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ぱんくず通読帳

聖書通読メモ

テサロニケの信徒への手紙二読了

2007-03-18 10:09:00 | テサロニケⅠ、Ⅱ
テサロニケの信徒達の中には
主の再臨を待ちきれなくて痺れをきらして
主はもう来てしまったとかあそこに来たとか
デマに踊らされた人もいたのだろうか。
同じ事は今もある。
バイブル・カルトや
キリスト教の名を語る新興宗教は
そうやって再臨をネタに教義をでっちあげる。
パウロの時代には
すでにそんな異端があったのだろう。
パウロの名前を語った手紙まであったのか。
危機感は今も常にある。2000年の昔から教会も
教会を食い荒らすものも
何も変わっていない。
進歩ないなあ。

テサロニケの信徒への手紙一読了

2007-03-18 09:10:00 | テサロニケⅠ、Ⅱ
この手紙を書いた時、
パウロはまだ獄中ではなかったらしい。
使徒言行録ではテサロニケでも騒動が起こって
ヤソン達がパウロとシラスを匿ったという理由で
当局者に引き渡されたりしている。
その時テサロニケにも教会が生まれていた。
テサロニケの人々に対するパウロの言葉は
子供達を諭すように優しい。
そして
主が再び来られる日の事を
パウロは教えている。
主が何時再び来られてもいいように、
目を覚まして備えよ。
再臨の事だ。
私は備える事が全然出来ていない。
洗礼を受けてキリスト者になったけど
罪だらけだ。

いつも(テサロニケⅠ5;16)

2006-10-01 01:41:20 | テサロニケⅠ、Ⅱ
いつも喜んでいなさい。(テサロニケⅠ5;16)


気がつくと

生きる事に嫌気が差して

その考えを打ち消そうと戦っている。

戦う事そのものにも疲れてきている。

もう一日頑張って、もう一日頑張って

そしたら

その先に何かいい事が

楽しい事とか嬉しい事とか

あるのかも知れないけど

考えたくもない。

生きてて良かった

生きてて楽しい嬉しい

生かされてて有難い

そう自分に言い聞かせ続けて疲れた。

現実の自分は

死なない程度に養われ

生かされず殺されずまだ死んでもいない。

ねえそこにいる自分、

何がしたい?

何もしたい事がないなら文句言うんじゃないよ。

黙ってしなければならない事だけ

やりなよ。

信じる事は服従なんだよ。

文句言うんじゃないよ。

どうせ近々終わるんだから

虫けらみたいに黙々と生きてなよ。

死ぬまで。