後期シルバーの戯言

一寸した日常生活・身辺雑記と旅日記

信玄の里&神代桜・真原桜並木

2018年04月19日 | 日帰りツアー名勝巡り

4月9日日帰りツアーで信玄の里・山高神代桜・真原桜並木へ行って来た。

  行程: 長野駅――ー信玄の里ーーー信玄館(昼食)ーーーモンデ酒造見学ーーー真原桜並木ーーー実相寺(山高神代桜)

企画は大阪の(株)STEPトラベル、バスは高山村の「わらび野観光バス会社、バスガイドは「バスガイド派遣会社」のガイドだった。バスガイドの派遣会社があるとは全く知らず、認識不足で驚いた。ある会社の特別企画なので全員が長野駅で乗車、一路山梨県に向かい9時過ぎ石和町の「信玄の里」に到着した。到着して以前訪れるたことを思い出した。宝石庭園であった。

*信玄の里―宝石庭園
   宝石で埋め尽くされた日本庭園の他、水晶研磨 伝承館があり売店では高価な宝石のネックレス・イヤリングなどが展示展示されていた。
   
  信玄の里のHPによると、「
山梨県北部に位置する御岳昇仙峡の奥地金峰山で水晶の原石が発見されたことが、甲府での水晶細工の起源といわれ、江戸時代に京都より職人が
  呼ばれ金剛砂を用いて鐡板上で水晶を磨く事を伝えたとされている。水晶製品は山梨の特産品として日本中に認知されるようになり、その技術を基にして山梨は日本一の
  宝飾の町に発展した。水晶研磨 伝承館では歴史の一部が紹介されている。」とあった。

 
  
            

        
                                 宝 石 で 埋 め 尽 く さ れ た 日 本 庭 園

* 信玄館
  信玄館は恵林寺の前にある土産品と食堂である。恵林寺に参詣に行く方のマイカーや観光バスの駐車場でもある。恵林寺は既に2回ほど参詣したことがあり、当初ツアーの
  案内では信玄館で昼食とあったが、まさか恵林寺の前の会館とは知らなかった。恵林寺の参詣はツアーのコースに含まれていないので、昼食時間も少なく、昼食後足早に
  恵林寺を参詣した。

  ○恵林寺:山号は乾徳山(けんとくさん)。臨済宗妙心寺派に属する寺院である。本尊は釈迦如来、開祖夢窓疎石で甲斐武田氏の菩提寺として知られる。
       庭園は名勝に指定されている。      

         
             山  門                                 開 山 堂                          禅寺のなかでもめずらしい、日本有数の大庫裡

 *昼食後ワインの製造工程をモンデ酒造で見学、美味しいワインを試飲する。酒好きの私には堪えられない。

見学後真原桜並木・山高時代桜に向かう。
数年前に山高神代桜を身に行ったがその時は桜の開花が遅れており未だ蕾の状態だった。今回申込み時点2月下旬では、今年の桜の開花は相当早いようだった。予想通り 神代桜は
既に散っており、真原桜並木も満開の峠は過ぎていた。真原桜並木は初めてだったので楽しめた。

*真原桜並木
 真岡の桜並木は今まで知らなかった。今回初めてである。武川町の眞原(さねはら)地区に広がる牧草地の道路脇の桜並木で、約750mもの桜のトンネルが伸びているという。
 
昭和20年代に入植してきた人達が土地の発展を願い、昭和40年代にソメイヨシノを植樹したのが始まりだそうだ。 

        


        

 *山高神代桜
  山高神代桜(じんだいざくら)は武川町の実相寺境内にそびえる、福島県の三春滝桜・ 岐阜県の淡墨桜と並ぶ 日本三大桜の一つです。推定樹齢1,800年とも2,000年とも
  言われるエドヒガンザクラ
樹高10.3m、根元・幹周り11.8mもあり、日本で最古・最大級の巨木として、大正時代に国指定天然記念物第1号となったという。
  また、平成2年には「新日本名木百選」にも選定されているそうだ。

        
        実相寺本堂                                          実 
装 寺 の 黒 松                  

         
 山高神代ザクラ;樹齢2,000年ともいわれるエドヒガン桜の古木;樹高約10m:根元周約11m枝はり東西約17m南北約13m       境内に未だあった花の残った桜

          
      日本の名勝の桜の苗木が移植されている                     左の写真左手前の淡墨桜の小櫻ーーー奥が山高神代桜の小櫻

               
     山形県長井市の久保桜の子桜                  岐阜県高山市の臥竜桜の小桜                福島県三春町の三春の滝桜の小桜     

 


典厩寺の桜

2018年04月07日 | 名勝旧跡巡り

3日発行の ながのライフを楽しむ観光・イベント情報春号 「お出掛け通信ながの」に、典厩寺の桜が載っていた。長野の桜といえば城山公園・松代城跡・光林寺・素桜神社の神代桜・塩生の巡礼桜 は知っていたが、典厩寺の桜は今回のパンフレットで始めて知った。長野市の桜を検索してみたら、他にも 篠ノ井茶臼山の桜並木・大岡の天宗寺の合唱桜・鬼無里高橋のしだれ桜 と知らない桜の名勝があった。長野市に50年近く在住していながら、未だお訪れたことの無い桜の名勝があることに驚いた。

Wikipediaによれば典厩寺は「長野市篠ノ井杵淵にある曹洞宗寺院である。山号は松操山(しょうぞうさん)。川中島の戦いで討ち死にした武田信繁の墓がある。かつては瑠璃光山鶴巣寺と号して薬師如来を本尊としていた。561年(永禄4年)の川中島の戦いで、武田信玄の弟・武田信繁が当地八幡原で討死したことに因み、合戦から60年後、
松代藩主真田信之が信繁の官職「左馬助(さまのすけ)」の唐名「典厩」から寺号を典厩寺と改
めて菩提を弔った」とある。

      
            典厩寺入口                               典厩寺本堂                            武田信繁の墓

       武田典厩信繁 公信玄の実弟)の墓(長野市篠ノ井杵淵)
                                       G
rave of Nobushige Tennkyu Takeda

   武田典厩信繁は、大永5年(1525)、父武田信虎と母大井夫人のあいだに次男として生まれた。 信虎は文武両道に優れる
  信繁に家督を譲ろうと考えていたが、天分10年(1541)、信玄により駿河に追放されると、信繁は武田家副将として、
 信玄の領国支配、軍事行動を補佐した。信繁は嫡男信豊に家臣団の倫理規定ともいえる99ヶ条からなる「武田信繁家訓」を
 与えている。これは江戸時代に武士のこころ構えとして広く読まれていた。 信繁は永禄4年(1561)9月10日の第4回
 川中島合戦で信玄本陣を守り壮絶な死を遂げた。その遺骸は鶴巣寺に埋葬され、典厩塚とよばれた。享年37歳。
 その死は「惜しみても尚惜しむべし」と評され、敵の上杉謙信からも、文武両道に優れた名勝としてその死を惜しまれたと
 いう。 その後、鶴巣寺は真田信之の命により典厩寺と改められた。信繁公の墓碩には「正操院殿鶴山巣月大居士」と刻まれ
 ている。                                           「川中島の戦い」ゆかりの地整備保存会                                                              


*境内の桜 住職によると樹齢200年という