今朝読んだナウエン『放蕩息子の帰還』から
二人の息子の父を考える。
この父の苦しみを思い浮かべる。
この父親は物凄く不幸だ。
弟息子は父を捨てて出て行った。
「お父さんあなたが死ぬまで待てない、あなたの遺産を今下さい。
それらを処分する権利をも。」
子供に金づるとしか思われず疎まれ見捨てられる親は
どんな気持ちがするだろう。
私の父ならその気持ちを知っていたに違いない。
遠方に嫁す次女にまとまった金を渡し、
婿と孫を連れていつでも会いに来いと言い、
盆と暮れには高価な珍味を送り
電話や孫の写真の入った手紙が来るのをいつも待っていた。
次女と婿と孫と、
一家で泊まりに来てくれて美味いものを食べさせて
皆で昔の話をしたりあちこち案内して楽しませようと
寝具一式を買い揃えていた。
しかし何年経っても来ないので
ある時押し入れに収納したままの布団の綿を打ち直しに出していた。
盆と暮れに送った物も届いたのか届いていないのか返事もないので
父の方から電話すると
「無駄な事にお金を使わないように。」
という返事が返って来て涙目になるほど落胆していた。
そして
「家を建ててるから行けない」
「子供が進学するから行けない」
「犬を飼って世話があるから行けない」
と言われ、
特に「犬の世話…」が理由で10年以上も全く会いにも来ず
音信もこちらからしなければ返事も来ない現実、
次女にとって犬よりも優先順位の低い父である自分を知ったのだろう。
「犬の世話…」という返事を聞いてから父は妹の話をしなくなった。
口癖の「いつ来るんだろうな」「今頃どうしてるだろうな」が
ぴたりと止まった。
遠方で生活していると父が思うほどには簡単には来られない。
来られなくても音信は出来るがそれすら面倒だったのだろう。
生活に追われてそれどころでなかったのかも知れない。
父の要介護度が段々重度化し、今度は私の方から何度か近況を知らせ
認知症は進んだが今ならまだ話は出来る、
食べる事の出来る今のうちに一度会いに来てはどうか、
意思疎通可能な今のうちに一緒に食卓を囲んではどうか、
今年に5、6回も救急搬送したり入退院を繰り返した、
血尿のため管も留置した、食べても誤嚥するようになった、
会話出来るうちに会っておかなくていいのか、
後で後悔しないのかと何度か私から打診した。
「いよいよ死にそうになってから知らせてくれれば
それでいいよ」
返事はそれだけだった。
その間、認知症の進行した父は不穏になる度に私に詰め寄った。
「どうして会いに来ないのだ」
父が息を引き取った時は私も間に合わなかった。
妹は翌日の飛行機で来た。
「いよいよ死にそうになってからで…」と言って間に合うほど
時間は都合よく止まったり進んではくれない。
妹は葬儀に参列し数日滞在した。
その間妹は感傷的で私の眼には殆ど抑鬱状態に見えた。
父のいなくなった父宅の家財道具の処分や諸々の手続きが
まだ始まったばかりの時に妹は帰って行った。
「納骨は早い方がいいよ。
あとよろしく。」
この妹にとって父は、生きている時から死んだ親だった。
父は歓迎の手を差し伸べていたが、
待っていた子供は父が死なないと帰って来なかった。
福音書の放蕩息子は父の生きている時に帰って来たが
妹は父が死なないと帰って来なかった。
福音書のこの譬え話を読んでも
今まで私は二人の息子の父には注目せずさらりと素通りしていた。
ナウエンの『放蕩息子の帰還』を読んだ事で
差し伸べた祝福と慈愛の腕を払い除けられる父親の苦しみ、
子供から忘れられ死んだものとされる親の苦悩に注目した。
ここまで自分と身の回りの親族を当て嵌めないと気付かないのは
自分に読解力が欠けているからだと思う。
二人の息子の父を考える。
この父の苦しみを思い浮かべる。
この父親は物凄く不幸だ。
弟息子は父を捨てて出て行った。
「お父さんあなたが死ぬまで待てない、あなたの遺産を今下さい。
それらを処分する権利をも。」
子供に金づるとしか思われず疎まれ見捨てられる親は
どんな気持ちがするだろう。
私の父ならその気持ちを知っていたに違いない。
遠方に嫁す次女にまとまった金を渡し、
婿と孫を連れていつでも会いに来いと言い、
盆と暮れには高価な珍味を送り
電話や孫の写真の入った手紙が来るのをいつも待っていた。
次女と婿と孫と、
一家で泊まりに来てくれて美味いものを食べさせて
皆で昔の話をしたりあちこち案内して楽しませようと
寝具一式を買い揃えていた。
しかし何年経っても来ないので
ある時押し入れに収納したままの布団の綿を打ち直しに出していた。
盆と暮れに送った物も届いたのか届いていないのか返事もないので
父の方から電話すると
「無駄な事にお金を使わないように。」
という返事が返って来て涙目になるほど落胆していた。
そして
「家を建ててるから行けない」
「子供が進学するから行けない」
「犬を飼って世話があるから行けない」
と言われ、
特に「犬の世話…」が理由で10年以上も全く会いにも来ず
音信もこちらからしなければ返事も来ない現実、
次女にとって犬よりも優先順位の低い父である自分を知ったのだろう。
「犬の世話…」という返事を聞いてから父は妹の話をしなくなった。
口癖の「いつ来るんだろうな」「今頃どうしてるだろうな」が
ぴたりと止まった。
遠方で生活していると父が思うほどには簡単には来られない。
来られなくても音信は出来るがそれすら面倒だったのだろう。
生活に追われてそれどころでなかったのかも知れない。
父の要介護度が段々重度化し、今度は私の方から何度か近況を知らせ
認知症は進んだが今ならまだ話は出来る、
食べる事の出来る今のうちに一度会いに来てはどうか、
意思疎通可能な今のうちに一緒に食卓を囲んではどうか、
今年に5、6回も救急搬送したり入退院を繰り返した、
血尿のため管も留置した、食べても誤嚥するようになった、
会話出来るうちに会っておかなくていいのか、
後で後悔しないのかと何度か私から打診した。
「いよいよ死にそうになってから知らせてくれれば
それでいいよ」
返事はそれだけだった。
その間、認知症の進行した父は不穏になる度に私に詰め寄った。
「どうして会いに来ないのだ」
父が息を引き取った時は私も間に合わなかった。
妹は翌日の飛行機で来た。
「いよいよ死にそうになってからで…」と言って間に合うほど
時間は都合よく止まったり進んではくれない。
妹は葬儀に参列し数日滞在した。
その間妹は感傷的で私の眼には殆ど抑鬱状態に見えた。
父のいなくなった父宅の家財道具の処分や諸々の手続きが
まだ始まったばかりの時に妹は帰って行った。
「納骨は早い方がいいよ。
あとよろしく。」
この妹にとって父は、生きている時から死んだ親だった。
父は歓迎の手を差し伸べていたが、
待っていた子供は父が死なないと帰って来なかった。
福音書の放蕩息子は父の生きている時に帰って来たが
妹は父が死なないと帰って来なかった。
福音書のこの譬え話を読んでも
今まで私は二人の息子の父には注目せずさらりと素通りしていた。
ナウエンの『放蕩息子の帰還』を読んだ事で
差し伸べた祝福と慈愛の腕を払い除けられる父親の苦しみ、
子供から忘れられ死んだものとされる親の苦悩に注目した。
ここまで自分と身の回りの親族を当て嵌めないと気付かないのは
自分に読解力が欠けているからだと思う。