後期シルバーの戯言

一寸した日常生活・身辺雑記と旅日記

長盛会旅行

2013年11月21日 | 旅行

長盛会とは長野市大字稲葉日詰の日詰老人クラブで、春・秋年2回の旅行がある。以前は春は1泊2日、秋は2泊3日の旅行であったが、数年前から秋も1泊2日の旅行になった。今年の春は欠席したが、今回は久しぶりの大町温泉郷なので参加した。参加者37名、ここ数年30名前後だったので大勢の参加には驚いた。

13時日詰高木酒店駐車場を出発、稲葉公園を回り大町温泉郷に向かう。大町に入り、高瀬川渓谷の大町ダム(国土交通省)&龍神公園で紅葉を楽しみ旅館に到着したのは16時少し前。以前は渓谷入口に東京電力高瀬川テプコ館があって、高瀬ダムと近下発電所の工事の映像を見て、会社のバスで高瀬ダム・地下発電所を見学出来た。今は東京電力福島原発の事故後自粛、七倉ダムまでは自動車が入るが,そこから高瀬ダムまでは東電の専用道路で入れなくなった。

龍神湖(大町ダム)・龍神公園(龍神湖及び付近の渓谷・森林を含めた公園)の紅葉は時期も良く見事だった。

  
     
 
    龍神湖(大町ダム)堰堤からの眺め

 

 

 

 
   ←大町温泉郷のメイン通りにあった紅葉

 

         
        龍神公園展望台かの眺め  

 

 翌6日は午前は大町温泉郷を散策昼食後帰途に着く。途中安曇野市穂高のワサビ農園に立ちよる。ここは何度か訪れている。30分程休憩、長野には15時前着いた。高瀬渓谷が見事な紅葉で先ずは良い旅行だった。

 

 


信濃33番札所めぐり第5回最終回

2013年11月20日 | 神社・仏閣巡り

11月2日「信濃33番札所めぐり」今回5回目で再終回である。

 長野東口7:00───飯山小菅・19番菩堤院───須坂・10番高顕寺───長野(昼食)───中条・30番正法寺
         ───中条・31番広福寺───小川・32番西照寺───小川・33番高山寺───長野駅東口18:00

*19番小管山菩堤院  真言宗  本尊 馬頭観世音菩薩
  戸隠山、飯綱山とともに 北信濃の三大修験道場のひとつで、小管山大聖の一つだったが廃物希釈の際小管
  神社となった。その際寺院の一つ桜本坊が仏教寺院菩堤院として残されたものだという。

   
                 参      道                                観 音 堂

   
  
 金網の隙間からの撮影、中央が馬頭観世音菩薩               馬頭観世音菩薩   

 *10番妙徳山高顕寺 真言宗豊山派  本尊 千寿十一面観世音菩薩
   鎌倉時代末期の元徳年間には32堂の伽藍を配す荘厳な寺であったという。本尊の千手千眼観世音菩薩は
   鎌倉時代末期の木彫仏で、平成19年に改修された観音堂に安置されているそうだ。

    
          大谷不動尊里堂                              本  堂

  
        観音堂 大悲殿                             馬頭観世音菩薩

*9番蓑堂山蓑堂  宗派不明 本尊 十一面観世音菩薩 愛称 べべ出し観音

観音堂は蓑堂山山頂に建てられていたが、昭和40年~42年の松代群発地震によって山頂付近が崩れ観音堂も傾いた。 現在は道が寸断されて通行できない
観音様は麓の樋口政宏さん宅で預かり、納経所ともなっている。

   
   左端がが蓑堂山                            蓑堂山

 

 観音様を預かっている樋口宅
 
 
 「べべ出し観音」とも呼ばれるのは、急峻な坂や岩場をよじ
 登って参拝する際、女性の着物の裾が乱れ、後ろから登る
 男性の目に思わぬ“ご利益”があったからだとか。江戸時代
 後期、祭事で村が留守の間に火事が起きたことから「お祭
 り嫌いの観音様」としても知られているそうだ。

 




   
                        樋口家の縁側にある十一面観世音菩薩

*30番歓喜山正法寺 真言宗豊山派 本尊 聖観世音菩薩
  本尊の木造聖観音立像は、行基より時代が下がる藤原時代中期(900年代)の作という。江戸末期、日照りに
  苦しむ村人がワラでつくった龍にこの観音様が生命を与え、たちまちに雨を降らせたという伝説があり、雨乞いの
  ご利益で知られている。大悲殿の厨子に納められている聖観世音菩薩は両手首が欠損していて、格子戸の間
  から写真だけが覗き見できる。  
     

   
  観世音菩薩の写真 添乗員が借りて見せてくれた               大 悲 殿

*31番椿峯山広福寺 曹洞宗  本尊 聖観世音菩薩 愛称 乳出し観音 
  虫倉山の西南麓、山懐に包まれるように観音堂が建っている。弘化4年(1847)の善光寺地震は、善光寺の周辺
  のみならず、水内郡下の多くの場所に地滑り、山崩れなどの被害をもたらしたが、中でも虫倉山の山崩れは大規模
  で、多くの被害者が出た広福寺の背後の斜面も大崩落を起こし、土砂が村に押し寄せたが、お堂を潰したところで
  奇跡的に止まった。そこで村人たちは、観音様が山崩れから村を守って下さったと喜び、五輪塔などを掘り出してま
  つり直したという。
  お寺の本堂は無く、昭和52年(1977)再建された観音堂だけが有る。旧中条村の御山里高福寺地籍に有り、
  虫倉山の高福寺(天神城)コースの登山口でもある。 
  
          観世音観音像                               観 音 堂                                                    
*32番椿峯山西照寺  宗派 元真言宗 本尊 聖観世音菩薩
  開基や盛衰の歴史について、詳しい記録はないようだが、付近の地名に「寺屋敷」「大門」「仏迎田」などが残ってい
  ることから、地域の人々の信仰篤い大寺だったらしい。善光寺地震による崩落をはじめ、数度にわたる山崩れに
  遇って、堂宇はことごとく地中に埋まってしまったが、地域の人々の尽力で、観音像や仏像はその都度掘出され、 
  観音堂も再建されたという。現在もみごとな彫刻の施された観音堂に本尊の聖観音をはじめ13体仏像が安置され
  近隣の人々に大切に守られている。上水内郡小川村の旧椿峰村(つばみねむら)集落にある 無人の観音堂で、
  盗難に遭い現在は真新しい代わりの観音像が厨子の中に安置されているのだそうだ。 
  観音堂の屋根の鬼瓦に菊の御紋章があると見えたが、花弁の枚数が御紋章とは違い単なる菊を紋とした鬼瓦だと
  いう。

   
          観  音  堂                               菊の紋の鬼瓦
                                                
*33番宝珠山高山寺  宗派  真言宗豊山 本尊 聖観世音菩薩   
   信濃三十三観音巡拝、結願の高山寺は、北アルプスの山並みを望む展望の地にある。端麗な三重塔は建久6年
   (1195)、源頼朝の建立と伝えられるが老朽化し、元禄時代に虫倉山中で修行中の木食山居上人に勧進を願
   い、五年がかりで十数万人の喜捨を集めて再建したという。三重塔内には如来三尊が本尊としてまつられてい
   る。なお本尊は秘仏で、年に一度、8月10日に開帳している。雨乞い、火除けの観音様として名高い。

   
       二層式の鐘楼門                         県宝の三重塔

   
                              本         堂

   
                             観      音      堂

余談だが高山時の御住職は画家でもある。本堂の天井絵の他、庫裡の玄関などに大小沢山の絵画の他、天井絵の下書きも置いてあった。天井絵についていろいろ住職から説明があったが、撮影は禁止されていた。

 

 

 

 


高野山・熊野古道と瀞峡・白浜

2013年11月14日 | 名勝巡り

10月27~29日オークツアーで2泊3日の旅行に出掛けた。
   
  1日  長野東口6時55分──熊野本宮大社──湯川温泉泊まり
  2日  瀞峡遊覧船めぐり──熊野古道──白浜3段壁・千畳敷──白浜温泉泊まり
  3日  高野山「弘法大使御廟奥の院・金剛峯寺・根本大塔」──長野駅東口

東名阪自動車道四日市付近で交通事故による渋滞に遭遇、のろのろ運転で渋滞解消に一時間かかった。
でも初日は熊野神社一個所だけの日程なので、予定より若干遅れただけで宿に到着した。

*熊野本宮大社
  生憎、大社の本宮・若宮・結宮は屋根の葺き替えで神社全体ガ工事天幕で覆われており、全貌は見れな
  かった。参拝のための賽銭箱だけがあった。
  正遷座百二十年祭だというが如何なる祭事かは良く解らない。
  
  元々熊野本宮大社は 熊野川の中州に上四社・中四社・下四社 の三社あったが、明治22年の熊野川の
  大洪水で流出し、上四社が現在地に造営されたのだそうだ。旧社地のある熊野川の中州は「大賽原」と
  呼ばれ日本一の大鳥居が立っているそうだ。残念ながらツアーコースに入っておらず見ることが出来なか
  った。多分選座祭は流出してから百二十年目当たる選座の祭事なのだろう。

     
 本宮大鳥居・日本1の大鳥居は旧社地「大賽原」にある          境内にあった本宮の写真


    
             
   テントに覆われた社殿       神 門

 


 
          拝      殿 

*川湯温泉
  本宮付近には沢山の温泉があるその1つ。本宮大社の南で、熊野川支流大塔川の沿岸にある温泉だ。
  宿泊した旅館は河原に野天風呂があり12月から翌年2月までは川を堰き止め、湧きでる温泉で千人風呂が
  出来るそうだ。3月~11月はアユ漁の季節で出来ないそうだ。夏は川あそびで河原を堀り、湧きでる温泉で
  楽しめるそうだ。

  

  川湯温泉で宿泊した旅館の野天風呂

 

 

 

 

 

*瀞峡
  熊野川支流の北山川の峡谷の事で両岸の絶壁・奇岩が見事な峡谷美をつくっている。ウォータージェット舟で
  約1時間半の遊覧であった。

  

  遊覧船発着所は熊野川で、この写真は出発3~4分後
  の北山川との合流点である。奥の濁った川が熊野川、
  前の清流が北山川である。昨日までの雨でダムのある
  熊野川は濁ったダムの水が放流されている。北山川は
  ダムがなく雨があがるとすぐに清流となっている。

 

 

 

        

        
             瀞峡の奇岩

          瀞峡の奇岩

*熊野古道
  熊野古道は「伊勢路」「小辺路」「紀伊路」「中辺路」あるという。今回は「中辺路」の「近露王子~牛馬童子ふれ
  あいパーキング(道の駅)」までの約1.3Kmを専門野ガイドの案内でゆっくり1時間30分掛けて散策した。
  ここでガイドとお別れ、牛馬童子ふれあいパーキンから滝尻王子までは観光バスに乗った。熊野古道のツアー
  日程はここまでだ。
  
  ガイドはボランティアのいわゆる「語り部」と言われている方々だ。31名の参加でガイド2名で2班に分かれて
  案内して頂いた。私の班のガイドは女性で非常に解り易すく説明、解説が上手でベテランだった。
  王子とは、熊野に詣でる上皇や女院の先達つを務めた熊野修験者が作った神社だという(wikipedia辞典)。
  田辺観光の案内パンフレットでは、上皇や女院の休憩所となったところだとある。詣でる人々を迎え休憩する
  神社があったということだろう。

 

←ガイドの案内で出発

           
     近露王子の碑    近露王子から古道へ入る  

 

  牛馬童子像、
   以前首から頭を切断、持ち去った事で話題となった。 
   その後復元した 。盗難にあった頭は発見され現在
   資料館に保管されているそうだ。

 ここから急な坂道を下り 「1里塚跡」 を経て、
 「牛馬童子ふれあいング」 道の駅に着く。ガイドはここ迄。

  道の駅からは観光バスで滝尻王子・熊野古道館に行く。
  



 

       
     滝尻王子鳥居       滝尻王子社殿

 

←世界遺産熊野古道中辺路出発点
  滝尻王子・熊野古道館にある記念碑
  

 
*三段壁・千畳敷
  以前私は一度妻は二度来たことがあったので、さほど見事な景観だという感じはしなかった。

  
                                 三  段  壁

   
            千  畳   敷                 白浜のシンボルとして親しまれている円月島。
                                       臨海浦の南海上に浮かび、正式には「高嶋」と言い、
                                       島の中央に円月形の海蝕洞がぽっかり開いている                                            ことから「円月島」と呼ばれている。

*高野山
  弘法大使御廟・燈糧堂などのある「奥の院」、高野山真言宗大本山の金剛寺や根本大塔を案内人と回った。

   
      
   参道 両脇は墓地   この橋から先は聖地
                  奥突き当りが奥の院

 

 

        奥の院の入口 

         
       根 本 大 堂                         金 剛 寺

金剛峯寺の屋根は檜の皮を何枚も重ねた檜皮葺(ひわだぶき)になっている。その屋根の上に、桶が置かれており天水桶というのだそうだ。。これは普段から雨水を溜めておき、火災が発生したときに、火の粉が飛んで屋根が燃えあがらないように桶の水をまいて湿らし、少しでも類焼を食い止める役割を果たすとのことだ。