後期シルバーの戯言

一寸した日常生活・身辺雑記と旅日記

老人クラブの旅行

2011年06月25日 | 旅行

先日所属の老人クラブ「長盛会」の春の旅行に参伽」した。長野市稲葉日詰地域の老人クラブで、同じ名前があるので「日詰長盛会」と呼称している。ここ2~3年旅行先が馴染みの場所だったので不参加だったが、今回は宿泊ホテルが初めての温泉だったので参加した。女性11名男性15名の計26名で「日商旅行」という長生会の昔からの馴染みの旅行会社の企画のようだ。

途中日本ワイン発祥の地、上越市の「岩の原ワイナリー」でワインの試飲、ショッピングの後、目的の新潟県長岡市寺泊野積の寺泊岬温泉の宿泊地へ直行。、宿は「ホテル飛鳥」経営者は寺泊の鮮魚市場の「寺泊中央水産」の経営者と兄弟だそうだ。温泉は数年前掘削した所1,100mで50度前後の温泉が噴出したものだと言いう。湯量が多かったのでホテルの向かいに日帰り温泉施設を建設「太古の湯」として開設している。ゆったりとした広々しホテルで、料理もボリュウムより味に重きを置いているように思えた。一流の料理とはいえないまでも庶民には満足出来るものだった。

翌日は寺泊の鮮魚市場の[寺泊中央水産」でショッピング。ご婦人方の購買意欲はすざましい。私はもっぱらウィンドショッピング、市場の他の商店名で気がついた、長野市内にも支店があったのだ。何も此処で購入しなくてもと思うが、旅先で友人・知人等へに土産を含めたショッピングは格別なものだろう。

次ぎに燕市分水町の「信濃川大河津資料館」を見学。越後平野の信濃川の洪水による災害を守るため作られた分水路(新信濃川)だ。通常時信濃側の荒堰を開いて越後平野に用水として放流、その他の水は分水路の可働堰から日本海へ、上流が洪水の時は洗堰を閉じて全量を分水路え流すそうだ。又渇水時には可動堰を閉じ全量を荒堰から本流に流すという。

工事は1870年着工したが技術的問題や新潟町民の反対などで1875年中止、その後必要性を唱える方々が工事再開の運動を起こし1909年再開した。1922年完成通水・1927年自在堰破損・1931年補修工事で可動堰完成、ようやく安定した運用が可能となったという。詳しくはインテrネットのフリー百科辞典「ウィキペディア」が解り易い。

次に燕市工業団地内にある地元生産の商品市場「ストックバスターズ」でショッピング。ここでも私はウィンドショッピングだった。

寺泊地域は良寛・親鸞ゆかりの地で、又、日本最古のミイラのある西生寺・越後最古の古刹「国上寺」・隣の出雲崎には「良寛記念館」など訪たい史跡・旧跡が多い。何れ単独で訪れたいと思う。

ストックバスターズから帰路に付き、途中国道8号米山大橋のレストランで昼食16時前帰宅。楽しい思い出に残る旅であった。

    
  ホテルから向かいの太古温泉と日本海               寺泊海鮮市場の海側の公園[平和の礎」の塔

    
 大河津分水地点、右に大河津可動堰があり、          大河津可動堰動、右側から新信濃川となって日本海へ
 左上方で左側に信濃川本流が分かれている。          放流される。


                         日本海に沈む夕日ーホテルから

 

 

 

 


円通寺・蓮台寺と芸術の島「直島」

2011年06月02日 | 旅行

先日岡山県倉敷市の円通寺・蓮台寺と瀬戸内の芸術の島と言われる直島(岡山玉野市宇野港の沖だが四国香川県の地籍)へ行ってきた。宿泊は宇野港近くの海岸の玉の湯温泉瀬戸内マリンホテルだ。温泉らしい温泉ではなく、リゾートには何とまく相応しくないような気がする立地だ。

*円通寺
  縁起は兎も角、越後生まれの良寛修業地として、岡山県史跡に指定されていることで名高い寺である。本堂が藁葺きの屋根なのも珍しい。良寛記念館には良寛の書が展示されていたが実物は保存されており展示品はコッピーだそうだ。なかでも字の一部が滲んだ書があり良寛の書の中では唯一の書だそうだ。

     
        
   良 寛 像                          良寛詩碑 

  
        石 庭 園     
                    藁葺き屋根の本堂                   

*蓮台寺
  讃岐の金毘羅宮両参りのお寺として有名である。厄除けの寺、由加山蓮台寺で名高く、厄除け本尊は瑜伽大権現で正月には約30万人が参詣するそうだ。備前藩主池田継政(二代)以降信仰が篤く,祈願寺として藩主自ら参拝になられ、その時宿泊使用された建物が「客殿」として絵画を含めて県指定の重要文化財となっている。

              
                        蓮台寺総本殿(瑜伽殿)        

                                  
          大  師  堂                         客殿庭園と奥の院権現堂


*地中美術館(財 直島福武美術館財団 館長福武總一郎)
  地中美術館は福武書店(現ベナッセコ-ポレーション)の創設者福武哲彦の意志を継いで、2代社長福武總一郎(現ベネッセコーポーレーション会長)が建設、2007年開館した。美しい瀬戸内の自然の景観を壊すことなく名前通り地中に建設された。

建築家安藤忠雄の建築、クロード・モネの睡蓮5点の展示、アメリカの「ウォルター・デ・マリ」・「ジェームス・タレル」の美術作品がある。一般の美術館が単に地下に造られたものと思っていたが違った。普通の美術館はチケットを購入,入館すぐに絵画や彫刻展示されており、順路に沿って鑑賞する。ここは全く違う、チケットは別館で購入そこから地中の庭という、クロードモネが愛した植物を配した庭園を散策し美術館に到達する。。

入口はコンクリートの塀に幅1m強高さ2m強程の入り口で表示は無い。館内には順路の表示もなく案内人がいなければ迷子になる程迷路だ。矩形の通路、3角・4角の庭、素人から見れば変わった設計だ。憩いの場所としてストアーとカフェもある。

モネの展示室は照明は天井からの自然光だjけで他の照明は全くない。安藤忠雄の設計は地上に立ち上がる外観のデザインを退け、地中だけで構造体が構築されている。ウォルター・デ・マリとジェームス・タレルの作品は一寸説明し難く一見するよりない。なんとも驚嘆する光と空間の提示である。


              地中美術館の丘 地下25m
までに美術館が建設されている。
                        
表面のコンクリートの枠は館内への光の取り入れ口。
       写真は「地中美術館のHP」から。

*ベネッセハウス(ベネッセアートサイト直島)  
  1992年オープンしtた宿泊施設で美術館とホテルが一体となった複合施設だ。ミュージアム・オパール・パーク・ビーチのの4施設で,何れも安藤忠雄の設計だ。その中のミュージアムを訪れた。リチャード・ロングが 1997年直島を訪れ「15夜の石の円」瀬戸内海の流木の円」「瀬戸内海のエイヴォンかわの泥の環」作った作品が展示されていた。私には良く理解出来ない作品だ。その他さまざまな作品が展示されていたが学芸員に説明して頂かないと解らない。

     
    屋 外 の 展 示 品


    ベネッセハースミュウジアム外観 写真は 「ベネッセハウスミュージアムHP」 から

 

*家プロジェクト(ベネッセアートサイト直島)
  直島町の本村地区の古い家を改修し、アーティストが作品化したしたもので、現在角屋・南寺・きんざ・護王神社・石橋・碁界所・はいしゃの7軒が公開されている。時間の関係で4か所回った。さほど見応えするものでもなかった。町の年配の方々に案内して頂いた。鑑賞チケットが1,000円なのでボランテアではないかもしれない。 

                            宮浦港のモニュメント                                     直江町役場  町の木「黒松」


           ベネッセアートサイト直島「家プロジェクト直島」のHPの写真