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ぱんくず通読帳

聖書通読メモ

主の祈り(マタイ6;9~13、ルカ11;2~4)

2007-04-28 23:54:57 | 主の祈り
『主の祈り』を唱えてまたいろいろ考える。


洗礼受けて15年経ったが
何年経っても
信仰の原点に
本来自分があるべき心のあり方に
立ち返ろうとする時は
いつも必ず『主の祈り』。


洗礼式から間もない頃、
私に洗礼を授けて下さった牧師先生が言われた。


「私達は
 洗礼を受けて
 キリスト者として完成したのではありません。
 不完全な罪人のまま
 神様からの一方的な憐れみによって救われた。
 私達は一生涯かけて
 キリスト者になっていくんです。」


私達は
一生涯かけてキリスト者になっていく・・・orz
15年間の間に
私はいくらかでもキリスト者になって来れたのかな。
道程は遠い。


祈る事が出来ない時も
自分の願いすらわからない時も
八方塞がりの時も
途方に暮れた時も
人を許せない時も
自分を許せない時も
追いつめられた時も
生きるのが嫌になった時も


何年経っても
信仰の原点に
本来自分があるべき心のあり方に
立ち返ろうとする時は
いつも必ず『主の祈り』。

聖書を読む視点

2007-04-11 06:53:24 | 未分類
自分が聖書を読む時の視点について、
全くその通りに共感し実行しようとする、
3人の人の言葉を見つけた。
私自身聖書を読んで、
読みながら脱線したり迷ったりする時でも
この視点に立ち戻って軌道修正を図りたいと思う。


3人とも同じ本の同じページに載っていた。
『祈りの泉 365のことば』
     (ジーン・ヒントン/編著 光原百合/訳
             女子パウロ会1998年より)


  福音書の中で起こったことを、
  今ここで起こっているつもりで読みなさい。
  主イエス・キリストを通じて語られ、なされたことに、
  全身全霊をこめてあずかりなさい。
  ・・・・・・つづられている出来事を、
  自分の耳で聞き、
  自分の目で見ているかのように味わいなさい。
                (サクソニーのルドルフ)


  知性を用いて考えることができなかったころ、
  心の中にキリストを思い描いてみました。
  私はよくこういった単純なことをやっていました。
  これは私の魂を
  ずいぶん豊かにしてくれたと思います。
  祈りとは何かを知らないまま
  祈りを始めていたからです。
                (アヴィラの聖テレジア)


  福音書を読むたびごとに、
  キリストおん自らがあなたに語りかけておられる。
  あなたは読みながらキリストに向かって祈り、
  話しかけている。
                (ザドンスクのティコン)


これらの3人の人が何処の誰か
私は知らない。
しかし聖書を読む時に
私は同じ気持ちで読もうとするし、
同じ気持ちで読んでいる人は
実は結構たくさんいるのではないか。


彼らの視点は、
聖書を読む事で人間の感性を豊かに活発にする。
たとえ心が萎えていても息を吹き返させる。


そしてその姿勢は
書かれている事を味わうことなく
字義通り丸呑みにしたり、
読んで感じた事や疑問を封じようとしたり、
日常会話の端々に強迫的にいちいち引用したり、
何かのまじないや呪文のように
聖句を暗誦したりするような、
読む人間の魂を窒息させて殺すような読み方とは
対極にあると思う。

最後の食事(マルコ14;22~26)

2007-04-06 12:26:55 | マルコ
昨日は受難週の最後の晩餐の木曜日だった。


私は昨夜は掃除をしていて、
古いCDがあったので聴いてみた。
何年か前にCMでも使われた曲だ。
それを聴いた途端、
たくさんの人達の姿が目に甦って来た。
私にとって特別な人々だ。


その曲がテレビのCMでよく流れていた頃、
私は外科病棟で抗癌剤療法や
モルヒネ剤による疼痛コントロールをする人達を受け持ち
仕事が終わって自宅に戻ってからも
多剤併用療法のマニュアルや薬剤の文献を読んでいた。
日勤が終わって帰宅した夜更けに
テレビから流れてくるその曲をぼんやり耳に聴きながら
病室の天井を眺めて眠れないであろう人達の
長い長い時間を考えた。
家に帰りたかっただろう。


病名を告知されてもされなくても
殆どの人が自分の病名を悟っていたと思う。
病名を知るというよりも
自分の死期が近い事は
私達よりも本人が誰よりも早く感知していた。


死期を悟ると
最後に誰かと食卓を囲みたくなるものなのだろうか。
終末が近づいて食べ物を受け付けなくなっているのに
唐突に「あれが食べたい」と訴えた人を何人も見た。
そして
そんな時彼らは必ず誰かに
一緒に食卓を囲んで食べて貰う事を切実に望んでいた。


ある40歳代の女性は思いをぶつける相手がなかったのか、
主任看護師の後をついて歩き、
泣きながら訴えていた。


「助けてください。
 死にたくない。
 私にはまだやり残した事がたくさんある。
 子供達を残してどうして。
 死にたくない。
 私は今死ねないんです。
 死にたくない。死にたくない。死にたくない。」


それから間もなく、
その女性は泣かなくなった。
痛みが強くなってきていたので
モルヒネ剤も使い始めた。
手足がどんどん細くなって眼窩が落ち窪んできた。
出された食事も口に出来ない事が多くなっていった。
体を起こす事さえ難しくなった頃、
その人は訴えてきた。


「看護婦さん、
 私、おそばが食べたいんだけど
 だめかしら。
 出前ここで取ってお友達と一緒に食べたいの。
 だめかしら。」


胃癌の末期で三分粥でさえやっと飲み込んでいるのに
そばを食べるのは無理だと誰もが思った。
主治医は食べたい気持ちのあるうちに
好きな物を味わわせようと言った。
友人が持ち帰りでもりそばを病室に持ってきてくれた。
その女性は顔を輝かせて
仲の良い友達と二人でそばを三分の一も啜り、
満足した表情を浮かべていた。
その女性が最後の戦いを終えた時、
死後処置をしながら私は
その時の事を思い出し、考えていた。


一緒に食べてくれる家族も友達も
誰もいない、そんな人もいる。
それでも人は死期が近くなると
誰かと何か一緒に何かを食べたいものなのだろうか。
誰にも一緒に食卓を囲んで貰えない人は
時に主治医や受け持ち看護師にそれを望む事があった。
ある年配の女性は主治医を息子のように慕っていた。
肺癌末期で他にも余病がたくさんあった。
ある日、その人はヘルパーに千円札を握らせて
寿司折りを買って来て貰っていた。


「先生には本当にお世話になった。
 今晩、先生にご馳走したい。
 一緒に食べたいから。」


主治医はその夜当直だった。
きっと夕方病室に来てくれるだろうとその人は思っていた。
看護師はそれを主治医に伝え、主治医は「わかった」と言った。
その晩は急患もなく急変らしい急変もなかった。
夕食の配膳の時間になって
その人はベッドに起き上がって待っていた。
夕食の時間が過ぎても主治医が来ないので
看護師が何度か主治医を呼んだ。
主治医は「うん。後で行く」と答えた。
急患がなくても仕事は山積みなのだろう。
消灯近くなっても主治医は来なかった。
呼んでみたが連絡が取れなかった。
ヘルパーと看護師がその人を説得した。


「ごめんなさい。
 先生は今夜は忙しくて来られないみたい。
 ○○さん、
 お腹空いちゃったでしょ。
 先生待たないでお寿司食べて。」


その人は頑として寿司に手をつけず、
とうとう消灯の時刻になってしまった。
その人は私達が正視できないほど
ぺしゃんこに沈み込んでしまった。


「私は食べられないから、
 これ、あなた方で食べて頂戴。」


ヘルパーと看護師達は途方に暮れた。
それ以後、その人はものを食べる事はなく
話もしなくなった。
こちらから話しかけても諦めたようにふっと笑って
会話にならなかった。
病状は急斜面から転がり落ちるように悪化した。


「どうしてあんなひどい事をしたんですか。
 ○○さんはずっと待ってたんですよ。
 最初から断わった方がましだった。
 その方がまだ思いやりがあった。」


看護師達が口々に主治医を批判し、責めた。
後でベテランの看護師が言った。


「先生は来なかったんじゃなくて
 来れなかったんだよ。
 ○○さんの家族は何年も殆ど来ないし
 長い間ずっと先生先生って
 息子みたいに頼りにされて慕われて
 今この段階になって最後のお別れに
 寿司折りなんか開かれたら
 先生の方が泣けてきたんじゃないかな。」


昨夜、その曲を聴いていると、
あの人もこの人も、
死期が間近に迫った事を知った時に
一度だけ
誰かと何かを一緒に食べたがっていた事を思い出した。
誰かと一緒に食卓を囲んで貰えた人は
幸せそうに世を去っていった。
誰とも食卓を囲んで貰えないまま
ぽつんとうなだれて世を去っていった人達の姿は
今もちょっとした事で
当時耳にした歌なんかに誘発されて甦ってくる。
誰でもこの世を去る前には
誰かと一緒に「おいしいね」とか「ありがとう」と
分かち合いたいものなのだろうか。


主イエス・キリスト
あなたも
弟子達と一緒に食卓を囲む事を望まれました。
あなたは
彼らの長い長い夜を
誰よりも御存知です。

教派と改宗(エフェソ4;5~6)

2007-04-03 10:49:15 | エフェソ
主は一つ、信仰は一つ、バプテスマは一つです。
全てのものの上にあり、
全てのものを貫き、
全てのもののうちにおられる、
全てのものの父なる神は一つです。(エペソ4;5~6)


教派の違い。


「カトリックとプロテスタントは
 どこが違ってどこが同じか」


という題材で幾つか本が出ていて、
それらを私も読んだ。
読後の感想はいずれも、


なんじゃー


だった。
釧路に来てからの8年間、
教派を超えて色々な教会が集まった市民クリスマスや
朝祷会に集まった各派の教会や
近所のカトリック教会など、
いろいろな教会のキリスト者の皆さん達と出会ってみて、
キリスト教をカトリックとプロテスタントの
二分割で比較するのは無理があると思った。


カトリックの方の立場から見れば
皆十羽一絡げにプロテスタントだが
個々に全然違った独自の教会文化を持っている。
何処がどう違うか考えるだけでも
甚だややこしく面倒くさい。


そもそもプロテスタントは
一つの教派でも一つの教会でもない。
例えば朝祷会に参加すると
参加する各教会が毎月持ち回りで会場を提供し、
集会の仕方も当番の教会のやり方で行なうが、
お祈りの仕方一つ取っても全然違っている。
(違いに戸惑ったりするところが面白い。)
私が釧路に来て朝祷会で参加した教会は、


キリスト福音館
日本アッセンブリーオブゴッド教団
日本キリスト教会
日本基督教団
日本聖公会
日本バプテスト連盟
日本福音ルーテル
自分の所属する日本メノナイト。
この他に
インマヌエル綜合伝道団、
救世軍、キリスト兄弟団、
セブンスデー・アドベンチスト(SDA)、
日本福音キリスト教会連合(OMF)、
など、
事務局としては参加を呼びかけたが
諸事情で参加が実現しない教会ももちろんある。


ただ確実に言える事は、
いずれの教派の教会も
どんどん人口流失して
パチ屋とサラ金と葬儀屋と廃屋ばかり目立つ
この厳しいド僻地で
祈りの灯を絶やさず何十年も
キリストの体である教会を支えてきた、
忠実な信仰者がいるという事。
私の古いワープロ器に残る朝祷会月報の原稿には
各教会の牧師先生や長老や信徒の方々が
聖書を開き祈って証しした記録が今も残っている。
忠実な信仰者の足跡だ。


市民クリスマスでは
正教の司祭様やOMFの牧師先生や宣教師の方とも
一緒に実行委員会やったりした事もあった。
昭和40年頃の市民クリスマスは
市内の殆どのキリスト教の教会が集まって
当時の写真見ると、
これ一体何人いるのかな、
学生服の人やら私服の人やらローマンカラーの人やら
すごい人数の人々が集まって
ヘンデルのハレルヤを歌ったらしい。
そんな風に教派間の交流が盛んだったら
たまに一緒に集まって年に1回大合唱もできるが
現実にはこの地のどこの教派も牧師不足、司祭不足、
教会員の高齢化で
超教派で集まるのが厳しくなってきている。


日曜日の礼拝は
当然私は自分の所属教会以外に行く事はないので
自分の所属教会以外でどんな礼拝の仕方をしているかは
知る事が出来ない。
でも週日に近所のカトリック教会の御ミサに
お邪魔した事は何度かある。
中に入る時、つい習慣でお邪魔しますと言ったら
イタリア人の神父様に言われた。


「邪魔じゃないよ。
 邪魔という言葉を使ってはいけない。
 邪魔な人なんていない。」


大らかで好きだなこういうの。


では各教派の違いは何かというと、
キリスト教が輸入された時に一緒について来た、
輸入元の文化だと私は思っている。
極楽トンボの私には
異文化コミュニケーションが楽しい。


えっと、
教派についてだらだら書いたので、
『改宗』についても書こう。


先に書いた近所のカトリック教会で、
私の所属するメノナイト教会から改宗した人と出会った。
配偶者が幼児洗礼を受けていたためカトリックに移ったが、
その人はメノナイトで受けた洗礼を無効と見なされ、
もう一度洗礼式を受け直したと聞いた。
私はその人に尋ねた。


「それまでの信仰を全て否定されて、
 あなたは辛くなかったですか?」


その人は私に答えた。


「私は2度めの洗礼式の時には泣いたけど
 神様は元々一人しかいませんから。
 私は置かれた場で忠実に信仰を守るのです。」


その教会で私はもう一人の信徒と出会った。


配偶者がカトリックで受洗したため
SDAからカトリックに改宗していた。
その人もカトリックに移る時に未信者として
一から洗礼を受け直したと聞いた。
私はその人にも尋ねた。


「それまでの信仰を全て否定されて、
 あなたは辛くなかったですか?」


その人は私に答えた。


「寂しくないと言えば嘘になる。
 でも大した事じゃない。
 人間は幾つも教派を作るけど
 神様は一人しかいないから。」


彼らは
自分の好き嫌いや意志で各教派を渡り歩いた末に
改宗の道を選んだのでは断じてない。
幼児洗礼を受けたまま
教会から遠ざかっていた配偶者を持ち、
或いは
自分の所属教会で躓いた求道者を配偶者に持ち、
何とか家族で一緒に教会につながる事を切望した結果、
自分の所属教会を後に置いて、
というよりも
神様が備えて与えて下さったものをお返しして
行けと言われた所に行ったのだ。


数あるキリスト教の教会の中で
自分の所属教会は神様から一方的な恵みとして
自分に与えられた信仰生活の場と私は考える。
そんな所属教会での信仰生活を無効なものとされた時、
どれ程の痛みを彼らが味わったか、
置かれた場所でぬくぬくとしている私には
想像もつかない。


教派によって
考え方やシステムが違うのは当然だし
仕方のない事だと思う。
それぞれの教会の長い歴史の中で
色々な問題を乗り越える過程で
起こってきた相違だと思う。


私が出会った二人が
元の所属教会からカトリックに移った当時の司祭は
たまたま他教派に対して
防衛的な考え方の持ち主だったかも知れない。
実際、
カルトが未信者や他教派からの転入者を装って
羊泥棒を働く事が現実にない訳ではない。
責任ある立場の教職者が
他教派から来た者を警戒するのは仕方のない事。
それでも踏みとどまったのは
彼らに留まるべき確信があったからだと思う。


彼らの信仰は立派だ。
人に目を奪われずに神を見ている。
与えられたものに固執せず
先に信じた者の責任を果たすために
自分が置かれた場所で忠実に働いている。


そういえば
ルーテルから改宗した人は
洗礼を受け直したりはしていなかった筈だ。


プロテスタントと言っても
カトリック側からキリスト教として認めるものと
認めないものとがあるんだろうなきっと。
ルーテルや聖公会は
カトリックと共通点が多い。
カトリックの側からプロテスタントと
十羽一絡げに呼んでも考え方も歴史も一つ一つ違う。
プロテスタントという名称の意味からして
何百年か前の
当時のカトリック教会に歯向かって出て行った人々を
カトリック側から呼んだ総称であって
一つの教会でも教派でもない訳だから
比較すること自体無理があると思う。


キリストを救い主と信じるところだけ共通で
あとは違って当然。


改宗者に洗礼を受け直させる事の是非は
私が考える問題ではないし、
カルトの危険を念頭に置けばむしろ当然かも知れない。
個人的に批判的な気持ちは全くない。
私達メノナイトという教派の先人達だって
何百年も前には弾圧されて火炙りとか
説教してた人は生きたまま舌を引き抜かれたとか
本には書いてあるけど
今現在弾圧されてる訳ではないし私個人には無関係だ。


私が出会った人々は、
自分の教会に不満を持って
後足で砂をかけて飛び出して来たのではなかった。


教会で人間関係や何かに躓いて教会を去り、
別の教派の教会に行って元いた教会を悪く言う、
行く先々の教会を掻き回す、
そんな渡り鳥みたいな人達がよくいるが
教会間、教派間に摩擦や衝突を生じさせる。


しかし
ここで私が取り上げた人達は二人共違う。
会って話を聞いた時、
ああ、この人は私の想像も及ばないような犠牲を捧げて
配偶者を教会に引っ張って来たのだなと思った。


私だったらあり得ない。
日頃教会に行きもしない亭主が


「オレは幼児洗礼だった。
 だからお前、
 教会に行くならカトリックに変えてくれ。
 ならばオレも行く」


などと言っても
私であれば「だから何?」で終わる。
或いは
自分の亭主が受洗前に教会で牧師とケンカして出て来ても、
自分までもが一緒について教会を去って
亭主を受け入れてくれる教会を探し訪ねるなどしない。
しかも
それまでの自分の元いた教会での信仰は認められない、
一から未信者として洗礼を受け直すなど
私ならあり得ない。


これ、
一見教派の問題に見えるけどそうではないよね。


私が彼らの立場だったら間違いなく自分を最優先する。
自分が誰かのために他教派に改宗する事はしない。
まして
一生分の祝福を頂いた教会という自分の居場所を失って
そこで受けた信仰の恵みも
行く先の教派では否定され無効とされる、
そんな代償を払ってまで
相方の信仰を考えたりは出来ない。


しかし、
どっちがキリスト者として
教えを忠実に実践しているかと言うと、
私ではなくこの人達であろう。


信仰の恵みは一方的に神様が下さったもので
自分が立ち上げた訳でもなく
自分の物でもないから、執着するのはエゴである。


「自分がここで犠牲を捧げないと
 自分の配偶者は一生教会に行けない
 かも知れないと思った」


と、二人のうちの一人は私に言った。
もう一人の人の改宗の動機も同じだった。


信仰者だなぁ。


すごいと思う。
例えそう悟ったとしても
私だったら自分が一度貰ったものは手離せない。