後期シルバーの戯言

一寸した日常生活・身辺雑記と旅日記

年寄りの戯言

2014年12月24日 | 戯言

老人の雑感

*老化度を測る目安は「くれない指数」;曽野 綾子著「老いの才覚」。
    一般に老人とは65歳以上(現在は70歳以上でもと思うが)といわれているが、曽野女史は老化度を測る目安として「くれない指数」
   だという。それは友達・配偶者・娘・息子・兄弟・従兄弟 が「してくれない」と始終口にしている人がいる。「私も連れていってくれ
  ない?」「◯◯さんに伝えておいてくれない?」「ついでに買ってきてくれない?」と絶えず他人を当てにしている人がいる。若い人で
  「くれないと言い出した時が老化の始まりで、老化の進行は「くれない」という言葉を発するかで解るという。
  いつの間にか「老人だからもらって当たり前」「親切なにされて当然」というような風潮が顕著になったのでしょう。とあった。
  全く同感で他にもうなずける老いの才覚が多く記述されていた。

*高齢者は「きょういく」と「きょうよう」が大事;ある雑誌のハイヤーによる四国88箇所遍路巡りの案内紀行文。
  このハイヤーの運転手は遍路先逹の資格を有しているそだ。お遍路中は袖すり合うも多生の縁で、さまざまのお遍路さんとの話のなかで、
  「きょういく」は今日行くところがあることで「今日行くー教育」、「きょうよう」は今日用事があるので「今日用ー教養」を信念に勢い
  余って「今日行く」場所を四国にしたという方もいたと紀行文にあった。
  何もする事なくTVにかじりついたり、ごろ寝をしていればボケも早まることだろう。
  

*スッピンとチョイス
  スッピンはNHKラジオ第一放送のウィークデー8時からの番組。何故スッピンなのか良く解らない。
  チョイスは教育TV毎週土曜日午後8時からの「チョイス」である。「選択」でも良いと思うが、アナウンサーのチョイスという発音が
  誠に耳障りである。今の社会人には老人の戯言は通用せず蔑まされるのが落ちだろう?。

*災害等に伴う交通機関の運行状況のTVの報道
  現状の運行状況の詳細は、交通機関のHPで確認して下さいと報道されるが、パソコン・スマホンを持たない年寄りはどうするの。
  考えたら冒頭の「くれない」の老人は勿論、パソコン・スマホを利用しない老人は1人で行動しないから関係ないか?。でも違和感が
  ある。

*衆議院選挙後17日の信濃毎日新聞のⅠ面の斜面
  お恥ずかしいことだが北海道比例ブロックで「支持政党なし」の政党名があったとは知らなかった。議席は確保出来なかったが、社民党
  や次世代を上回る10万4千票を獲得したそうだ。代表は40代の男性で政策は無く、法案ごとに賛否を有権者にネットで問い、結果を
  議決に反映させるそうだ。政党不信の表れか、変わった人がいるものだ。

 


  
  

 


奥びわ湖もみじ回廊

2014年12月06日 | 旅行

11月27日~28日1泊2日で奥琵琶湖紅葉回廊というツアーに行ってきた。
紅葉もさることながら清瀧寺徳源院・近江孤篷庵・鶏足寺・石道寺の参拝と、寺宝の収蔵庫 己高閣・世代閣の数々の仏像などの寺宝を拝見
する旅である。滋賀県米原市と長浜市に点在する寺院の庭園・参道の紅葉は26日の雨で若干散り始めていたが見事であった。
湖南三山・湖東三山の紅葉は名高いが、今回はあまり知られていない所で,旅行会社も初めての企画だという。
紅葉も前者の三山より若干見劣りはしたが,紅葉の名勝で綺麗だった。

参加者は夫婦連れが多く、他に女性のグループなど33人の参加であった。長野駅ユメリア駐車場を6時出発、伊吹山山麓のレストランで昼食、
27日最初の目的地米原市の清瀧寺徳源院に向う。清瀧寺を参詣散策後、長浜市の近江孤篷庵へと回り、3時半頃今日の宿、琵琶湖湖畔の
「長浜ロイヤルホテル」に到着する。早く着いたのでホテル前の公園を散策する。

2日目は寺宝の収蔵庫「己高閣・世代閣」と鶏足寺~石道寺と回り、日本海沿岸の敦賀市に行き「日本海さかな街」で昼食、散策後14時半
帰途につく。

*清瀧寺徳源院  天台宗 比叡山延暦寺派 米原市
  平成23年のNHK大河ドラマ「江~姫たちの戦国」で馴染みの、信長の妹「お市」の2女「初」が嫁いだ19代京極高次公を中心に祀って
  ある京極家の菩提寺で、墓所は国指定史跡である。池泉回遊式庭園は県指定名勝でもある。

  青瀧寺徳源院 山号;霊通山 宗派;天台宗 本尊;木造聖観世音菩薩 市指定文化財
  鎌倉時代から戦国時代にかけて北近江を支配した佐々木京極氏の菩提寺です。
  初代氏信公の法号から青龍寺と称しました。
  江戸時代初め、京極大二十二代(丸亀藩二代)高豊公は、歴代の菩提寺からその墓石を集
  めて、墓所上段に祀り直されました。その祖先を供養するために三重塔を建立し、本堂を
  墓所の前に移し、十二坊を復活、六百石を寺に寄進して、寺院名も父の法号をとって徳源
  院に改めました。
  *本堂本尊 木造聖観世音菩薩 市指定文化財 *京極家墓所 国指定史跡
  *池泉回遊式庭園 県指定名勝庭園 *道誉桜(エドヒガン桜)市指定天然記念物
  *大般若経六百帖 市指定文化財
  
                                   *三重塔 県指定建造物 本尊木造如意輪観世音菩薩 市指定文化財

                          
               位牌堂の阿弥陀如来像・歴代坐像も並ぶ                  三重塔;県指定文化財 

                       
     下段墓所;19代から当主や分家の墓14基(石廟もある)      上段墓所;始祖氏信から18代孝義まで歴代当主の墓18基

             
                 
                境 内 の 紅 葉

 ←庭園;紅葉の絨毯が綺麗だ 


  

 
*近江孤篷庵 臨済宗大徳寺派 本尊釈迦牟尼如来坐像 長浜市上野町
  京都孤篷庵と同じ円恵霊通禅師(江雲和尚)が開山。遠州候及び小堀家家老家臣の修禅及び菩提道場であったが、江戸後期改易により衰退
  の一途をたどり、その後明治維新の頃以降無住なった。昭和13年再建されたが、昭和43年の伊勢湾台風で全面倒壊、昭和40年本堂を
  再建、境内や庭園も補修整備された。昭和34年庭園の石組等が遠州流庭園ということで滋賀県史跡名勝に指定された。

  滋賀県指定名勝 孤篷庵庭園
                      昭和36年4月26日
  この寺は、小室城主であった小堀家の菩提寺として、承応二年(1653)遠州没後に
  建立された。当初は少し離れたところにあったが、三代政房の宝永六年(1709)に
  現在地へ移された。庭園もその頃の築造と考えられる。
   庭は、本堂の東側にせまる山裾を利用した池庭と、南側に開けた枯山水とからなって
  いる。池の護岸及び築山の石組も小ぶりに穏やかで自然にとけこみ、枯山水は五老峰と
  称する山岳、枯滝を眺めの焦点に、全面を水面に見立てて舟石を配する。本堂縁先の礎石
  を転用した手水鉢も名品である。遠州の菩提所である。同盟の京都大徳寺塔頭に対し
  近江孤篷庵とよばれている。

                                          平成二年三月          滋賀県教育委員会

        
         近江孤篷庵 参   道                                  山   門         

        
            本   堂                                  本尊;釈迦牟尼如来坐像

        
          本堂東側せまる山裾を利用した池庭                   南側に開けた枯山水                      

  ◯参道入口手前に素盞烏命神社があった。神社一覧表にも掲載されていない。Wikipedia百科辞典では同名の素戔嗚尊(字が違う)は古事記
   による日本神話神で伊奘諾尊(いざなぎのみこと)・伊奘冉尊(いざなみのみこと)の子、天照大神(あまてらすおおみかみ)の弟とある。
   又別資料によれば素盞烏神社(命がない)は牛頭天王スサノオを祭神とする祇園信仰の神社とある。命・尊の有無や、字が違うことも
   あって、いかなる神社か全く解らない。立派な鳥居と神社名の石塔があって参道の紅葉は綺麗だった。     

        
                            素盞烏命神社 鳥居と参道
*己高閣・世代閣
  己高閣はかつて己高山に構えていた寺々の寺宝を納めるため、昭和38年に建てられた滋賀県最初の文化財収蔵庫で、延喜式々内社與志蠟
  神社の境内地に建立された。鶏足寺の十一面観音をはじめ、数々の重要文化財が納められている。

  世代閣は、村人たちによって当地区の石器時代以降の文化財や世代山戸岩寺の寺宝等の保存の為、区民の浄財のみによって収蔵庫を建設し
  山号に因み「世代閣」と命名し、平成元年秋に開館された。戸岩寺の薬師如来像立像をはじめ多くの仏像仏画や古文書類が収納されている。
  
  ◯世代山戸岩寺;僧行基が栗谷山五ッ岩に薬師如来像を自ら彫刻し、岩にちなんで「世代山戸岩寺」となずけ建立した。以来弘法大師が大日 
   如来や魚籃観世音を又、恵心僧都も阿弥陀如来を祀った。以来政情の変化などにより廃寺となったが村民の努力により寺宝が守り続けられ
   てきたという。

        
            與志蠟神社                                 旧戸岩寺

       
               己高閣                            孤高閣入口左にある写真

*鶏足寺
  無住となっており寺宝は己高閣に納められている。

   飯福寺 現鶏足寺
   当寺は、古く奈良時代に行基上人が草創されたと伝えられており、その後一時南都興福
   寺の末寺となりました。また興福寺官務牒疏には、己高山観音寺の別院としてその名が
   記されています。
   中世の延徳年間(一五世紀)には、法印実盛上人により飯福寺はおおいに隆盛を誇り
   実盛上人は、中興の名僧と呼ばれました。さらに戦国時代には、浅井氏、京極氏から
   庇護を受け特に浅井氏三代の祈願所として隆盛を極めてきました。
   江戸時代においても幕府から寺領を与えられ大寺として格式を誇ってきましたが、明治
   時f代に入り廃物希釈などによって寺院の規模は縮小されてしまいました。しかし、そ
   の後村里の人々の努力により現在のように整備され「幽遠の仙境遠く俗塵をはなれたる
   の古刹」の面影を残しつつ大切に守られています。
                                                       木之本町教育委員会

        
             参 道 入 口                                  参  道 

        
             鶏 足 寺(無住)                            己高閣界隈の紅葉  

*石道寺
  鶏足寺から5~10分石道寺に到着。
 
  石道寺
                 「国指定重要文化財」
       木造十一面観音菩薩    一躰  像高  173cm
       木造持国天立像      一躰  像高  184cm
     木造多聞天立像        一躰  像高  184cm             
                  「県指定文化財」 
     木造十一面観音立像    一躰      像高  102cm 
  本寺は、神亀三年(726)延法上人が草創され、その後、延暦二十三年(804)に伝教大師
  が十一面観音をまつり再興されたと伝えられています。
  (後世、天台宗を廃して現在のように真言宗に移行されました。)

また、大和興福寺文書によると本寺は己高山五箇寺の一寺で、僧房三十八宇、衆徒二十口、本尊観世音、延法上人開基と記されており、往時は壮大な寺院であたと考えられます。 
(現在の観音堂は、明治年間に現地点から約一km離れた山間から移築されました。)
十一面観音立像は一本造りで、彩色や面相並びに衣文から平安時代中期の作とみられます。持国天立像、多門天立像は檜材の寄木造りで、面相や衣文から鎌倉時代の作とみられます。
                                                木之本町教育委員会 

                    
                          石 道 寺                               石道寺界隈の紅葉

                                                                                                石 道 寺 界 隈 の 紅 葉     

2日目28日予定の寺宝の収蔵庫・寺院・紅葉狩りを終えて敦賀市に向かい日本海魚待を散策昼食を摂り午後2時半帰途に就く。
交通渋滞もなく予定より早目に到着20時前に帰宅出来た。