後期シルバーの戯言

一寸した日常生活・身辺雑記と旅日記

秩父札所34観音巡りー1回目

2014年05月28日 | 神社・仏閣巡り

昨年の信濃33番札所巡りは、社長自ら先達を務める巡礼専門の観光会社「はと観光」で巡拝したが、当然ながら秩父34観音巡りも「はと観光」に企画があった。又、何時も利用している観光会社「ちょこTrip」にも企画があった。多分今年は秩父34観音すべての霊場が午年御開帳とあって企画したのだろう。今回は地元の秩父先達会の先達人の案内があるという「ちょこTrip」にした。

観音霊場の中で秩父34観音は西国33観音、坂東33観音と共に日本百番観音と称され、百観音にするため秩父の札所に1霊場を追加34観音としたいう。御開帳は秩父札所34ヶ所の本尊が、普段、秘仏として扉が閉じられており、観音様の御眷属の馬にちなみ、昔から12年に1度の午年に扉を開いていた。

 秩父34観音霊場
           1 番四萬部寺  2番真福寺  3番常泉寺  4番金昌寺  5番語歌堂  6番卜雲寺  7番法長寺     8番西善寺     9番明智寺  10番大慈寺  
       11番常楽寺  12番野坂寺 13番慈願寺 14番今宮坊 15番少林寺 16番西光寺 17番定林寺 18番神門寺 19番龍石寺  20番岩之上堂
  21番観音寺  22番童子堂 23番音楽寺 24番法泉寺 25番久昌寺 26番円融寺 27番大淵寺 28番橋立堂 29番長泉院  30番法雲寺
  31番観音院 32番法性寺  33番菊水寺 34番水潜寺

第1回は1番から10番まで10カ所の札所を先達の案内で1番ー3番―10番ー9番ー昼食―9番ー8番―7番―6番―5番―4番ー2番の順序でまわった。秩父札所の先達を検索したら、秩父札所連合会があって、連合会には秩父先達会・霊場案内人会・札所温もり案内人があった。今回の先達は秩父先達会で、案内人の苗字がなんと「秩父」だった。信濃33札所巡りには先達の組織はなかった。
秩父34観音霊場は殆どが秩父市・横瀬町内に存在しており、これ程一か所に纏まっている札所は珍しいと思うのだが?。
秘仏の御開帳なので、すべての霊場とも厨子内は勿論堂内も撮影禁止で、写真に残せなのは残念だが致し方ない。観音像の右手から5色手綱で堂外の回向柱に
結ばれている。

10時半頃、秩父菓子処「栗介」(秩父市黒谷 和銅鋼泉旅館経営)駐車場で先達さんが乗車し、10分程で1番札所札所に到着。以下10番札所まで1っか所およそ30分程かけて巡拝した。

*1番 誦経山四満部寺 本尊;聖観世音菩薩 宗派;曹洞宗
 所在地;秩父市
    50cm 程の美しいふっくらとした一本造り江戸時代の観音菩薩像で行基作といわれている。観音
堂の欄間には地獄の図、極楽の図
    が彫刻されていた。昭和33年3月県指定文化財になっている。境内に建つ施餓鬼堂では毎年八月二十四日、「四萬部寺の大施餓鬼
    会」が行われているそうだ。

   
      
       四満部寺入口と千達の秩父さん                 観音堂と回向柱

                                       
                           四満部寺山門                   施餓鬼堂  中に八角輪蔵がある

3番 岩本山常泉寺 本尊;聖観世音菩薩 宗派;曹洞宗 所在地;秩父市
           明治三年、秩父神社にあった薬師堂を移築したもので、一番四萬部寺の観音堂を作った秩父の名匠、藤田徳左衛門吉久の造営と伝わ
   っている。本尊は聖観世音、立像一木造り、高さ約97センチメートル、室町時代の作であるという。札所の周囲には、長命水の
   井戸、眼病を祈る不瞳の石、子持ち石などの伝説がある。
                                                                                                            
       

      市指定史跡札所三番 岩本山常泉寺 秩父のアジサイ寺
要約;この札所は三間四面、表に一間の大唐は破風の向拝をふし、建築彫刻として繊細をきわめています。特に竜の彫刻をほどこした向拝の海老虹梁のかごぼりの細工は実に見事です。彫士は飯田和泉と云われるもので明治三年、秩父神社の薬師堂を移築したもので
江戸後期の建築物であります。(以下本尊やこの堂にまつわる伝説が記されている)
                                                  昭和40年1月25日秩父市教育委員会指定

        常泉寺本堂

       
         観音堂                        伝説の子持ち石

*10番 満松山大慈寺 本尊;聖観世音菩薩 宗派;曹洞宗
                  室町中期に東雄禅師が再建し開山したという。本堂は玄関風の向拝、奥中央が内陣で配し江戸時代の建築であるそうだ。山門には
     左右に仁王尊を安置されている。この寺には本尊の外多くの仏像があり、特に子育て観音(金銅仏)は庶民的に親しみ
のもてる
     仏像で素朴な彫刻に特徴があるという
。他に地蔵菩薩の寄木造り十一面観音等が安置されている。

          
          山門へと続く参道                       本  堂

         
          山門(仁王門)奥に本堂                  玄関風の向拝

      
*9番 明星山明智寺 本尊;如意輪観世音菩薩 宗派;臨済宗南禅寺派
              明智寺は、1191年明智禅師の開創と伝えられ観音堂は明治16年焼失したという。現在の建物は民家風の観音堂で右手納経所、左に
    庫裡が、ある。またこの寺は安産子育ての観音として有名であり、1月16日の縁日には各地より女性参詣者で賑わうという。
    観音堂の境内には室町時代のものと思われる三基の青石板碑や、その昔女性の願いを納めたと云うふみ塚があるそうだ。
    
山門もなく開けっ広げの境内に、柱や扉の朱色と白壁の観音堂が建っている。観音堂は二間六面の六角堂形式である。 平成2年
   (前回の丑年開帳)に再建された六角堂である。住職はおらず近隣の人がお堂のお世話をしており、安産・子育て、眼病治癒の
    観音様であるという。

   町指定文化財 昭和48年1月31日指定
 秩父観音霊場札所九番 明智寺  横瀬町教育委員会   本尊 如意輪観音
 要約;建久2年(1191)明智禅師の開祖。3間5尺4面で建立、明治16年(1833)
    落雷により焼失した。その後長く民家風の仮堂であったが、平成2年現在の観音
    堂が再建された。安産子育ての観音として知られており、1月16日縁日には
    各地より女性参詣者で賑わう。境内には室町時代の板石塔婆3基や、女性の願い
    を納めたという石碑「文塚」がある。

    六角の観音堂

*8番 清泰山西善寺 本尊;十一面観世音菩薩 宗派;臨済宗南禅寺派
    境内の庭いっぱいに枝を張った1本の巨木がある。樹齢約600年の「コミネモミジ」の巨木で東西に20m、南北に18m
も枝を張り,
              
樹高が1mあるという。西善寺は「ボケ封じ延命長寿の寺」「嫁・姑円満成就の寺」といわれているそうだ。西方浄土の阿弥陀三尊
    を祀るかららしく、三尊のご利益により、この世を去るときは安楽往生できるということのようだ。毎月15日には「ボケ封じ長寿祈
    願会」も行われているという。本堂は軒唐破風の向拝をもっており、外陣は土間になってい。 

    
       
              西善寺山門                       本堂                       

       
          本   堂                   樹齢約600,年の「コミネモミジ」

*6番 向陽山卜善寺 本尊;聖観世音菩薩 宗派;聖観世音菩薩
    卜雲寺の寺宝として清涼寺式釈迦像、縁起絵巻があり、観音堂は明治9年の火災で全焼現在の建物はその後のものであるという。
    「卜雲寺」という珍しい寺名は、この寺の開基とされる嶋田与左衛門の法号が「卜運源心庵主」である事が由来らしい。

      
      卜善寺観音堂            境内の聖観音石仏像;行基策と伝えられ古くは武甲山頂の蔵王権現社に祀られていた。
   

*7番 青苔山法長寺 本尊;十一面観世音菩薩 宗派;曹洞宗
             法長寺の観音堂を、別名牛伏堂(うしぶしどう)と呼ばれており、牛伏堂はもと根古屋(牛伏)にあったが江戸時代札所再編の折、
     法長寺に移されたという。本堂は平賀源内の原図によって建てられたと伝えられ、間口10間奥行き9間瓦葺入母屋造りで札所一の大き
    な建物だという。 内陣のまわりには極彩色の彫刻欄間、格天井には花鳥が画かれている。観音堂は別棟にあったが天明2年(1782)
     焼失し、
それ以来観音像は堂内には安置されている。

        

  山門;   山門に「不許葷酒入山門」の石柱が立っている。酒は心を乱すので、
    
清浄な寺内に入ることは許されないという意味の石塔である。
       










             
   本堂;江戸の科学者平賀源内の設計によるものと              庭    園  
       伝えられ、秩父札所の中で一番大きい建物である。         
       
   
*5番 小川山語歌堂 本尊;
胝観世音菩薩 宗派;臨済宗南禅寺
    本間孫八という人が、慈覚大師の作と伝えられる准胝観世音菩薩を安置するために観音堂を建立したと云われている。
              「語歌堂」の名は、本間孫八が、一人の旅僧と和歌の奥義を談じ合ったとき、本間孫八は、旅僧が観音の化身であったと悟り、
               旅僧が訪れた堂を歌を語る堂(語歌堂)と名づけ、准胝観音を安置したと云われている。

          
           語 歌 堂                       山    門

*4番 高谷山金昌寺 本尊;十一面観世音菩薩 宗派;曹洞宗
    県指定民俗資料石仏群のある寺として知られ、本堂は、三間四面、様式は唐風の江戸中期の建築であるという。本尊は、十一面観世
    音立像で、像高107センチメートル、室町時代、行基菩薩の作といわれている。大きな草鞋(わらじ)がかかった朱塗りの山門を
    くぐると、境内の斜面は1300体余りの石仏で埋め尽くされている。

        
         観 音 堂              石仏;
石仏の寺として有名である。1300余体あるという。

       
       山門;大草鞋がかかっている                参道のつつじ

*2番 大棚山真福寺 本尊;聖観世音菩薩 宗派;曹洞宗
    真福寺は、無住で標高665mの高篠山の中腹、約300mの高所に建っており、今回の札所巡りでは麓の納経所の光明寺の参拝で
    すました。
長享二年の秩父札所番付には、真福寺は入っていなかったが、その後、西国・坂東・秩父で合計百ヵ寺とする際に加え
    られたという。

    
           光明寺本堂

    


        



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