負けたと言うのはさ、
 裁判には勝ったけど何もかも失った、
 だから負けたんだ。
 俺は負けたんだよ。」


もう一人の人は行き倒れた母親を線路脇に置いて
たった一人で焼けた線路の上を歩き続けた人だ。
 ↓
 ぱんくず日記(2007-07-18 00:35:54)
 http://blog.goo.ne.jp/t-i801025/e/9da868829df9e2beb46f04f9467562a1


どんな家庭の事情で母一人娘一人になったのか
その人自身もわからないという。
母親は結核でずっと療養所で暮らしていたため
その人は親類縁者や里親の間を行ったり来たりして育った。
ある時、母親は療養所を出て娘を連れて長崎に行こうとした。
その人はまだ10歳になっていなかった。

「今思うとね、
 母は死期を悟って
  私の行く先を教会に頼もうとしたのかも知れないわ。」

汽車の長旅で母親がどんどん衰弱していくのが子供の目にもわかった。
しかしあと少しで長崎に着くと思っていたら汽車が動かなくなった。
どうして汽車が動かないのか何時再び動き出すのか目途が全く立たず
母親はその人を連れて長崎を目指し線路伝いに歩き始めた。
道の途中、母親は何度か喀血した。
力尽きて線路脇に倒れ込みながら、母親はその人に言った。

「お母さんはもうすぐ死ぬわ。
 死んだら顔を手拭いで巻いて結びなさい。
 お母さんは結核だから死んだらこの口から悪い菌がどんどん出て来る。
 だから必ずそうして口を塞ぐのよ。
 お母さんはもう一緒に行けないからあなたは一人で長崎に行きなさい。
 長崎に行ったら教会を訪ねるのよ。
 いい?
 必ず教会を訪ねなさい。
 お母さんがここで死んでいる事とあなたが生まれた時に洗礼を受けた事を
  そこで言いなさい。
 必ず。」

その人の目の前で母親はやがて息をしなくなり、動かなくなった。
その人は言われた通りに荷物の中から手拭いを取り出し、
母親の顔に巻き付けて後ろでしっかり結んだ。

「お母さんは死んでしまったし、
 私にはもう行く所がない、
 ああ、これから私はどうしよう、って思ったわ。」

その人はしばらく母親の遺体の傍でぼーっとしていたが
言われた通り歩き出すより他になかった。
一人で荷物を担いで線路伝いに歩き始めた。
母親に言われた通り、長崎へ。
しかしその時既に長崎は原爆を投下されていた。
一面瓦礫と焼け焦げた死体の山の街を、
その人は途方に暮れ教会を探して歩き続けた。
まだ10歳になっていなかった。


ナウエン『放蕩息子の帰還』の9章を読んで二人の事を思い出した。
私は彼らと出会って、
彼らが潜り抜けて来た過酷な体験に動揺し、怒り、泣いた。
そして彼らが何でそんな目に遭ったのか苦難の意味を主に問う事をした。
しかしナウエンはこの章で
「相手の苦難の方にばかり注目する自己」と言い表し
より深刻でセンセーショナルな三面記事を好む心理について述べている。
この本の9章を読んで自分が指摘された気がする。
私は彼らの苦難にばかり注目して
動揺し怒り泣いてその先にある祝福に目を向けて来なかった。
主が如何に彼らを大切に御手の中に守って運ばれたかを
私は知っているのに注目して来なかった。

首から下を動かなくされ、辛うじて得た賠償金の殆どを
親戚や知人達に取り上げられ、生活保護まで打ち切られたその人に
見かねて援助の手を差し伸べ力を貸したのは某政治団体の人々だった。
無神論的な政治団体にのめり込むほど、
唯一の主キリストを求める気持ちが何故か強くなり
その人は人に頼んである教会に連れて行って貰い、
聖書研究会に参加するようになった。
しかしちょうどその頃湾岸戦争が勃発した。
その人は聖書研究会の席で問題提起した。
キリストの平和を掲げながら逆の事をする者に対して
教会は何故何の抗議行動もせず黙って見ているのかと。
小さな教会の聖書研究会に政治論議を持ち込んだため
穏健な教会の人々から煙たがられ、居られなくなった。
その人が牧師と口論になって絶交宣言の末に教会を去る時、
信者の一人が自分の所属教会を捨ててついて来た。
配偶者となった信仰者は私に言った。

「私が一緒に行かないと自分では動けないこの人が
 キリストとつながる道が永久に絶たれてしまうと思った。
 人間は教派や教会をなんぼでも作るけど、神はたった一人だけ。
 この人を連れて行ける他の教会を探そうと思った。」

そして、ある日近所のカトリック教会にその人を連れて行った。
司祭は諸手を挙げて歓迎し、二人に公教要理の勉強の場を設け、
洗礼を授けた。
たまたま私と出会ったのは私もその御聖堂の近所に住んでいて
顔見知りになったのが切っ掛けだった。

私は知っている。
主が動けないその人のために道を用意し、
祝宴の食卓を整えて待っておられた事を。
御手の中で絶望からその人を守り、大切に運ばれた事を。

医者も病院も生涯許せないでしょうねと問う私に
頸から下を動かなくされた人は答えた。

「井上さん、
 俺達は神様から幸せを頂いてるんだ。だから、
 辛い事も頂くんだよ。」



原爆で焼けた線路を辿って歩いた小さな子供だったその人も、
主が御手の中に守って、瓦礫の中で行き倒れないように運ばれた。
10歳にもならない子供がたった一人で原爆投下直後の焼野原を
行き倒れもせず長崎市内に入る事が出来た。
彷徨ううちに浦上の教会を知る人と出会い、
生き残った司祭と出会う事が出来た。
そして行き倒れて命を落とす事無く保護された。
焼けた線路を辿って歩いた小さな子供たったその人は私に言った。

「毎朝、お祈りをするのよ。
 今日一日、
 私に出会わせて下さる人、
 擦れ違う人、
 全員が天国に迎えられますように。」


この人の背景を何も知らなければ、
如何にも優等生的な、如何にも経験で信心深い、
模範的信仰者の台詞のようにむしろ空々しく聞こえるかも知れない。
しかし私は知っている。
この人のこの祈りが
小さな子供だった時に目にした惨い光景の只中の祈りである事を。
線路脇に行き倒れた母親や、
道の途中の至る所で目撃した無残に焼け焦げた人々の
無数の屍を前にして祈った幼い子供の祈りである事を。
焼かれて死にきれず息絶え絶えの人々や、
真っ黒に焼け焦げて死んで行った人々を目にした幼い魂を主が守り、
瓦礫となった教会で司祭と出会うまでの道程を御手で運ばれた事を。

二人の人のあまりにも酷い体験の、酷い部分にばかり気を取られ、
彼らが自分に向けて語ってくれた祝福に、私は注目していなかった。

しかし今、ナウエンのこの本を読んだのがきっかけで
彼らが主から受けた光を対話を通して私は垣間見た。
その事自体が御父の祝福、御父の喜びの食卓だったと今思う。
彼らが天に凱旋して行ってからもう10年にもなる。
10年経っても彼らの語った言葉は鮮明に残り
私は彼らが語った事を一字一句忘れていない。
忘れようとして忘れられるものでもなくむしろ
記憶の中で燦然と輝いている。
御父の宴の食卓とはそのようなものかも知れない。

家出しなかった兄息子

2015-11-13 21:04:52 | ルカ
ナウエン『放蕩息子の帰還』続きを読んだ。
家出しなかった方の息子、
家に居残って父に仕えていた兄息子に自分を当て嵌めてみる。
実際、父の在宅介護中の私は
ほぼこの兄息子の心理そのものだったと言える。
父は兄息子の偽りの従順を見透しているが
それでも一緒に宴会の席に着くように迎えに来る。
帰って来た弟だけでなく兄息子をも迎えに来る父親。
兄息子が父の招きに応じて宴会の席に着いたかどうか、
書かれていない。
父親はどうして、
何を望んで息子達を宴会の食卓に招くのだろう。
失われた息子は家出した息子ではなく家にいる息子だった。
招きに応じる子供と応じない子供。

親が元気だった頃の私自身は放蕩の弟息子同様だった。
とにかく息苦しい家族の家から出る事しか頭になく
実際進路を生家から離れた所に見つけて
早く家を出て家族と距離を置いた。
父が孤独死しかけた事を切っ掛けに生家に戻り、
文字通り「父の傍で仕える兄息子」の立場に転じた。
父の在宅介護の15年間私ははほぼ兄息子であった。
介護職の経験ある看護師として、
発症から後遺症、ADL低下、認知症、虚弱、廃用性症候群へと
どんどん老い衰える父のキーパーソンとなり在宅介護に必要な事をした。
そのために自分の生活時間や仕事を削りもし、
父が重介護に陥るにつれて
表面では笑顔のよきキーパーソンであり献身的な孝行娘、
腹の中は消耗感と切迫感と経済的窮乏と睡眠不足と拘束感で抑鬱状態、
自殺企図と呪詛で一杯だった。
生活の中の苦も楽も全て父と共有した15年間から今現在に至るまで私は
この譬え話の兄息子と同じ、二人いる子供のうちの失われた子供だった。
食卓を共に囲んでも、一緒に食べて楽しむよりも父が食べるための
食材調達、調理、給仕、後片付け、洗い物と翌日の仕込みに明け暮れ、
食卓を出来るだけ和やかで楽しい雰囲気で食事が出来るよう配慮し
食卓ではあくまで一人の「介助者」であった。
食卓を人と一緒に囲む事自体、決して楽しいものではない。
感情的に反発やふてくされる事とは無関係に、
食卓の光景から消耗と疲労感しか湧き起こらず
飲食物が豪勢であればあるほど後片付けの大変さにばかり気が行って
「宴の食卓」が重たい負荷でしかない。
宴会の食卓に招かれ、食卓の主のすぐ傍にいるにも拘らず
残念な、失われた子供。

父の家を出る弟息子の心理

2015-11-10 20:07:11 | ルカ
ナウエン『放蕩息子の帰還』続き。
弟息子に自分を当て嵌めてみる。
放蕩息子が父の家を出るに至った経緯を考えてみる。
単なる放蕩だけであれば父親と絶縁して出て行く必要はなく
いつまでも父親にたかる放蕩ニート息子でいてもよかった筈。
弟息子はどうして家を出たか。
彼が家を出たいと思うに至ったのは
息苦しさとか兄息子との軋轢とかいろいろ想像できる。
私自身がそうだったからだ。
今はもう無い「家族の家」で私は物心つく前から窒息していた。
ろくな思い出の一つも無い、陳腐な茶番のような家族。
放蕩息子の問題は放蕩で金を使い果たした事ではなく
差し伸べられる手を黙殺し家を出て「失われた者」となった事だ。
失われた者は、見えない手で首根っこをつかまれ
否応なしに帰還の道を辿らされる。

失われた自分を考える

2015-11-08 20:23:43 | ルカ
Youtubeでリュートの楽曲をかけ流している。
昼間読んだナウエン『放蕩息子の帰還』の続きから、
弟息子に当て嵌めて失われた自分を考える。

失われた息子

2015-11-07 22:50:51 | ルカ
ナウエン『放蕩息子の帰還』の続き。


福音書の譬え話(ルカ15;11~32)のタイトルは『放蕩息子』であるが
この箇所の主人公は弟でも兄でもなく、父であるという事。
弟息子から愚弄され反発され金をたかられ家出される。

「お父さん、あなたが死ぬまで待てないから
 今遺産を下さい」

兄息子からは偽りの従順で仕えられ宴の食卓を拒絶される。

「お父さん、あなたの傍でこんなに働いてきたのに
 弟には大宴会、しかし私には子山羊1匹すらくれない」


失われた弟息子は放蕩の果てに身を持ち崩し飢えて戻って来た。

「お父さん、私は天に対しても
 またお父さんに対しても罪を犯しました。」(ルカ15;21)

この台詞は腹が減っていたから出た処世術なのか本心なのか。


飢えて頼る宛ても無く帰っては来たが、
しかし父親の生前に遺産を要求する事は父親の死を願う事と同じ。
遺産は親が死んで初めて遺産となるのであって、
生きている親に「遺産をくれ」と要求したのは
親に向かって「早く死んで金を寄越せ」と言ったのと同じである。
父親を愚弄し傷つけた自分の行為を弟息子がどこまで自覚していたか
彼の心境までは書かれていない。
とにかく失われていた弟息子は生きて帰り父と共に食卓に着いた。

兄息子はふてくされて家の中に入って来ない。
父親が宴の席に着くようなだめ説得しても
聞き入れて食卓に着いたとは何処にも書かれていない。
兄息子が父親の用意した食卓に着いたかどうか、
読者にはわからない。
兄息子はふてくされたまま家に入らなかったかも知れない。
結末を伏せてあるのは、
この譬え話から父なる神の意図を悟る事を
イエスが聞く者と我々読者に期待して語られたからであろう。

放蕩息子の譬え話の前の章、『大宴会』(ルカ14;15~24)の譬えで
イエスは話をこう結んでいる。

 「あの招かれた人たちの中で、
  わたしの食事を味わう者は一人もいない。」(ルカ14;24)

『放蕩息子』の譬え話で父が招く宴を拒絶する事の意味を考える。
招きを拒絶する事は、
後足で砂を蹴散らして立ち去る事よりも重く絶望的だ。

この父にとって失われた息子とは
反発し金をせびって親と家を捨てた弟息子ではなく
内心溜め込んだ不満を隠し身近で仕えてきた兄息子の方だった。
失われた息子は放蕩息子ではなく従順な息子の方だった。

文中でナウエンは
イエスの受難の時のペトロとイスカリオテのユダとを対比している。

自分自身に当て嵌めて読み直すとわかる。
私自身も弟息子であると同時に、兄息子である。

内なる

2015-11-06 21:29:37 | ルカ
ナウエン『放蕩息子の帰還』を読み始めた時に付箋紙を貼った、
序章の中の三つの語句を反芻する。

“頭よりも心で聴く”

“自分の内にある神の住まい”

“内なる聖所”

今はそこに注目している。

大宴会を辞退する

2015-11-05 22:26:57 | ルカ
今読んでいるナウエン『放蕩息子の帰還』の前の章、
『大宴会』の譬え話を考える。

ルカ14;15~24、大宴会の用意をした主人は
招待客達が悉く都合を言って食を共にする事を断ってきた事に対し
怒って・・・・ここまでは理解できる。
しかしどうしてそこらの通りで食べるものも無くたむろする
貧者達の誰でも彼でもを掻き集めてまでも宴を強行したか。
宴会を取り止める事をしてもよかったのに。
宴会への招待を蔑ろにした客達に文句言うとか抗議するとか
招きに対して侮辱を返された事に怒って報復・・・ではなく
何で「そこらの誰でも彼でも」を招いたか。
招かれた食卓に着く事を拒む事の意味を考える。

私自身は、
宴会と名の付くものは何でもかんでも苦手で
「欠席」「辞退」する事が多い。
聖餐式のパンと杯以外での
人と食卓を囲む「会食」は億劫で苦手だ。
食い意地張っているくせに、食べたものの味も
食べながら「おいしいね」などと言って交わした会話も
何も記憶に残らず終わるとどっと疲れ、
会食の後はいつも後悔するからだ。
それで、
招かれた宴会の食卓に着かない事の意味を考えている。

『放蕩息子』の章を脱線する

2015-11-04 22:26:25 | ルカ
通勤の行き帰りのバス待ち時間や車中で
ここずっとナウエンの『放蕩息子の帰還』を読んでいる。


弟息子は年老いた父親が死ぬのを待ち切れずに請い願う。

「お父さんあなたが死ぬまで待てません、
 私が相続する分の遺産を今下さい。
 遺産を自由に処分する権利も下さい。」

老いた父親は、父を愚弄する弟息子を叩きのめす事はせず
財産を兄弟に分けてやり、弟息子は出て行った。
放蕩の限りを尽くし、有り金を全て使い果たしてしまって
路頭に迷った弟息子は悔いて故郷に帰る。


私は福音書のこの箇所を読んでいつも二つの光景を思い出す。
過去に自分の目で見た、珍しくない二つの悲劇の光景。


一つめ。

「お父さん、
 私は天に対してもまたお父さんに対しても罪を犯しました。
 もう息子と呼ばれる資格はありません。
 雇い人の一人にして下さい。」

と自分の台詞を諳んじ老父の怒りを受ける事を思いながら
弟息子が故郷に戻ってみると、父の家は既に無かった。
彼が放蕩の旅に明け暮れている間に老父は死んで世を去り
生家の土地も建物も既に無くなっていた。
父の家は兄が処分して更地になっており
畑も知らない他人に売り渡していた。


二つめ。

「お父さん、
 私は天に対してもまたお父さんに対しても罪を犯しました。
 もう息子と呼ばれる資格はありません。
 雇い人の一人にして下さい。」

と言って訪ねて来た弟息子を老父は門前払いした。
老父は自分が甘やかしたために弟息子が堕落したと悔やんでいた。
ここでまた言いなりになっては本人と自分自身のためにならない。

「私はお前に甘過ぎた事を後悔している。
 お前は私が死ぬのを待ちきれず私の財を自分のものにした。
 今、みじめに路頭に迷うのはお前が自分で願った事だ。
 何処へなりともお前の好き勝手に行け。」

弟息子は行く宛てなく立ち去った。
老父は自分に言い聞かせた。
一度身を持ち崩しても何とか立ち直って
いつか本当に帰って来るだろう。
金や食い物をせびりに来るのではなく
本当に悔い改めて帰って来るだろう。
いつかきっと。

半月も経った頃、
行き倒れた旅人の死骸が街外れで見つかった。
人々が顔を背けながら板に乗せて運んで来た骸は
あの弟息子だった。
杖に寄りかかりうなだれた老父はいつまでも見ていた。
死んで半月も経った、土と同じ色に変わり果てた弟息子の顔を。
埋葬をしてやりたかったが老父の財産は息子にやってしまって
何も残っていなかった。


老父も弟息子も生身の人間、
実際の父親は父なる神ではなく一人の人間である父親。
悔いた放蕩息子が帰って来るまで生存しているとは限らない。
父親が健在だとしても息子が生きて帰って来るとは限らない。


放蕩息子の箇所を読むと
福音書の本題に入る前に必ず思い浮かぶ。


父なる神の憐みを説いた箇所なのに
登場人物の図式が似通っているというだけで、何故か思い出す。
これは私自身の脱線である。
ただ、どうしてそのような光景を自分の目で見る事になったのか、
私が見た事にどんな意味があったのかは
まだわからない。

復活の朝のマリア

2011-01-08 19:11:18 | ヨハネ
  「婦人よ、なぜ泣いているのか」

  
  「わたしの主が取り去られました。
   どこに置かれているのか、わたしには分かりません。」


  「婦人よ、なぜ泣いているのか。
   だれを捜しているのか。」


  「あなたがあの方を運び去ったのでしたら、
   どこに置いたのか教えてください。
   わたしが、あの方を引き取ります。」


  「マリア」


  「先生」

                (ヨハネ20;13~16)


ヨハネ11;1~44、ラザロの復活の場面で、
イエスはマリアに何を伝えたかったのだろう?


イエスはマルタとの間には
言いたい事を直球でばしばしやり取りしてなお揺ぎ無い
確固たる深い信頼関係を既に築いている。
イエスに厳しい指摘をされてもマルタの確信はびくともせず、
兄弟が死んだ後にやって来たイエスに信仰を告白している。
2000年の時間を経て、マルタは成熟した信仰者のお手本だと私は思う。
しかしマリアはそうではない。
自分の思いを表現する言葉も持たず、イエスを出迎えにも行かず、
ただ感情を高ぶらせている。
イエスの方でもマリアに対しては何か腫れ物に注意深く触れるような配慮をして
イエスの方からマリアを呼んでいる。


成熟した信仰者として教会を支え、
人を招き、もてなしの配慮に心を砕くマルタとは、
マリアは対照的な対人性を持っている。
自分がイエスの話を聞けさえすれば御の字、
周りの者に目をやる余裕も無く自分が信じるだけで精一杯。
熱意だけは人一倍あるが他者の事まで目に入らない。


ラザロが死んだ時、マリアは兄弟ラザロの死に何を考え、
言葉にならない感情の中で神にどんな思いを抱いていたのだろうか。


自分の聖書通読日記に書いた事を読み返して、
この時のマリアの思いに照準を合わせて共感出来る事が無いかを探してみた。
マリアの立場になって考えてみる。


マリアは兄弟ラザロが癒されて元気になる事を願い、イエスを信じて祈っていた。
しかし信じていくら祈っても、ラザロは結局助からなかった。


この時のマリアの感情は、
末期の病人とその家族の血反吐を吐くような苦しい気持ちそのものではないか。
病人の回復を必死に願い、祈ってきた。
でも現実には病人は癒されず、この世での最後の別れの時が来てしまう。


  “ああ、「病気を治して下さい」という私の願いは聞かれなかった。
   神の御心と私の願いは合っていなかったんだろうか、
   この人を癒して下さい、病気を治して下さいという私の願いと祈りは、
   所詮自己中心的な満足、自分だけの狭い幸せに過ぎなかったんだろうか、
   本当の神の望みとずれているという事なんだろうか。”(2010.02.11)


ラザロの死を聞いてイエスがやって来たのに
出迎えにも行かないマリアの気持ちに、私達は共感する事が出来ると思う。


イエスは、
この未熟な若い信者マリアに何を悟らせたかったのだろう?
イエスがマリアに伝えようとされたのは、何だろう?
イエスがラザロを呼ぶと死後4日も経っていたラザロが生きて墓から出て来た。


  あなたはわたしの魂を陰府に渡すことなく
  あなたの慈しみに生きる者に墓穴を見させず
  命の道を教えてくださいます。
  わたしは御顔を仰いで満ちたり、喜び祝い
  右の手から永遠の喜びをいただきます。
                  (詩篇16;10)


  私は道であり、真理であり、命である。
                   (ヨハネ14;6)


私は死人ラザロが復活した奇跡よりも、
イエスがこの時マリアに何を伝えようとしたかに注目する。
イエスがマリアに伝えたかった事は何だろう?
死んだ人間を生き返らせてまでも。


マリアは、
イエスがパンをくれたからとか病気を癒してくれたからという理由で
イエスに付いて行った大勢の人々とは違っていた。


  わたしの信頼していた仲間
  わたしのパンを食べる者が
  威張ってわたしを足げにします。                (詩篇41;10)


  わたしは、どのような人々を選び出したか分かっている。
  しかし、
  『わたしのパンを食べている者が、
   わたしに逆らった』
  という聖書の言葉は実現しなければならない。
  事の起こる前に、今、言っておく。
  事が起こったとき、『わたしはある』ということを、
  あなたがたが信じるようになるためである。
                   (ヨハネ13;18~19)


弱さ。
人間の弱さとはこういう事なのだろうと思う。
群衆も、弟子達も、皆弱かった。


  パンを裂くまでイエスに従う人は多いが、
  受難の杯を共に飲もうとする人は少ない。
  多くの人はその奇跡に感嘆する、
  しかし十字架の辱めまでつき従う人は少ない。
  多くの人は不幸が来ない限りイエスを愛し、
  慰めを受けている限り彼を祝する。
  しかしイエスが姿を隠し、
  暫くの間でも彼らから離れ去ると、不平を言い、
  ひどく落胆する。
  しかしイエスから受ける慰めのためではなく、
  イエスをイエスとして愛している人は、
  患難や苦しみの時にも
  慰めの時と同様に、
  彼を賛美する。
            (De imitatione Christi)


マリアも
イエスをイエスとして愛していた人の一人だった。
イエスが何かしてくれたからではなく、イエスをイエスとして
マリアが心の底から愛していた事が復活の箇所から読み取れる。
マリアはイエスの復活される朝、相手がイエスとも知らずに会話する。


  「あなたがあの方を運び去ったのでしたら、
   どこに置いたのか教えてください。
   わたしが、あの方を引き取ります。」


マリアはイエスの遺体を引き取ってどうしたかったのだろう。
引き取ったとしても、遺体になったイエスは抜け殻に過ぎないのに。
マリアのイエスに対する愛は、執着と紙一重である。
しかし、私達はこの時のマリアの気持ちが理解出来る。
親族や親しい人の死に直面した事のある私達は
この時のマリアと同じ感情を共有している。
私達は2000年以上の時間を経てマリアと同じ感情を共有している。


そんなマリアに、イエスは
「わたしにすがりついてはいけない」と言い、
行ってイエスが復活した事を伝えなさいと言う。
イエスはマリアに、執着を捨てて信仰の共同体に戻れと言っている。


それまでマリアは自分とイエスしか目に入っていなかった。
イエスはマリアに、共同体に戻ってイエスの復活を皆に知らせ、
イエスが教えた救いの希望を告げ広める者となれと、
信仰の共同体に人々を迎え入れる者になれと
望んでそう言われたのではないか。
マルタのように。
マルタはイエスへの揺るぎない信頼を持ち、
共同体の中に人を迎え入れ、教会を支える者である。


弟子達はイエスを見捨てて逃げ去った。
しかし、自分が受ける慰めのためではなく
イエスをイエスとして心底愛した人々が
マリアをはじめ大勢存在していたのは間違いない。
ゴルゴタまでついて行った人々や
主の復活を知らずに香料を持って空の墓を訪ねた人々。
彼らはイエスが死んで埋葬されてしまってもなお離れ難く
この世の別れを惜しんでイエスの墓を訪ねた。
無力で出来る事もなく、墓を塞ぐ大岩を退ける力も無いのに。


2000年という時間を経ても、愛する者を失った彼らの気持ちは
今の時代に生きる私達と痛いほど同じだ。
イエスが死んで骸となっても彼らのイエスを愛する気持ちは動かず
彼らがイエスをイエスとしてどれほど愛していたかを
福音書から感じ取る事が出来る。

生きる

2010-11-08 00:49:49 | 預言書
生きる。




誕生について言えば、お前の生まれた日に、
お前のへその緒を切ってくれる者も、水で洗い、油を塗ってくれる者も、
塩でこすり、布でくるんでくれる者もいなかった。
だれもお前に目をかけず、これらのことの一つでも行って、
憐れみをかける者はいなかった。
お前が生まれた日、お前は嫌われて野に捨てられた。
しかし、わたしがお前の傍らを通って、
お前が自分の血の中でもがいているのを見たとき、
わたしは血まみれのお前に向かって、『生きよ』と言った。
血まみれのお前に向かって、『生きよ』と言ったのだ。
                       (エゼキエル16;4~6)


わたしは悪人の死を喜ぶだろうか、と主なる神は言われる。
彼がその道から立ち返ることによって、生きることを喜ばないだろうか。
                           (エゼキエル18;23)


…わたしはだれの死をも喜ばない。
お前たちは立ち返って、生きよ」と主なる神は言われる。
                       (エゼキエル18;32)




 私達は誰かを赦すために、誰かを愛するために、 
 この世に生まれて来ました。 
 私達は人を赦すために、愛するために、 
 生命を与えられ、生かされています。
                     (L神父)


誰かを赦すために、愛するために、
そのために自分が生かされているとしたら、
生きる事は誰かを赦す事と同じだろうか。
生きる事は誰かを愛する事と同じだろうか。




自分は今、生きているか?

何のために

2010-11-08 00:48:30 | ヨハネ手紙Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ
愛する者たち、互いに愛し合いましょう。
愛は神から出るもので、愛する者は皆、神から生まれ、
神を知っているからです。
                      (Ⅰヨハネ4;7)




もう何年も前に
近所の教会の神父様が言っていた。


 私達は誰かを赦すために、誰かを愛するために、
 この世に生まれて来ました。
 私達は人を赦すために、愛するために、
 生命を与えられ、生かされています。
                 (L神父)


人間が
何故この世に生み出され
何故生かされているのか
何故生きなければならないか
“何のために”という問いへの明確な答え。


多分、ヨハネはこの事を言っている。

生きよ

2010-11-08 00:19:56 | ヨハネ黙示録
福音書、手紙、黙示録。
新約の、ヨハネの書いた箇所を読むと息苦しく、辛くなってくる。


洗練された、美しく整った文章でありながら、
言葉の一言一言に血が滲んでいる気がする。
迫害の真っ只中で書かれたからだろうか。
ヨハネが同胞達に向かって必死に「生きよ、生き延びよ」
と絶叫している気がしてならない。
こんな受け止め方は私だけだろうか。


ヨハネの書いた手紙や黙示録を、同胞達は読む事が出来ただろうか。
手紙は皆で回し読みしたり仲間で集まって読み上げたりしていただろう。
読む前に捉えられ殺された人も大勢いただろう。
密告者や内部告発者、異端者らの手を逃れて手紙は様々な人間の手を渡り、
本来の宛先として想定された人は既に迫害でこの世を去っていたかも知れない。
行き先を失った手紙は別の誰かの手に渡り、
さらに色々な人間の手から手へ廻り廻ったかも知れない。
パウロの手紙も同様だ。


迫害に負けず何としても生きよ。
異端の策略に負けずに生きよ。
主の教えを逸脱せずに生きよ。
迫害や苦難に絶望せず生きよ。



生きよ!生きよ!生きよ!

もしパウロが

2010-10-29 00:16:32 | 使徒言行録
そういえば先々週教会で昼食の時に
聖書好きの求道者の方からカッ飛んだ質問をされた。


求:「神様は何で
   パウロを最初からイエスの弟子にしなかったのかな?
   何でパウロだけ後から弟子にしたのかな。
   12人の弟子達だけでは物足りなかったんだろうか?」


考えた事もなかった。
だって歴史上実在した人だしね。
それこそありのまま書いてある通りに読むしかないからなぁ。
私は返答に困ってこう答えた。


井:「うーーーーん。。。
   福音書の時点から既にパウロが登場してたら
   話がもっとややこしくなったんじゃないかな。」


福音書の時に
主イエスと12人の弟子達と行動を共にしていた人々の中に
もしパウロがいたら、
或いは12弟子が12人ではなくて13人で、
パウロが既にその中にいたとしたら、どうなっていたか?
昼食を食べながら、隣に座った求道者の方としばらく話した。


パウロの人物像、人柄、性格を思い浮かべてみる。


まず雷の子らと呼ばれたヤコブ、ヨハネ兄弟と
大喧嘩になっていただろうと想像する。
兄弟の母親が「うちの息子達を主の右と左に」などと言ってきた時点で。
他の弟子達が腹を立て舌打ちして呟いた程度の事でも、
パウロであれば知識とぶれない視点と信念を曲げない頑固さで、
ヤコブ、ヨハネ兄弟とその母親を論破して譲らず、大喧嘩になったかも。


弟子達は皆、漁師や取税人や、貧しい一般市民だった。
そんな弟子達の中にパリサイ派のエリートだったパウロがいたら
イエスの弟子になっていたとしてもおそらく浮いてしまっただろう。
他の弟子達との人間関係もまずくなりそうだ。


ゲッセマネでイエスが逮捕された時、
弟子達はイエスを敵の手に置き去りにして逃げた。
パウロならどうだろう。
皆と一緒に逃げるだろうか。
使徒言行録や書簡から読み取れるパウロの人間像は
信念を曲げず妥協を知らない人物のように読み取れる。
もしパウロがイエスの生前のうちに弟子になっていたら。
逃走する他の弟子達を尻目にパウロだけは頑固に主張を曲げず
律法学者達に論戦を挑んでイエスと共に逮捕され、
一緒に十字架にかかってしまったかも知れない。


ペトロが「一緒に命を捨てる」と言いながら果たせず涙した事も、
パウロだと一歩も引かない論戦の挙句、
イエスと一緒に血祭りに上げられてしまうのではないかと思ったりする。
しかしそれでは困る。
ゴルゴタの丘に十字架が四本も立てられては、話がややこし過ぎる。
預言の成就はどうなる?
イエスの十字架の死と復活の後、パウロはどうなるのだ?
パウロも一緒に復活したりしたらますます話がややこしくなって
キリスト教が複雑怪奇になってしまって、甚だ具合が悪い。
それに、パウロがイエスに準じて一緒に十字架で死んでしまったら
異邦人達への宣教はどうなるのだ。


私は個人的に、
パウロだからこそ粘り強く異邦人に
イエスの教えを説く事が出来たのではないかと思ったりする。


律法主義の何が足りないのか、
何が神への信仰のあり方を歪めてしまってきたのか、
神の意図である救いに至るには何をどう改善し軌道修正すべきか、
より具体的に分かり易く噛み砕いて人々に教え導くには
パウロ自身の打ち砕かれた体験が不可欠ではないだろうか。
律法主義が打ち砕かれるには確固たる律法主義の信念を
土台として持っていなければならない。


イエスとの出会いによって
それまでパウロが信じてきたユダヤの伝統的価値観が打ち砕かれ、
ユダヤ社会のエリートとしてのパウロの自意識を木っ端微塵にされた。
パウロはその体験を通して神の慈しみと憐れみに目覚め、
神の救いの意図を知らされた。
その喜びの体験が律法主義に凝り固まったユダヤ人や
全く宗教的土壌の異なる異邦人にイエスの教えを的確に根気よく伝えるための
パウロの原動力になっている気がする。


求:「うーん。
   やっぱり適材適所で神が初めから選んで決めていたのかなぁ。」


井:「そう思うよ。
   時と場所もちゃんと備えられててさ。」


他の弟子達だってそうだ。
その弟子でなければならない役割をになってると思うんだよね。


求道者の読後感想話は尽きず、面白かった。