後期シルバーの戯言

一寸した日常生活・身辺雑記と旅日記

同級会

2012年04月23日 | 戯言

16~17日1泊2日上山田温泉で小学校の同級会があった。毎年出席しているが今年は昨年に引きつづき参加者8名だった。平成18年までは弐拾数名参加であったが平成19年から拾数名となり昨年からは8名となった。加齢と共に足腰が弱くなったり、病魔に侵されたり、或いは連れ合いの看病で欠席せざるを得なくなったようだ。
特に男性は出席者が激減、昨年3名今年は2名である。女性も出席者6名の内4名は椅子でないと座れない。

傘寿を過ぎ後期では無く末期高齢者と言わざる得ない状態だと思い知らされた。卒業生は59名だが他界した方19名・消息不明4名・病気入院中2名・健在者34名である。健在者34名の内私の知る限り病気の方が6名もおり、本当に健在の方は果たして何人いるのだろう。

この同級会だが、現在の千曲市桑原で当時は田舎の高等小学校(小学校6学年・高等科2学年、途中で国民学校に名前が変わった)で、男女合わせ一学級30~50人程度全校300人前後の小さい学校で、大東亜戦争の真っただ中、昭和18年3月小学校卒業を卒業、旧制中学校・女学校へ進学した者が5名、後は20年3月高等科を卒業した、合計59人の卒業生の同級会である。先生は7人も変った。中でも5年の時の先生は旧制中学を卒したばかりの17歳の代用教員(当時の呼称)であって、1番若く現在も健在であるが老齢でここ数年顔を見せない。勿論他の先生は他界している。

小人数で和気あいあい昔話や故郷の現状など楽しく懇談出来た。しかし参拾数名に案内を出しても欠席者が多く、中には返信の無い人までいる。参加者は固定しており通信費は参加者の負担である。又、幹事は男性が持ちまわりで運営してきたがそれもかなわわない事態となった。この際無駄な手数を省く為、同級会を閉鎖し、小人数で近隣の方だけで、電話で連絡を取り合いながら、懇親会を開催にすることになった。果たして来年どうなるか、集まることが出来るかかどうか?。

 

 


神代桜と大糸桜

2012年04月13日 | 名勝旧跡巡り

4月9日山梨県の神代桜・大糸桜のツアーに参加した。コースは 「慈雲寺・大糸桜~恵林寺・夢想国師庭園~フルーツパーク冨士屋ホテル(昼食)~実相寺・神代桜」 で朝7時出発夕方6時40分帰った。

神大桜・大糸桜とも残念ながら蕾の状態で、屋台店の人によれば今年は1週間遅れ、見頃は15日前後になるだろう言う。

実相寺の神代桜は、日本三大桜として有名な「山高の神代桜」と呼ばれる日本最古のエドヒガンザクラの銘木で有る。樹の周囲は13.5程で樹齢2,000年とも言われている。境内には他に多数の桜が有って咲き揃ったらさぞ綺麗だろう。花は咲いていなくとも、風雪に耐えて生き抜いてきた日本最古の桜の老木には感動した。

慈雲寺は臨済宗妙心寺派のお寺で有名にしているのは、樹齢約300年の枝垂桜(イトサクラ)で高さ約15m枝廻り20mの大木である。垂れ枝いっぱいに美しいピンクの花が先揃ったらさぞ見事だろう。境内の一角に樋口一葉文学碑が建てられており、かって一葉の両親が子供時代に近所に住んでおり、この寺の寺子屋に学んだことがあるという縁だそうだ。

恵林寺武田家の菩提樹で本堂裏手の夢想国師が築いたという庭園がある。山門には恵林寺の快川国師が織田軍の焼き討ちにあった際残した有名な言葉「滅却心頭火自涼」」額が掲げられている。山門までの参道周辺にも綺麗な庭園があった

今年の冬は厳寒が長続きして桜の開花が1週間前後遅れて、有名な早咲きの河津桜は10~20火遅れたようだ。今年こそは河津桜を見に行こうと思い、1月早々1泊2日の河津桜がメインのツアーに申し込んだが、旅行日の2月28日は桜がまだ蕾のようなのでキャンセルしようか思案していた所、突然実家の義姉の訃報が入りキャンセルすることになった。来年は是非訪れたいと思っている。大糸桜・山高神大桜も満開の時期に何れ訪ねたいものだ。

       
                      慈  雲  寺  の  大  糸  桜                    

        
恵雲寺山門:快川国師が織田軍の焼き討ちにあった時の有名な言葉「心頭滅却すれば火も自ずから涼し」がある山門

     
                      恵雲寺本堂裏手にある夢想国師が築いたという庭園

                  
                        実  相  寺 の  山  高  神  代  桜 

      
    冨士屋ホテルからのフルーツ公園  奥に下ると 花の広場・くだもの工房・トロピカル温室・くだもの館塔がある