goo blog サービス終了のお知らせ 

ぱんくず通読帳

聖書通読メモ

じじの受洗願いの事(ペトロⅠ5;7)

2008-01-11 11:57:41 | ペトロⅠ、Ⅱ
思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい。
神が、
あなたがたのことを心にかけてくださるからです。
                   (ペトロⅠ5;7)
           

今日は1月11日。


先日、
じじから牧師先生に受洗を願い出た事を聞いた時、
本人の意向なのか
誕生日に一番近い日曜日に受洗式を、
その日は仕事を休めますか?と
牧師先生からメールを頂いていた。
そうか。
もうあと1ヶ月。


実は、
その話を聞いた夜のうちに
私は授洗式の延期を牧師先生にメールで提案した。
何故誕生日に近い日曜日受洗したいのか。
イースターではダメか。


私はじじ本人の口から受洗の意向を聞いた。
受洗の意味も
キリストを信じる事についても、
父が何処まで理解しているかはわからない。
しかしそれについては
私自身、
自分の受洗当時を振り返ると
何ひとつわかっていなかったし
信仰は理解とは別物と思うし、
父が教会を自分の居場所と認識したのは間違いない。


じじが信仰告白をちゃんと出来るのか、
皆の前でちゃんと自分の信仰を語れるのか、
教会が
ただ楽しいだけの都合のいい事ばかりではない事を
じじが現実に何処まで受け入れているのか、
いろいろと心配に思うところはあるが
牧師先生とじじとの間で確認した事なら
それで良いと思う。


その夜、
自分のブログに
父の生い立ちと
父に影響のあったと思われる信仰者との関わりをまとめた。
私が父を教会に連れて来たのではない。
父には昔、
キリスト者と出会って感銘を受けた経験がある。
それを私が聞いた範囲でまとめた。


受洗の日程は、
2月の10日予定という事だったが
早くないだろうか?
イースターでは遅過ぎるのだろうか?
老い先短い人の受洗を延期すると
洗礼式の前にポックリ逝ったら後悔するかも知れない。


しかし、
長い間私達の教会に通い続けている、
ある心の病を抱えた若い求道者のお母さんが
教会の幾つかの集会などに参加し始めている。
そのお母さんや他の求道者達にも声をかけて
一緒に受洗準備会をする事は出来ないだろうか。
そんな思いが浮かんだ。


私がそう思ったのは、
自分自身が16年前に受洗の希望を申し出た時、
受洗の日程を
誕生日に一番近い日曜日に希望した事があったからだ。


それまでの
自分がこの世に生まれた事に対する否定的な感情を
払拭したい思いがあったからである。
じじも同じ事を考えたのだろうか。
じじの生い立ちを考えれば私などの何十倍何百倍も
自分の出生に対する否定的な感情は強かった筈だ。


離婚した生みの母親に置き去りにされ、
祖父母や叔父叔母の家を転々として育ち、
ある時突然引き取られて行った、
気紛れな父親の家には見知らぬ女がいた。
5人、6人と次々入れ替わった何人もの後妻達のうち、
女児1人、男児2人を産んだ女から
小学生だったじじは食事を与えられず虐待されていた。
(男児2人のうち
 先に生まれた1人は1歳で死んだ。)
私は亡くなったじじの叔母からそれを聞いた。
じじの父親の残した手紙には
「役立たずで使えない奴」と蔑んだ表現で
己の息子であるじじを見下した一文がまだ残っている。


この世に遺伝子を残す価値もない愚劣な生き様の通り、
祖父は末期癌の苦痛で発狂し精神病院で
誰一人看取る者なく死んだ。


じじは自分の父親の位牌や遺品を
その腹違いの弟にやってしまった。
それでも長男という現実は消える事無く
じじは祖父の死後、
面倒な事を全部負わなければならなかった。


じじは自分の父親と
自分を排斥した継母を許したのだろうか。
主なる神とじじとの間だけで
やりとりはあったのだろうか。
自分がこの世に生まれ存在している事を認め、
受け入れる事が出来たのだろうか。


恨み辛みと呪詛の源泉である自分の出生日を忘れ去り、
自分がキリスト者として新しく生まれる日を
本物の出生の日にしたいという思いを
私自身は持っていた。
それで受洗の時には
「誕生日に一番近い日曜日を」と申し出たのだった。


今にして考えれば愚かな思い込みに過ぎない。


母教会の牧師先生は
9月の私の受洗希望を聞ききながら洗礼式を延期した。
牧師先生は
当時なかなか受洗に至らず
親達をやきもきさせていた高校生達と一緒に
彼らの学校の試験の日程に合わせて
私の受洗準備会をした。
私は大いに腹を立て、
一度受洗の希望を撤回した。
しかし結局その年のクリスマス、
私は共にテーブルに着いた高校生の一人と一緒に受洗した。


受洗16年にしてしみじみ思う。
一人の信仰者が誕生する時に
一緒に生まれる兄弟姉妹が与えられる事は
後々の信仰生活で大変な励みである。
自分の希望通りに行かない苛立ちを乗り越え
同じ日同じ時に受洗して生まれた兄弟姉妹が
自分にも与えられた恵みを考える。
あの時自分の希望を押し通さないでよかった。
誰かが福音の喜びに与る時、
それを兄弟姉妹達と分かち合うべき事を示されたと思う。


生まれる時は
誰だって何もわかっていない。
誰だって自分の思い通りに出来ない。
だから
キリストが救い主である事以外は
何もわかってなくて良いし
何一つ自分の思い通りにならない、
それでいいのだと思う。


親兄弟なく、
家庭の中で分かち合う事をした経験の無いじじは
誰かと何かを現実に分かち合う事を知らない。
誰かに何かをくれてやる事はあっても
一緒に分かち合う事を知らない。


教会でもじじは
自分と牧師先生との1対1でしか教会に関わっていない。
何らかの形で
他の求道者達と一緒に分かち合いながら
受洗もそれ以後の教会生活もやっていけたら。
これも私個人の思いだけど。


しかしいずれにせよ、
じじの受洗については
私の思いよりも神様の御意志にお委ねする。


一番良い日を
既に神様が用意して下さっている事を
私は確信している。

勉強会(ペトロⅠ、Ⅱ)

2007-10-22 01:24:52 | ペトロⅠ、Ⅱ
帯広から伝道師を招いて開かれていたペテロ書の講座は、
5回のうち今日最後の1回だけ、参加する事が出来た。


教会の牧師や指導者についてどう考え、
自分達の教会のあり方を模索している時なので
学ぶ事がたくさんあった。


教派によって教会観や組織運営のノウハウが
様々ある中で、
自分達メノナイトではどう考えるのか。
自分達は指導者をどう考え、
群れのあり方をどう考え、
教会そのものをどう考えていくか。


隣の十勝地区で奉仕している伝道師が
私達のために講師として
わざわざ月1回足を運び続けてくれた。


礼拝後の午後から集まるので
疲れていたり
仕事や所用で時間が取れなかったり
いろいろな障害もあったけど
参加した教会の仲間達は皆
とっても楽しみにしていたであるよ。
(何でこんなに勉強大好きなの我々メノナイトは。www)


いや、
実はそれだけ収穫が多くて
事実、楽しかったのだと思う。
私も第1回から参加したかったであるよ。
今回学んだ感想をちょっとだけ。


メノナイトでは
教会のあり方を聖書にある初代教会に習いたいと考える。
もちろん聖書の一字一句を字義通り鵜呑みにするとか
ファンダメンタルという意味ではないよ。
聖書を深く学んで
初代教会がどんな教会運営をしていたか、
キリストにある交わりとして相応しいあり方を追い求める。
奉仕は、役割分担は、リーダーシップは、
そもそも教会観は・・・と。


長い歴史の間に
教会の中に階級制に似た構図が出来たり
無教会という考え方が出来たり
その時代背景や文化や集まった人々の特性によって
教会はそのあり方が変わってきた。
本来キリストにある群れのあり方はどうあるべきか。


では、
私達のメノナイト教会は?


今回講座に参加して"おっ・!σ('O')"と思ったのは、
初代教会のあり方を見ると、
長老、使徒、預言者、福音宣教者、教師、監督者、執事など
役割分担をしているが
いずれの奉仕者も全員共通してしている奉仕がある。
各自がそれぞれの立場で自分の役割を担いながら
共通してしていた奉仕がある。
それは福音を語るという事。


現代の私達の教会に当てはめて言えば
牧師先生は日曜日に講壇で福音を語る。
教会学校の先生してる教会員も
会計係してる教会員も
教会の運営委員も
食事を作ってくれる教会員も
入り口の受付係の教会員も
どんな役割をしている教会員も
日曜日に講壇で福音を語る。
そのために
お互いに励まし合い
お互いのために日々祈る。


例えば
皆の食事を作ってる人が
食事を作る人の立場で福音を語ってもいいのだ。
いや語るべきなのだ。
福音宣教について
より柔軟に考える事が必要だ。


キリストのものとなった者は誰でも
福音を語るべきである。
礼拝のメッセージは
牧師でなくても
信仰を告白し洗礼を受けた教会員なら
誰もがすべき奉仕である。


私達の教会で
牧師でない教会員も
礼拝メッセージの奉仕を分担する根拠がここにある。
つまり
私達メノナイトの礼拝メッセージは牧師だけの仕事ではない。
牧師には牧師にしか出来ない役割と仕事があるが
礼拝メッセージは牧師だけでなく
教会員の誰もがする奉仕である。


この考え方にあっては
教会を運営する上で生じる面倒な事、難しい事、
言い換えれば
”重荷”を牧師・指導者という特定の人間だけに負わせ、
教会員は日曜日に教会に行くだけという構図は
少なくとも無くなる。


しかし現実には
教会員は仕事や子育てや介護をしながら
日曜日の一日を教会の奉仕に捧げているので
皆、しんどい。
常に病気や仕事や家族の事で悩み
問題を抱えながら教会の奉仕も担っている。
不況の過疎地にある教会ならなおの事、
集まるだけでも精一杯、
出来れば日曜日は教会に行ったとしても
疲れる奉仕をするよりも
心身の疲れが消されるような祈りと賛美歌と
牧師先生の説教で癒されて帰宅したい。
面倒な事は牧師先生が全部してくれて
自分は行って励まされて帰って来るだけだったら
どんなに楽である事か。
私達の身勝手な甘えがここにある。


もし、
牧師或いは特定のリーダー一人にだけ
重荷と責任が集中するとどうなるか。


皆、
都合のいい理想像を思い描き作り上げて
自分に都合のいい要求をしたくなる。
面倒な事は全部牧師に負わせる。
もっと親身に身の上話を聞いてカウンセリングをして貰いたい、
もっと家庭訪問を増やして家族伝道して貰いたい、
もっと感動出来るような説教をして貰いたい、
もっと聖書の勉強会を熱入れてやって貰いたい、
もっと他教派と仲良くやって地域伝道に力を入れて貰いたい、
もっと町内会と仲良くやって地域伝道に力を入れて貰いたい、
もっと教会員と親身に話をして貰いたい、
もっと会堂の建物の管理をうまくやって貰いたい、
もっと教会の経済をうまくやりくりして貰いたい・・・
して貰いたい事ばかりだな。
この上さらに
清廉潔白で人格円満で歌が上手くて語学が堪能な人物である事・・・。


本人のみならず
奥さんは控えめで上品で質素倹約やりくり上手で
身なりが清楚で優しくてピアノやオルガンが上手で
料理上手で菓子作りが上手で
植物の手入れも上手でいけばなのセンスもあって
気配りの効く良妻賢母であって貰いたい・・・等々。


そして
何か一つでも意に添わなかったり上手くいかなければ
あれがイヤだこれが気に食わないと
教会から離れたり去ったり
何でも牧師の責任にして
協力の為の力も貸さずに孤軍奮闘の悪循環に陥らせ
一家共々批判と陰口中傷の集中砲火を浴びせ
人間不信の泥沼に沈める。


或いは
逆に独裁的ワンマンの中小企業の社長状態へと
陥るか。


残酷物語だな。


何だか
書いててやんなってきたであるよ。
牧師足りないはずだわ。
足りなくて当然。
皆の期待に応えられるような理想的な牧師なんているか?
でもこれは誇張ではなく
実際にあちこちにある現実。
教会を内側から腐食させる病気。


今日の講座を通して学んだ考え方だと
このような悪循環やメカニズムの狂いは
少なくとも避けられるのではないかと思う。


礼拝のメッセージを
信仰を告白し
洗礼を受けた教会員の誰もがメッセージ奉仕をするとなると
各々自分の役割を担いながら礼拝のメッセージも
担っていく事になる。
当然、
日々の自分の信仰を振り返り
聖書を読み直し、
何度も言葉を吟味しなければならないので
しんどい。
神学とか説教学とか専門教育を受けた訳でないから
聖書の一字一句に詳しい解説を出来はしないし
大体大勢の人々の前で喋ること自体上手く出来ない。
仕事や家事など日常の忙しい合間に
時間を工面して奉仕の準備をするのでしんどい。
そのしんどいところを
お互いに祈って励まし合って
教会の結束は固くなる。


少子高齢化とか過疎地だとかで牧師が少ない中、
自分達が教会をどうやって支えていくか
もっと時間と手間隙を注いで皆で話し合いたいな。
質問も意見もたくさん、活発に出たであるよ。


伝道師Kさん、お疲れ様でした。
半年間ありがとう。
皆楽しかったって。


牧師先生も
毎月の講座が終わっちゃって寂しいって。
よっしゃ次いこうよ次!

知る(ペトロⅡ1;2)

2007-08-23 09:35:24 | ペトロⅠ、Ⅱ
昨夜の聖書研究は
ペテロの手紙Ⅱの最初の部分だった。
冒頭の挨拶文の中のある言葉から話が広がった。


 神と私たちの主イエスを知ることによって、
 恵みと平安が、
 あなたがたの上にますます豊かにされますように。
              (ペテロⅡ1;2新改訳)


「主イエスについて知る事と、
 主イエスを知る事とは全く違う」


という言葉を何時何処で聞いたかもう忘れた。
これは私達信じる者にとってごく当然の、
いわばわかりきった常識。
でもわかりきっている筈の事を
自分達は日常で信仰者として相応しく吟味し
表現してきただろうか。


信じる事の原点に改めて立ち返る為に、
「主イエスを知る」について牧師先生と話し合った。
主イエスについて知る事と
主イエスを知る事とはどう違うか。


主イエスについて知る事は、
主イエスという対象についての情報や知識を得る事だ。


 主イエスは
 今から約2000年昔にイスラエルで生まれた、
 イスラエル人だった、
 母親はマリアでその夫はヨセフだった、
 ヨセフの死後大工をして生計を立てていた、
 30歳頃に宣教の働きを始めた、
 弟子は12人いて、ペテロ、ヤコブ、ヨハネ、・・・
 当時のイスラエルの宗教的指導者達を批判し、
 その為に十字架刑に処せられた、
 死んで3日後に甦って弟子達の前に姿を現した・・・


私達はこれを知識として知っている。
しかしこの知識を知識として知っている事と
私達が主イエスを知っている事とは違う。
聖書を勉強し、
主イエスについての知識をどれだけ積み上げても
主イエスを知る事にはならない。
主イエスを知らなくても知識を得る事は出来る。
しかし主イエスについての知識(情報)を持っていても
主イエスを知る事は出来ない。


例えば、
井上という人間が何時何処で生まれ
何処のどんな環境で育ち、
何処の学校を卒業して
何をして働いており、
何時どんな経緯でキリスト者になって、
何を趣味としていて
何が好きで何が嫌いか
血型は何か
生まれ年や星座は何か
どんな顔でどんな背格好か
どんな交友関係を持っているか
これらの井上に関する個人情報を持っているのと
井上と会ったり関わって
言葉を話したり会話のやり取りをして
井上を知っているのとは全く違う。


主イエスについて知っている事は
主イエスに関する知識はあるが
主イエスと関わってはいない。
主イエスを対象物として一方的に知識を持ってはいるが
主イエスからの応答を聞いてこちらから返すような
やりとりをする事はない。


主イエスを知る事は
主イエスと関わり
主イエスに話しかけ
主イエスから応答を受け、
主イエスと日々を共にしている事だ。
私達が祈るその祈りとは
まさに日々主イエスに話しかけ
主イエスから応答を受け、
主イエスと日々を共にする事だ。
主イエスと私達信じる者との間には
一方通行ではないやり取りがある。


知識としても、
主イエスを学術の対象として得る知識と
主イエスと関わるうちに
もっと主イエスを知りたいと願って得られた知識とは
自分の中での優先順位も価値も全く違う。
知識があっても主イエスを知る事は出来ない。
しかし主イエスを知れば
知識は後から与えられ、恵みとしてついて来る。
しかしその逆はない。


 だからね、井上さん。
 勉強する事と信じる事とは違う。
 聖書を勉強する事と
 主イエス・キリストを知る事とは違うんだ。
 僕達信仰者は誰もがそれを知っている筈だ。


ペテロがこの手紙の冒頭で言っている、
 「神と私たちの主イエスを知ることによって、
  恵みと平安が、
  あなたがたの上にますます豊かにされますように。」
の中の"知る"は、
ヨハネの手紙の冒頭に表現されている、
あれではないだろうか。


 「初めからあったもの、
  私たちが聞いたもの、
  目で見たもの、
  じっと見、
  また手でさわったもの、・・・」
             (ヨハネの手紙Ⅰ1;1)


主イエスと出合って、関わって、
話しかけ、応答し、日々共に歩む。
信じる者にとって"主イエスを知る"とはそういう事。

ペトロの手紙一、二読了

2007-03-09 14:29:00 | ペトロⅠ、Ⅱ
『夜が明け、
 明けの明星が
 あなたがたの心の中に
 昇る時まで・・・』

迫害と異端と、
教会が外内から攻撃される中で
自らの死を覚悟して教会を力付けようとする、
使徒ペトロ。
土壇場でイエスを見捨てて逃げ、
後悔して泣いたペトロは
人々から嘲笑され軽蔑され、
失意と自己嫌悪のまま無為に生涯を終えても
不思議はなかった。
もしキリストが復活しなかったら
自らでっちあげた奇跡のために
幾多の苦難を経て
誰がこんな手紙を書くだろうか。
この手紙は
復活されたキリストによって
一人の人間が再び生かされた証拠。

寄留者(ペトロⅠ1;1)

2007-02-05 00:28:50 | ペトロⅠ、Ⅱ
ペテロの手紙Ⅰに進んだ水曜夜の聖書研究会で
何度も出てきた言葉。
『寄留者』
『仮住い』


  ・・・各地に離散して
  仮住まいをしている選ばれた人たちへ。
       (Ⅰペテロ1;1 新共同訳)


  ・・・いわば旅人であり、
  仮住まいの身なのですから、・・・
       (Ⅰペテロ2;11 新共同訳)


『寄留者、仮住いの者』はヘブル11;13で
明確に言い表されている。


  この人たちは皆、
  信仰を抱いて死にました。
  約束されたものを手に入れませんでしたが、
  はるかにそれを見て喜びの声をあげ、
  自分たちが地上ではよそ者であり、
  仮住いの者であることを
  公に言い表したのです。
       (ヘブル11;13 新共同訳)


私達キリスト者はこの世では寄留者である。
その事について、
聖書研究会で牧師先生と少し話した。


私達キリスト者はこの世では寄留者。
何故なら
私達の国籍は天にあるから。
私はそう言いながら
ピリピ3;20を念頭に置いていた。
牧師先生は言った。


  そう。
  確かにそうだ。
  でもそれだけではない。
  それだけでは足りない。
  これはこの世と天国との事だけを
  言っているのではない。
  僕達はこの世にあって
  この世の何処にあろうと
  この世に生きている限り寄留者だよ。
  現実にこの世にいて、
  僕達は神様の御意志に気づく。
  神様が「行ってこれをしなさい。」と言われたら
  僕達はそれまでしていた事を置いて
  行けと言われた所に行き、
  しなさいと言われた事をするんだ。
  それまでに築き上げてきた仕事や生活、
  得たもの、既得権益、展望、
  それら持っているもの全てを置いて
  神様の御意志のために働きに行く。
  神様に行けと言われたら
  何処にでも行かなければならない。
  何処にでも行って仮住まいしながら
  神様が望まれる働きをする。
  キリストにある信仰の先輩達は
  皆そうやって
  自分の生活の全てを捨てて
  まだキリストを知らない人々に
  福音を伝えに何処にでも行ったんだよ。
  特に僕達の先輩のアナバプテスト・メノナイトの
  信仰の先輩達は
  司祭でも教職でも宣教師でも神学者でもない、
  一般市民である信仰者達が
  そうやって自分の生活を置いて
  福音伝道のために
  全世界に出て行って働いた。
  ペテロとアンデレ、ヤコブとヨハネ達が
  漁船も網も父親も置いて
  主イエスについて行ったように。
  寄留者とはそのような人々の事だよ。
  僕達はどうだろう。
  神様から望まれたら
  それまでの自分の生活を全部捨てて
  言葉も通じない、
  行った事もない所に出向いて
  福音を宣べ伝える事が出来るだろうか。


牧師先生も、
献身を決意した時に
それまでしていた仕事を捨て
今日まで働いて来られたではありませんか。


当時郵便局で働いていた若者は
キリスト教の福音宣教の働きのために
一生を捧げる決意をした。
その時、
親族一同からも友人知人からも、
キリスト教の教会関係者達からでさえ、
非難され、批判され、反対され、引き止められ、
献身の考えを変えるよう説得された。


 「耶蘇にかぶれて仕事を辞めるなんて」
 「生活はどうするのか。
  そんなんで家族は養って行けるのか」
 「何も仕事まで辞めてしまわなくても」
 「黙って郵便局員として働いていれば
  一生食べていけるし
  恩給だってたくさん貰えるのに」


それでも若者の決心は揺らがなかった。
もし牧師にならなかったら
きっとこんなに大変な苦労をせずに
今頃は悠々自適に年金生活を送っていたかも知れない。


私がそう言うと、
牧師先生は笑って否定した。


 「いや、
  郵便局員のままでいたら僕は
  今頃はきっともう死んでるよ。
  だって、
  僕が郵便局で一緒に働いていた仲間達は
  もう何人も死んだもの。
  組織の中で一生涯を送る事は、
  安定収入に恵まれたように見えても
  実際は身も心も削るものなのかも知れない。
  確かにキリストに従って牧師になって
  何でこんな苦しい思いを
  しなければならないのかという体験もしたけど、
  あのまま郵便局で埋もれていたら
  得られなかった出会いと恵みの体験を
  僕はたくさん頂いた。
  頂いた恵みの方がはるかに大きかった。
  比較にならない。」


今日私達が牧師先生から
日々の牧会の働きを通して助けられているのは
牧師先生の捧げた犠牲の賜物である。
今の私の所属教会の、この牧師先生も、
昔私に洗礼を授けて下さった母教会の牧師先生も
皆がわいわいと賑やかに集っている教会の
土台の見えない所で
私達には想像も出来ないほどの犠牲を捧げ続けていた。
そして今も捧げ続けている。
そこには
牧師先生と主イエスとの間の
誰も知り得ない、立ち入れない内緒話がある。


私についておいで、
あそこで働きなさい、
この働きをやり遂げなさい、
自分がそう言われている事に気づき、
牧師先生は主イエスの求めを無視せず
自分の生活をその場に置いて
忠実に付き従って来られた。


自分の生活をその場に置いて
キリストに従って行く。
行けと言われた場所何処へでも。
それが寄留者。

ペトロ(ペトロⅠ1;1~12)

2007-01-18 01:19:57 | ペトロⅠ、Ⅱ
水曜夜の聖書研究会は
今日からペテロの手紙Ⅰに入った。


ペテロの手紙を読む度に思う。
イエス・キリストは本当に、
現実に、復活したのだと。
ペテロの手紙はその証拠だと私は確信している。


ペテロも含めて12人の弟子達は
イエスが十字架の死を迎える前も後も
イエスの語る事する事何一つ理解していなかった。
最後の晩餐の直前まで
自分達の中で誰が一番偉いかとか
天国では誰が一番偉いかとか
そんな事にばかり気を取られ、
「うちの息子らをあなたの右と左に」と頼み込んだ
ヤコブとヨハネの母親に腹を立て、
最後の晩餐で「自分は死んでも裏切らない」と豪語し
起きて一緒にいてくれと言うイエスを
ゲッセマネに一人残して寝てしまい、
捕まったイエスを見捨てて逃げた弟子達。


ペテロはそんな小心な裏切り者の弟子達の代表格。
イエスに「たとえ死んでも私は裏切らない」と
言い切っておきながら
イエスが逮捕されて状況が変わった途端、
「そんな人は知らない」と
3度もイエスを否定した、
弱い、情けない、惨めな人間の代表。
逃げて息を潜めて生き延びるのが精一杯の、
イエスを知る人々からは軽蔑を買い、
嘲笑されただろう、
惨めな新興宗教の信者のなれの果てと。


バークレーの註解書の中に伝承が紹介されている。


  ・・・わたしたちは、
  ペテロがどのように自分を償ったかを
  想い起こさねばならない。
  ペテロにとって、
  事態は容易ではあり得なかったはずである。
  おそらく、
  否認の物語はほどなく知れ渡ったことであろう。
  というのも、
  大衆は悪意のある物語を愛するからである。
  伝説が語っているように、
  ペテロが通ると
  人々が鶏の鳴き声をまねたというのは、
  おそらくほんとうであろう。
  ペテロは自分を贖うこと、
  すなわち失敗から出発して
  真の偉大さに到達するための
  勇気とねばりを持っていた。


   (W.バークレー著
    『聖書註解シリーズ6 ヨハネ福音書(下)』
              ヨルダン社 1968年より)


嘲笑と恥に埋もれて、
官憲からも追われて、
そして何よりも
師を裏切り見殺しにした自分自身を
ペテロはどう思っていただろう。
どれ程の失意と自己嫌悪の中にいただろう。ペテロ。


そのペテロが
このペテロ書簡を残すまでに
どんな劇的な変化が
ペテロの心の中に起こったのだろう。
ペテロはこの手紙を書き送り、
迫害の中で誕生したばかりの初代教会を
励まし、育てた。


もしイエス・キリストの復活がなかったら、
もしイエス・キリストの復活が
単なる誰かの捏造だったら
人々から軽蔑され自己嫌悪のどん底にいたペテロは
こんな手紙を書き残す事が出来ただろうか。


迫害に耐えて殉教するまで宣教し、
多くの信仰者を励まし続けたこのペテロの手紙は、
復活の事実がなければ
危険を冒してまでこんな手紙を書く動機すらない。
イエス・キリストが現実に甦られた事実、
ペテロが甦られたイエスに会って、
裏切者の自分を許して頂いた事実、
聖霊を送られた事実。


もしイエス・キリストの復活が事実でなかったら
弾圧と嘲笑と自己嫌悪のどん底から
ペテロはどうやって這い出せたのか。
ペテロが自分の保身に都合のいい復活の夢物語を
でっち上げてまことしやかに語ったとしても
一体誰が耳を貸しただろう。
捏造した夢のために危険を冒して各地を宣教して歩き、
殉教まで出来るものだろうか。
自分で自分を騙している者のでっち上げた夢物語が
人の心を打つ事が出来るだろうか。


復活が事実でなかったとしたら
ペテロが挫折した信仰者の立場から
この手紙を書くに至るまでの
心理的変化が
何もかも不自然で矛盾だらけになる。


私は信じがたい復活の奇跡はあっさり信じた。
子供だったからだろうか。
そうではない。
復活を捏造された夢物語と否定した場合に生じてくる、
ペテロの不自然な心理変化と矛盾の方に
私は目をつぶる事が出来ない。
復活は捏造された夢ではなく現実であり、
ここに手紙という証拠が残っているのだと
私は確信する。


2000年以上もの時間を経て
私はこのペテロの手紙を読む度に
自分が今ここで、
イエス・キリストの復活の証拠を
物凄い奇跡の証拠を
手にしているのだと思う。


今夜、
牧師先生夫妻とそんな話をした。

委ねきれない心理(ペトロⅠ5;7)

2006-11-17 00:20:43 | ペトロⅠ、Ⅱ
思い煩いは、
何もかも神にお任せしなさい。
神が、あなたがたのことを
心にかけて下さっているからです。(ペトロⅠ5;7)


委ねきれない自分は
手術の時に
全身麻酔で眠ってしまう事を
拒否した自分である。


写真の
1枚目は腹の中の腫瘍。
主治医が撮影したが上手くない。
中から骨の欠片が3、4個と
13.5mの髪の毛が出て来た。
手塚治虫の
『ブラック・ジャック』に登場するピノコは
これの仲間。
いろんな臓器に出来る。
私は腹から摘出したが
友達の娘は口腔内から摘出した。


良性。
どうって事もなく切除したもの。


あまり気持ちの良いものではないが
何故今でも手元にあるかと言うと、
理由は2つある。
捨てそびれてしまったため。
そして
切る側の立場に自分が立った時に
切られる側の心理を忘れないでおこうと思ったため。


これは良性だった。
腫瘍は摘出して中身を病理分析してみないと
良性悪性の判別は出来ない。
万一悪性だった場合の腹腔内精査のための
手術時間の延長を考えて
本来は全身麻酔下に行なうはずの手術だったが
私は麻酔科医に無理を言って
全身麻酔ではなく腰椎麻酔で
手術中は眠らずに覚醒していたいと頼んだ。


私は当時まだ営業職で何の知識もなかった。
何もわからない事に対する恐怖と
外科スタッフに対して


「人が眠っている間に
 こいつら何するか分ったものじゃない」


などと不信を持っていたために
手術中に自分が眠ってしまうなど
受け入れる事が出来なかった。
それで
術前の麻酔科オリエンテーションの時に
麻酔科医に相談してみた。


「あのー
 手術中眠らずに
 起きている訳にはいかないでしょうか?」


「あなたのように言って来る患者さんも
 多くはないけどよくいらっしゃいますよ。
 開腹している光景を
 その最中に自分で見る事は出来ないけど、
 麻酔の方法は出来るだけご希望通りにします。」


麻酔科医は快く承諾してくれた。
今考えると、
麻酔科医にとっては
すっごく麻酔管理が面倒で難しいのだ。
一定の期間手術場で働いて
見ていた今だから言えるが、
意識下でする手術は麻酔管理が難しい。
患者さんが手術中に覚醒してると
不安や緊張から
途中で気分悪くなったりする可能性が高くて
手術が中断したり予想外のトラブルが起き易い。
突然血圧がドンと落ちたり
心拍がビョ~ンと延びたりする事もある。
よく希望を聞いてくれたものだ。


私はそんな事情も知らずに
「手術中は眠りたくない」などと頼んで
手術中はシャッキリ覚醒していた。
術者の様子を観察し、
間接介助の看護師や麻酔科医にあれこれと質問して、
ひとつひとつ説明を受けながら手術を受けた。


「今、切って開いてます。
 気分大丈夫ですか?」


とか


「今、中を見ていますが、
 目で見ても良性の腫瘍ですよ。
 見ますか?
 これは念のため病理検査に出しますね。」


とか。


知らないと
そういう無謀な事もする。
知らないという事は恐ろしい。
今自分が何をされているのか
分らない事だけが不満だった。


やだなーこんな患者。
扱い難かっただろうな。


人それぞれ
何に恐怖を感じるかは違っているが、
患者さん達を見ていると、
殆どの人が
意識下での手術は恐怖だと言う。
私の場合、
手術中に何をされているかわからない、
見えない事の方に不信と不安があった。


安心して委ねる事の出来ない心理は
まさにこれ。

警告(ペトロⅠ3;14~16)

2006-09-15 03:25:48 | ペトロⅠ、Ⅱ
聖書の読み方について、恐怖を感じた事がある。
私が今の教会に移って来て間もない頃、
当時の教会のあり方も牧師も教会員もことごとく批判し
裁こうとする人がいた。
その人は理想の教会を求めて
私達の教会を去ろうとしていた。
牧師も教会員も随分苦しみ悩んだ。
その人は教会に来たばかりの私に電話で訴えた。
「牧師先生は説教の時に私をみことばで攻撃する。」


その人は元々別の教派の教会にいた。
洗礼を受けた母教会を出て
自分の理想に叶う教会を探し求め、別の教会に移った。
しかし人間不信に陥るほどの酷い讒言と裏切りを体験して
その教会からも立ち去った。
しばらくは日曜日ごとに
他の都市や地方の教会を彷徨っていたが、
私達の教会に移って来た。
牧師先生はその人に言った。


「元いた教会の人々とまず和解して、
 それからうちの教会に来て下さい」


牧師に言われた通り、
その人は元いた教会の人々と握手してから
うちの教会に移って来た。


その人は熱心な祈りの人だ。
祈った事は必ず叶えられると
確信する熱意を以て祈っていた。
脳梗塞で入院中だった私の父のためにも祈ってくれた。
私はその人の祈りにどれだけ励まされたかわからない。
その人は聖書に忠実であろうとする人だった。
熱心に聖書を読み、
何か自分の意見を言う時には
必ず聖句を引用した上で話した。
聖書の教えから少しでも逸脱する事を恐れ忌み嫌った。
理想の教会を実現するために、
聖書に忠実であろうとして一生懸命だった。


しかし私がここに移って来た頃、
その人は洗礼を受けた教会や前にいた教会への恨みを
また再燃させていた。
私はその人の考える事が理解出来ず、
不思議で仕方がなかった。
母教会を出てあちこちの教派の教会を転々として
悩み苦しんだ末、
最後に受け入れてくれた牧師を
今になって排斥しようとするのは何故か?
メノナイトという教派の特色そのものや
メノナイト同士の関わりを今になって否定するのは何故か?
その人にとって私達メノナイトは
そんなにダメなキリスト者か?
ではその人が洗礼を受けた教派の教会と
和解しないのは何故か?


その人と教会との間をとりなす事が出来ないかと思って、
牧師も教会員達も何とか意志の疎通を試みていた。
私自身も電話で何度か話した。
その人自身も言っていた。


「私はこの教会で躓いたら
 もう他に行く事の出来る教会がない。」


しかし言葉でそう言いながら
発散する方法が他に見つからないのか、
話せば話すほど牧師にも不甲斐ない教会員達にも
恨みはエスカレートし興奮した。
その人は牧師に対して、教会員達に対して、
何らかの被害者意識を持っていた。
しかし被害者意識の根拠になるほどの具体的な危害を、
牧師も教会員達の誰もその人に加えてはいない。
循環するかのごとく同じ恨みつらみの話を
何度も繰り返すうちに、
その人の被害者意識は膨れ上がって
妄想の域に達してきていた。
これ以上の深入りは危険だと私は思った。
ここから先は精神神経科カウンセラーの領域だと。
その人はしきりに私に訴えた。


「牧師先生はいつも説教の時に
 私をみことばで攻撃する。」


私は一笑して取り合わなかった。
何と馬鹿げた幼稚な中傷。
説教の最中に聖句を使って
特定の人間を傷つける事など可能か?
牧師は断じてそんな人ではない。
そもそも聖句はそんなものではない。
福音だ。命の言葉だ。魂の糧だ。
そんな邪悪な動機で
誰かを傷つけようとして聖句を使ったとしても、
相手の方は自分が攻撃された事にさえ気づかないだろう。
いつの礼拝の、説教のどこが?聖書のどこの何章何節?
私は思わずその人に突っ込んだ。
しかしその聖書の箇所を聞いて、
私は言葉がそれ以上出て来なかった。
考えすぎだよと言って電話を切った。
これ以上その人と関わってはならないと思った。
その人の言った事は妄想ではなかった。
その人自身にとって本当の事なのだと直感した。
本人の言う通り、その人は誰かから責められていた。
しかしそれは牧師ではない。
その人が相手にしているのは
牧師でも教会員の誰かでもない、
誰でもない事に本人はまだ気づいていなかった。
誰であろうと立ち入れない、
その人自身にとって現実の事だった。


その人がしきりに繰り返す
「牧師先生はいつも私達をみことばで攻撃する。」
という言葉の意味は何か。
家庭集会の時もそうだったと
その人の言う聖書の箇所のひとつを確かめ、開いてみた。


当時、集会の会場は各家庭で持ち回りだったが
聖書は前回の続きから読むので、
牧師が特別にその箇所を選んで指定する訳ではなかった。
その日どこの家庭で聖書のどこを読むかなど、
誰かが決める訳でもない。
ただ前回読んだ続きを読むだけだ。
それでもその人は
牧師が聖句を使って自分達を攻撃すると
電話口で言い張った。
聖書の箇所はⅠペテロ3;14~16だった。


 いや、
 たとい義のために苦しむことがあるにしても、
 それは幸いなことです。
 彼らの脅かしを恐れたり、
 それによって心を動揺させたりしてはいけません。
 むしろ、心の中でキリストを主としてあがめなさい。
 そして、
 あなたがたのうちにある希望について
 説明を求める人には
 いつでも弁明できる用意をしていなさい。
 ただし、優しく、慎み恐れて、
 また、正しい良心をもって弁明しなさい。
 そうすれば、
 キリストにあるあなたがたの正しい生き方を
 ののしる人たちが、
 あなたがたをそしったことで恥じ入るでしょう。
          (Ⅰペテロ3;14~16 新改訳)


この箇所は
使徒ペテロから私達キリスト者への激励の言葉だ。
「世間でキリスト者だという理由で中傷され
 陰口されたからといって動揺するな、
 キリストがついてるからめげるな、
 いつか皆わかってくれる、だからがんばれ!」


どう読んでも私には
ペテロがそう言っているとしか思えない。
日常の職場や家庭で
この箇所のペテロの激励を受けて励まされた人が
どれだけたくさんいる事だろう。
その場にいた誰もが
ペテロからの激励を受け取ることができたはずだ。
この聖句で人を励ましこそすれ、
どうやって傷つけるというのだ。
牧師だろうと何者だろうと、
一体誰にそんなことができるというのだ。
一笑した私にその人は言い張った。


「あなたまでそんな事を言うの?
 でも本当の事!牧師先生はあのみことばで
 私に恥じ入れと言っている!」


この箇所を読んで恥じ入れと自分が言われたと
解釈する人の心理を考える。
ペテロのこの言葉を「自分に対する牧師からの攻撃」と
思い込んで牧師を憎悪する心理に、背筋が寒くなった。
その人は意図しているのかしていないのか、
自分から認めたのだ。
自分がキリスト者を罵ったと。
そして警告を受けたと。
その警告がどこから自分に向けられているか気づく事が
出来なかったのだ。
こんなに直接的な方法で、
その場に集まった何人かの者のうち
本人だけにしかわからない形で警告が与えられたのだ。
その人が憎悪をぶつけていた相手は牧師でも誰でもない。
その人は自分が誰を相手に憎悪をぶつけているか
気づいていなかった。
きっと苦しかっただろう。
あんなにキリストに向かってひたむきでありながら、
あんなに一生懸命聖書を学び熱意をもって祈りながら、
どんなに孤独だった事だろう。


その人は牧師を厳しく批判する一方で、
人一倍牧師を慕って頼りにしていた。
教会にいながら孤独の真っ只中にいたと思う。
誰であろうと立ち入れない、
その人と神だけの領域で
何かが起こっているに違いなかった。


その人は元々内臓に病気を抱えていた。
長年の病気と悩みのために、
その人は私達の教会の中の誰よりも
助けを必要としていたと思う。
電話でのやりとりの後、その人は入院した。
私が見舞いに行くと、
牧師が訪れて祈ってくれたと、
その人は子供のように目を輝かせて私に話してくれた。
夜間急に具合が悪くなって入院した時、
その人は誰よりも牧師に来て欲しいと思ったという。
そして遅い時間も構わず病院に駆けつけてくれた牧師が
暗い廊下で一緒に祈り、ずっと傍についていてくれた時、
自分達の教会に牧師が与えられている事を切実に有難いと、
身にしみて有難いと思ったと話していた。


神のなさる事は不思議だ。
不信と憎悪で修復不可能に見えたつながりも、
一瞬にして祝福に変えられてしまった。
しかしそれでも時間が経つとその人は教会を去った。
理想の教会を探して。
その人にとって真の居場所が与えられる事を
祈らずにいられない。
聖霊はすぐそばにいる。
こんなにはっきりと直接的な方法で
警告が与えられる事も現実にあると教えられた。

牧者の背中(ペトロⅠ1;8)

2006-07-02 16:56:26 | ペトロⅠ、Ⅱ
あなたがたは
イエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、
いまは見ていないけれども信じており、
ことばに尽くすことのできない、
栄えに満ちた喜びにおどっています。(ペテロの手紙Ⅰ1;8)


学生の時に使っていた口語訳聖書の、
新約の文頭に書き込みがある。
初めて集会に参加した日付、参加者、場所。
「1983.福住センター、クリスマス集会」。
聖書を読み、賛美歌を歌い、四方山話を語って夜が更けた。
私は教授や友達にくっついて
何となく参加した客の一人だった。
勿論信仰告白とか洗礼とかいえる段階ではない。
そんな集会に出席したのは
集まったキリスト教徒達が
何と告白して洗礼を受けたかに興味があったからだ。
しかし話は脱線に脱線を重ねて迷走した。
酒も入らないのに
誰もが酔っ払っているようにしか見えなかった。
話題は尽きない。社会学的話題あり、神学的話題あり…。
結局一番関心のある信仰告白の話は出て来ず、失望した。
その時参加者の一人であったKさんの自宅でも
家庭集会が行われていた。
後日私はそこに招かれて定着し、
洗礼を受けるまでの約7年間つながっていた。


Kさんの家庭集会で信仰歴長いTさんから話を聞いた。
その時初めて一番聞きたい話を聞く事ができた。
私が生まれる前の昭和30年代の話。
Tさんは長い闘病生活に疲れ果てていた時に、
一人の伝道者から聖書を贈られた。
Tさんは内臓があちこち故障していた。
私に話を聞かせてくれた時もまだ背骨の痛みに悩んでいた。
「なんぼ祈ったってよくならねぇ、
おらぁ、こんなものでたらめだと言って、
貰った聖書をぶん投げたさ。」
慰問で贈られた聖書をぶん投げた。
当のその人物が私の目の前で熱心に祈り、
真剣に聖書を朗読している。
不思議な光景だと思った。


家庭集会の主催者Kさんの思い出話は笑いが絶えず、
同時に印象深い。
昭和10年頃、第二次世界大戦の時代の話だが、
両親がプロテスタントの教会員だったKさんは、
いわゆるクリスチャンホームに育った。
「私が子供の頃は日曜日になると、
遊んでる友達を横目に嫌々日曜学校に行ったよ。
みんな公園で遊んでるのに、
何で私だけ教会なんか行かなきゃならないのか
恨めしかったねぇ。
教会バザーも、婦人会のおばさん達が口うるさくてねぇ。
大っ嫌いだったよ。
クッキーの並べ方がキレイじゃないとかいちいち細かくて。」


「宣教師の子供達なんて小さかったからね、やんちゃで。
礼拝の最中なんて大騒ぎして走り回るから、
悪さするたんびに宣教師達が走って捕まえて横抱きにして、
皆の前でお尻ビシビシ。笑ったねぇ。」


「私は学校ではいじめっ子だったよ。
学校で友達と喧嘩して、
相手の家まで走って追っかけて行ったら
中から婆ちゃんが出て来て
ミガキニシンでばしっと頭を叩かれてね、
家に帰って知らんふりしてたけど、
結局兄さん達にばれたね。
頭くさい頭くさいって言われて。
でも婆ちゃんが怒って飛び出して来るのが面白くて、
またその子をいじめたね。」


「あにい」と呼ばれる知的障害のある男が近所にいたという。
「あにいの名前は、何だったか誰も知らない。
ただ何となく皆があにいあにいって呼んでた。
あにいは縄が好きだったのかね。
何でかわかんないけどいつも身体中に縄を巻きつけて、
公園や空き地に突然現れるんだよ。
いきなりやって来て何が何だかわからない演説を始めてね。
楽しみも何もない時だったから、皆集まったよ。
あにいは人気者だった。
時々誰も知らない間に人の家に入り込んでて、
朝になると物置の石炭箱の中で寝てたよ。
うちの両親はわざわざ物置に食べ物を置いてた。
あにいが何時ふらっと腹を空かせてやって来ても、
自由に食べられるようにしてた。」


その当時の教会の牧師さんの人柄についてKさんは語った。
「ある時教会の子供達に酔っ払いが乱暴働いたことがあった。
ヤソとか国賊とか罵ってからんできて、
子供達に手をあげたんだよ。
酔っ払ってるんだけど強暴で、怖かったよ。
縮み上がっちゃって動けないの。皆。
うんと小さい子もいたし、危なかった。
牧師さんはいつもはすっごく優しくて、にこにこしてて、
物静かーな人なんだけどね。
いきなり凄い大きな声で、早く逃げなさい!って叫んで、
びっくりしたよー。
だって牧師さん、竹箒一本持って
その暴れてる酔っ払いに
一人で立ち向かって行ったんだもの。」


「いつだったか、教会で幼い女の子が亡くなった事があった。
小さい可愛い子でね。病気だったんだね。
お葬式の日は猛吹雪だった。
皆で小さい柩を墓地の火葬場に運ぼうとしたけど、
道の途中で風と雪がひどくて。
目も開いていられないほどの吹雪で、
前も後ろも見えないし、方角もわからなくなってくるし、
皆で立ち往生してしまった。
困った、どうしよう、もうダメだ、引き返そうかって、
皆が口々に言い始めた。そしたら、
大丈夫です。さあ、行きましょうって、
牧師さんが自分の肩に小さな柩を肩にひょいと担いで、
皆の先頭に立って、風に逆らって黙々と歩き始めたの。
その牧師さんの後ろ姿を見てたら私、じーんとしちゃって。
何とも言えなかったね。
すぐに洗礼を受けたいってお願いしたよ。」


決心は揺るがず、Kさんは信仰告白して洗礼を受けた。
Kさんは笑って言った。
「私はおセンチな娘だったからね。」
私は笑わなかった。
Kさんの「じーん」に共感したからだ。
何と表現すべきだろう。
私はその牧師さんに会いたいと思った。
今はもうこの世にいないその牧師さんの背中に
イエス・キリストの後ろ姿を見たような気がした。
半世紀以上もの時間を超え、
当時まだ19歳だったKさんの目を通して。