後期シルバーの戯言

一寸した日常生活・身辺雑記と旅日記

諏訪温泉

2012年11月17日 | 旅行

諏訪・蓼科の温泉にはいろんなグループで訪れてはいたが、家族(東京に嫁いだ娘2人と孫1人なので家族かどうか?)での諏訪温泉は久しぶりで、30年近くの前の8月15日の諏訪湖花火大会を一緒に見て以来だ。

孫は諏訪は初めて、娘2人も当時の思い出でも薄れているようだ。、娘の車で諏訪大社上社・下社・ガラスの里(ガラスの工芸品の展示販売・工房など出当時は無かった)・間欠泉を廻って来た。

諏訪大社上社には本宮・前宮、下社には秋宮・春宮があるが、何時来ても上社の前宮・下社の春宮には参詣したことがない。何時か訪れたいと思うが中々実現しない。

                                                                      、  
  諏訪大社の資料によれば、
   信濃國一之宮。神位は正一位。全国各地にある諏訪神社総本社
   であり、 国内にある最も古い神社の一つとされている。
  
  諏訪大社の歴史は大変古く古事記の中では出雲を舞台に国譲り
   に反対して諏訪までやってきて、そこに国を築いたとあり、また日本    書紀には持統天皇が勅使を派遣したと書かれている。

  諏訪大社の特徴は、諏訪大社には本殿と呼ばれる建物がない。
  代りに秋宮は一位の木を,春宮は杉の木を御神木とし、上社は御
    山を御神体となっているという。  
  
  左は諏訪大社上社本宮 幣拝殿

  古代の神社には社殿がなかったとも言われている。つまり、諏訪
  大社はその古くからの姿を残している。諏訪明神は古くは風・水
  の守護神で五穀豊穣を祈る神。また武勇の神として広く信迎され、
  現在は生命の根源・生活の源を守る神として御神徳は広大無辺
  で、多くの方が参拝に訪れるているという。

 

  左は諏訪大社下社秋宮 幣拝殿

 

 

      
             下社秋宮 神社入り口にある 「根 入 の 松」                                                               

 

  諏訪湖間欠泉センターの資料によれば、温泉掘削中の昭和58年に噴出した間欠泉
  は高さ50メートルまで自噴し、当時は世界第2位の高さとうたわれていた。
  次第に間欠泉の自噴間隔が長引くようになり、やがて自噴が止まってしまった。 
  現在はコンプレッサーで圧縮空気を送り、上部の冷えた温泉を取りくことにより、間欠
  泉を噴出させている。現在の噴出高は5メートル程に留まっているという。

  噴出させる時刻は現在9:30 ・11:00・12:30・14:00・15:30・17:00となってい
  た。

  左は噴出時の写真だが諏訪大社上社・ガラスの里を訪れて、11時頃間欠線泉セン
  ターに到着したところ、待ち時間も無く噴出した。

  

 

 


2日目早朝、朝食前諏訪湖湖畔の公園を散策した。多分諏訪湖花火大会の観覧席にもなる所だろう。

           
               諏訪湖畔公園 奥が石彫公園                       石  彫  公  園                   

           
          石 彫 公 園 の  南 端                       公 園 内 の 鴨

諏訪大社下社秋宮を参詣し旧中千道の和田峠を超えて上田に向かい、上田市内で昼食後上田駅から孫が電車で東京に帰った。娘2人ともども3時過ぎ帰宅した。

 

 

 

 

 



 


那須高原

2012年11月09日 | 名勝巡り

先日日帰りバスツアーで那須高原へ行って来た。工程は次の通り。

  長野駅東口───那須温泉神社───賽の河原(殺生石)───那須高原那須休暇村レストランで昼食───
  那須高原ゴンドラ山麓駅───山頂駅「五葉ツツジ群生地」山頂駅───ゴンドラ山麓駅───長野駅東口

6時40分長野駅東口を出発、那須御用邸(広大な敷地のおよそ半分が一般に開放されている)の脇を通り、11時頃那須温泉神社に着く。解放された那須御用邸は何れ訪れたいと思う。

ツアーの案内によれば温泉神社は「ゆぜん神社」と読み、那須温泉発祥の地で、奈良時代温泉の場所を教えてくれた
”ゆぜんさま”を祀るために建立したとある。神社発行の神社略記では {狩ノ三郎行広が現在の元湯付近で白髪の老翁が「我は温泉の神なり汝が追いし鹿は谷間の温泉に手負いを癒さんがため浴しており、汝万民の病苦を救うべし」と言い消え去った。三郎鹿を射止め、温泉を発見して神社を建立したとある。

境内社の「見立神社」が三郎の創建で「天児屋根命」を祀り、後年温泉発見の功により狩野三郎行広合祀される。昭和二九年温泉神社と合併、境内社となった。}とある。

温泉神社の祭神は 大己貴命・少彦名命・誉田別命 である。

                                       
             温泉神社本殿                         見立神社           見立神社本殿

源平合戦で有名な那須余市一 と温泉神社の 関係は 「南無八幡大菩薩、別しては我が国の神明、那須温泉大明神、願わくはあの扇の真ん中射させてたば せ給え………」と
屋島で祈り、凱旋の後その神恩の深いことを謝して、大社殿を寄進した。

   左の写真は温泉神社の御神木で「生きる」と命名されている。
    樹齢推定800年の「ミズナラ」である。

    

 

 

 

    
 温泉神社参詣後近くの湯川ぞいに荒涼とした「賽の河原」とよばれる所に行った。ここに栃木県指定文化財・史跡「殺生石」がある。

 

                                                                 

   左が殺生石のあるところの写真で「九尾の狐伝説」にまつわる名所旧跡だ。

  この伝説とは、概略次のようだ。
  「九尾の狐が中国の王の后に化けて悪行を尽くし、ある夜突然
  姿を消 した。数百年後日本に渡り、人の世を滅ぼそうと企ん
  が陰陽師に正体を見破られ、那須野へと飛び去り悪事を続け
  た。それを知った朝廷の勅命により鏑矢で射とめられ、巨大な
  毒石に姿を変えた。その後も村人に害を及ぼし続け、それを聞   いた名僧・玄翁和尚による一括で石は三つ別れ、その一つが
  この地に残った」

                                  
                      賽の河原ー殺生石から望む                      賽の河原ー正面が殺生石のある場所

                                                                                                                                                                                                                                                                                        
         
  教伝と云うのは、親不幸な坊さんの名で、ここで仏罰で火の海
 地獄に堕ちたのだそうです。そのことから、親の恩を忘れないよ
 う「教伝地蔵」を建て、さらに千体(数多く)の地蔵を建てて祀った
 のだそうです。

                             千体(数多く)の地蔵 

賽の河原を後に休暇村に向かいレストランで昼食、美味しいヘルシーな料理で紅葉の季節かお客も多かった。
昼食後ゴンドラノの山麓駅に向かう。13時過ぎ到着ゴンドラに乗り山頂へ、一時間程五葉ツツジ群生地の遊歩道を散策する。

五葉ツツジはシロヤシロの別名で枝先に5枚の葉が輪生状に付くくことから五葉ツツジと呼ばれている。

敬宮愛子内親王のお印としてシロヤシロの花が用いられている(公式表記は「ゴヨウツツジ」)

標高も高く紅葉は終わりに近かったが、眼科の展望は紅葉に染まった山々が綺麗だった。ゴンドラ乗り場付近には秋には珍しいヒマワリが咲いていた。小さな花でゴンドラからはタンポポのように見えた。

他にブナ遊歩道・山ゆり遊歩道があるが時間が無く廻れなかった。

     
            ゴンドラから ヒマワリ                             ゴ ン ド ラ

   
       遊歩道の  五葉ツツジとブナ林                   ゴンドラ山頂駅展望台からの ブナ林                          

            

                
           遊 歩 道 で の 紅 葉

   ゴンドラ中間点付近から見た 紅 葉                

 遊歩道の範囲は約3万坪の五葉ツツジの群生・ブナの林の他、ヤマタイミンガサ(山大明傘)・ツクバネソウ(衝羽根草)
 が殖生・マイズルソウが群生しており、また広範囲が雪笹に覆われている。

15時30分ゴンドラ山麓駅を出発一路帰途につき、20時頃長野駅東口に到着した。

 

  


長野市保存樹(古樹)巡り

2012年11月05日 | 名勝巡り

29日(月)長野市公園緑地課主催の市内保存樹(古樹)巡りに参加した。
市役所のバスで市職員2名の他樹木医の専門家お二人に案内説明して頂いた。見学した保存樹は市内若里の市村神社の保存樹林・中条日下野字臥雲の三本杉・中条日下野字天神平の杉の三か所である。三か所共初めて見聞きする処である。

1.市村神社
  境内にクヌギ・エンジュ・ヤマモミジ・ハルニレ・スギ・サクラがある。
  H11年境内の樹木が樹林160号で保存樹林に指定されている。古樹では無いが法律・市条例の基準に基き指定さ
  れている。

                  
            神社入り口にあるケヤキ                古木が枯れ新芽が出ている

2.中条日下野字臥雲の三本杉
  弘化の地震(善光寺地震)で、3本の杉が根こそぎ立つたまま臥雲院という寺院の下方に流れて、斜めのまま根ずいた
  という。 樹齢600年とされる三本杉が斜めにたったままの姿で立っており市の指定文化財になっている。

                                  
                     
          幹は斜めに立っており真ん中の杉は後年生育したため垂直である 
                    臥   雲   の   三   本   杉

3.中条日下野字天神平のスギ
  

        左の写真は日下野のスギで 県指定天然記念物である

        日下野のスギは、樹勢の整ったスギ野大木として県内でも優れたものの
     一つである。目通り幹周は11.4メートルで、4メートル上方で大小二幹に分岐
     し、何れも真っすぐに立って高さは40メートルにも達し、樹勢も盛んである。
     通称神代杉とよばれ、樹齢は1,300年とも2,000年共言われている。

     スギは各地によく育ち、名木・老樹・巨木と伝わるものの極めて多い。
     国の天然記念物に指定されているものは、全国で50 件に及んでいる。
     長野県のものは、下伊那郡根羽村の月瀬の大スギ1件である。

 

 

 

 

 

  数年前授精が弱り、案内の樹木医に診断を依頼された。診断野結果、幹の裏側
  (上の写真の裏側)に熊と思われる動物の引っ掻き傷と、蜂の巣があってこれが
  原因と推察された。蜂の巣の除去、搔き傷の修復、枝払いなど姿勢を整え養生を
  施した。現在樹勢の盛んなのもこの変にあるのだろう。

  左の写真の真ん中の丸い穴が蜂の巣の後で、黒い所が熊の引っ掻き傷の後だそ
  うだ。