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ぱんくず通読帳

聖書通読メモ

日ごとの糧を(マタイ6;11 ルカ11;3)

2016-06-08 17:11:27 | 主の祈り
私達に必要な糧を今日与えて下さい。
                   (マタイ6;11 ルカ11;3)


 主の祈りは貧しい者の祈りだと教わった。
 今日食べる物を請い願わなければならない、
 無一物で飢え渇き、
 今日一日を生き延びるために切迫した、
 天の父なる神以外に何も頼るものが無い、
 貧しい者の祈りだと。

 
 『路上のうた ホームレス川柳 』
      ビッグイシュー日本編集部




 仕事も住む場所も無く公園やビルの隙間で雨風を凌ぎ
 炊き出しのカレーを貰って食べていると雨が降って来て
 雨がカレーにも降り注ぐ。
 今日食べる物が無くて公園にいると
 誰かが公園の鳩にパンの耳を投げ与えている。
 そのパンの耳、少しでいいからくれないか。
 思いながら空腹に耐え、じっと見つめる。
 誰かが同情してインスタントラーメンをくれても
 湯が無いからそのままがりがり齧るしかない。
 硬い、冷たい地面に敷いた段ボールと
 布団代わりに被る新聞紙の温もりの中で眠る。
 
 彼らが詠んだ歌から
 主の祈りの「日毎の糧」をどうしても思い出す。
 イエス・キリストがどんな人々を慈しんで
 弟子達にこの祈りを教えられたか
 イエス・キリストがどれほど彼らを愛おしんでおられたか
 間近に見せられる。

主の祈りを唱える自分(マタイ6;9~13、ルカ11;2~4)

2008-10-03 22:29:29 | 主の祈り
天におられる私達の父よ、
御名が崇められますように。


 天の御父に助けを事を求める事を忘れた、
 意固地で頑迷な
 自分の力でまだどうにか出来ると思っている自分。


 血反吐を吐くほど苦しんでもいないのに
 絶望している自分。


御国が来ますように。


 いつもいつも一人きりになりたい自分。
 いつもいつも一人で楽しくて幸せな自分。


 誰とも穏便に仲良くしながら
 誰も信用していない自分。


 誰かに何か頼む時、
 相手が裏切る事を常に念頭に置く自分。


 所属教派の
 教会協議会の総会の席に着いて
 迷走し沈没寸前の船の中の浅ましい有様に
 御手が臨んでいる事も忘れて失望している自分。


 信仰による一致、主にある交わりを
 互いに都合よく解釈し合っただけの、
 綺麗に飾り立てた絵空事と思っている自分。
 
 
御心が行われますように。
天におけるように地の上にも。


 自分の些細な痛みや悩みに囚われて


 渡される夜に一人祈っていた主の孤独、
 弟子達に見捨てられた主の悲しみ、
 十字架を背負う主の味わわれた重さ、
 釘で貼り付けられた主の御手の痛み、
 炎天下に晒された主の渇きを
 目の前に見ていながら
 思い起こす事すら忘れている自分。


 目の前に見ながら、
 目の前で
 ベッドに貼り付けられ
 気管に孔を開けられ叫ぶための声を奪われて
 乾燥して虚ろに宙を見る眼と、
 渇いた唇と舌と、
 虚脱した血管、
 薄皮のような皮膚と突き出た骨と
 針の痕だらけの手足を
 いつもいつも
 目の前に見ていながら


 十字架に貼り付けられた主を
 思い浮かべる事すら出来ない自分。


私達に必要な糧を今日与えて下さい。


 飢えた事が無くて
 今日一日の糧の価値を感じる事が出来ない自分。


 欲しい物を買い
 食べたい物を食べ
 住みたい所に住んで
 まだなお給料が安い事を不満に
 求人情報を漁りながら
 節約する余裕がまだ全然ある自分。


 失業と転職を何度か経験しているのに
 一度仕事を得てしまうと
 文句ばかり言っている自分。


 自分の父親が子供の頃に、
 ピンポン玉のようなジャガイモ3個与えられただけで
 軍事教練と称して
 一日中校庭をぐるぐる走らされた話を
 昔話にしか聞けない自分。


 その日一日、
 食べる物が無い、
 家族に食べさせる物が無い、
 追い詰められた苦しみを
 見ても聞いても悟れない自分。


 辻宣道牧師の説教集の中に記された、
 その少年の日のキリスト教が弾圧された時代に
 牧師だった父が投獄され
 教会を解散させられ
 教会員達から遠巻きにされ離れ去られ、
 誰一人寄り付く者も無く一家で路頭に迷った末に
 食べる物を分けて貰うため
 教会員の農家を訪ねた少年に向けた、
 農夫の言葉。
 いつも我先に信仰を言い表す熱心な教会員だった、
 農夫の言葉。


 「お宅に分けてやるカボチャは無いねぇ。」


 この時の少年辻宣道の
 追い詰められた苦しみ。
 幼い弟達に今晩何を食べさせたらいいのか
 途方に暮れた、追い詰められた苦しみ。


 軍隊の払い下げた残飯を分けて貰いに
 街路に立つ母と少年辻宣道の
 その日一日生き延びるために
 軍隊の払い下げた残飯を乞い願う苦しみ。


 辻宣道牧師の説教集を読みながら
 日々の糧の価値を読み取れない自分。


 老人施設で徘徊し
 施設内の事務室や各部屋の入り口で
 "めりけん波止場の"を歌っていた老女の
 消えない記憶の苦しみ。
 夫が戦死して
 終戦後は赤ん坊を養うために
 米軍キャンプを回って歌を歌い
 アメリカ兵に体を売ってまでその日の糧を得たのに
 赤ん坊は流行り病で死んでしまった、
 年をとって認知症になっても消えない悲しみの記憶。


 歌っては泣き、泣いて語った老女の
 その日を生き延びる苦しみ。


 目の前に見て聞いてなお
 日々の糧を悟れない自分。


私達の負い目を赦して下さい。
私達も自分に負い目のある人を赦しましたように。


 子供の頃、親に対して
 そして
 過去に出会った誰彼に対して
 一度抱いた被害者意識を捨てられない自分。


 自分の罪を認められない自分。
 

私達を誘惑に遭わせず、
悪い者から救って下さい。


 自分の弱さを悟れない自分。
 ゲッセマネの弟子達のように
 血の滴るような汗を流して祈るイエスの傍で
 眠くて起きていられない、
 目を覚まして共に祈る事すら出来ないであろう自分。


 後悔と自己嫌悪にずぶずぶ沈む自分。

主の祈り(マタイ6;9~13、ルカ11;2~4)

2008-09-29 20:53:26 | 主の祈り
洗礼の前の約1ヶ月、
じじと一緒にマルコを一章ずつ読んでいたが
聖書を開く前と閉じた後には必ず主の祈りを唱えた。


じじは小学生のように肘を伸ばして
私がA4の紙に手書きした主の祈りを朗読した。
いつか主の祈りの中身を
じじにゆっくり話そうと思っていた。


じじ宅の水道の蛇口に取り付けた濾過器が
壊れたので新しいのに替えた。
そして帰り際に主の祈りを唱えよう、と声をかけてみた。
じじは「そうだな」と
もそもそ紙に手書きした主の祈りの紙を探す。


自分の黙想ノートから、
主の祈りの中身をじじに話してみた。


ずっと前に聴いたFEBCの放送からのメモ。


「主の祈りは
 十字架にかけられる直前のイエス・キリストが
 ゲッセマネで父なる神に祈った苦しみの祈りと同じ、
 どん底で苦しんでる人の祈りなんだって。」


「そうか。
 知らんかった。」


「うん。
 私もただ暗誦してただけだった。」


じじ、溜め息ついている。
 

「日ごとの糧の所もさ、
 日ごとの糧を今日って言ってるでしょ、
 この"今日"、というのが大事さ。
 こうして私達みたいに衣食住足りて、
 欲しい物買って、食べたい物食べて、
 将来年金足りるか貯金幾らあるかとか
 そういう心配してるのとは違うのさ。
 今晩食べる物が無い、どうしよう・・・
 そういう切羽詰った貧しさ、
 今日一日食べる物すらなくて
 生き延びられるかどうかわからない、
 追い詰められた貧しさの中から
 神様ににすがる、そういうお祈りなんだよ。」


「今の時代に生きているという事は、
 ありがたい事だなぁ。」


じじ、しみじみ。


主の祈りを唱える。
ゲッセマネの主イエスと心を一つに合わせて祈る。
今苦しんでいる人と心を一つに合わせて祈る。


毎日。

主の祈り(マタイ6;9~13、ルカ11;2~4)

2008-09-29 13:53:59 | 主の祈り
主の祈り


FEBC『神との親しみを深めるために
     ―祈りを身につける―』英隆一朗


天におられる私達の父よ、
御名が崇められますように。


 主の祈りは
 地に平伏して天の御父に助けを求める者の祈り。
 血反吐を吐く絶望の淵から
 天の御父に叫ぶ祈り。


御国が来ますように。


 主の祈りは
 四面楚歌、孤立無援の立場に立たされた、
 孤独な者の祈り。
 人と人とのつながりが断ち切られ、
 連帯、信頼が損なわれて
 不信と猜疑心に囚われて苦しむ人の祈り。
 
 
御心が行われますように。
天におけるように地の上にも。


 主の祈りは
 この世の不条理に押し潰されて息絶え絶えの
 苦しみのどん底にある者の祈り。
 最も苦しい、絶望の中から叫ぶ祈り。
 渡される夜、ゲッセマネの主イエスの、
 天の御父を呼び求める祈り。


私達に必要な糧を今日与えて下さい。


 主の祈りは
 貧しい者の祈り。
 今日食べる物を請い願わなければならない、
 無一物で飢え渇き、
 今日一日を生き延びるために切迫した、
 天の父なる神以外に何も頼るものが無い、
 貧しい者の祈り。


私達の負い目を赦して下さい。
私達も自分に負い目のある人を赦しましたように。


 主の祈りは
 自分の罪に苦しむ者の祈り。
 傷ついて、悲しみの底に沈んだ者の祈り。
 憎悪に囚われ、 
 人を赦す事の出来ない怨念の苦しみ、
 癒えない痛みに打ちひしがれた者の祈り。
 

私達を誘惑に遭わせず、
悪い者から救って下さい。


 自分の弱さに悩み苦しむ者の祈り。
 ゲッセマネで
 血の滴るような汗を流して苦しみ祈るイエスの傍で
 目を覚ましていられなかった、
 共に祈る事すら出来なかった弟子達のような
 惨めな後悔と自己嫌悪に苦しむ者の祈り。


“私達”は神を見失って苦しんでいる私達。
“私達”は生きる望みを失って絶望している私達。
“私達”は孤立無援、孤独に陥っている私達。
“私達”は飢えて今日一日生き延びられない私達。
“私達”は罪に囚われ、憎悪と怨念の泥沼で窒息する私達。
“私達”は惨めな後悔と自己嫌悪に苦しむ私達。
“私達”はイエスと共に目を覚ましていられなかった私達。


主の祈りを唱える。
ゲッセマネの主イエスと心を一つに合わせて祈る。
今苦しんでいる人と心を一つに合わせて祈る。


毎日。 

まず、主の祈り(マタイ6;9~13、ルカ11;2~4)

2008-03-22 23:59:59 | 主の祈り
主の復活前夜。


「お父さん、
 今日はイエス・キリストが復活する前の晩なのさ。」


「そうか。」


「朝になって
 イエスが復活するのを待つんだけどね。
 徹夜でお祈りする教会もあるんだよ。」


「へぇ。」


「イエス・キリストが十字架で
 私達の罪を贖うために
 ご自分の命を捧げて下さった。
 私達にご自分の全てを与えて下さった。
 だから私達も
 人々に自分を与えなければならないんだよ。
 何も持っていない人はいないからさ。
 神様がこの世をお造りになって
 私達を養って下さってるから、
 何も持っていない筈はないのさ。
 お金持ってなくても、労力、時間、笑顔、
 何でも。
 イエスが惜しまずに
 ご自分の全てを私達に与えてくれたように、
 私達も惜しまずに自分を人々に与えるんだよ。」


「ふ~ん。」


自分が昔聞いた説教の受け売りだけど、
でもこれは真実だ。
私達は皆、
そのために生かされ養われている。


「復活の前の晩は、
 自分のこれまでの人生、
 自分が生まれてから今日までの人生を
 振り返って、出来る限り思い出して
 神様がどれほどたくさんの恵みを
 自分に与えて下さったかを思い起こして
 夜を明かすんだよ。」


「そうか。」


「自分の人生を振り返って
 子供の頃の事とか親の事とか
 若い頃の事とか
 いろんな事を思い出して
 いい事ばかりじゃないでしょう。
 恨んだり許せない事もたくさんあるでしょう。」


「・・・・・そうだな。」


「それはね、今日までだよ。
 許せない気持ちも恨み辛みも腹の立つ事も
 今日まで。
 明日お父さんが洗礼を受けたら
 今日までのそれらの恨み辛みは皆死んだものだ。
 洗礼を受けて、
 今日までのお父さんは死ぬんだ。
 死んで新しく生まれる。
 許せない相手を許す事はそう簡単じゃないでしょう。
 でも、
 その許せない心は今日までの古い自分と一緒に
 十字架に磔になって死ぬ。
 現実には洗礼を受けた後でも
 その恨み辛みを引き摺ってしまう事だってあるけど
 許す事が出来なければ
 許せるように神様にお願いするんだよ。」


「・・・・・」


じじ、考え込んだ。
私が何の事を言っているのか
誰の事を言っているのか、
じじははっきり悟っている。


じじ。
あなたは許せるだろうか。


2歳のあなたを置き去りにして、
何十年も会った事がなかったのに
突然現れて
血のつながった親子だから
引き取って面倒を見ろと要求してきた母親を。


あなたを親戚に預け盥回しのまま放置して
親として何一つするべき事をしなかったのに、
身を持ち崩した時には
都合よく新婚のあなたの貧しい新居に乗り込んで
連れ子二人と共に居候して家計を食い潰した父親を。


父親の気紛れで引き取られたあなたにだけ
食事を与えず嫌がらせをして
家の中で陰湿にあなたを排斥した継母を。


家族を知らないあなたの人格的欠点を見下し、
軽蔑しながらも忍耐して長年一緒に暮らし、
とうとう忍耐に限界が来た末に
あなたを捨てて出て行った私達の母親と
その兄弟姉妹達を。


あなたは許せるだろうか。
彼らに対する恨み辛みを
今日までのあなたと一緒に
磔にして死んだものとする事が出来るだろうか。


私は祈るよ。
あなたが彼らを許す事が出来るように。
あなたが今自分に与えられている人々との出会いを
神に感謝して
彼らのために祝福を神に願って
あなた自身が自ら祈る事が出来るように。


まず、主の祈り。


 私達の負い目をお許し下さい。
 私達も、
 私達に負い目のある人達を許しました。


珈琲を沸かしながら
じじに使徒信条を書いて渡した。
じじは使徒信条を声を出して読んでいる。


三つのペルソナ。
天地の作り主、全能の父なる神を信じる。
私達の主、イエス・キリストを信じる。
聖霊を信じる。


「父なる神と、主イエス・キリストと、聖霊と、
 3人の神様がいるのではないからね。
 神は唯一人の神様だよ。」


「・・・・・・?????σ(?_?)」


「えっと、
 例えばお父さんは、
 井上○○の息子であり、
 私の父親であり、
 デイケア利用者でしょう。」


「そうだな。」


「例えば私なら、
 お父さんの子供であり、
 看護師であり、
 キリスト者だよ。
 でも私は3人ではなくて
 1人でしょ。」


「そうだな。」


「そういう事なのさ。
 だから
 ただ一人の神様は、
 全能の父なる神であって、
 救い主イエス・キリストであって、
 聖霊である、
 たった一人しかおられない、
 唯一の神様だよ。
 3人神がいる多神教と誤解されちゃ困るのさ。
 キリスト教で三位一体と言えば
 こういう意味だよ。
 分かるかな。」


「わかる。」


わ・わかったのかぁ?
大丈夫か?
無理して分からなくてもいいんだけどね。


明日の礼拝に同行してくれるヘルパーさんに電話。
先日派遣会社の方に連絡しておいたけど
念のため明日の事を確認。


「明日の時間延長は大丈夫です。
 連絡受けてます。
 ところであの、
 いつも読んでる"主の祈り"を書いた紙ですが。」


「はい?」


「あの紙を礼拝に持って行った方が
 いいと思うのですが、
 井上さんに
 忘れないように声かけようと思ってたんですが。
 問題ないですかね?
 無くさないように気をつけますから。」


「気にかけて下さってありがとう。
 今、本人が自分で胸のポケットに入れてます。(笑)」


ヘルパーさん、
信者でもないのに
こんな事まで気にかけて
配慮してくれていたのか。


「おとうさん。
 ありがたい事だよ。
 お父さんのヘルパーさん達はね、
 いろんな人から評価が高いんだよ。
 介護技術も優れているし
 気配りがきめ細かくて立派だって
 牧師先生や教会の人達も
 珈琲店のご夫婦も言ってた。
 私もそう思う。
 そういうヘルパーと出会おうと思っても
 出会えるものじゃないからね。」


「そうだな。」


「出会わせてくれたのは神様だからね。
 神様に感謝して、
 ヘルパーさん達のために
 お父さんはお祈りしなきゃならないよ。
 あの人達のおかげだからね。」


「うん。」


じじ、明日洗礼式。

まず、主の祈り(マタイ6;9~13、ルカ11;2~4)

2008-03-20 22:45:09 | 主の祈り
今日から4日間、有給休暇を取った。


じじ宅に行って、
牧師先生の事を知らせた。


「退院しても無理しない方がいいなぁ。
 安静にしないと。」


「牧師先生は
 洗礼式の前に
 お父さんといろいろ話したい事があったんだよ。
 式の事とか。」


「そうか。
 でも無理しない方がいい。
 俺は大丈夫だ。」


「洗礼式の時にさ、
 牧師先生からお父さんは名前を呼ばれるから。
 そしたら車椅子で前に出て、
 牧師先生から質問される。
 それにはいと答える。
 お父さんがするのはそれだけ。
 後は牧師先生に任せて。
 ○○○○さん、
 あなたはイエス・キリストを信じますか?
 牧師先生にそう聞かれたら
 お父さん、何て答える?」


「はい。信じます。」


じじ、間髪入れずに答えたぞ。
私とはこれまでに
そんな話をした事無かったけど。
それだけで十分。
他の事は全部後から付いて来る。


さて、
今日はマルコを読了する。
誕生日から読み始めて、
とうとう最後まで来たね。
今日は復活と大宣教命令の箇所。


では、主の祈り。

まず、主の祈り(マタイ6;9~13、ルカ11;2~4)

2008-03-15 21:55:09 | 主の祈り
今日は
十字架のイエスの苦しみと死の箇所を読む。


珈琲を沸かす間、じじは
ずっと読んでいた遠藤周作の『切支丹の里』の
最後のページを読了した。


解説まで全部最後まで読むのがじじ流であるよ。
私とはそこが違う。


「はー読んだ。
 なかなかこの本はいろいろ書いてあるぞ。」


「面白かった?」


「うん。なかなかだ。」


「それ、私のだけどまだ読んでなかった。
 どんな話?」


「うん。
 昔からキリシタンの人達がいてな、
 隠れてたんだ。」


「ふん、それで。」


「で、そこに訪ねて行くんだが
 警戒してるんだな。」


「へーぇそれで。」


「うん。いろいろだ。」


いろいろ・・・・・・・・・・・・orz


さて、
明日は牧師先生が入院する。
じじにその事を話て、祈る。
まず、主の祈り。

まず、主の祈り(マタイ6;9~13、ルカ11;2~4)

2008-03-14 22:26:56 | 主の祈り
ヨーカドーで
ホウレン草1束98円、
たまご1ケース88円。


じじに電話で聞くと
たまごはまだ8個残ってたので
ホウレン草を買う。
ヘルパーから魚の切り身が
無くなったと聞いてたので
鮭と銀がれいみりん干しとタラを買って
じじ宅に行く。


じじ、
今日も遠藤周作『切支丹の里』を読み耽っている。


「この本な、
 大したいろんな事書いてあるぞ。」


「へぇ。
 どんな事。」


「何だかな、
 何だかいろいろだ。」


いろいろ・・・・・・・・・・・・orz
いろいろってなんじゃーーーー!


珈琲を沸かす間に
魚の切り身を一切れずつラップかけて冷凍。


今日は
ゲッセマネの祈りから
イエスがいよいよ逮捕されるところ。
弟子達がイエスを見捨てて散り散りになる。
先日のイエスのエルサレム入りからは
読み方をわざと減速し、
ゆっくり味わうようにして、
引用される預言書や
他の共観福音書の同じ場面にも
飛んでみたりしている。


主の受難の光景を
じじがイメージし易ければいいと思う。


では、主の祈り。

まず、主の祈り

2008-03-13 22:16:08 | 主の祈り
ヘルパーから
食材と所持金が無くなりそうだと連絡あり、
じじ宅に補充しに行った。


じじは今日も
デイケアの売店でしっかりと
ビスケットを買って来ていた。
ヘルパーは
じじがビスケットの封を切る前に、
秘密の場所へ隠す事に成功した。


私はその事には触れず、
確定申告を済ませて来た事と
牧師先生の入院が1週間延期になって
受難週にかかる事をじじに話した。


「そうか。
 大変だな。
 無事に終わるといいなぁ。」


じじは遠藤周作の『切支丹の里』を読んでいる。


「お父さん、
 今日聖書読むか?
 どうする?」


「そうだな。
 読む。」


珈琲を沸かした。
先日の日曜日に牧師館で咲いていた
朝顔の写真を見せると喜んでいる。


主の祈り。

まず、主の祈り(マタイ6;9~13、ルカ11;2~4)

2008-03-08 22:46:35 | 主の祈り
仕事は日勤から2時間居残って
終わったのが19時、
そのままじじ宅に直行する。


「お父さん、
 今日デイケアどうだった?」


「2回負けた。」


「先生とやったの。」


「他の囲碁やる人は、誰も来てなかった。」


「風邪流行ってるからね。」


ヘルパーの連絡ノートを見る。
じじ宅に昨日入ったからの記述。


 デイケアに持参するお小遣い、
 500円では足りないと仰います。
 娘さんから500円でと言われておりますと
 お話しましたが納得されず、
 「500円では足りないと言ってるんです!」とご立腹なので
 小銭入れに1000円入れました。


じじ、
デイケアに1000円持って行って、
1000円分しっかり袋入りのビスケットやチョコと
甘酒を5、6本買って来ている。
飲んだ甘酒の缶の残骸もある。


「失明したいの?」


「甘酒を買うんだったのだ・・・・」


「週3回デイケアに行って、
 その度に10本単位で買って来るよね。
 2、3日で次のデイケアの日までに
 全部飲み切ってるよね。
 そしてまた買うよね。」


「・・弁当屋の子供にやったら喜ぶから・・・」


「毎度毎度配食サービスの人が子供連れて来るの?
 違うでしょう。
 それに子供にやるなんて、
 自分が全部飲んでるじゃない。
 教会に持って行くと言うのもそうだよね。
 教会の台所は
 お父さんが持ってったチョコが山積みになって
 食べ切れないんだよ。
 お父さんの持っていく菓子なんか
 教会では誰も必要としていない。
 そんなに甘いものを自堕落に食べる人は
 教会にはいないんだから。
 教会に持って行くなんて口実でしょ。
 自分で1日でチョコの大袋を
 1袋全部食べたりしてるよね。
 だから私がヘルパーさんに持たせるお小遣いは
 500円に減らしてと言ったの。」


「・・・・・」


「全く何もかもダメとは言ってないでしょ。
 週に3回デイケアに行く度に1000円全部使って
 食べきれないほど袋菓子買い込んで
 四六時中ポカリスエットや甘酒を飲み続けたりして
 お父さんの採血データ、ケアマネから貰ったけど
 どんどん悪くなってるよ。
 今のままこんな事を続けていたら、
 確実に失明するか足が壊死する。
 最近歩き方がぐんと悪くなったけど
 糖尿病の血流障害になりかけてるかも知れない。
 足痛いでしょ。
 この上失明もしたい?」


「・・・・」


「自分は大丈夫とか
 思ってるんじゃないでしょうね。
 甘いものを無性に食べたい事自体が
 糖尿病の症状なんだよ。
 血糖を下げる薬飲んで、
 病院に通って、
 そうして甘いものを食べ続ける。
 自分でおかしいと思わない?」


「・・・・・・そうだな。」


これまでにじじと、
何度この会話をしてきた事か。
でも今回はここでじじは逆上せず、折れた。


「これ以上糖尿病が進行して
 今以上に血糖下げる薬が増えたり
 インシュリンの注射をするようになったら
 私は食事の度にここに来て
 お父さんに注射打たなきゃならない。
 そんな状態になったら
 私は仕事も出来なくなるし
 働いて生活する事自体出来なくなる。
 それでは困る。」


「そうだな。」


「小遣いを一銭も渡さないとか
 100%何もかも絶対ダメと言ってるんではない。
 このくらいの事は我慢しないと。
 それにデイケアの食事でも
 毎回おやつが別に付いてるでしょ。」


「・・・・・・わかった。」


ヘルパーの連絡ノートに
"本人を説得したので今後も小遣いは500円で"と書く。
小遣いを持たせるのは
物を見て選ぶ、代金を払い釣銭を受け取る、
買い物をする一連の行動と楽しみを
取り上げてしまわない方が、
本人の心身の残存機能維持のために良いと、
ケアマネと相談の上判断したからだ。


今後はそれも軌道修正の可能性ありだな。


珈琲が沸いたので
聖書を開く。


じじ、今日も主の祈りを朗読する。

まず、主の祈り(マタイ6;9~13、ルカ11;2~4)

2008-03-07 22:50:17 | 主の祈り
昨夜電話で、
今日は行くよと言っておいたが
じじの中では昨日の延長で
今日も休みのつもりだったらしい。
やっぱり直前の電話連絡は欠かせないのか。


行ってみると、
既に居間は消灯して就寝の用意をしていた。
私も疲れているし、
じじ本人も寝るモードになっているので
今夜は聖書を読むのはやめて
お祈りだけにした。


祈るべき事があるとじじに話す。


牧師先生が来週内視鏡切除を受けるので、
癒されるように、
早く回復されるように、
入院に入用な用意が整えられるように、
医療従事者達の働きが守られるように、
牧師夫人とご家族に平安があるように。


牧師先生のお母様が肺炎で入院されたので
癒されて病状が回復されるように、
お母様の心配をしながら
ご自身が治療を受けられる牧師先生の
心労が取り除かれて心身共に平安に
治療を受けられるように。


じじに
こういう時に教会では皆で心を合わせて
祈りを捧げるという事を話した。


主なる神
お守り下さい。

まず、主の祈り(マタイ6;9~13、ルカ11;2~4)

2008-03-02 21:59:14 | 主の祈り
日勤が定時に終わって
じじ宅に直行した。
まだじじは夕食を済ませていなかったので
ヘルパーがお盆にセットしてくれた夕食を
冷蔵庫から出してチンして温め直し、
じじか食べている間に
私も行きつけの珈琲店で
野菜サンドとカフェオレで夕食。


その間に
夜のヘルパーが来て、
夕食の片付けと翌朝の食事の用意や
デイケアに持って行く所持品準備と
連絡ノートにいろいろと
じじの状態を書いていてくれた。
私が珈琲店からじじ宅に戻ると
入れ違いでヘルパーが出るところだった。
これから次の利用者宅に向かうと言う。
就寝前のオムツ交換と
早朝4時の排泄介助のために
利用者宅に行くと言っていた。


彼女、
夕食は何時に摂ったのだろうか。
夕食を摂る暇はあるのだろうか。
私は遅出日勤からじじ宅に直行して来る場合、
早くて19時に職場を離れ、
夕食を摂る暇は無いので
お祈りも聖書も片付けも全部終わって
自宅に戻ってから
大体21時頃にやっと夕食にありつける。


考えると
私もヘルパーさん達も
アクロバット的な時間の遣り繰りをして
じじを支えているのかも知れない。
このアクロバットは主の支えなくしては無理。


じじ、
そんな事はお構いなしで
今夜も珈琲を所望する。
主の祈りを朗読して
私が祈って
聖書を開く時には大体いつも珈琲を入れる。
珈琲→聖書。
心理学的に言えば条件付け?

まず、主の祈り(マタイ6;9~13、ルカ11;2~4)

2008-03-01 22:19:39 | 主の祈り
今日、じじは
デイケアで囲碁仲間が5人も休んだと言っていた。
座って囲碁なんかやり始めたので
ますます歩けなくなってきた。


週3回デイケアで囲碁で勝ったり負けたりして、
デイケアに行かない週日は
ヘルパーや行きつけの珈琲店の店主夫妻と談笑し、
夜には私と一緒に主の祈り、マルコを読み、
日曜日は教会に行く。
脳は2年前に比べて格段に活性化されていると思う。
少なくとも2年前には囲碁などした事すらなかった。

囲碁は、
一から仲間に教えて貰って覚えて、
コテンパンに負け通しだったのが
最近は勝つようにまでなってきた。
本もよく読むようになった。
この2年間の間に三浦綾子、遠藤周作の小説は
ほぼ全部読んだ。
ヘルパーとお喋りしてよく笑うという。
喜怒哀楽がはっきりしてきた。


しかし、
身体は動かなくなって足腰は殆ど立たなくなった。
今後は身体機能がどんどん落ちていくだろう。
これからの日々、
イエス・キリストがじじと共にいて下さる。
主の祈りもすらすらと流暢に読んでるけど。


いよいよ今日は
イエスのエルサレム入りの箇所だ。
気合が入る。
じじ、意欲的。
神に感謝。

まず、主の祈り(マタイ6;9~13、ルカ11;2~4)

2008-02-29 22:20:53 | 主の祈り
じじは、
声出して主の祈りを読む事を習得した。
暗誦するまでには至っていない。


牧師先生も私も、
出来ればじじが自分の言葉で
自発的に祈る事が出来るようになればと
願いは持っているが
高齢で新しい事を習得する事自体が難しい。


「出だしは"天の父なる神様、"
 次に神を賛美するのさ。
 "御名を崇めます。"、
 次に神に感謝する。
 例えば
 "今日一日の生活を守って下さりありがとうございます。"とか、
 日々の生活を支えて養って下さっている事を
 神様に感謝する。
 それからは自分が今願う事を率直に、
 例えば"病気が直りますように"とか
 何でも、正直に神様にお願いする。
 最後に
 "イエス・キリストの御名によって、アーメン。"」


「へぇ。」


「つまり、こんな具合。
 "天の父なる神様、"
 "御名を崇めます。"
 "○○をありがとうございます。"
 "○○が○○になりますように、お願いします。"
 "イエス・キリストの御名によって、アーメン。"」
 基本的にこんな感じかな。
 お父さん、私と一緒にやってみて。
 最後に、アーメンて言ってね。」


「うむ。」


「天の父なる神様、
 御名を崇めます。
 今日一日を無事に過ごす事が出来ました。
 守って下さりありがとうございます。
 明日からの生活をも導いて下さい。
 お願いします。"
 イエス・キリストの御名によって、アーメン。」


「・・・・(^_^)」


・・・・・・orz


じじ。
最初と最後だけ復唱して、
後はニコニコしてるだけだったであるよ。
自分の言葉で自発的に祈る・・・・・・
じじにとっては難易度高過ぎるか。。。

まず、主の祈り

2008-02-28 22:15:58 | 主の祈り
持病が悪化するのを防ぐために
甘いものは禁忌として
毎度じじがデイケアから買って来る
"ラインサンド"
(細長いビスケットにクリームを挟んだ菓子)
チョコレートなどは
家のあちこちに隠しているが、
最近は私もヘルパー達と相談して
じじの裏をかいて見つからない場所に隠している。
そのためか
じじのストレスが密かに鬱積していると思われるので
本日だけカップアイスを1個、
おみやげに持参した。


聖書を開く前に珈琲を沸かす間、
一緒にアイスクリームを食べた。


本当は、
どうせ食べるなら
ちょっと前までセブンで売ってた、
大昔の雪印の青カップのアイスクリームがよかったけど
もう終わっちゃってた。


「もう売ってなかったのさ。
 雪印があんな事にならなかったら
 食べられたのにねぇ。」


「そうだなぁ。
 あれ、うまかったなぁ。」


「今ならもっと材料に凝って
 もっと味のいいアイスがたくさんあるんだけど
 ほら、
 食べ物って味だけでなくて
 懐かしいというだけで食べたくなるものでしょ。」


「そうだなぁ。
 昔はあのアイスくらいしか売ってなかった。
 駅のホームで売ってたな。
 40円くらいだったぞ。」


「そうそう。
 おじさんが木箱にあの雪印のアイス入れてさ、
 首から提げて"え~アイスクリーん"て売ってた。」


「そうだったなあ。
 よく売ってたなぁ。」


「ドンコー列車に乗って窓開けて
 あのアイスを食べるのが楽しみだった。」


「高級でなくていいし
 濃厚生クリーム入りでなくていいから
 あの素朴なカップアイスが食べたいよねぇ。」


「そうだなぁ。」


「貧しい時ものの無い時代に食べたものって
 すごく美味しいものだった気がするよね。」


「そーかぁ?」


珈琲が入った。
さて、主の祈り。
私が手書きした主の祈りの紙、
ますますくたくたになってきた。
じじ、両手で持って、
今日も楽しそうな顔で読んでいる。