後期シルバーの戯言

一寸した日常生活・身辺雑記と旅日記

迎賓館・明治神宮

2017年01月28日 | 名勝・神社巡り

1月20日信毎観光の日帰りバスツアーで、迎賓館赤坂離宮と明治神宮へ行ってきた。
6時半長野駅東口を出発、高速上信越道「湯の丸SA」での最後の乗客で参加者19名だった。途中渋滞も無く予定より早く東京都内に入った。
迎賓館の入館が13時の為時間調整のため、運行バス運転手の好意で「はとバス」の観光並みに、丸の内から永田町界隈を回り皇居・国会議事堂など車窓から眺め、靖国神社を
車内から参拝した。12時半新宿駅近くで懐石料理の昼食を頂き12時45分迎賓館に到着する。

*迎賓館赤坂離宮
  入館には持ち物などの検査が厳しく、館内は写真厳禁、館内設備には絶対触れないことと注意があった。
 迎賓館赤坂離宮は昭和50年から毎年8月に10日間一般公開(参観)していたが、昭和28年4月から国外からのお客様をお迎えするのに支障のない範囲で、可能な限り通年公開
 することになったという。建築物は勿論内装の装飾は素晴らしい美術品(美術には疎いのでただ感嘆するばかり)で埋め尽くされていた。

 迎賓館のパンフレットによると「迎賓館設立の沿革」は次のようだ。

  ”場所は港区元赤坂2丁目1番1号で元紀州徳川家の江戸中屋敷があった所。明治維新以降30年経って洋風の東宮御所を建設することになり明治32年(1899)着工明治42年 
     (1909)赤坂離宮が完成した。敷地面積;117,062㎡(35,411坪)、建坪5,170㎡(1,566坪)の赤坂離偶が完成した。建物は、幅125m・奥行80m・高さ23,2mの広大な
   もの。構造は、鉄骨補強レンガ造りで、地上2階・地下1階・の耐震耐火構造となっている。日本における唯一のネオバロック様式の西洋風宮殿建築である。

    この建物は、明治天皇や今上天皇が1次期お住まいになった以外、東宮御所としてあまり使用されたことはなく、戦後、建物・敷地ともに国に移管され、国会図書館や
   内閣法制局など国会及び行政の期間に使用されていた。その後、外国の賓客を迎える機会が多くなってきたが、それに充てる国の施設がなかったので、国の迎賓館を
   作ることになり、赤坂離宮を改修これに充てることになった。改修工事は昭和43年(1968)に着工和風別館の建設と合わせて昭和49年(1974)現在の迎賓館赤坂離宮が
   完成した。

    開館以来、っ世界各国の国王・大統領・首相などの国賓・公賓が宿泊・歓迎行事・首脳会談・要人との会談・晩餐会の開催されている。又先進国首脳会議や日本・
   アセアン特別首脳会議などの国際会議の会場としても使用されている。
    なお、平成21年(2009年)、迎賓館赤坂離宮の本館・正面・主庭噴水池等が明治維新以降の建造物としては初めて国宝に指定された。”

 なお、今回は迎賓館本館の見学だったが、和風別館も一般公開されているので何時か訪れてみたいと思っている。




                       
               正 面 入 り 口                              入口から迎賓館望む                          前   庭

                         
         迎賓館正面                                屋上の飾りが見もの                                鳳  凰

                       
        左右対称に設置されている 阿吽の像                               裏 側 この前が主庭                            主 庭 噴 水

              
       主庭噴水と迎賓館                                    迎 賓 館 裏 側
 
以下の館内の写真は赤坂離宮迎賓館のパンフレットからコッピーしたもの(迎賓館了承済)

                                        
来客が最初に案内される控えの間、晩餐会の招待客が国・公賓に謁見したり         国・公賓の公式晩餐会が模様される大食堂で最大130名の席。   
条約・協定の調印式や国・公賓のとのTVインタビュー等に使用される。             それ以外にも首脳会議等の場としても利用され、昭和61年の
                                                         第12回主要国首脳会議(G7)はこの部屋で実施された。                          

          
     

    国・公賓用のサロンとして使われ、ここで表敬訪問や首脳会談等が行われる。

 

 

 

 

                                                       
     中央階段                                                                    2階大ホール
 階段の床に大理石が貼られ、その上に赤い絨毯が敷きつめられている。      ホールの中心には8本の大理石でコンクリート様式の大円柱(高さ5.47m9)が並んで
 階段の左右の壁緬には、大理石が鏡張りされている。                 いる。説明員によると大理石の模様は描いたものではなく大理石の自然の模様だそうです。

*明治神宮
 昔参詣したが記憶が薄れており初めて参詣する気持ちである。
  明治神宮は、東京都渋谷区にある神社明治天皇昭憲皇太后祭神で、初詣では例年日本一の参拝者数だそうだ。Wikipedia百科事典によれば、正式な表記は「宮」の「呂」
 の中間の線が入らない「明治神」とあり初めての知った。神宮の森は
、全国から献木されたおよそ10万本を植栽した人工林だという。加藤清正が掘ったと言われる
 「清正の井戸」や花菖蒲園のある御苑は、時間の 関係もあり御苑内の散策は取り止めた。

  明 治 天 皇 践 祚 百 五 十 年  
   「慶應三年(1867)御歳16歳で第122代天皇に御即位」

  明治天皇御製
   ちはやぶる 神のまもりに よりてこそ
   わが葦原の くにはやすけれ
     
   皇室の弥栄と国の隆盛・世界の平和を祈り家庭や社会の絆を大切にして日々の生活に励みましょう
                                  明治神宮・ 明治神宮崇敬会  

     大鳥居
  我が国で最も大きい木製の「明神鳥居」。昭和50年12月23日立替竣工,篤志家により奉献。
  形式寸法共に大正9年創健の鳥居に同じ。原木は台湾丹大山の樹齢1,500年に及ぶ扁柏。
    高さ 12メートル   柱と柱の間 9,1メートル   島木の長さ 15,5メートル 
    柱の径 1,2メートル  
笠木の長さ17メートル
            

            

           
         南新門前の鳥居                                  南神門 ここを入ると拝殿前の広場左右に東神門・西神門がある

                               
   拝 殿 奥に本殿  この広場で稀勢の里の土俵入りがあった。          本  殿 この広場で稀勢の里の横綱推挙式があった。八角理事長から
 
                                               「品格力量抜群に付横綱に推擧す」と書かれた横綱推挙状を受ける(報道による)  

 

  拝殿前の広場で東神門から結婚式場に向かう新婚の一行に出会った。西神門に入り本殿に向かうのだろう。
 新郎は外国人、外国人が神前結婚?

 

 


善光寺大本願お上人

2017年01月19日 | 神社・仏閣巡り

平成29年善光寺初詣のブログで出仕する大本願上人に出会ったと記したが、鷹司誓玉上人ではなく副住職だった。以前から鷹司誓玉上人が体調がすぐれず副住職が諸行事をお勤めなさっているとは聞いていたが、副住職がどんなお方か存じ上げず初めて拝顔した。
副住職がどんな方か善光寺大本願のHPにもないので、ネットで検索したところ、長野郷土史研究会副会長小林玲子の2008年4月2日の「小林玲子の善光寺表参道日記」にあった。それには副住職に就任された鷹司誓栄尼について次ように記されている。

 ” SBC信越放送で鷹司誓栄尼が大本願の副住職に就任されたと報じられた。2年前(2006年)から大本願で修行されていた誓栄尼。昨年(2007年)秋に、鷹司誓玉上人の養女と
 なられていました。今後はお上人様に替わって、本堂でのお勤めもされるそうです。”

又、一昨年(2015年)の御開帳の際、信濃毎日新聞の浄土宗の中日庭儀大法要に関する記事に次のように報道されている。

   ”善光寺大本願副住職鷹司誓栄さん(52才)が、5月9日に行われる浄土宗の中日庭儀大法要で、103年前に56歳の若さで亡くなった第118世勸修寺勇心上人の袈裟衣を
  まとう。大法要は御開帳の重要行事の一つ。激動期の善光寺と大本願を影で支えながら住職在住は1年と短く、資料がほとんど残っていない勇心上人に対し、
  深く思いをいたしてのお勤めになる。
   誓栄さんは大法要で、導師の大本願住職誓玉上人(85歳)を補佐する。勇心上人着用と伝わる袈裟は、鮮やかな赤の絹地に金糸で聞くや牡丹、桔梗をあしらっている。
  大本願によると、1912(明治45年)の御開帳の時に身に着けたとみられるが、勇信上人は長患いが悪化し、同年6月に亡くなった。”   
   

 

 

 


平成29年善光寺初詣

2017年01月04日 | 神社・仏閣巡り

2日、帰省中の二女と妻3人で午前10時善光寺初詣に出かける。例年通り旧82銀行裏の駐車場に車を止め、善光寺へ向かう。境内に入り大本願の前に来たとき、丁度善光寺の
1月の行事修正会に出仕する大本願お上人(副住職)に出会った。仲見世通りを除き本堂までお数珠頂戴が行われた。

  注;善光寺HPより
    *修正会;正月の法要で3日間一山の住職が出仕して天下泰平、国家安穏、五穀豊穣、万民快楽を願う法要。
    *お数珠頂戴;法要の導師を務める善光寺住職(大観進のお貫主、大本願のお上人)が本堂を往復する際、参道にひざまずく信徒の頭を
     数珠で撫でて功徳をお授けになる儀式。

 毎年のことだが善光寺の初詣は人出が多く大変だ。本堂前は本堂内の参拝の混雑を避けるためロープを張って規制している。三門から4回の規制
 だった。

                       
                  修正会に出仕するお上人(仲見世通り)                         お上人のお数珠頂戴                                               

         
             善 光 寺 本 堂                               山   門

                         
         山門から 仁王門方面仲見世通りの参拝者                 本堂から 規制で待つ参拝者 奥は山門