後期シルバーの戯言

一寸した日常生活・身辺雑記と旅日記

御朱印巡り東海愛知編

2019年09月20日 | 神社・仏閣巡り

9月12日「ちょこTrip」の日帰りツアーで「御朱印巡り東海愛知編」に参加した。

日程  長野駅東口 6;40ーーー11:00真清田神社11;50ーーー昼食ーーー13;00大須観音13;50---14;00熱田神宮14;50ーーー18:00長野駅東口

御朱印巡りであるが、以前神社・仏閣参詣で御朱印を頂き、御朱印帳7冊になりいろいろ思いもあって、2014-11-27の「奥琵琶湖もみじ回廊」を最後に御朱印収集を止めにした。御朱印帳巡りであるが関係なく神社仏閣参詣で参加した。

 参加者26名、今回は御朱印巡りとあって、私を除きは御朱印収集が趣味の方々ばかりで単身の男性も多い。中にはA4版之朱印帳を持っていた。初めて見る朱印帳で驚いた。
真清田神社参詣後、真清田神社近くのきしめんがメインの食事処で昼食後大須観音に行く。参詣後熱田神宮に行く。1時間程境内散策後帰途に着く。カメラ不調で今回写真無。

 


雲上殿& 地附山公園

2018年09月24日 | 神社・仏閣巡り

9月15日嫁いでいる娘2人が帰省した。多分両親が高齢となり医者通いをしているので心配して様子を見に来たのだろう。9月16日先行きのこともあり、娘2人にどの方法で納骨をするか、理解してもらうため雲上殿へ出掛けた。色々説明を聞き個別納骨で了解を得た。善光寺を参詣しようと向かったが善光寺周辺駐車場は満車、周辺場道路は渋滞、善光寺参詣は諦め、帰宅途中のそば屋(山智庵)で昼食帰宅する。

*納骨堂
  16日雲上殿の正面を見なかったので17日再度出かけた。以前は正面前の道路脇に駐車場があって、そこから階段をのぼり雲上殿正面広場に出たが、いまは階段は撤去され
  正面道路からは入れない。広場も野草が茂り昔の面影は全くない。納骨堂は正面右側に新しく東納骨堂増築されていた。善光寺HPによれば、平成27年2月に東納骨堂が
  造られたとあった。

              
                           西納骨堂                                 本 堂                                     東納骨堂

                
             納骨参拝事務所入口

            
            事務所入口手前左にある牛の石像

  
              牛の石藏から見る長野市内

 * 地附山公園 
   納骨堂から延びる道路は何処へ行くのか、地附山地すべり前はバードラインへつながっていたと思うのだがどうなっているか、先へ行ってみることにした。
   行きついたところは地附山公園だった。地すべりの跡が公園に整備されていたのだった。地すべの発生した時は新潟に在住していたので,当時のことは定かでない。
   
       
地附山公園入口(左側地すべり観測センター・右側公園)             地すべり観測センター                               地附山公園       
       

        
              地附山観測センター(公園の向かい側にある)に前にある「地附山の地すべり災害」の案内板

   昭和60年(1985年〉7月26日,午後5時ごろ、地附山「地すべり」が発生しました。地すべりは長さ700m,幅500m深
 さ60mにもおよブ山の斜面がすべり落ちるという規模なものでした。動き始めた斜面は、巨大な土砂のかたまりとなって、
 直下の湯谷団地や特別老人ホーム「松寿荘」に押し寄せました。そして、64棟の建物を押しつぶし、4人にけがをさせ、
 26人の命を奪いました。
  災害のあと、長野県は、すぐに応急対策ををするとともに、二度と災害がおきないように、さまざまな地すべり対策を
 行いました。また、市民のみなさまとともに植樹を行って、地附山を緑にする努力も続けています。この公園では、
 昭和60年の災害をふりかえり,地すべり、対策について学ぶことができます。地附山を歩きながら、どのようにしたら
 土砂災害から守ることが出来るかを学習してみましょう。

 

  
       

   地附山「地すべり学習」マップ
  
地附山公園は一般の憩いの公園ではなく、地すべり対策・土砂災害を学習する公園である。
  
 ルート案内版から左廻りに
  集水井と排水トンネル・杭工・鋼管・地附山の馳走地質・学習体験コーナー・
  集水井と排水トンネル・植栽工・GPS観測システム・集水井と排水トンネル・
  法枠工とアンカー工・総合案内版 

 

 

 

 

 

       GPS観測システム 地すべりを監視する
 GPS(Global Postioning System)は、日本語では全地球測位システムといい宇宙にある衛星からの電波を受けて、
   位置を正確にはかるシステムです。自動車についているカーナビゲーションシステムも、このGPSを利用しています。
 地附山には11の観測点があり、1つを基準点にして、そのほかの観測点との位置関係が変わらないかを24時間見見張って
 います。その正確さは、位置が1cm動いただけでもわかるほどで,地すべりの始まりもとらえることが出来ます。観測され
 たデーターは、地附山観測センター観測センターから長野県庁と長野建設事務所、、長野市役所に送られ、地すべりの
 観測や防災対策に利用されています。 

 

 

 

 


談山神社と室生寺旅行 其の二

2017年12月20日 | 神社・仏閣巡り

2日目8時半ホテルを出発、「なら和み館」で買い物休憩、、「なら和み館」の前の道路の向かい側に庭園があった、、バスガイドに聞いたが知らないというので見に行く。旧大乗院庭園で名勝だと看板があった

       
      旧大乗院庭園案内図                                                            庭園案内図の下側から望む  

「なら和み館」を9時出発談山神社に向かう。談山神社は奈良市の南桜井氏
市と明日香村の境付近の山手にある神社で、所在地は奈良県桜井市多武峰319で
 ある。10半頃到着50分程見学した。3,000本のかえでで紅葉が圧巻というが残念ながら時期が遅く色あせていた。

 *談山神社
  談山神社(たんざんじんじゃ)は、Wikipediaや談山神社HP等によれば、奈良県桜井市多武峰(とうのみね)にある神社。祭神は中臣鎌足(談山
  大明神・談山権現)。紅葉の名所である。神仏分離以前は寺院であり、多武峯妙楽寺(とうのみねみょうらくじ)である。
  
大和七福八宝めぐり(三輪明神長谷寺、信貴山朝護孫子寺當麻寺中之坊、安倍文殊院おふさ観音、談山神社、久米寺)の一つに数えられている。
  
藤原鎌足の長男定慧和尚が父の遺骨の一部を多武峰に会葬し、十三重塔、講堂を建立し妙楽寺と称したさらに、大宝元年(701)方三丈の神殿を
  建て、鎌足の神像を安置した。
これが談山神社の創設である。建造物が多く拙社、末社併せて八社ある。

    摂社:東殿(恋神社)
      末社:惣杜・神明神社杉山神社山神神社・比叡神社・稲荷神社・龗神社
                注  : 本社に付属する関係深い社を摂社,それにつぐ小社が末社
  重要文化財
 も多数あるというが、社殿が多く案内人がいないので、境内案内図頼りだが時間の関係もあり、中々か確認出来なかった。
    需要文化財
         
十三重塔 権殿・本殿・拝殿・東透廊・西透廊・楼門・東宝庫・西宝庫・摂社東殿・神廟拝所・閼伽井屋・
     
末社惣杜本殿・末社惣社拝殿・末社比叡神社本殿・摩尼輪塔

     〇十三重塔
       室町時代 享禄五年 1532年再建、桧皮葺、高さ16.17m
       屋根は桧皮葺で初層のみが特に大きく二層以上は軸部が低い。現存する唯一の木造十三重塔 だという。
  

        
                                             談 山 神 社 入 口                                                右:神廟 正面;権殿:右奥十三重塔                           

                                           
        末社・惣社拝殿                                                         末社・比叡神社社 本殿                                                    十三重の塔                                        
            
                          桜門                          本殿                                                                摂社東殿(恋神社)

                                                                                                                                   境 内 の 未 だ 見 頃 の 紅 葉

*室生寺
  室生寺には11時半過ぎ到着1時間程見学する。ここは2度目で記憶も定かではなかったが、シャクナゲと奥の院までの長い階段で昔の参詣を思い出さ
  せてくれた。

  室生寺は真言宗総本山室生寺派大本山で「女人高野」の名で知られている。高野山が女人禁制なのに、古くから女性に開放された名刹である。
  山号は「室生山」の文字を略した「宀一山(ベンイチサン)」と号するそうだ。開基(創立者)賢憬(賢璟)、本尊釈迦如来である。奈良盆地
  東方、三重県境に近い室生の地にある山岳寺院である。宇陀川の支流室生川の北岸にある室生山の山麓から中腹に堂塔が散在する。平安時代前期の
  建築や仏像を伝え、境内はシャクナゲの名所としても知られる。

   前回は奥の院御影堂を参詣したが、今回年相応の体力か、最後の階段50~60段程残して無理をせず体大事と引き返した。

        
        室生寺入口太鼓橋              室生寺表門                   仁王門                 

                
    鎧坂(本堂への階段)          国法 金 堂                   国法 本堂(灌頂堂)                   

         
              国法 五重塔                 奥の院 常燈堂(位牌堂)      参道の紅葉&シャクナゲ            

   五重塔は日本で最も小さく高さ16・1mだという。それがけっして小さく見えないのは急な石段のせりあがりにあるそうだ。

参詣後13時頃室生寺を出発、途中名阪国道脇の道の駅「榛テラス」で昼食、帰途に着き長野駅に21時頃到着した。
        





 

 

 


善光寺・戸隠神社参詣

2017年08月22日 | 神社・仏閣巡り

 8月11日帰省していた次女と善光寺&戸隠神社の参詣に行って来た。善光寺は年2~3回は参詣しているが、戸隠は拾数年ぶりである。

*善光寺
  国の重要文化財である「経蔵」が,綺麗な新しいの檜皮葺屋根を見せていた。未だ経蔵の内部は公開していなかった。善光寺のHPによれば、平成26年に始まった
  保存修理工事が今年6月1日着工時取り外していた「火焔宝珠」を、屋根の葺き替え完了に伴い経蔵最上部である元の位置に戻す作業を行ったという。
  8月中には工事完了、9月中旬より約9年ぶりに経蔵拝観再開の予定だそうだ。

  経蔵は宝暦5年(1755)に造り始め、同9年(1757)に完成した歴史ある建物であり、宝形造りで正面、奥行きともに15.4メートルの正方形の建物である。
  内部は石敷きで、中央に八角の輪蔵があります。輪蔵は、水平に柱が角のように出ていて、押すと心棒をめぐって独楽(こま)のようにくるくる回転するようになっている。
  輪蔵の中には、鉄眼黄檗版一切経(6771巻)が収められているという。

    経蔵の南にある 大観進護摩堂入口から山門に向かう通路の右側にある「仏足跡」・「石造宝篋印塔」は、何時も気にかけず通り過ぎていたが、今回は立ち止まり参拝した。

 ☆  経 蔵

     

     火焔宝珠の詳細は2016年9月20日のブログ「善光寺経蔵と濡れ仏&6地蔵」に記載。
 
仏   足    跡              

          
   仏足跡(仏足石)お釈迦様の足跡を医師に
   刻んだものです。古代インドで仏像が造られる
   ようになる前から、お釈迦様を表す象徴として
   礼拝の対象とされてきました.

 
           
 ☆ 石造宝篋印塔    

      石造宝篋印塔(伝 佐藤兄弟供養塔)
                            長野市指定文化財
      この地方で最古の逆修供養塔です。西塔には応永四年(1397年)の銘が入っています。古くから、源義経の忠臣
  佐藤継信・忠信兄弟の供養塔といわれ、若くして戦士した二人を供養するため、母親の梅唇尼が善光寺に産経参詣して
  建てたと伝えられています。
            


            

*戸隠
   久しぶりの戸隠だが「山の日」の祝日で3連休、観光客とお盆の帰省者で賑わっており、戸隠神社中社付近はどこも駐車場が満車、参詣は諦め奥社に向かう。奥社の駐車場は
 満車だったが、奥社入口横の「竹細工センター」の駐車場に駐車できた。標高1,000mを超えで高原で気温も低く参道は木陰で一層爽快である。
 参道は2Km程で中間の随神門からは樹齢400年の見事な杉並木が続く。途中から奥社まで凡そ500m程は急な登り坂の階段である。奥社は大変な参拝者で列をなしていた。

戸隠神社のHPによれば
  戸隠神社は霊山・戸隠山の麓に、奥社・中社・宝光社・九頭龍社・火之御子社の五社からなる、創建以来二千年余りに及ぶ歴史を刻む神社である。平安時代末は修験道の
  道場として都にまで知られた霊場でした。神仏混淆のころは戸隠山顕光寺と称し、当時は「戸隠十三谷三千坊」と呼ばれ、比叡山、高野山と共に「三千坊三山」と
  言われるほどに栄えた。
  明治になって戸隠は神仏分離の対象になり、寺は切り離され、宗僧は還俗して神官となり、戸隠神社と名前を変えて現在に至っている。
   奥社
    祭神:天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)
    由緒・日本神話にある、天照大神が天の岩屋にお隠れになった時、無双の神力をもって、天の岩戸をお開きになった天手力雄命を戸隠山の麓に奉斎した事に始まります。
   中社
    祭神:天八意思兼命(あめのやごころおもいかねのみこと)
    由緒:素戔嗚尊の度重なる非行に天照大神が天岩戸にお隠れになった時、岩戸神楽(太々神楽)を創案し、岩戸を開くきっかけを作ったという神です。
   宝光社
    祭神:天表春命(あめのうわはるのみこと)
    由緒:杉の古木の中、270余段の石段を登ると神仏習合時代の面影を残す荘厳な社殿があり、その荘厳さは多くの信者の尊信を集めております。
       祭神は中社祭神の御子神様で、開拓学問技芸裁縫の神・安産の神・女性や子供の守り神として御神徳があります。
   九頭龍社
    祭神:九頭龍大神(くずりゅうのおおかみ)
    由緒:鎮座の年月不明ですが、天手力雄命が奉斎される以前に地主神として奉斎され、心願成就の御神徳高く特別なる信仰を集め、また古来より水の神、雨乞いの神、
       虫歯の神、縁結の神として尊信されています。
   火之御子社
    祭神:天鈿女命(あめのうずめのみこと)
    由緒:承徳二年(1098)頃の創建で、岩戸の前で舞われた天鈿女命が主祭神で他に三柱の神様をお祀り申し上げております。

今回は混雑や時間のこともあって奥社・九頭龍社の参詣にとどめ帰宅した。「火之御子社」は未だ参詣したことがないので何時か訪れたいと思っている。

        
          参 道 入 口                               参   道                          随神門(屋根に草が生い茂っている) 

   長野県天然記念物
       戸隠神社奥社社殿社叢 (昭和48年3月12日指定)
  慶長17年(1612)に幕府より千石の朱印地拝領した戸隠神社は、奥社を中心に忘を集め、参道には植樹して過ぎ並木を
 つくり一山の威容を整えた。随神門から500mにわたって、当時二植えられた約200本程のクマスギ之並木が続いている。
 また、周囲の森林(約51ヘクタール)を社叢として伐採を禁じたため、イチイなどの針葉樹やブナを交えた水ならハルニエ
 などを中心とする原始林的社叢として保存されてきた。さらに、日本海側の珍しい植物や南方系の両生類なども見られる。
 樹林に繁殖する小鳥もキビタキをはじめ約80種類を数え、日本有数の小鳥の繁殖地となったいる。                  
                                長野県教育委員会・長野市教育委員会
 杉並木の参道(随神門の先が杉並木)

 

        
       階段の参道(杉並木に続いて奥社まで)                     奥   社                         九頭龍社(奥社の隣にある)

 

長盛会旅行

2017年07月01日 | 神社・仏閣巡り

6月21~22日1泊2日老人クラブ「日詰長盛会」の春の研修旅行があった。何が研修なのか不可解ではあるが毎年のことなので気にしないことにしている。
日詰長盛会は会員126名内51名は85才以上で、殆どが後期高齢者全くの老人クラブである。今回は参加者31名(男性19名・女性13名)、午後長野を出発、夕刻諏訪市に到着
上諏訪温泉諏訪湖畔のホテルで1泊、翌日午前諏訪大社を参詣し昼食後帰途に着いた。
 
諏訪大社(すわたいしゃ)は、長野県の諏訪湖の周辺に4箇所の境内地をもつ神社(上社前宮・上社本宮・下社春宮・下社秋宮)で、信濃國一之宮・神位は正一位・全国各地にある諏訪神社総本社であり、 国内にある最も古い神社の一つとされているという。諏訪大社の特徴は、諏訪大社には本殿と呼ばれる建物がなく、代りに秋宮は一位の木を春宮は杉の木を御神木とし、上社は御山を御神体として拝している。(諏訪大社HPによる)

諏訪大社には何回か参詣しているが、前宮は諏訪湖から離れた茅野市にあるため参詣したことが無く今回初めてであった。

*諏訪大社;当社全体で祀る主祭神は以下の2柱(各宮の祭神については各項参照)。両神とも上社・下社で祀られている。(この項wikipediaより)

  • 建御名方神 (たけみなかたのかみ)
       上社本宮祭神。『古事記』の葦原中国平(国譲り)の段において、大国主命の御子神として登場する。母は沼河比売(奴奈川姫)とされる。
       『先代旧事本紀』には建御名方神が信濃国諏方郡の諏方神社に鎮座すると明示されている。
  • 八坂刀売神 (やさかとめのかみ)
       上社前宮・下社主祭神。建御名方神の妃。

  御柱;当社の社殿の周囲四隅には、御柱(おんばしら)と呼ぶ以下4本のモミの柱が建てられている。 御柱は一から四の順に短く細くなり、上空から見た場合に時計回りに
     配置される。 一之御柱 - 社殿右手前・二之御柱 -左手前・三之御柱 - 左奥・四之御柱 - 右奥

  御神体;本殿が設けられていない。本宮は拝殿後背林(通称 御山)、秋宮はイチイ神木、春宮はスギの神木を神体とし、拝殿からそれらを拝する。
      なお、前宮は古くは上社の摂社であった関係で本殿を有している。

 

*上社前宮
          
       上社前宮本殿                              前宮一之御柱                     前宮三之御柱
  
   名水「水眼」清流
 古くから”すいが”と呼ばれ、山中より湧出する清流は、前宮の神域を流れる御手洗川となり、昔から御神水として大切にされ
 た。中世においては、この川のほとりに精進屋を設けて心身を清め、前宮の重要神事をつとめるのに用いたと記録されてい
 る。この水眼の源流は、約1キロメートル程登った山中にあるが、昭和5年に著名な地理学者・三沢勝衛先生によって、
 はじめて科学的調査がされ、その優れた水質は「諏訪史」第二巻に取りあげられている。
                                      昭和53年8月  安国寺史友会
 

*上社本宮
       
            上社本宮 拝殿                                                              本宮一之御柱                                               本宮四之御柱 山の中腹に見える

*下社 春宮

             
     下社春宮の拝殿 「中央;幣拝殿・左右;片拝殿」           春宮境内にある「結びの杉」                                    春宮一 之御柱

  
 「結びの杉」;先で二又に分かれているが根元は1つになっている事から「縁結びの杉」と呼ばれている。

 

 

          幣拝殿 
                               重要文化財
  この建物は御幣を奉ずる幣殿と拝殿が一体となったもので兵幣拝殿戸呼ばれている
  建築様式は二重楼門造りで全体に見事な彫刻が施されている
  棟梁は地元の宮大工柴宮(伊藤)長左衛門で秋宮と同じ絵図面で秋宮幣拝殿より
  一年早い安永九年(1780)に落成した
  春秋両宮は社殿構造は同じで当時は双方で技術が競われた

 

 

         左右片拝殿
                  国重要文化財
  片拝殿とよばれるこの建物は幣拝殿戸同じ安永9年(1780)地元の大工柴宮(伊藤)
  長左衛門により造営されたものである
  秋宮に比べて幅が短く屋根は片切りになっている
 

 

 

 

*下社秋宮

           
                                 下社秋宮 「幣拝殿」                                      幣拝殿・左右片拝殿  と 天覧の白松「三つ葉松」(葉が3本) 
                                         

       幣拝殿
                 国重要文化財
   この建物は御幣を奉ずる幣殿と拝殿が一体となったものである
   二重楼門造りと呼ばれ二階は跳勾欄(先の反った欄干)を回し
   全体に見事な彫刻が施されている
   諏訪高島藩の命により安永十年(1781)に初代(立川流)
   棟梁立川和四郎宮棟によって造営された
 

 


            左右片拝殿
                   国重要文化財
    安永十年(1782)初代立川和四郎宮棟により造営された
    幣拝殿に比べ彫刻などは見られず江戸時代の記録には
    幣拝殿は帝屋(御門戸屋)片拝殿は回廊と記されている

   
 

          
         秋宮一之御柱                   境内にある「寝入りの杉」

  寝入りの杉;子の杉の木は樹齢凡そ六~七百年で丑三っ時になると杖先を下げて寝入りいびきが聞こえ子供に木の小枝を煎じて飲ませると
       夜泣きが止まるといわれている

 

     


善光寺大本願お上人

2017年01月19日 | 神社・仏閣巡り

平成29年善光寺初詣のブログで出仕する大本願上人に出会ったと記したが、鷹司誓玉上人ではなく副住職だった。以前から鷹司誓玉上人が体調がすぐれず副住職が諸行事をお勤めなさっているとは聞いていたが、副住職がどんなお方か存じ上げず初めて拝顔した。
副住職がどんな方か善光寺大本願のHPにもないので、ネットで検索したところ、長野郷土史研究会副会長小林玲子の2008年4月2日の「小林玲子の善光寺表参道日記」にあった。それには副住職に就任された鷹司誓栄尼について次ように記されている。

 ” SBC信越放送で鷹司誓栄尼が大本願の副住職に就任されたと報じられた。2年前(2006年)から大本願で修行されていた誓栄尼。昨年(2007年)秋に、鷹司誓玉上人の養女と
 なられていました。今後はお上人様に替わって、本堂でのお勤めもされるそうです。”

又、一昨年(2015年)の御開帳の際、信濃毎日新聞の浄土宗の中日庭儀大法要に関する記事に次のように報道されている。

   ”善光寺大本願副住職鷹司誓栄さん(52才)が、5月9日に行われる浄土宗の中日庭儀大法要で、103年前に56歳の若さで亡くなった第118世勸修寺勇心上人の袈裟衣を
  まとう。大法要は御開帳の重要行事の一つ。激動期の善光寺と大本願を影で支えながら住職在住は1年と短く、資料がほとんど残っていない勇心上人に対し、
  深く思いをいたしてのお勤めになる。
   誓栄さんは大法要で、導師の大本願住職誓玉上人(85歳)を補佐する。勇心上人着用と伝わる袈裟は、鮮やかな赤の絹地に金糸で聞くや牡丹、桔梗をあしらっている。
  大本願によると、1912(明治45年)の御開帳の時に身に着けたとみられるが、勇信上人は長患いが悪化し、同年6月に亡くなった。”   
   

 

 

 


平成29年善光寺初詣

2017年01月04日 | 神社・仏閣巡り

2日、帰省中の二女と妻3人で午前10時善光寺初詣に出かける。例年通り旧82銀行裏の駐車場に車を止め、善光寺へ向かう。境内に入り大本願の前に来たとき、丁度善光寺の
1月の行事修正会に出仕する大本願お上人(副住職)に出会った。仲見世通りを除き本堂までお数珠頂戴が行われた。

  注;善光寺HPより
    *修正会;正月の法要で3日間一山の住職が出仕して天下泰平、国家安穏、五穀豊穣、万民快楽を願う法要。
    *お数珠頂戴;法要の導師を務める善光寺住職(大観進のお貫主、大本願のお上人)が本堂を往復する際、参道にひざまずく信徒の頭を
     数珠で撫でて功徳をお授けになる儀式。

 毎年のことだが善光寺の初詣は人出が多く大変だ。本堂前は本堂内の参拝の混雑を避けるためロープを張って規制している。三門から4回の規制
 だった。

                       
                  修正会に出仕するお上人(仲見世通り)                         お上人のお数珠頂戴                                               

         
             善 光 寺 本 堂                               山   門

                         
         山門から 仁王門方面仲見世通りの参拝者                 本堂から 規制で待つ参拝者 奥は山門

                         



 

 


善光寺参詣

2015年08月19日 | 神社・仏閣巡り

毎年のことだが8月旧盆には,嫁いだが娘2人が帰省する。姉は夫婦で11日、妹は13日夕方帰郷、久しぶり全員で市内レストランで会食する。
姉夫婦は善光寺参詣もすませ14日帰京、妹と私共夫婦は15日参詣する。今年は実兄が6月他界、今年の盆は新盆で住職の都合もあって、7月下旬49日の法要に合わせ新盆の法要も行い、同時に善光寺の雲上殿に納骨したので、格別の思いがあっての参詣である。

                                    
   善光寺本堂
 本堂前には14・15日行われるお盆縁日(盆踊り)の櫓がある。
   黒枠は山門の柱で丁度額縁に見立てられる。

 

 

 

 

      
        地 蔵 堂                                    善光寺木造地蔵菩薩像

                                             木造地蔵菩薩立像
    平23年(2011年)3月十一日に発生した東日本大震災では、
  東北地方を中心に、約2万人の尊い命が失われてしまいました。
   善光寺では、その方々の追悼と被災地の復興を願うため、震災の
  津波で倒れた岩手県陸前高田市の名勝・高田松原の松を用いて親二体と
  子二体の「おやこ地蔵」をおつくりしました。
   ここにおられる像は親地蔵の内の一体で、他の三体は陸前高田市の
  普門寺境内にご安置されています。
     ・協     力 陸前高田お地蔵製作に協力する会
     ・仏 像 政 策 東京芸術大学大学院保存修理彫刻研究室
     ・地蔵堂奉納 善光寺信徒会   
     左の写真 右:陸前高田氏普門寺境内おやこ地蔵  左:善光寺木造地蔵菩薩像

        
       道具塚(護法塚)
  本堂正面の左右にある大きな石の下には、現本堂の再建工事の際に使われた大工道具が
  埋められています。向かって右の石を「山王塚」、左を「諸神塚」といいます。

        
      山王塚              諸神塚       

           
       回向柱;左の新しいのが今年の御開帳回向柱、右奥に御開帳の年の順に並んでいる。
           後ろの建物が大観進で、経堂と大観進の間の西の方にある。

  
 

 

                                    


善光寺御開帳回向柱巡り

2015年04月28日 | 神社・仏閣巡り

御開帳が始まり回向柱は善光寺だけではないというので、4月23日善光寺の参拝方々回向柱のある寺院を回って来た。
本堂内陣は前立本尊を参拝する人々が列をなし、待つのが不得手なので諦め、外陣での参拝にした。本堂東側にはお戒壇巡りの方々が列をなしていた。

             
           仲見世通りの賑わい(山門から)                         本堂東側お戒壇巡りを待つ方々

   
                        本 堂 前 の 回 向 柱                            世尊院釈迦堂回向柱                  

  回向柱とは、卒塔婆の一種で、御開帳期間中に本堂前に立てられる約45cm角高さ約10mの柱。前立本尊の御手(右手)と「善の綱」に
  よって結ばれているため、前立本尊に触るのと同じ御利益あるといわれている。 善の綱は、青・黄・赤・城・黒の5色の糸を撚ったもので
  金の糸、5色の糸、白い糸をつないで1本に仕立ててあるという。右手に結ばれた金の糸が5色に変わりやがて本堂前に出ると白い糸に結ば
  れ其の白い糸が回向柱に結ばれている。
  回向柱は世尊院釈迦堂の前にも建られており、釈迦堂には日本唯一の等身大銅像の釈迦涅槃像が安置されている。釈迦堂の回向柱にも釈迦涅
  槃像の右手に結ばれた「善の綱」が回向柱に結ばれている。
  善光寺御本尊阿弥陀如来は来世の仏、世尊院釈迦堂の釈迦如来は現生の仏といわれ、両方の回向柱に触れることにより両方に血縁ができ、
  現生と来生の幸せが約束されると信じられるということだそうだ。

回向柱に書かれている文字(本堂に向かって正面が南面) 
  *南面と西面に梵語で上から「空」「風」「火」「水」「地」の5文字で、宇宙の構成要素を表しているという。
  *5文字の下には、南面に「奉開龕前立本尊」・ 西面に「光明編照 十万世界  念仏衆生  摂取不捨」と阿弥陀信仰の功徳が書かれて
   いるという。

回向柱はこのほか大観進・西方寺・往生寺・西光寺にも建てられている。

   
   大勧進 回向柱(今年が初めてだそうだ)                            西 方 寺 二 尊 極 楽 堂 回 向 柱

 ←西芳寺二尊極楽堂の阿弥陀尊像
 2009年作成開始され2009年仏像が完成、2010.6.21ダライ・ラマ法王による開眼法要が
 行われた。お堂も同時に建てられ、仏像は約2m40cmで上に天井画、周囲に八菩薩の壁画
 が描かれている。仏像のなかには前もって届けられた釈迦牟尼仏像が胎内物として安置され 
 ているそうだ。

 仏像の中心にはチベットのソクシン(命の柱)と日本の塔婆があわせ立てられているとい
 う。回向柱はこの塔婆と同じものだそうで全面にお経が書かれている。
  

 

                    
                   西 方 寺 山 門                      西方寺は大本願の菩提樹で長野県県庁の仮庁舎でもあった。

        
           往生院回向柱                                    往生院御影堂

 往生院は、元々あった真言宗寺院を鎌倉時代に法然上人が改宗したという。源頼朝が荒廃した善光寺を再建する際に仮堂(権堂)として以降、
 善光寺が火災に見舞われるたびに権堂となり、一帯の地名にもなったと伝わる。

                      
                            西 光 寺                                     西光寺記念木

  西光寺の記念木は善光寺本堂前に立つ回向柱の残りの杉材を使って建立されたものだそうだ。松代回向柱寄進建立会が贈呈したもので高さは
  善光寺の半分以下で前回の御開帳時にも送っており今回は2回目だそうだ。同寺の本尊と「善の綱」と結ばれて折り回向柱と同じだ。 

  西光寺長野市中央通りにある浄土宗の寺院で、通称はかるかや山と呼ばれている。開祖・刈萱上人とその御子信照坊道念(幼名石童丸)
  のお2人が刻んだ2体の「刈萱親子地蔵尊」(市指定重要文化財)を
御本尊として安置してある。また、絵解きを現代に蘇らせた「絵解きの
  寺」としても知られ、江戸時代の2幅の「刈萱道心石童丸御親子御絵伝」が寺宝として伝わっているそうだ。

 

 

 


善光寺御開帳

2015年04月07日 | 神社・仏閣巡り

5日から善光寺御開帳が始まったが前日4日に前立本尊御遷座式と回向柱開眼法要があった。
前立本尊を納めた厨子を輿に乗せ、善光寺御宝庫から本堂内内陣へ遷すのが御遷座式だ。厨子を載せた輿は大本願から出て来たので多分御宝庫は大観進境内にあるのだろう。輿は2台あったがどちらに前立本尊を納めた厨子なのか解からない。多分阿弥陀如来を納めた厨子と両脇の観世音菩薩・勢至菩薩を納めた厨子の2台だろうと推測する。午後3時頃本堂に到着、遷座式が行われたが本堂内に入れずし法要の様子は解らなかった。続いて3日建立された回向柱の開眼法要と大観進貫主と大本願上人による除幕が行われたのだが、待ち時間が1時間もあったので見ないでに帰った。

        
         大観進から出で来た厨子                             参道に曲がる厨子   

        
          2番目の輿に乗る厨子                              開眼法要前の回向柱

因みに善光寺御本尊の「一光三尊阿弥陀如来像」(善光寺如来)の「一光三尊」は一つの光背に三尊(中央に阿弥陀如来、両脇に観世音菩薩と
勢至菩薩)を配する形式で、特に善光寺如来は三尊共立像であることが特徴的だという。
回向柱は約45センチ角で高さ約10メートル重さ約三トンの赤松だそうだ。回向柱は「卒塔婆」の一種、現在では墓石の脇に立てる細長い
板塔婆をさすが、もともとはお釈迦様の遺骨を納めた仏塔(ストゥーバ)を表す言葉であった。後に仏さまの命の象徴とされるようになり、形も
重層の塔(三重五重の塔等)・角塔婆(回向柱がこれにあたる)・板塔婆へ変遷していったのだそうだ。
 
五月末日までの御開帳なので折りを見て参詣するつもりだ。