後期シルバーの戯言

一寸した日常生活・身辺雑記と旅日記

善光寺・戸隠神社参詣

2017年08月22日 | 神社・仏閣巡り

 8月11日帰省していた次女と善光寺&戸隠神社の参詣に行って来た。善光寺は年2~3回は参詣しているが、戸隠は拾数年ぶりである。

*善光寺
  国の重要文化財である「経蔵」が,綺麗な新しいの檜皮葺屋根を見せていた。未だ経蔵の内部は公開していなかった。善光寺のHPによれば、平成26年に始まった
  保存修理工事が今年6月1日着工時取り外していた「火焔宝珠」を、屋根の葺き替え完了に伴い経蔵最上部である元の位置に戻す作業を行ったという。
  8月中には工事完了、9月中旬より約9年ぶりに経蔵拝観再開の予定だそうだ。

  経蔵は宝暦5年(1755)に造り始め、同9年(1757)に完成した歴史ある建物であり、宝形造りで正面、奥行きともに15.4メートルの正方形の建物である。
  内部は石敷きで、中央に八角の輪蔵があります。輪蔵は、水平に柱が角のように出ていて、押すと心棒をめぐって独楽(こま)のようにくるくる回転するようになっている。
  輪蔵の中には、鉄眼黄檗版一切経(6771巻)が収められているという。

    経蔵の南にある 大観進護摩堂入口から山門に向かう通路の右側にある「仏足跡」・「石造宝篋印塔」は、何時も気にかけず通り過ぎていたが、今回は立ち止まり参拝した。

 ☆  経 蔵

     

     火焔宝珠の詳細は2016年9月20日のブログ「善光寺経蔵と濡れ仏&6地蔵」に記載。
 
仏   足    跡              

          
   仏足跡(仏足石)お釈迦様の足跡を医師に
   刻んだものです。古代インドで仏像が造られる
   ようになる前から、お釈迦様を表す象徴として
   礼拝の対象とされてきました.

 
           
 ☆ 石造宝篋印塔    

      石造宝篋印塔(伝 佐藤兄弟供養塔)
                            長野市指定文化財
      この地方で最古の逆修供養塔です。西塔には応永四年(1397年)の銘が入っています。古くから、源義経の忠臣
  佐藤継信・忠信兄弟の供養塔といわれ、若くして戦士した二人を供養するため、母親の梅唇尼が善光寺に産経参詣して
  建てたと伝えられています。
            


            

*戸隠
   久しぶりの戸隠だが「山の日」の祝日で3連休、観光客とお盆の帰省者で賑わっており、戸隠神社中社付近はどこも駐車場が満車、参詣は諦め奥社に向かう。奥社の駐車場は
 満車だったが、奥社入口横の「竹細工センター」の駐車場に駐車できた。標高1,000mを超えで高原で気温も低く参道は木陰で一層爽快である。
 参道は2Km程で中間の随神門からは樹齢400年の見事な杉並木が続く。途中から奥社まで凡そ500m程は急な登り坂の階段である。奥社は大変な参拝者で列をなしていた。

戸隠神社のHPによれば
  戸隠神社は霊山・戸隠山の麓に、奥社・中社・宝光社・九頭龍社・火之御子社の五社からなる、創建以来二千年余りに及ぶ歴史を刻む神社である。平安時代末は修験道の
  道場として都にまで知られた霊場でした。神仏混淆のころは戸隠山顕光寺と称し、当時は「戸隠十三谷三千坊」と呼ばれ、比叡山、高野山と共に「三千坊三山」と
  言われるほどに栄えた。
  明治になって戸隠は神仏分離の対象になり、寺は切り離され、宗僧は還俗して神官となり、戸隠神社と名前を変えて現在に至っている。
   奥社
    祭神:天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)
    由緒・日本神話にある、天照大神が天の岩屋にお隠れになった時、無双の神力をもって、天の岩戸をお開きになった天手力雄命を戸隠山の麓に奉斎した事に始まります。
   中社
    祭神:天八意思兼命(あめのやごころおもいかねのみこと)
    由緒:素戔嗚尊の度重なる非行に天照大神が天岩戸にお隠れになった時、岩戸神楽(太々神楽)を創案し、岩戸を開くきっかけを作ったという神です。
   宝光社
    祭神:天表春命(あめのうわはるのみこと)
    由緒:杉の古木の中、270余段の石段を登ると神仏習合時代の面影を残す荘厳な社殿があり、その荘厳さは多くの信者の尊信を集めております。
       祭神は中社祭神の御子神様で、開拓学問技芸裁縫の神・安産の神・女性や子供の守り神として御神徳があります。
   九頭龍社
    祭神:九頭龍大神(くずりゅうのおおかみ)
    由緒:鎮座の年月不明ですが、天手力雄命が奉斎される以前に地主神として奉斎され、心願成就の御神徳高く特別なる信仰を集め、また古来より水の神、雨乞いの神、
       虫歯の神、縁結の神として尊信されています。
   火之御子社
    祭神:天鈿女命(あめのうずめのみこと)
    由緒:承徳二年(1098)頃の創建で、岩戸の前で舞われた天鈿女命が主祭神で他に三柱の神様をお祀り申し上げております。

今回は混雑や時間のこともあって奥社・九頭龍社の参詣にとどめ帰宅した。「火之御子社」は未だ参詣したことがないので何時か訪れたいと思っている。

        
          参 道 入 口                               参   道                          随神門(屋根に草が生い茂っている) 

   長野県天然記念物
       戸隠神社奥社社殿社叢 (昭和48年3月12日指定)
  慶長17年(1612)に幕府より千石の朱印地拝領した戸隠神社は、奥社を中心に忘を集め、参道には植樹して過ぎ並木を
 つくり一山の威容を整えた。随神門から500mにわたって、当時二植えられた約200本程のクマスギ之並木が続いている。
 また、周囲の森林(約51ヘクタール)を社叢として伐採を禁じたため、イチイなどの針葉樹やブナを交えた水ならハルニエ
 などを中心とする原始林的社叢として保存されてきた。さらに、日本海側の珍しい植物や南方系の両生類なども見られる。
 樹林に繁殖する小鳥もキビタキをはじめ約80種類を数え、日本有数の小鳥の繁殖地となったいる。                  
                                長野県教育委員会・長野市教育委員会
 杉並木の参道(随神門の先が杉並木)

 

        
       階段の参道(杉並木に続いて奥社まで)                     奥   社                         九頭龍社(奥社の隣にある)

 

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