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ぱんくず通読帳

聖書通読メモ

生きている時から死んだ親

2015-11-21 21:22:38 | ルカ
今朝読んだナウエン『放蕩息子の帰還』から
二人の息子の父を考える。
この父の苦しみを思い浮かべる。
この父親は物凄く不幸だ。

弟息子は父を捨てて出て行った。

「お父さんあなたが死ぬまで待てない、あなたの遺産を今下さい。
 それらを処分する権利をも。」

子供に金づるとしか思われず疎まれ見捨てられる親は
どんな気持ちがするだろう。
私の父ならその気持ちを知っていたに違いない。
遠方に嫁す次女にまとまった金を渡し、
婿と孫を連れていつでも会いに来いと言い、
盆と暮れには高価な珍味を送り
電話や孫の写真の入った手紙が来るのをいつも待っていた。
次女と婿と孫と、
一家で泊まりに来てくれて美味いものを食べさせて
皆で昔の話をしたりあちこち案内して楽しませようと
寝具一式を買い揃えていた。
しかし何年経っても来ないので
ある時押し入れに収納したままの布団の綿を打ち直しに出していた。
盆と暮れに送った物も届いたのか届いていないのか返事もないので
父の方から電話すると

「無駄な事にお金を使わないように。」

という返事が返って来て涙目になるほど落胆していた。
そして

「家を建ててるから行けない」

「子供が進学するから行けない」

「犬を飼って世話があるから行けない」

と言われ、
特に「犬の世話…」が理由で10年以上も全く会いにも来ず
音信もこちらからしなければ返事も来ない現実、
次女にとって犬よりも優先順位の低い父である自分を知ったのだろう。
「犬の世話…」という返事を聞いてから父は妹の話をしなくなった。
口癖の「いつ来るんだろうな」「今頃どうしてるだろうな」が
ぴたりと止まった。
遠方で生活していると父が思うほどには簡単には来られない。
来られなくても音信は出来るがそれすら面倒だったのだろう。
生活に追われてそれどころでなかったのかも知れない。
父の要介護度が段々重度化し、今度は私の方から何度か近況を知らせ
認知症は進んだが今ならまだ話は出来る、
食べる事の出来る今のうちに一度会いに来てはどうか、
意思疎通可能な今のうちに一緒に食卓を囲んではどうか、
今年に5、6回も救急搬送したり入退院を繰り返した、
血尿のため管も留置した、食べても誤嚥するようになった、
会話出来るうちに会っておかなくていいのか、
後で後悔しないのかと何度か私から打診した。

「いよいよ死にそうになってから知らせてくれれば
 それでいいよ」

返事はそれだけだった。
その間、認知症の進行した父は不穏になる度に私に詰め寄った。

「どうして会いに来ないのだ」

父が息を引き取った時は私も間に合わなかった。
妹は翌日の飛行機で来た。
「いよいよ死にそうになってからで…」と言って間に合うほど
時間は都合よく止まったり進んではくれない。
妹は葬儀に参列し数日滞在した。
その間妹は感傷的で私の眼には殆ど抑鬱状態に見えた。
父のいなくなった父宅の家財道具の処分や諸々の手続きが
まだ始まったばかりの時に妹は帰って行った。

「納骨は早い方がいいよ。
 あとよろしく。」

この妹にとって父は、生きている時から死んだ親だった。
父は歓迎の手を差し伸べていたが、
待っていた子供は父が死なないと帰って来なかった。
福音書の放蕩息子は父の生きている時に帰って来たが
妹は父が死なないと帰って来なかった。


福音書のこの譬え話を読んでも
今まで私は二人の息子の父には注目せずさらりと素通りしていた。
ナウエンの『放蕩息子の帰還』を読んだ事で
差し伸べた祝福と慈愛の腕を払い除けられる父親の苦しみ、
子供から忘れられ死んだものとされる親の苦悩に注目した。

ここまで自分と身の回りの親族を当て嵌めないと気付かないのは
自分に読解力が欠けているからだと思う。

御父の宴の食卓

2015-11-14 21:13:18 | ルカ
今朝、待合室で読んでいたナウエン『放蕩息子の帰還』の9章で
「祝宴に招き待ち続ける御父」の事を考えた。
他者にも自分にも苦難と喜びとがある。
他者との出会いの中で相手の苦難の方にばかり注目する心理は
より深刻でセンセーショナルな三面記事を求めるのと同様だと
筆者自身が告白している。
他者の苦しみに共感し涙する事は大事な事であり、
相手の直面する問題を深刻に考え人と話し合う事もある。
ナウエンはそこから更に踏み出して、
苦難を通じて見出される祝宴への招きとその喜びを
共有する事について述べている。
その章を読んで気づいた。
どんな人との出会いにも言えるが、
例えばここに移り住んで私が出会った二人の人達の
言葉で表現し得ない苦しみの生涯を思い出し、
私はこれまで彼らの苦難にばかり注目し泣いたり怒ったりしたが
その先に示されたものがあり、私が彼らと出会わせられ
わざわざ目に見せられた事には意味があった。

二人の人達を、私はこの日記ブログの初めの頃に書いた。

一人は手術の失敗によって頸から下が動かなかった。
医療過誤の裁判で被害者が勝訴するケースは稀だった。
それでもその人は手術を担当した医師と病院を告発し、
長期にわたる裁判を闘った。
 ↓
 ぱんくず日記(2006-08-22 10:21:44)
 http://blog.goo.ne.jp/t-i801025/s/%A5%AD%A5%EA%A5%B9%A5%C8%A4%CB%A4%CF


身体機能を奪われ、仕事と生活の全てを奪われ、
人生の望みの全てを奪われた。
自殺の道さえ断たれ、例え勝ち目がないと解っていても
闘わずにはいられなかった裁判は長い時間を費やし、
最終的にその人は勝訴した。
首から下が全部麻痺になった7000万円の賠償請求に対し
たった300万円の勝利だった。
その人が自分自身の境遇を語った時の言葉を私は一字一句忘れない。

「俺は負けたんだ。
 俺は裁判には勝った。
 医者の落ち度を暴いて裁判には勝った。
 医者連中と病院側に非を認めさせて裁判には勝った。
 でも俺は負けた。
 たった300万の賠償金を手にした瞬間、
 それまで力になったり励ましてくれたり
  何かと世話して支えてくれた親戚や友達が皆ハイエナに変わった。
 300万の中から半分は裁判絡みの費用や弁護士に支払って消えた。
 残りの金から医療費を支払うと親戚や友達が
  貸した金を返せと言って来た。
 残った金も、
 あの時あれをしてやったからこれをしてやったからと親戚や友達が
  みんな毟り取って行ったから、手元には数万の金しか残らなかった。
 金が無くなったら俺の回りには誰も残っていなかったね。
 身内も友達も。
 誰一人信用できる奴がいなくなった。
 だけどそういう事情でもさ、賠償金を貰ったからという理由で
  市からは生活保護費を打ち切られたよ。
 俺が負けたと言うのはさ、
 裁判には勝ったけど何もかも失った、
 だから負けたんだ。
 俺は負けたんだよ。」


もう一人の人は行き倒れた母親を線路脇に置いて
たった一人で焼けた線路の上を歩き続けた人だ。
 ↓
 ぱんくず日記(2007-07-18 00:35:54)
 http://blog.goo.ne.jp/t-i801025/e/9da868829df9e2beb46f04f9467562a1


どんな家庭の事情で母一人娘一人になったのか
その人自身もわからないという。
母親は結核でずっと療養所で暮らしていたため
その人は親類縁者や里親の間を行ったり来たりして育った。
ある時、母親は療養所を出て娘を連れて長崎に行こうとした。
その人はまだ10歳になっていなかった。

「今思うとね、
 母は死期を悟って
  私の行く先を教会に頼もうとしたのかも知れないわ。」

汽車の長旅で母親がどんどん衰弱していくのが子供の目にもわかった。
しかしあと少しで長崎に着くと思っていたら汽車が動かなくなった。
どうして汽車が動かないのか何時再び動き出すのか目途が全く立たず
母親はその人を連れて長崎を目指し線路伝いに歩き始めた。
道の途中、母親は何度か喀血した。
力尽きて線路脇に倒れ込みながら、母親はその人に言った。

「お母さんはもうすぐ死ぬわ。
 死んだら顔を手拭いで巻いて結びなさい。
 お母さんは結核だから死んだらこの口から悪い菌がどんどん出て来る。
 だから必ずそうして口を塞ぐのよ。
 お母さんはもう一緒に行けないからあなたは一人で長崎に行きなさい。
 長崎に行ったら教会を訪ねるのよ。
 いい?
 必ず教会を訪ねなさい。
 お母さんがここで死んでいる事とあなたが生まれた時に洗礼を受けた事を
  そこで言いなさい。
 必ず。」

その人の目の前で母親はやがて息をしなくなり、動かなくなった。
その人は言われた通りに荷物の中から手拭いを取り出し、
母親の顔に巻き付けて後ろでしっかり結んだ。

「お母さんは死んでしまったし、
 私にはもう行く所がない、
 ああ、これから私はどうしよう、って思ったわ。」

その人はしばらく母親の遺体の傍でぼーっとしていたが
言われた通り歩き出すより他になかった。
一人で荷物を担いで線路伝いに歩き始めた。
母親に言われた通り、長崎へ。
しかしその時既に長崎は原爆を投下されていた。
一面瓦礫と焼け焦げた死体の山の街を、
その人は途方に暮れ教会を探して歩き続けた。
まだ10歳になっていなかった。


ナウエン『放蕩息子の帰還』の9章を読んで二人の事を思い出した。
私は彼らと出会って、
彼らが潜り抜けて来た過酷な体験に動揺し、怒り、泣いた。
そして彼らが何でそんな目に遭ったのか苦難の意味を主に問う事をした。
しかしナウエンはこの章で
「相手の苦難の方にばかり注目する自己」と言い表し
より深刻でセンセーショナルな三面記事を好む心理について述べている。
この本の9章を読んで自分が指摘された気がする。
私は彼らの苦難にばかり注目して
動揺し怒り泣いてその先にある祝福に目を向けて来なかった。
主が如何に彼らを大切に御手の中に守って運ばれたかを
私は知っているのに注目して来なかった。

首から下を動かなくされ、辛うじて得た賠償金の殆どを
親戚や知人達に取り上げられ、生活保護まで打ち切られたその人に
見かねて援助の手を差し伸べ力を貸したのは某政治団体の人々だった。
無神論的な政治団体にのめり込むほど、
唯一の主キリストを求める気持ちが何故か強くなり
その人は人に頼んである教会に連れて行って貰い、
聖書研究会に参加するようになった。
しかしちょうどその頃湾岸戦争が勃発した。
その人は聖書研究会の席で問題提起した。
キリストの平和を掲げながら逆の事をする者に対して
教会は何故何の抗議行動もせず黙って見ているのかと。
小さな教会の聖書研究会に政治論議を持ち込んだため
穏健な教会の人々から煙たがられ、居られなくなった。
その人が牧師と口論になって絶交宣言の末に教会を去る時、
信者の一人が自分の所属教会を捨ててついて来た。
配偶者となった信仰者は私に言った。

「私が一緒に行かないと自分では動けないこの人が
 キリストとつながる道が永久に絶たれてしまうと思った。
 人間は教派や教会をなんぼでも作るけど、神はたった一人だけ。
 この人を連れて行ける他の教会を探そうと思った。」

そして、ある日近所のカトリック教会にその人を連れて行った。
司祭は諸手を挙げて歓迎し、二人に公教要理の勉強の場を設け、
洗礼を授けた。
たまたま私と出会ったのは私もその御聖堂の近所に住んでいて
顔見知りになったのが切っ掛けだった。

私は知っている。
主が動けないその人のために道を用意し、
祝宴の食卓を整えて待っておられた事を。
御手の中で絶望からその人を守り、大切に運ばれた事を。

医者も病院も生涯許せないでしょうねと問う私に
頸から下を動かなくされた人は答えた。

「井上さん、
 俺達は神様から幸せを頂いてるんだ。だから、
 辛い事も頂くんだよ。」



原爆で焼けた線路を辿って歩いた小さな子供だったその人も、
主が御手の中に守って、瓦礫の中で行き倒れないように運ばれた。
10歳にもならない子供がたった一人で原爆投下直後の焼野原を
行き倒れもせず長崎市内に入る事が出来た。
彷徨ううちに浦上の教会を知る人と出会い、
生き残った司祭と出会う事が出来た。
そして行き倒れて命を落とす事無く保護された。
焼けた線路を辿って歩いた小さな子供たったその人は私に言った。

「毎朝、お祈りをするのよ。
 今日一日、
 私に出会わせて下さる人、
 擦れ違う人、
 全員が天国に迎えられますように。」


この人の背景を何も知らなければ、
如何にも優等生的な、如何にも経験で信心深い、
模範的信仰者の台詞のようにむしろ空々しく聞こえるかも知れない。
しかし私は知っている。
この人のこの祈りが
小さな子供だった時に目にした惨い光景の只中の祈りである事を。
線路脇に行き倒れた母親や、
道の途中の至る所で目撃した無残に焼け焦げた人々の
無数の屍を前にして祈った幼い子供の祈りである事を。
焼かれて死にきれず息絶え絶えの人々や、
真っ黒に焼け焦げて死んで行った人々を目にした幼い魂を主が守り、
瓦礫となった教会で司祭と出会うまでの道程を御手で運ばれた事を。

二人の人のあまりにも酷い体験の、酷い部分にばかり気を取られ、
彼らが自分に向けて語ってくれた祝福に、私は注目していなかった。

しかし今、ナウエンのこの本を読んだのがきっかけで
彼らが主から受けた光を対話を通して私は垣間見た。
その事自体が御父の祝福、御父の喜びの食卓だったと今思う。
彼らが天に凱旋して行ってからもう10年にもなる。
10年経っても彼らの語った言葉は鮮明に残り
私は彼らが語った事を一字一句忘れていない。
忘れようとして忘れられるものでもなくむしろ
記憶の中で燦然と輝いている。
御父の宴の食卓とはそのようなものかも知れない。

家出しなかった兄息子

2015-11-13 21:04:52 | ルカ
ナウエン『放蕩息子の帰還』続きを読んだ。
家出しなかった方の息子、
家に居残って父に仕えていた兄息子に自分を当て嵌めてみる。
実際、父の在宅介護中の私は
ほぼこの兄息子の心理そのものだったと言える。
父は兄息子の偽りの従順を見透しているが
それでも一緒に宴会の席に着くように迎えに来る。
帰って来た弟だけでなく兄息子をも迎えに来る父親。
兄息子が父の招きに応じて宴会の席に着いたかどうか、
書かれていない。
父親はどうして、
何を望んで息子達を宴会の食卓に招くのだろう。
失われた息子は家出した息子ではなく家にいる息子だった。
招きに応じる子供と応じない子供。

親が元気だった頃の私自身は放蕩の弟息子同様だった。
とにかく息苦しい家族の家から出る事しか頭になく
実際進路を生家から離れた所に見つけて
早く家を出て家族と距離を置いた。
父が孤独死しかけた事を切っ掛けに生家に戻り、
文字通り「父の傍で仕える兄息子」の立場に転じた。
父の在宅介護の15年間私ははほぼ兄息子であった。
介護職の経験ある看護師として、
発症から後遺症、ADL低下、認知症、虚弱、廃用性症候群へと
どんどん老い衰える父のキーパーソンとなり在宅介護に必要な事をした。
そのために自分の生活時間や仕事を削りもし、
父が重介護に陥るにつれて
表面では笑顔のよきキーパーソンであり献身的な孝行娘、
腹の中は消耗感と切迫感と経済的窮乏と睡眠不足と拘束感で抑鬱状態、
自殺企図と呪詛で一杯だった。
生活の中の苦も楽も全て父と共有した15年間から今現在に至るまで私は
この譬え話の兄息子と同じ、二人いる子供のうちの失われた子供だった。
食卓を共に囲んでも、一緒に食べて楽しむよりも父が食べるための
食材調達、調理、給仕、後片付け、洗い物と翌日の仕込みに明け暮れ、
食卓を出来るだけ和やかで楽しい雰囲気で食事が出来るよう配慮し
食卓ではあくまで一人の「介助者」であった。
食卓を人と一緒に囲む事自体、決して楽しいものではない。
感情的に反発やふてくされる事とは無関係に、
食卓の光景から消耗と疲労感しか湧き起こらず
飲食物が豪勢であればあるほど後片付けの大変さにばかり気が行って
「宴の食卓」が重たい負荷でしかない。
宴会の食卓に招かれ、食卓の主のすぐ傍にいるにも拘らず
残念な、失われた子供。

父の家を出る弟息子の心理

2015-11-10 20:07:11 | ルカ
ナウエン『放蕩息子の帰還』続き。
弟息子に自分を当て嵌めてみる。
放蕩息子が父の家を出るに至った経緯を考えてみる。
単なる放蕩だけであれば父親と絶縁して出て行く必要はなく
いつまでも父親にたかる放蕩ニート息子でいてもよかった筈。
弟息子はどうして家を出たか。
彼が家を出たいと思うに至ったのは
息苦しさとか兄息子との軋轢とかいろいろ想像できる。
私自身がそうだったからだ。
今はもう無い「家族の家」で私は物心つく前から窒息していた。
ろくな思い出の一つも無い、陳腐な茶番のような家族。
放蕩息子の問題は放蕩で金を使い果たした事ではなく
差し伸べられる手を黙殺し家を出て「失われた者」となった事だ。
失われた者は、見えない手で首根っこをつかまれ
否応なしに帰還の道を辿らされる。

失われた息子

2015-11-07 22:50:51 | ルカ
ナウエン『放蕩息子の帰還』の続き。


福音書の譬え話(ルカ15;11~32)のタイトルは『放蕩息子』であるが
この箇所の主人公は弟でも兄でもなく、父であるという事。
弟息子から愚弄され反発され金をたかられ家出される。

「お父さん、あなたが死ぬまで待てないから
 今遺産を下さい」

兄息子からは偽りの従順で仕えられ宴の食卓を拒絶される。

「お父さん、あなたの傍でこんなに働いてきたのに
 弟には大宴会、しかし私には子山羊1匹すらくれない」


失われた弟息子は放蕩の果てに身を持ち崩し飢えて戻って来た。

「お父さん、私は天に対しても
 またお父さんに対しても罪を犯しました。」(ルカ15;21)

この台詞は腹が減っていたから出た処世術なのか本心なのか。


飢えて頼る宛ても無く帰っては来たが、
しかし父親の生前に遺産を要求する事は父親の死を願う事と同じ。
遺産は親が死んで初めて遺産となるのであって、
生きている親に「遺産をくれ」と要求したのは
親に向かって「早く死んで金を寄越せ」と言ったのと同じである。
父親を愚弄し傷つけた自分の行為を弟息子がどこまで自覚していたか
彼の心境までは書かれていない。
とにかく失われていた弟息子は生きて帰り父と共に食卓に着いた。

兄息子はふてくされて家の中に入って来ない。
父親が宴の席に着くようなだめ説得しても
聞き入れて食卓に着いたとは何処にも書かれていない。
兄息子が父親の用意した食卓に着いたかどうか、
読者にはわからない。
兄息子はふてくされたまま家に入らなかったかも知れない。
結末を伏せてあるのは、
この譬え話から父なる神の意図を悟る事を
イエスが聞く者と我々読者に期待して語られたからであろう。

放蕩息子の譬え話の前の章、『大宴会』(ルカ14;15~24)の譬えで
イエスは話をこう結んでいる。

 「あの招かれた人たちの中で、
  わたしの食事を味わう者は一人もいない。」(ルカ14;24)

『放蕩息子』の譬え話で父が招く宴を拒絶する事の意味を考える。
招きを拒絶する事は、
後足で砂を蹴散らして立ち去る事よりも重く絶望的だ。

この父にとって失われた息子とは
反発し金をせびって親と家を捨てた弟息子ではなく
内心溜め込んだ不満を隠し身近で仕えてきた兄息子の方だった。
失われた息子は放蕩息子ではなく従順な息子の方だった。

文中でナウエンは
イエスの受難の時のペトロとイスカリオテのユダとを対比している。

自分自身に当て嵌めて読み直すとわかる。
私自身も弟息子であると同時に、兄息子である。

内なる

2015-11-06 21:29:37 | ルカ
ナウエン『放蕩息子の帰還』を読み始めた時に付箋紙を貼った、
序章の中の三つの語句を反芻する。

“頭よりも心で聴く”

“自分の内にある神の住まい”

“内なる聖所”

今はそこに注目している。

大宴会を辞退する

2015-11-05 22:26:57 | ルカ
今読んでいるナウエン『放蕩息子の帰還』の前の章、
『大宴会』の譬え話を考える。

ルカ14;15~24、大宴会の用意をした主人は
招待客達が悉く都合を言って食を共にする事を断ってきた事に対し
怒って・・・・ここまでは理解できる。
しかしどうしてそこらの通りで食べるものも無くたむろする
貧者達の誰でも彼でもを掻き集めてまでも宴を強行したか。
宴会を取り止める事をしてもよかったのに。
宴会への招待を蔑ろにした客達に文句言うとか抗議するとか
招きに対して侮辱を返された事に怒って報復・・・ではなく
何で「そこらの誰でも彼でも」を招いたか。
招かれた食卓に着く事を拒む事の意味を考える。

私自身は、
宴会と名の付くものは何でもかんでも苦手で
「欠席」「辞退」する事が多い。
聖餐式のパンと杯以外での
人と食卓を囲む「会食」は億劫で苦手だ。
食い意地張っているくせに、食べたものの味も
食べながら「おいしいね」などと言って交わした会話も
何も記憶に残らず終わるとどっと疲れ、
会食の後はいつも後悔するからだ。
それで、
招かれた宴会の食卓に着かない事の意味を考えている。

『放蕩息子』の章を脱線する

2015-11-04 22:26:25 | ルカ
通勤の行き帰りのバス待ち時間や車中で
ここずっとナウエンの『放蕩息子の帰還』を読んでいる。


弟息子は年老いた父親が死ぬのを待ち切れずに請い願う。

「お父さんあなたが死ぬまで待てません、
 私が相続する分の遺産を今下さい。
 遺産を自由に処分する権利も下さい。」

老いた父親は、父を愚弄する弟息子を叩きのめす事はせず
財産を兄弟に分けてやり、弟息子は出て行った。
放蕩の限りを尽くし、有り金を全て使い果たしてしまって
路頭に迷った弟息子は悔いて故郷に帰る。


私は福音書のこの箇所を読んでいつも二つの光景を思い出す。
過去に自分の目で見た、珍しくない二つの悲劇の光景。


一つめ。

「お父さん、
 私は天に対してもまたお父さんに対しても罪を犯しました。
 もう息子と呼ばれる資格はありません。
 雇い人の一人にして下さい。」

と自分の台詞を諳んじ老父の怒りを受ける事を思いながら
弟息子が故郷に戻ってみると、父の家は既に無かった。
彼が放蕩の旅に明け暮れている間に老父は死んで世を去り
生家の土地も建物も既に無くなっていた。
父の家は兄が処分して更地になっており
畑も知らない他人に売り渡していた。


二つめ。

「お父さん、
 私は天に対してもまたお父さんに対しても罪を犯しました。
 もう息子と呼ばれる資格はありません。
 雇い人の一人にして下さい。」

と言って訪ねて来た弟息子を老父は門前払いした。
老父は自分が甘やかしたために弟息子が堕落したと悔やんでいた。
ここでまた言いなりになっては本人と自分自身のためにならない。

「私はお前に甘過ぎた事を後悔している。
 お前は私が死ぬのを待ちきれず私の財を自分のものにした。
 今、みじめに路頭に迷うのはお前が自分で願った事だ。
 何処へなりともお前の好き勝手に行け。」

弟息子は行く宛てなく立ち去った。
老父は自分に言い聞かせた。
一度身を持ち崩しても何とか立ち直って
いつか本当に帰って来るだろう。
金や食い物をせびりに来るのではなく
本当に悔い改めて帰って来るだろう。
いつかきっと。

半月も経った頃、
行き倒れた旅人の死骸が街外れで見つかった。
人々が顔を背けながら板に乗せて運んで来た骸は
あの弟息子だった。
杖に寄りかかりうなだれた老父はいつまでも見ていた。
死んで半月も経った、土と同じ色に変わり果てた弟息子の顔を。
埋葬をしてやりたかったが老父の財産は息子にやってしまって
何も残っていなかった。


老父も弟息子も生身の人間、
実際の父親は父なる神ではなく一人の人間である父親。
悔いた放蕩息子が帰って来るまで生存しているとは限らない。
父親が健在だとしても息子が生きて帰って来るとは限らない。


放蕩息子の箇所を読むと
福音書の本題に入る前に必ず思い浮かぶ。


父なる神の憐みを説いた箇所なのに
登場人物の図式が似通っているというだけで、何故か思い出す。
これは私自身の脱線である。
ただ、どうしてそのような光景を自分の目で見る事になったのか、
私が見た事にどんな意味があったのかは
まだわからない。

和解

2010-02-14 23:30:08 | ルカ
「死んでいたのに生き返った・・・・・楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか」
                          (ルカ15;11~32)


読書メモ。


『道しるべ―霊的生活入門―』(英隆一朗著 新世社 2005年)
第十話 (続)ゆるしについて


赦す事。
主の祈りの中の、人間がするべき唯一の事。


主の祈りの中のその部分だけは、出来ない難しいと誰もが言う。
私自身、そう思う。
私はこれまでに出会ったあらゆる人に対して
赦せない思いを持って腹の中で燻ぶらせている。
赦せない事は苦しい。
赦せば楽になれるとわかっていても赦せない。
もう赦したと一度自分の中で完結したつもりでも
何かの拍子に怒りや恨みが甦り、再燃する。


  人をゆるすのが難しいのは、
  ゆるしを人間的なレベルで考えてしまうからです。
  つまり法的な考えから、相手が悔い改めたら、ゆるす。
  または、相手が償いを果たしたらゆるしてやるというように、
  ゆるしに条件をつけてしまう点です。
  それに対して、神のゆるしは無条件です。
  神は私が悔い改めようとなかろうと、私たちの態度に全く関係なく、
  私の罪をゆるしてくださっています。
  神がわたしの罪をゆるしてくださっているからこそ、
  私は悔い改めて、償いのわざを果たすことができるのです。
  イエス・キリストが十字架にかかり、復活したのは
  まさに私たちの罪をゆるすためでした。(ルカ24;47)
  神は私たちにそのような無条件のゆるしを
  求めておられるのです。(マタイ18;21~35)
                           (本文より)


筆者が挙げるゆるしの過程。


 1.自分の否定的な感情を素直に外に出す。
   祈って神に打ち明けるとか、
   信頼出来る指導者か友人に打ち明けるとか。


 2.その出来事を客観的に理解する。
   感情に左右されずに相手がした行為の理由を探す。
   相手の過去、性格、立場、状況、環境から
   相手を理解し、ゆるすための糸口を探す。


 3.新たな生きる姿勢を選び、新たな人間関係を相手と結んでいく。
   蘇って来る過去の傷の痛みや感情に振り回されずに
   断固として新しい態度を選んで実行する。


 4.新たな関係を実行していく事によって、
   いつしかその傷が痛まなくなり、共感と感謝を感じるようになる。
   


  別の角度からいうと、
  人をゆるすというあなたはいったい誰かをふりかえることです。
  聖書において、罪をゆるすことができるのは神だけです。
  神に代わって人をゆるすというあなたはいったい何者ですか。
  あなたこそ、神にゆるしてもらわねばならない人ではないですか。
  自分の方こそゆるしてもらわねばならない者であることを悟った時、
  本当にゆるすことができます。
  というより自分の方こそ本当に悪かったと、
  相手にゆるしを願うことができたとき、
  本当に神のゆるしのわざが働くといえるでしょう。
  これが真の回心です。
  互いにゆるしを与え合うことよりも、むしろ、
  互いに悪かったと謝り合うとき、真の和解が成立するのです。
                           (本文より)

確かにこれは本当だと思う。
教会協議会絡みの問題では特にそう思う。
お互いに、高みから相手を見下して
「相手が反省して悔い改めたならゆるしてやろう」
という意図が見え隠れしているから問題が余計にこじれ、
だらだらと5年も10年も時間を無意味に費やす。


個人レベルにまで掘り下げても同様だろうか。
同様だ。
厳しいけど。


例えば
私の父と、父が子供だった時に虐待した継母、
私と、私が子供だった時に八つ当たりの標的にし続けた父と母、
学校で苛めを苦に自殺した子供の親と、苛めた子供本人とその親や教師達、
犯罪の被害者と加害者。


ゆるす?
簡単ではない。


人を赦し難い経験は私の場合特に父と母に対してあり、
長い間その怨み辛みに囚われてきた。
筆者はそれを全て紙に書けとここで言っているが
私は自己分析と称してブログの中にそれをぶちまけてきた。
冷静に回想し、相手と自分とを
客観的に分析出来るようになったのはごく最近の事だ。
神が意図しておられる事は、
血流の途絶えた手足に温かい生きた血液の流れが再開する事だと
私はわかっている。


  死んでいたのに生き返った・・・・・
  楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか
                   (ルカ15;11~32)


わかっていながらこれほど長い年月を費やし、
今なお試行錯誤を繰り返している。
今でもだ。

愛と望み

2010-01-13 02:53:09 | ルカ
「人の子は、
 失われたものを捜して救うために来たのである。」
                    (ルカ19;1~10)


読書メモ。


『道しるべ―霊的生活入門―』(英隆一朗著 新世社 2005年)
第三話 霊的生活の第一歩


霊的生活の第一歩として、
神から教えて頂かねばならない二つのもの。
愛と望み。


愛について。


「わたしたちが神を愛したのではなく、
 神がわたしたちを愛して、
 わたしたちの罪を購ういけにえとして
 御子をおつかわしになりました。
 ここに愛があります。」
               (Ⅰヨハネ4;10)


神が無限の愛を以って
自分を深く愛して下さっているという事実。
これに気づく事が祈りでは重要。
本文にあるように、
自分の心に深く根付いた自己不信と自己嫌悪によって
神の愛を素直に受け取る事が出来ない。
これは私自身がそうである。
昔、母教会で牧師先生によく言われた。
「井上さん、あなたは諦めが早過ぎる。」
また何かの説教集を読んで
「もっと素直に神に甘えましょう」
という表現で自分が救いから脱落した気がした。
最近では、人からメッセージで指摘された。
「幸せになってほしい・・・(中略)そして、
 神様はそのはるかに何倍もの力強さで、そう願っておられます。
 なぜ私の「試練」はうけるのに、
 私に「祝福」を求めないのかと悲しんでおられるはずです。
 ・・・・(中略)だから、どうかお願いします。
 神様に、祝福を求めてください。
 ・・・(中略)どうぞはじめから無いものと決め付けたり、
 求めるべきでないなどと思わないでください。」
この人の指摘は正論である。
絶望している者にとっては傷に塗り込まれた塩か酢と同じであるが
言っている事は当たっており、正しい。
自分が神に愛されていないとは考えていなかったが
望む事や期待する事を放棄する事はよくある。
そして、度々死にたくなる。


  人間の最大の悲劇は
  神の愛に気づいていないという一点にあると言っても
  過言ではありません。
  ・・・・・・・
  私に愛する力があると思うことは思い上がりです。
  神に愛をもらって、
  その愛によって人を愛することが出来るのです。
  それゆえ、
  神を知ることは「神の愛を知る」ことにもなります。
                         (本文より)


望みについて。


自分が神に何を望むか。
日常生活で神に願うのは小さな望み。
私はそれすら放棄してしまう事が度々あるが
生活の安定も望むし、体調も改善されたいし、
仕事も金も時間も欲しい。


  それはとても大切ですが、小さなお願いに過ぎません。
  私が強調したいのは、
  そのような自己中心的な小さなお願いではなく、
  神のみ旨にかなう大きな望みがあるかどうかです。
  ・・・・・・
  人が大きく望むならば、
  神は大きい望みと聖性をお与えになります。
                     (本文より)


自分の望み。
何だろう。
無いなぁ。
ああ、これがまずいのか。


著者は言っている。
自分の望みがわからなければ、
神に教えて下さるよう祈れと。
小さな望みしかなければ、
望みが大きくなるように祈れと。
望みが大きくなっていく事が霊的生活の進歩の印だと。


  聖なる望みは自分の望みでありながら、
  実は神があなたに望んでいることです。
  神は私たちの一人ひとりの心に、
  聖なる望みを置いてくださっています。
  その望みはあなたが本当のあなた自身になるために大切な、
  あなただけの望みです。
  あなたの望みを通して、
  神はこの世界全体を聖化したいと望んでおられるのです。
  ・・・・・・
  だから、
  神を知ることは「神の望みを知る」ことだとも言えます。
                          (本文より)


自分について考えれば、
小さなお願いすら放棄していながら
大きな望みを持つなどあり得ないのが実情である。


ここで考え込む。
霊的生活の進歩とは何だろう?
「神に素直に甘えましょう」と説教で奨励した人は言った。
「神に素直に甘える事が無ければ霊的成長も無い。」
霊的成長とは何だろう?


考える。


神様から愛されたと思える体験が自分にあるかどうか。
日々の何気ない出来事に、
自分は神の愛を感じているだろうか。


自分の望みは何か。
それを神も望んでおられるだろうか。

祈りとは何か

2010-01-11 01:20:48 | ルカ
「まして天の父は求める者に聖霊を与えてくださる」
                        (ルカ11;9~13)


読書メモ。


『道しるべ―霊的生活入門―』(英隆一朗著 新世社 2005年)
第二話 祈りとは何か


祈りとは神に向かう事。
私は何処に向かっているだろう。


  祈りの基本は神に向かって行くことではないでしょうか。
  誰かに向かっているからこそ、感謝や願いが出てくるし、
  対話や交わりが生じてきます。
  ・・・・・
  神が自分の外におられる方であっても、
  自分の中に現存される方であったとしても、
  祈りである限り、何らかの対象として神を意識しています。
  その基本を常に意識していることはとても大切です。
  祈りの時に気を散らすことがあるでしょうか。
  ・・・・・
  もちろん祈りの最中になるべく気を散らさず、
  精神を集中することは大切なことです。
  しかしながら、
  人間の祈りから雑念を完全になくすことは不可能です。
  祈りの中で大切なのは、
  雑念をなくしていくことよりも、神に向かっていくことです。
                            (本文より)


神を知る道は祈りと生活。
しかし道は元々一本しかない。
“活動における観想的な態度”(イグナチオ・ロヨラ)


  神に向かっていくことは、
  実のところ、祈りのときだけの問題ではありません。
  もっと大事なこととして、
  日常生活においても、
  私たちは神に向かっていかなければなりません。
  ・・・・・
  祈りにおいても、
  日々の活動においても、神に向かっていくこと。
  それが私たちの唯一の道であり、唯一の目的です。
  それゆえ、
  日常生活でも神に向かっていくことを意識しましょう。
                        (本文より)


しかし私はいつも脱線する。
中断したまま忘れ、挫折し、思い出しても結局は諦める。


  祈りのたびに、生活をふりかえって軌道修正をし、
  神に向かう意識を新たにしていくこと。
  そのようにして、祈りと生活が一つの道として、
  神に向かっていくことができるのです。
                      (本文より)


自分は祈る時、神をどう意識しているか。


精神が安定し調子のいい時は、同行者のように、
具合の悪い時は支配者として。


日常生活の中で
神様に向かっていきたいと思うのはどんな時か。


生きるのを放棄したい時。
死にたい時、衝動と反対の力が働く。
現実が少しも動かない時。
しかし、総じて私は
日常で殆ど神に向かって行こうとはしていないかも知れない。


神に向かうために、
自分が見直すべき点と気をつけるべき点は。


放棄したくなる点。
いい事もよくない事もどっちも投げ出し捨てたくなる点。
たとえ目の前に祝福があってももう要らんと思うほどに
疲れるとすぐ放棄したしなり、諦める点。


私は今、神に向かっているだろうか。   

神を知る

2010-01-10 21:51:57 | ルカ
「これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、
 幼子のような者にお示しになりました。
 そうです、父よ、これは御心に適うことでした。」
                    (ルカ10;21~24)


読書メモ。


『道しるべ―霊的生活入門―』(英隆一朗著 新世社 2005年)
第一話 神を知ること


神について知る事と、
神を知る事とは全く違う。


神について知る事は、神についての知識を得る事。
しかし神についての知識を得ても神を知る事は出来ない。


神そのものを知る道は二つ。
祈りと生活。


祈りとは
神の前に留まり神と向き合ってゆっくり会話をする事。


日常生活とは。


  カール・ラーナーという神学者は次のように言います。
  「人間の神秘を語ることは、神を語ることだ」と。
  つまり、私たちの日々の経験そのものに
  神が常に働いているということです。
  もし私たちが自分の経験によく耳を傾けるならば、
  自分の経験の中で、神が働いていることに気づくことができます。
  それが神を知ることなのです。(本文より。)


自分が神について知っている事。


神は、いる。
神は唯一人のお方である。
神は世の全てを生み、慈しみ、育て、養う唯一人のお方。
神は御子イエス・キリストを私達に与えられた。


現実の生活の中で神を知った、感じた、わかった体験。


ブログに随分たくさん書いたなぁ。
自分自身の体験もだけど、
自分以外の人の人生にも神がはっきり現れ、
働いておられるのを感じる事がよくある。


アントニー・デ・メロ師は
神について知る事と神そのものを知る事との違いを
神を林檎に喩えて語っている。
植物としての林檎の知識が無くても、
林檎の味や匂いを食べて知る事が出来る。


今、
自分にとって、神の味はどんな味だろうか。

マルタとマリア

2009-08-19 15:56:00 | ルカ
ルカ10;38~42


日常の面倒な家事雑事に追われ心を乱して
イエスに文句を言うマルタ。
余計な仕事は置いてイエスの傍に座り
イエスの話に耳を傾けるマリア。


マルタとマリア。


教会でここの箇所が読まれる度に
マリアのような信仰生活の態度の方が重視され、
雑事を置き神の前に鎮まって祈りに徹する心のあり方を
奨励されてきたと思う。


“私達はつい日常生活のいろいろな問題に心を奪われて
 神を見失っている事が多く、心弱い者です。
 マリアのような信仰者でありたいものです。”

とか、


“私は日常の家事や子育てにどうしても気を取られて
 お祈りの時間もそこそこになってしまって・・・
 マリアのようでありたいのですが・・・”


とか。
教会の説教の中や奨励やカミングアウトの言い回しに、
この箇所を読む席で必ず出る。
確かに、雑事に捉われず、
常に神の前に座って祈る心のあり方を保っていられたら、
それは理想的だと思う。


短絡的な読み方をすれば、
マルタは日常の雑事に負けて文句を言う落第生、
マリアは日常の雑事には目もくれない優等生、
しかし現実の日常生活でマリアまず実現し得ない。
信仰者の理想像マリアと
雑事に追われパニクっているマルタである自分との間で
ギャップが生じ、葛藤が起こる。


マルタは、果たして日常の雑事に負けて
神を忘れ信仰を見失っている人だろうか?


マルタはイエスに文句を言っている。
イエスに向き合い、
自分の不満を正面から直接イエスにぶつけている。
不満を燻らせたまま腹に溜め込み、無言の仏頂面で
卑屈に黙々と接客や家事作業をしていたのではない。
自分の辛い事や不満な事を
心を許して直接言い合えるだけの信頼関係が
イエスとマルタとの間に完全に成立している事が読み取れる。


マルタの姿勢はむしろ信仰者にとって模範的ではないか。
辛い事も不満も、神と向き合って神にぶつけ、神に聞く。
神と親しく話し合いが出来るだけの
揺ぎ無い信仰のあり方ではないか。

地獄

2009-07-29 00:37:00 | ルカ
ルカ17;21


主イエス・キリストは言われた。


実に、
神の国はあなたがたの間にあるのだ。(ルカ17;21)


神の国がこの世に生きる私達の只中にあると同様に
地獄も私達の中にあると思う。


今生きているこの世こそ地獄。