後期シルバーの戯言

一寸した日常生活・身辺雑記と旅日記

カルチャー

2011年04月15日 | 戯言

昨年度は、趣味や健康の為、太極拳・シルバー健康体操・大人のピアノ教室に通っていた。今年は更に1件追加したいと思い調べたら、月曜日に血液サラサラ健康体操というのがあった。今年度はこれを加え、週4回の教室通いという事にした。どの講座も1回1時間~2時間ではあるが、半日つぶれる。

11日(月)が血液さらさら健康体操の日で、名簿を見ると20名男性は1人だけである。殆どが60歳前後の女性で一寸気がひけるが、バレーの白鳥の湖ではないが大勢の女性ダンサーの中に、年寄りのおじさんが王子様のつもりで踊るのも一興と思い続けることにした。ストレッチ・体操・遊戯など後期高齢者には丁度良い運動である。

ちなみに数年続いているシルバー健康体操は40数名で男性は7名、太極拳は17~8名の内男性3名、専門的なカルチャーは別として殆どのカルチャーは女性が主体である。シルバー健康体操は、先生が専門の教育を受けた若い男性で、遊びがありながらも充実した運動に感じる。

血液サラサラ健康体操の先生は、子供の体操教室(ダンスらしい)でその先生に誘われアシスタントを務め勉強した若い女性だ。、教室の生徒とは女性特有の「おしゃべり」で賑やかだ。ストレッチ・体操・遊戯とあまり「血液さらさら」と直接関係無いと思うが、運動そのものが「血液さらさら」に効果があるのだろうから、良しとしなければならない。 

 


法要

2011年04月10日 | 戯言

27日(日)10時から上山田普携寺で義兄の7回忌法要があった。普携寺は曹洞宗で私の実家の宗派と同じ本山は永平寺である。7回忌は命日から数えて万6年目に営まれ法要で、年回忌は亡くなった翌年に営まれる1回忌、その翌年が3年目を迎えるということで3回忌、以降7回忌・13回忌・23回忌・27回忌・33回忌・50回忌とある。33回忌を年忌止めと言って、これで年忌供養を打ち切ることが多いそううだ。

平均寿命をまっとうして亡くなった方の33回忌の供養を、連れ合いが営むのは大変難しことだろう。義兄の33回忌は26年後だから、2月に傘寿を迎えた姉は114才で、33回忌法要を営むなら子息ということになるのだろう。

長男子息のはからいで、故人を偲んでの宴席をセットして頂き、上山田温泉の旅館で1泊した。一ヵ月前に姉の米寿を祝う宴席があったばかりだが、ほぼ同じメンバーでカラオケもあって楽しい宴会となった.

法要の後、夕食まで時間があったので、千曲川万葉公園を散策した。公園の中にマレットゴルフ場もあった。日曜日だが公園にはマレットゴルフ1組だけ、他に釣り人が2名だけであった。快晴だが冷たい風が強く、寒い日だったので人出が少なかったのかどうか。

     
                                        万 葉 公 園 - 千 曲 川 河 川敷
    

      
         温泉の開祖の碑                             温泉中興の祖
     坂井量之助翁(1859~1905)                                畑山国三郎翁の頌徳碑(左)

      
                歌詞千曲川の記念碑   平成3年 秋  作詞者山口 洋子

 *マピオン大百科より

坂井量之助
坂井家は江戸時代から続く下戸倉宿の名主。15代目の量之助は明治期には戸長から貴族院議院互選人となった。私財で戸倉温泉を掘削・開湯し、戸倉駅誘致に尽力したが、温泉施設は毎年千曲川の水害で流失して損害を被り、坂井家は2度の破産に見舞われた。1905年(明治38年)に戸倉駅開業を待たずに没した。

坂井家は1596年(慶長元年)以来の酒蔵でもあり、現在も戸倉駅付近で旧家を改装した酒屋として営業している。1760年(宝暦10年)建築の母屋をはじめとして、宝暦、寛政、慶応、明治、大正、昭和期の酒蔵が残され、国の有形文化財に登録されている。

 畑山国三郎
上水内郡牟礼村に生まれ、若いうちから長野市で事業で成功する。坂井の後を継ぎ、千曲川の築堤や架橋、温泉掘削や施設の整備を行い、現在の戸倉上山田温泉の礎を完成させた。