後期シルバーの戯言

一寸した日常生活・身辺雑記と旅日記

大道芸

2019年09月10日 | 演奏会

9月7日長野市中央通り新田町~権藤で大道芸があった。新田町での大道芸を見た。猛暑の炎天下3人で交代午後各々3回の演武だそうだ。
終わると観客が演技者の掲げる袋に投げ銭を入れていた。

  昭和通り交差点トイーゴ前のパフォーマンスエリアの表示
  Eとあるので全部で5カ所か。

    演技者 プーリィ・ウーリィ・カンパニィ(時間の関係で見なかった)
        サンキュウ手塚
        健山

 

 

 

 

      
              変 装 前            同 一 人 物          変 装 後

        
                                                                                   投げ銭を入れている

 


修善寺温泉ツアー

2019年04月04日 | 演奏会

3月24~25日長野トラベルオークツアーで【修善寺温泉「新井旅館」と太宰治ゆかりの安田旅館】へ東京へ嫁いている娘2人を誘い妻と4人で行って来た。

日程
  24日 長野駅ユメリアパーク6:00ーーー長野ICおぎのや長野駐車場6:30ーーー11:40沼津港【昼食」---沼津御用邸記念公園ーーー15:00修善寺温泉「新井旅館」

  25日 修善寺温泉9:30---常連の滝---韮山反射炉ーーー12:40安田屋旅館13;50---伊豆フルーツパークーーー19:55長野駅ユメリアパーク

参加者も少なく私共4名の他女性4名のグループ1組、他夫婦連れ7組計22名であった。
早朝ハイヤー予約満杯で止むを得ず、乗車を長野駅ユメリアパークから長野IC:おぎのや長野店駐車場に変更、マイカーでおぎのや長野店駐車場に行き乗車する。途中更埴・
松本・岡谷でそれぞれの参加者乗車、中央高速道路から川口湖・東富士五湖道路を通り11時過ぎ沼津港に到着する。 

*沼津港
 昼食の時間、添乗員から頂いた、「ぬまづみなとまっぷ」を見ても殆どが海産物がメインの食事処である。かるい昼食と思ったが見当たらない。やむを得ず鮑・ハマグリを
 自分で焼いて食べるお店に入った。焼き方が良く分からないが店員がすべてやってくれた。やはり新鮮の魚介類を焼いて食べるのは美味しい。
 昼食後沼津御用邸記念公園に向かう。

           \
           沼津にむかう東富士五湖道路からの富士山                    沼津魚港 中央奥が水門

*沼津御用邸記念公園
   沼津 御用邸は明治・大正・昭和の3代、77年間にわたり、天皇皇后両陛下や皇族の方々のご利用の機会に恵まれてきたという。
  邸内には「東付属邸・茶室翆松邸」「歴史民俗資料館」「西付属邸」があって今回は「西付属邸」を見学した。
  西付属邸は明治38年、昭和天皇の御用邸として設けられ大正11年現在の形となった。昭和天皇をはじめとする多くの皇族方に愛されてきた木造平屋建の建物は、菊の御紋の
  入った瓦や手ふきの窓ガラス、フィラメント電球などが残されている。中でも手ふきの窓ガラスはまことに珍しかった。
  時間があれば「東付属邸・茶室翆松邸」「歴史民俗資料館」すべてを見学したいところだ。


        
      西 付 属 邸 御 殿                                    皇 太 子 殿 下 御 成 婚 記 念 梅 園 

         
          お  食  堂                              御   座   所                                謁   見   所                           
                                                  

       
      御日拝室&昭和天皇・秩父宮様のご養育記念品               女  官  室
 
14時前御用邸記念公園を出発一路修善寺温泉に向かい14時半到着、15時チェックインまで竹林の小径を散策する。15時過ぎ新井旅館に入る。

*修善寺温泉ー新井旅館
  温泉街の中心に修善寺川(通称:桂川)が流れ、河岸には温泉宿や飲食店が建ち並ぶ。川中の四阿屋には、同温泉地のシンボル的存在の独鈷の湯があり、無料で足湯を
  楽しめる。
至近には地名の由来となった修禅寺があり、多くの観光客が訪れる。この寺では毎年8月20・21日に秋季弘法大師大祭が催され、屋台や打ち上げ花火が催される。
    また、
 遊歩道が整備され「竹林の小径」などが人気のスポットとなっている。
  新井旅館は明治5年に「養気館新井」を開業。旅館名の由来は、この湯は人の気を養う為にに湧く温泉”ということから「創設者相原平右衛門が、修善寺町本立野の新井という
  で、酒造蔵元新井を営んでおり二つの意味が重なって名付けられたという。
  国の登録文化財に指定されている建造物は、、木造3階建2棟・木造2階建6棟・木造平屋建3棟の他鉄筋コンクリート造り4棟計15棟。

           
                                         新      井      旅      館

        
 桂川対岸独鈷の湯公園からの新井旅館(中央の塔が本館)                独鈷の湯(桂川の中にある)                      独鈷の湯公園
 
        
           修   善   寺                        修   善   寺(三門)                            修   善   寺 (本堂)

        
      新井旅館客室からの桂川(川底の石積)               桂川の見事な石積                                竹林の小道

        
                         竹       林       の      小       道

*浄蓮の滝
 25日9時15分新井旅館を出発浄蓮の滝に行く。
 浄蓮の滝は静岡県伊豆市湯ヶ島にある日本の滝百選の一つ、落差は25m、幅は7mで岩盤には柱状節理が見られるというが解らなかった。
 かつて滝の付近に「浄蓮寺」という寺院があったことから「浄蓮の滝」という名称がついたといわれているそうだ。(wikipediaより)

 駐車場から滝まで175段の階段、大変だった、入口から見えたので無理することもなかったか。

        
              浄   蓮   の   滝                                          浄蓮の滝の傍にあるわさび畑

← 浄蓮の滝駐車場にあった、伊豆の踊子の像

 『伊豆の踊子』(いずのおどりこ)は、川端康成短編小説。川端の初期の代表作で、伊豆した19歳の時の実体験を
   元にしている。孤独憂鬱な気分から逃れるため伊豆へ一人旅にた青年が、修善寺湯ヶ島天城を越え,湯ヶ野、  
   下田
に向かう旅芸人一座と道連れとなり、踊子の少女に淡い恋心を抱く旅情と哀歓の物語。孤児根性に歪んでいた 
   青年の自我の悩みや感傷が、素朴で清純無垢な踊子の心によって解きほぐされていく過程と、彼女との悲しい別れまでが
   描かれている。(wikipediaより)

 

 

浄蓮の滝から30分程で韮山反射炉に着いた。

*韮山反射炉
  反射炉とは、熱をアーチ型の天井に反射させて鉄の溶解温度(1700度)を得る構造の鋳造炉である。

  国指定史跡・通商産業省認定近代化産業遺産となっている。幕末、欧米諸国の植民地化や開国要請に対抗して日本(江戸)を守るために韮山代官江川太郎左衛門が幕府に
  進言して築いた大砲鋳造炉だという。説明員によると反射炉で鉄の筒を作り、横を流れている小川の水車で鉄の筒を回転、中をくり抜き砲身を造ったという。
  大砲6門が建造され東京お台場に1門が設置されたという。

 

 

                
                      反 射 炉              韮山代官江川英龍の像                   展示されている模擬大砲(中はくり抜いてない)         

 

←反射炉 炉体断面図 : パンフレットによる反射炉の説明

 内部の天井がドーム状になった炉体部と、煉瓦済みの高い煙突からなる。
 石炭などを燃料として発生させた熱や炎を炉内の天井で反射し,一点に
 しゅうちゅさせることにより、銑鉄をを溶かすことが可能な千数百度の
 を高温を実現する。このような、熱や炎を反射する仕組みから、反射炉
 と呼ばれた。

反射炉本体
 連想2基(4炉)
 高さ約:15.7m
   炉体部:外部/凝灰岩石積(伊豆石)
     内部/耐火煉瓦積
 煙突部:煉瓦組積
 溶解量:1炉500~700貫(1.9~2.6t)
 

 

 

 


韮山反射炉見学後昼食予定の安田旅館に向かう。

*安田旅館 
  創業明治20年、国登録有形文化財に指定されている。 昭和22年2月から約1ヶ月間、小説家 太宰治が滞在し、 斜陽の第1章、
  第2章を執筆された旅館だという。 現在もそのお部屋の間取りは当時のままで、 宿泊も可能だそうだ。

      
          安 田 旅 館                           安田旅館から富士山を望む

安田旅館での昼食後帰途に着き、途中伊豆縦貫自動車道三島塚原IC付近の伊豆フルーツパークに立ち寄り、東名高速道らから往路と違う富士山の西側を通る朝霧高原経由で、
中央道甲府南ICで中央道に入り長野へ帰った。

 

 


善光寺・表参道エルミネーション

2018年12月25日 | 演奏会

12月15日から25日まで長野市による NAGANO DESIGN WEEK 善光寺・表参道がエルミネーションが点燈されている。毎年2月に善光寺がライトアップする長野灯明祭りがあるが、12月のエルミネーション点燈は初めてか?。22日見に行って来た。
東京の表参道イルミネーションなどで有名な空間デザイナー・長谷川善美さんの企画、2月の灯明祭りは照明デザイナー石井幹子さんの企画だそうだ。

        

        

        

        
           三    門                         仁  王   門                        表  参  道

 


京都はんなり紅葉狩りー光明寺と清水寺

2018年12月03日 | 演奏会

11月29日日帰りツアーで長岡京市にある光明寺と京都市の清水寺紅葉を見に行って来た。
長野駅東口ユメリアパークを参加者41名で6時10分出発、名神高速道路を走行中のバスの中で弁当の昼食、12時前光明寺に到着する。光明寺を参詣、境内の紅葉を満喫後
清水寺に向う。14時清水寺駐車場に到着する。2時間程散策帰途に着く。高速道路名古屋付近渋滞で、予定より遅れ22時半帰宅する。

*光明寺
 京都府長岡京市粟生にある寺院。西山浄土宗総本山法然が初めて「念仏」の教えを説いた地であるという。
  山号;報告山 宗派;西山浄土宗 本尊;阿弥陀如来 開山;法然 開祖;蓮生 正式名;報国山念仏三昧院光明寺 別称;栗生光明寺
 
 長岡京の紅葉スポットとして有名なお寺。全山が真っ赤な。総門をくぐると表参道、ゆるやかな石段の両側の紅葉に包まれた参道の先に御影堂がある。
 堂内・境内を巡り参詣、帰り道の「もみじ参道」の紅葉の風景は圧巻だ。
 
        
          総   門                                                       表    参    道

        
       法然上人の石像東京御影堂                           御影堂横の紅葉                          釈迦堂前の信楽庭

            
                                   も   み   じ  参   道

                    
                                      も   み   じ   参   道  

*清水寺
 光明寺から清水寺へ午後2時清水寺駐車場に到着。京都観光名所では最も名高く大勢の観光客でにぎわっている。

 清水寺は、京都府京都市東山区清水にある寺院。山号は音羽山。本尊は千手観音、開基は延鎮である。もとは法相宗に属したが、現在は独立して
   北法相宗大本山だそうだ。
 西国三十三所観音霊場の第16番札所であるという。

 駐車場から門前町(土産店が並ぶ)を通り仁王門に行く。境内を1時間半程散策する。本堂は修復工事の蔽いで外観は見えないが境内と周辺の山の
   紅葉には満喫出来た。

        
      仁王門 右奥西門と三重の塔                           仁 王 門                                三重の塔

         
           本     堂                                                   音   羽   の    滝              

             
                      境 内 奥 の 紅 葉 と 子 安 の 塔                                        子 安 の 塔

         
       子安の塔付近からの市内方面                          子 安 の 塔 か ら の 三 重 の 塔       

        
                                  境   内   の   紅   葉

         
                                 境   内   の   紅   葉 

   

 

 

 


日光東照宮&大谷資料館 その2(日光東照宮)

2018年10月23日 | 演奏会

大谷資料館を11時半頃出発日光に向かい、門前の日光カステラ本舗店(団体向けの食堂)で昼食後、東照宮に向かい12時過ぎ輪王寺本堂前の駐車場に着く。案内人により 輪王寺本堂三仏堂(重文)――輪王寺護摩堂 ーー石鳥居(重文)ーー五重塔(重文)――表門(重文)ーー神厩舎(三猿)・   
三神倉(重文)--御水舎(重文)――陽明門(国宝)ーー回廊(国宝)――眠り猫ーー唐門 (
国宝)ーー御本社(国宝)ーー本地堂(薬師堂 鳴き龍)と回った。他にも回廊の内側には重文の祈祷殿・神興舎、更に御本社の裏側に奥宮(重文)がある。案内人は本地堂までで鳴き龍を聞いた後、時間の関係もあり表参道を真っ直ぐ輪王寺駐車場に戻った。

案内人が種々説明してくれたがメモをとっておらず、以下の解説はウイキペディア百科事典から引用したものである。

 *日光山輪王寺
   日光山輪王寺は本堂(三仏堂)・大猷院・慈眼堂・常行堂・中禅寺・大護摩堂・四本龍寺等のお堂や本坊、さらに十五の支院を統合して出来ており、
   その全体を指して輪王寺の総称である。
   日光山は天平神護二年(766年)に勝道上人(しょうどうしょうにん)により開山さた。以来、平安時代には空海、円仁ら高僧の来山伝説が 
   
伝えられ、鎌倉時代には源頼朝公の寄進などが行われ、関東の一大霊場として栄えた。江戸時代になると家康公の東照宮や、三代将軍家光公の
   
大猷院廟が建立され、日光山の大本堂である三仏堂と共にその威容を今に伝えている。
   本堂の裏手にある
大護摩堂は日光山随一の護摩祈願所で、内陣には、ご本尊「五大明王」(ごだいみょうおう・平安中期作)を中心に、
   「七福神」や「十二天」など30躰の仏さまや祖師像がお祀りされている。

                
        輪 王 寺                           本堂三佛堂修復中                        護 摩 堂 

*日光東照宮
  
日光東照宮(にっこうとうしょうぐう)は、江戸幕府初代将軍・徳川家康神格化した東照大権(とうしょうだいごんげん)を祀る神社。日本全国の
 東照宮の総本社的存在である。正式名称は地名等を冠称しない「東照宮」であるが、他の東照宮との区別のために、「日光東照宮」と呼ばれることが
 比較的多い

元和2年4月17日1616年6月1日)、徳川家康は駿(現在の静岡)で死去した。遺骸はただちに駿河国久能山に葬られ、翌元和3年(1617年)
現在の地に
改葬されることとなった。
家康が日光に祀られることになったのは、家康本人の遺言からである。

日光東照宮の建物には、多様な動物の木彫がみられることが多い。神厩舎にはの彫刻を施した8枚の浮彫画面がありその中で眠り猫に続いてよく知られている、「見ざる、言わざる、聞かざる」で有名な三猿は、この神厩舎に造られたものの1枚に過ぎない。なお、「見ざる、言わざる、聞かざる」は「幼少期には悪事を見ない、言わない、聞かない方がいい」という教えであり、転じて「自分に不都合なことは見ない、言わない、聞かない方がいい」という教えにもなる。

日光東照宮の陽明門は、日本を代表する最も美しい門で、宮中正面の名を頂いたと伝えられている。建物全体がおびただしい数の極彩色の彫刻で覆われ、
一日じゅう見ていても飽きないということから、「日暮御門」と称されている。古寺逸話やこどもの遊び、聖人賢人など500以上の彫刻がほどこされて
いる。他の社殿と同様、寛永13年(1636年)の造替である。建築形式は三間一戸楼門で、規模は桁行(間口)が約7メートル、梁間(奥行)が約4メートル、棟までの高さが約11メートルである。

門の左右は袖塀を介して東西廻廊につながる。門を入ると正面が唐門で、その先には拝殿がある。

        
        東照宮入口                            石鳥居(重文)                     五重塔(重文)

   ←表門(重文);東照宮最初の門で左右に仁王門が安置されているところから仁王門とも呼ばれている。
                         表門を入った広場に三神倉と
神厩舎がある。 
     
        三  神  倉(重 文)
 上神倉・中神倉・下神倉を総称して三神倉と言い、この中には春愁渡御祭「百物揃千人武者行列」で
 使用される
馬具や装具類類が収められている。また、上神倉の屋根下には「想像の象」(狩野探幽下絵)の
                                大きな彫刻が
ほどこされている。

          
 ←神厩舎                           
 神厩舎、ごは神馬をつなぐ厩です。昔から猿が馬を守るされているところから、長押上には上がある猿の
 彫刻
が8面あり、人間の一生が風刺されています。中でも「見ざる・言わざる・聴かざる」の三猿が有名。
    

        
    陽明門(国宝)入口両側に鐘楼がある                                陽   明   門

              
    眠 り 猫(国宝);←左甚五郎昨と言われている。牡丹の花に囲まれ日の光を浴び、うたたねをしているところから「日光」に因んで彫られた
    とも言われています。

 

 ←唐門;全体が胡粉で白く塗られ、「許由と巣父」や「舜帝朝見の儀」など細かい彫刻がほどこされている。

 

 

 

 

 ←本地堂(薬師堂) 鳴き龍
   東照宮境内最大の建物で昭和四十三年の再建された。34枚の檜の板に描かれた6m*15mの鳴竜の
  天井画が 有名で家康公を薬師如来の化身としたことから 「薬師堂」とも呼ばれ薬師瑠璃光如来像が
  祀られている。

   また、「鳴竜」の天井画で知られ竜の頭の下で手を叩くと、天井と床とで共鳴して鈴を鳴らしたような
  余韻が聞こえる。
説明者が拍子木を鳴らして聞かせてくれた。

 

 

   ←石鳥居から見た参道
   突き当り左に輪王寺の正門がある。


長盛会旅行

2018年07月05日 | 演奏会

長盛会とは長野市稲葉日詰区の老人クラブである。会員125名凡そ半数が85歳以上ご多聞に漏れず長寿社会のようだ。会則では60歳以上であるが、現在60歳代はまだ働き
盛りクラブへの加入は無理、会員の増加は難しいようだ。

春・秋年2回の旅行が計画されるが、今回春の旅行は男性22名女性9名敬31名の参加であった。

 日程
    26日(火) 13時長野出発ーーー東御市北国街道海野宿ーーー小諸市菱野温泉「常盤館」泊
    27日(水) 10時「常盤館」出発ーーー小諸市マンズワイナリ見学ーーー「常盤館」昼食ーーー長野14時半頃

*北国海道海野宿
  海野宿の街並みは江戸時代の旅籠造りの建物などと、明治以降の養蚕盛んなりしころに建てられた蚕室造りの建物が、良く調和して伝統的な家並みを形成している。
  昭和61年には歴史的な家並みであるとして、「日本の道百選」のひとつに選ばれ、続いて 昭和62年4月には「重要伝統的建造物郡保存地区」の受けている。


  
                   重要伝統的建造物群保存地区 
                      東 御 市 海 野 宿 
                                                
昭和62年62年4月28日選定
  海野宿の成立は寛永2年(1625 )伝えられる。宿場の東端に白鳥神社があり、街道のほぼ中央には用水路が流れる。宿場の東西
 には枡形が置かれ、その約6町(650m)の長さであった。宿場時代の建物の多くは、旅籠屋造で出梁造りや海野格子と呼ばれる
 2階の出格子が今もよく残されている。江戸時代から明治時代以降には、蚕に病気が出にくい気候環境と矢島行康らの先駆者の
 指導により、養蚕業・蚕種業で栄え、その富により建築された壮大な建物は宿場時代の建物の風格を受けつぎ、江戸時代の建物
 と調和して、現在の町並を形成している。
                                      文部科学省・長野県・東御市



                    
                               海     野     宿     の     街     並

                       
                 袖   卯  達                           海 野 格 子(2階の格子)                            白 鳥 神 社                

      卯建(卯立)   
    卯建
は、民家の妻壁を大屋根面より一段高く突出させて、小屋根をつけたものが江戸時代の「本うだつ」出あり、他のに「
  軒うだつ」があります。防
火壁の役割を果たし「火返し」とも呼ばれています。明治時代には二階の軒下に張り出して豪華な
  意匠をこらした袖壁「袖うだつ」が設定けられるようになりました。長屋造りでの家の仕切りで造られた「脇うだつ」模あります。
  富の蓄積や格の高さをしめす意味もあり「うだつがあがる、あがらぬ」という言葉の語源にもなっています。

  


 

      気温抜き(小屋根)
   明治になると養蚕・製糸業が盛んになり、海野宿は蚕種・養蚕業で栄えました。蚕の飼育には保温ごとても大切で、
  蚕室の1階の囲炉裏で桑の根などを燃やして暖をとりました。その煙出しと調節の為、気抜き窓が付いた小屋根が大屋根の
  上に取り付けられました。

 

 

*菱野温泉
 小諸市市街から北へ高峰高原へ向かう途中、15分程の所に菱野温泉、2件の温泉宿がある。その内の一軒常盤館に泊まる。
 常盤館には登山電車に乗って1分30秒、展望露天風呂『雲の助』がある。案内には標高1,050メートルの浴槽から八ヶ岳、富士、佐久平が展望できるとあったが、生憎の曇空
 展望出来なかった。翌朝、出発まえ付近を散策する。

 

         
        常 盤 館 入 口                                 常 盤 館 入 口 の 庭                       常盤館向かいにある低塩

        
     展望風呂「雲の介」への登山電車                      「雲の助」からの登山電車軌道                      下り電車からの写真

*マンズワイン小諸ワイナリ
  2日目27日10時常盤館を出発、マンズワイン小諸ナリーへ見学にむかう。ワイン工場内を見学、製造工程のプロモーションビデオによる説明があって、工場内を見学する。
  いわゆる一般の製造工場とは違うので興味は湧かなかった。その後メインの試飲と売店、酒好きには堪えられない。ワイナリーの向かい約三千坪の広さのワイナリーの
  日本庭園「万酔園」がある.

         
                        万         酔         園                                         「万酔園」にある「善光寺ぶどう」原木

     善光寺ぶどう原木
  善光寺の鐘声わたる奥信濃に昔から伝わる善光寺ぶどう。
  その絶滅しかけていたぶどうの個性をマンズワインが
  再発見した記念すべき原木です。
  長野市郊外より保存すべくこの地に移植しました。
  平成25年現在、樹齢100年を経ております。
       
 
 


 

 


童謡詩人金子みすゞの童謡詩

2018年03月31日 | 演奏会

3月18日長野市芸術館リサイタルホールで,声楽家で作曲家の山崎浩(現清泉女学院短期大学教授)氏作曲の金子みすゞ童謡と、本人作詞作曲作品の演奏会があった。
出演者は山崎浩氏本人、並びに声楽家の沼田秀美(ソプラノ)・上村まり子(メゾソプラノ)で、上村まり子は長野市童謡と唱歌を愛する会の長野市芹田支部の指導にも当たっている。
妻がその会に参加しており入場券を頂いたが事情があって行けず、折角頂いた入場券なので替わりに聴きに行った。前半は金子みすゞの童謡詩13曲,
後半は山崎浩作詞作曲の6曲だが、後半は所要があっては失礼した。

恥ずかしいいことであるが金子みすゞという童謡詩人については全く知らなかった。今回の演奏会の資料によれば、金子みすゞは明治36年の生まれで20歳ごろから童謡雑誌に
投稿を始め、結婚相手によって詩作の道を絶たれ離婚、最愛の1人娘を連れ去ろうというかっての夫に、自らの死を以て抗議し、26才のわかさで死を選んだ。
 みすゞが命がけで遺した詩集(手書きの手帳)は、死後52年をへた1,982(昭和57)年児童文学者矢崎節夫氏によって奇跡的に全作品512編が発見され、翌々年全集が出版さた。
すぐに多くの作曲家やシンガーソングライターらが作曲するようになり、1編の詩にたくさんのメロディーが存在するという事態になった。これは普通にはあまり例のないことで、例えば
北原白秋の「砂山」に山田耕筰と中山晋平が作曲れがいくつか知られているだけだ。もっともゲーテの{野ばら」には100曲近い曲があるそうだ。山崎浩氏も現在みすゞ作品
には66編作曲曲しているという。

今回みすゞ作品13曲の詩の中でも「お仏壇」は、生家での昔の仕来たり、子供の頃の家庭を思い出させる詩である。

*お仏壇 
    お背戸でもいだ橙(だいだい)も、      だけど、やさしい仏さま、        家にゃお庭はないけれど、            そしてやさしい佛さま 、     
    町のみやげの花菓子も 、          ぢきにみんなに下さるの。       お仏壇にはいつだって、             それも私にくださるの。    
    佛さまのをあげなけりゃ、          だから私はていねいに、          きれいな花が咲いてひるの。           だけどこぼれた花びらを、  
    私たちにはとれないの。           両手かさねていただくの。         それでうちの中あかるいの。           踏んだりしてはいけないの。 
    
    朝と晩とにおばあさま、            朝と晩とに忘れずに、           忘れていても、佛さま、           黄金の御殿 ようだけど、
     いつも燈明(あかり) をあげるのよ。     私もお禮(れい)をあげるのよ。     いつもみていてくださるの。         これは、ちいさな御門なの。   
    なかはすっかり黄金(きん)だから、     そしてそのとき思うのよ、         だから、私はそういうの、         いつも 私がいい子なら、     
    御殿のように、かがやくの。           いちんち忘れていたことを。       「ありがと、ありがと 、佛さま。」       いつか 通ってゆけるのよ。