「たとえ、
女たちが忘れようとも、
わたしがあなたを忘れることは決してない」
(イザヤ49;1~16)
起きてパンを焼いた。
このパンは先日、仕事帰りに寄った時に
珈琲店の店主が分けてくれたフランスパンである。
店のメニューとして出しているパンを、
私が好んで食べるというだけの理由で
売り物なのに分けてくれた。
パンを焼いて、
パンにつけるオリーブ油とパルメザンチーズを混ぜ、
牛乳を注いで食卓に着いた時、思い出した。
黙想の手引きとして使っている『道しるべ』(英隆一朗著/新世社)の中で、
神の愛を忘れそうな時、
自分が神に愛されている事を見失いそうな時に、
自分が受けている神の愛を思い出し、感じるための
訓練というか練習と言える黙想の仕方があった。
毎日の何でもない事を
人からの愛として、神からの愛として、記録し、味わい直す。
自分が今日一日にどれだけ愛されたか。
例えば、朝の洗顔で水を使うとき、
この水は誰かが自分を愛しているからこに来ているのだと思います。
・・・・・このように毎日の何でもないことを人からの愛として、
そして神からの愛として、ゆっくりと味わい直すのです。
(本文より)
珈琲店の店主夫妻からの愛によって
人との出会いを備え、整えて下さった神の愛によって、
このパンは私の所に来ている。
咀嚼し、飲み込んで味わう事の出来る心身の機能と健康を
鎮まって食卓に着く事の出来る場所と時間を
与えて下さった神の愛によって、
私はこのパンを食べる事が出来、味わう事が出来る。
食べながらその事を思った。
パンは軽く焼いて、裂くとパリパリと軽快な音をたてた。
自分はこれまでに
与えられたあらゆるものをどれほど粗末に、
どれほど無駄に捨ててきたか
考える。
女たちが忘れようとも、
わたしがあなたを忘れることは決してない」
(イザヤ49;1~16)
起きてパンを焼いた。
このパンは先日、仕事帰りに寄った時に
珈琲店の店主が分けてくれたフランスパンである。
店のメニューとして出しているパンを、
私が好んで食べるというだけの理由で
売り物なのに分けてくれた。
パンを焼いて、
パンにつけるオリーブ油とパルメザンチーズを混ぜ、
牛乳を注いで食卓に着いた時、思い出した。
黙想の手引きとして使っている『道しるべ』(英隆一朗著/新世社)の中で、
神の愛を忘れそうな時、
自分が神に愛されている事を見失いそうな時に、
自分が受けている神の愛を思い出し、感じるための
訓練というか練習と言える黙想の仕方があった。
毎日の何でもない事を
人からの愛として、神からの愛として、記録し、味わい直す。
自分が今日一日にどれだけ愛されたか。
例えば、朝の洗顔で水を使うとき、
この水は誰かが自分を愛しているからこに来ているのだと思います。
・・・・・このように毎日の何でもないことを人からの愛として、
そして神からの愛として、ゆっくりと味わい直すのです。
(本文より)
珈琲店の店主夫妻からの愛によって
人との出会いを備え、整えて下さった神の愛によって、
このパンは私の所に来ている。
咀嚼し、飲み込んで味わう事の出来る心身の機能と健康を
鎮まって食卓に着く事の出来る場所と時間を
与えて下さった神の愛によって、
私はこのパンを食べる事が出来、味わう事が出来る。
食べながらその事を思った。
パンは軽く焼いて、裂くとパリパリと軽快な音をたてた。
自分はこれまでに
与えられたあらゆるものをどれほど粗末に、
どれほど無駄に捨ててきたか
考える。