後期シルバーの戯言

一寸した日常生活・身辺雑記と旅日記

秋分の日前後の出来事

2009年11月27日 | Weblog
18日(水)
犀川会(会の経緯は以前の記事参考)の定例会で今回と次回は幹事を仰せつかっている。会員も以前は20数名であったが鬼籍に入れた 方や病弱などで脱会され現在16名である。幹事の日程設定が悪かっ たったか、出席者過去最低の7名だった。年寄りの会合だと病気・体力減少や他界した友人の話題で湿っぽい宴席になりがちであったが、今回はまことに和気あいあい楽しい宴席で盛り上がった。

21日(土)
大人のピアノ発表会の日である。21・22・23日と3日日間で発表者は123名担当子講師46名だった。恥も外聞もなくづうづうしく毎年参加しているがトチッテばかり、上手な生徒の演奏は別として、自分の生徒の演奏にはらはらしているであろ先生を思うと、申し訳けない限りである。

24日(火)
午後ゴルフの友人持田氏の永眠の訃報が入った。突然の訃報で信じ難たかった。16日のゴルフの予定を風邪のためキャンセル、病院で診察の結果肺炎を併発しておりそのまま入院、1週間治療の甲斐も無くく他界されたとのこと、ご冥福を祈るばかりである。

25日(水)
故持田氏の葬儀が執り行われゴルフ仲間の引場・七里・伴 野・外川の各氏(片桐氏は旅行中の為欠席)と共にお斎の席で故人を忍んだ。 

その際肺炎球菌ワクチンの事が話題となった。65歳を超えたら接種した方が良いが、わが国では2度目の接種が禁止されていると聞いていたので、何となく忘れていた。今回の訃報で故人の肺炎感染が人ことではなくなり、帰宅後罹り付け医院に予約電話を入れた所、希望者殺到ワクチン不足で何時できるか不明という。さらばと小病院へ電話した所、ワクチン入荷状況など即刻調べ27日には可能となった。

27日(金)
肺炎球菌ワクチン接種の診察の際5年後の再接種について尋ねた処日本では禁止されているが、5年後の事はその時考えれば良いので今から心配する必要はないでしょうと言われた。何れにしても取り敢えず懸案は一先ず解決した。


バスツアー「蔵王・上山温泉・米沢・喜多方」

2009年11月23日 | 旅行
先日1泊2日のバスツアーで「蔵王中央高原~上山温泉古竈泊~米沢天地人博・上杉神社~喜多方蔵造りの町並」と廻ってきた。バスツアーは宿泊から観光地のガイドすべてお任せで、個人好みの観光には不向きだが、何よりも切符の手配やら旅館の手配・名所旧跡めぐりの足を考える必要がなく誠に楽である。マイカーを乗り回していた頃は好きな所に勝手気ままに出かけたが、加齢と共に運転も自粛するようになり、もっぱら観光バスに頼っている。

蔵王高原は紅葉の時期は過ぎており、又蔵王のお釜はエコーラインが積雪通行止めで行けず残念だった。当初10月8~9日予定だったが台風のため中止10月中・下旬は満席で今回の時期となったので止むを得なかった。

蔵王高原は白い高原と言われており白い白樺の林は見事だ。大黒天展望台からは360度のパノラマが広がると聞いていたが、残念ながら霞んでおり鳥海山などが遠望出来ずず残念であった。高原を1時間30分程散策後下山、上山温泉に1泊した。宿でオリジナルの絵皿を描く楽焼をやっており中々良い温泉宿であった。機会があったら次回やってみたいと思う。

翌日米沢市を訪れたが、毎回の事だがNHKの大河ドラマの影響は絶大、米沢市もご多分に漏れず「天と地博」とその会場に隣接している上杉神社は観光客で賑わっていた。

昼近く喜多方市の蔵の街を回ったが、パンフレットによると約2,600棟が建ち並んでいるとある。その一部を見ただけなので、松本市・須坂市や千曲市稲荷山で、蔵の街には馴染みがあるので感嘆するものでも無かった。2,600棟が1っ箇所の街並みだと壮観であろう。観光地図によると蔵の街並みは3ヵ所のようだ。観光馬車まであるので市・観光協会としては蔵の街の観光に力を注いでいるのだろう。

昼食は喜多方といえばラーメン、絶品の味ではないが、麺が若干普段食べ馴れているものとは違い、太めの縮れた麺で私の好みではある。

余談だが、喜多方市は市を挙げての市民参加の太極拳が盛んでTVでも放映された記憶がある。


      
   蔵王高原目玉沼から三宝荒神山?を望む                       蔵王高原白樺林

      
           上杉神社                                   松が岬公園の紅葉 

      
        喜多方蔵の町並み                                喜多方観光馬車

徒然の散歩(2)

2009年11月11日 | Weblog
朝の散歩で今まで気にも留めなかったが最近気がついたのは、長野市指定の保存樹木・保存樹林である。長野市のH.Pで見ると、「まちのシンボルとして親しまれている木や林などを保存樹木・樹林に指定し、市民共通の財産として保存している。」とあった。現在市では「保存樹木105カ所・保存樹林61カ所」を指定している。指定基準があり幹の周囲が「地上1.5メートル地点で1.5メートル以上・高さが15メートル以上」等細かく定められている。
指定樹木の標識はあるが該当の樹木が見当たらない所もあった。補助金は出るのだが維持管理は所有者がしなければならず、個人の場合は大変な事でしょう。

散歩の範囲内で目に付いたのは7カ所あった。
*芋井神社境内 欅4本・杉4本・サワラ4本・松1本
   境内には欅3本以外は見当たらなかった。
*川合神社境内400平方米が保存樹林に指定
   樹木は10数本あったが基準を満たしているのは1本しか見当たらなかった。  
*芹田下神社境内 欅2本 
*風間神社境内  欅1本
*母袋地籍個人  欅3本
*南高田個人   クロ松1本 
*更科神明神社境内 柳1本・ヤマハンノキ8本・欅3本
   境内には基準を満たしている樹木は全く見当たらなかった。昭和51年の指定なので既に絶え果てか、維持管理の困難さが思いやられる。

他に指定されていないが基準を満たしていると思われる樹木が2ヵ所あった。
*南俣神社境内 欅2本
*芹田上神社境内 欅1本

           
芋井神社の欅 昭和59年指定   川合神社の欅 昭和51年     芹田下神社の欅 平成11年指定
                      指定樹林の中の1本

          
風間神社の欅 平成19念指定  母袋地籍の個人の欅 平成11年指定  南高田地籍の個人の松 昭和59年指定

         
更級神明神社の保存樹木指定の立札    芹田上神社境内の欅       南俣神社境内の欅
                        指定されていないが見事な古木                                                           

北国街道(芹田地区)史跡めぐり

2009年11月06日 | Weblog
10月31日芹田公民館主催の芹田地区内北国街道史跡めぐりが計画され、総勢70名の参加であった。姫塚~吹上地蔵堂~蓮信寺~木留神社~観音寺~御所天満宮~悪源太義平の墓と7カ所巡った。講師は「長野郷土史研究会会長 小林一郎先生」である。

講師の資料によると史跡の概要抜粋は次の通り。

1.北国街道  中山道追分宿から善光寺~越後に至る街道。

2.姫塚 善光寺七塚の一つ。熊谷直実の娘玉鶴姫の墓と言われる五輪塔・墓地
     真中に樹齢数百年?か巨大な欅の樹木が一本ある。周りは墓地。

3.吹上地蔵堂 延命地蔵尊をまつる堂。由緒不詳。境内に、本堂再建供養塔・奉巡礼西国坂東秩父当国供養塔・尖頭塚がある。

4.蓮心寺 一行山・浄土宗。1195年朝日入道蓮心坊が開いたと言う。

5.木留神社 善光寺七社の一つ。古くは諏訪大明神と呼ばれたが、木留神社と称した。犀川(昔はこの地を流れていた)の洪水で流出しそうな善光寺の用材を、
         この神が翁となって現れて木を留めた等、さまざまな伝えがある。

6.観音寺 明助山普門院・浄土宗。源頼朝守仏髻馬頭観音と、正子の守仏厄除生観音をまつる。源頼朝が1197年善光寺を参詣した時、この地に一泊し      
       観音のお告げを受けて、この寺を建立したという。

7.中御所守護館跡  室町時代初期、小笠原氏の信濃守護館があった所と言われ、現在八幡社と御所天満宮が一つの社にある。
              天満宮は昭和54年に亀戸から勧請した。

8.悪源太義平の墓 源義平は頼朝・義経兄弟の長兄。
             悪とは強いという意味・源はミナモト・太は長男という意味で、悪源太義平は「源の強い長男の義平」と言うことである。          
             平治の乱に敗れて殺された。その死後、愛妾が善光寺に来て墓を造ったという。長野駅東口一帯の字名を源太窪と言うのは、この墓があったため。

北国街道の存在はしっていたが、芹田地域に住んでいながら北国街道沿いに多数の史跡がある事は知らず、姫塚と中御所天満宮くらいしか知らなかった。姫塚の中心にある欅の大木は、学生時代たむろした所で懐かしく欅が巨大になっており驚いた。中御所天満宮は入学の神様でこの辺では知られていたが、昭和54年に亀戸から勧請されたとは知らなかった。しかも八幡社と同じ社に祭られている事は小さい祠で、珍しい事だろうと思う。

1時間30分の工程で地域住民の高齢者にとっては有り難い企画であった。公民館と小林先生に感謝申し上げます。11月3日の新聞(信毎)で、小林先生のご尊父で長野郷土史研究会名誉会長の小林計一郎先生が11月1日逝去されたことが報道された。。 ご冥福をお祈り致します。

              
  姫塚;真中に欅の大木        吹上地蔵堂;延命地蔵尊を祀る堂、この辺を吹上と呼ばれ蓮心寺・木留神社があり旅人の休憩場所であった。

               
      蓮心寺               木留神社;善光寺七社の一つ、境内の1角に行人塚がある。

                
      観音寺                     中御所守護館跡;左天満宮・右八満宮


悪源太義平の墓;木の右が義平墓、左が「相伝悪源太義平之墓」刻まれた碑


最所の画像と同じ姫塚の欅の大木

長生会の研修旅行

2009年11月01日 | 旅行
10月29~30日1泊2日で上諏訪温泉へ旅行した。長生会とは長野市稲葉日詰地区の老人クラブである。計画は2泊3日であったが31日欠かせない所用があって1泊にした。7~8年振りの諏訪で2日目午前諏訪湖水門から湖南道路を周り、途中「ガラスの里」に立ち寄り諏訪大社上社を参詣した。前公民館長が参加しており、岡谷生まれの岡谷育ちといううことで案内して頂いた。故事来歴等専門家を凌ぐガイドで有り難かった。帰途、霧が峰高原に通じる県道40号線沿いの立石公園に立ち寄った。初めて訪れる公園で諏訪湖が展望出来る見晴らしの良いのには感嘆した。諏訪大社下社は翌日の帰りに回る予定の為、今回は参詣出来ず残念だった。

老人クラブの旅行を研修旅行と名づけている。別に何も研修する訳でもないのに、
何も気取る必要はないと思うのだが理解に苦しむ研修ではある。慰安旅行で良いとと思うのだが、どうでも良い事か?。

          
   諏訪大社上社(裏口)         諏訪大社上社本殿            御柱曳き綱 


        諏訪湖全景 (立石公園から展望)