後期シルバーの戯言

一寸した日常生活・身辺雑記と旅日記

修善寺温泉ツアー

2019年04月04日 | 演奏会

3月24~25日長野トラベルオークツアーで【修善寺温泉「新井旅館」と太宰治ゆかりの安田旅館】へ東京へ嫁いている娘2人を誘い妻と4人で行って来た。

日程
  24日 長野駅ユメリアパーク6:00ーーー長野ICおぎのや長野駐車場6:30ーーー11:40沼津港【昼食」---沼津御用邸記念公園ーーー15:00修善寺温泉「新井旅館」

  25日 修善寺温泉9:30---常連の滝---韮山反射炉ーーー12:40安田屋旅館13;50---伊豆フルーツパークーーー19:55長野駅ユメリアパーク

参加者も少なく私共4名の他女性4名のグループ1組、他夫婦連れ7組計22名であった。
早朝ハイヤー予約満杯で止むを得ず、乗車を長野駅ユメリアパークから長野IC:おぎのや長野店駐車場に変更、マイカーでおぎのや長野店駐車場に行き乗車する。途中更埴・
松本・岡谷でそれぞれの参加者乗車、中央高速道路から川口湖・東富士五湖道路を通り11時過ぎ沼津港に到着する。 

*沼津港
 昼食の時間、添乗員から頂いた、「ぬまづみなとまっぷ」を見ても殆どが海産物がメインの食事処である。かるい昼食と思ったが見当たらない。やむを得ず鮑・ハマグリを
 自分で焼いて食べるお店に入った。焼き方が良く分からないが店員がすべてやってくれた。やはり新鮮の魚介類を焼いて食べるのは美味しい。
 昼食後沼津御用邸記念公園に向かう。

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           沼津にむかう東富士五湖道路からの富士山                    沼津魚港 中央奥が水門

*沼津御用邸記念公園
   沼津 御用邸は明治・大正・昭和の3代、77年間にわたり、天皇皇后両陛下や皇族の方々のご利用の機会に恵まれてきたという。
  邸内には「東付属邸・茶室翆松邸」「歴史民俗資料館」「西付属邸」があって今回は「西付属邸」を見学した。
  西付属邸は明治38年、昭和天皇の御用邸として設けられ大正11年現在の形となった。昭和天皇をはじめとする多くの皇族方に愛されてきた木造平屋建の建物は、菊の御紋の
  入った瓦や手ふきの窓ガラス、フィラメント電球などが残されている。中でも手ふきの窓ガラスはまことに珍しかった。
  時間があれば「東付属邸・茶室翆松邸」「歴史民俗資料館」すべてを見学したいところだ。


        
      西 付 属 邸 御 殿                                    皇 太 子 殿 下 御 成 婚 記 念 梅 園 

         
          お  食  堂                              御   座   所                                謁   見   所                           
                                                  

       
      御日拝室&昭和天皇・秩父宮様のご養育記念品               女  官  室
 
14時前御用邸記念公園を出発一路修善寺温泉に向かい14時半到着、15時チェックインまで竹林の小径を散策する。15時過ぎ新井旅館に入る。

*修善寺温泉ー新井旅館
  温泉街の中心に修善寺川(通称:桂川)が流れ、河岸には温泉宿や飲食店が建ち並ぶ。川中の四阿屋には、同温泉地のシンボル的存在の独鈷の湯があり、無料で足湯を
  楽しめる。
至近には地名の由来となった修禅寺があり、多くの観光客が訪れる。この寺では毎年8月20・21日に秋季弘法大師大祭が催され、屋台や打ち上げ花火が催される。
    また、
 遊歩道が整備され「竹林の小径」などが人気のスポットとなっている。
  新井旅館は明治5年に「養気館新井」を開業。旅館名の由来は、この湯は人の気を養う為にに湧く温泉”ということから「創設者相原平右衛門が、修善寺町本立野の新井という
  で、酒造蔵元新井を営んでおり二つの意味が重なって名付けられたという。
  国の登録文化財に指定されている建造物は、、木造3階建2棟・木造2階建6棟・木造平屋建3棟の他鉄筋コンクリート造り4棟計15棟。

           
                                         新      井      旅      館

        
 桂川対岸独鈷の湯公園からの新井旅館(中央の塔が本館)                独鈷の湯(桂川の中にある)                      独鈷の湯公園
 
        
           修   善   寺                        修   善   寺(三門)                            修   善   寺 (本堂)

        
      新井旅館客室からの桂川(川底の石積)               桂川の見事な石積                                竹林の小道

        
                         竹       林       の      小       道

*浄蓮の滝
 25日9時15分新井旅館を出発浄蓮の滝に行く。
 浄蓮の滝は静岡県伊豆市湯ヶ島にある日本の滝百選の一つ、落差は25m、幅は7mで岩盤には柱状節理が見られるというが解らなかった。
 かつて滝の付近に「浄蓮寺」という寺院があったことから「浄蓮の滝」という名称がついたといわれているそうだ。(wikipediaより)

 駐車場から滝まで175段の階段、大変だった、入口から見えたので無理することもなかったか。

        
              浄   蓮   の   滝                                          浄蓮の滝の傍にあるわさび畑

← 浄蓮の滝駐車場にあった、伊豆の踊子の像

 『伊豆の踊子』(いずのおどりこ)は、川端康成短編小説。川端の初期の代表作で、伊豆した19歳の時の実体験を
   元にしている。孤独憂鬱な気分から逃れるため伊豆へ一人旅にた青年が、修善寺湯ヶ島天城を越え,湯ヶ野、  
   下田
に向かう旅芸人一座と道連れとなり、踊子の少女に淡い恋心を抱く旅情と哀歓の物語。孤児根性に歪んでいた 
   青年の自我の悩みや感傷が、素朴で清純無垢な踊子の心によって解きほぐされていく過程と、彼女との悲しい別れまでが
   描かれている。(wikipediaより)

 

 

浄蓮の滝から30分程で韮山反射炉に着いた。

*韮山反射炉
  反射炉とは、熱をアーチ型の天井に反射させて鉄の溶解温度(1700度)を得る構造の鋳造炉である。

  国指定史跡・通商産業省認定近代化産業遺産となっている。幕末、欧米諸国の植民地化や開国要請に対抗して日本(江戸)を守るために韮山代官江川太郎左衛門が幕府に
  進言して築いた大砲鋳造炉だという。説明員によると反射炉で鉄の筒を作り、横を流れている小川の水車で鉄の筒を回転、中をくり抜き砲身を造ったという。
  大砲6門が建造され東京お台場に1門が設置されたという。

 

 

                
                      反 射 炉              韮山代官江川英龍の像                   展示されている模擬大砲(中はくり抜いてない)         

 

←反射炉 炉体断面図 : パンフレットによる反射炉の説明

 内部の天井がドーム状になった炉体部と、煉瓦済みの高い煙突からなる。
 石炭などを燃料として発生させた熱や炎を炉内の天井で反射し,一点に
 しゅうちゅさせることにより、銑鉄をを溶かすことが可能な千数百度の
 を高温を実現する。このような、熱や炎を反射する仕組みから、反射炉
 と呼ばれた。

反射炉本体
 連想2基(4炉)
 高さ約:15.7m
   炉体部:外部/凝灰岩石積(伊豆石)
     内部/耐火煉瓦積
 煙突部:煉瓦組積
 溶解量:1炉500~700貫(1.9~2.6t)
 

 

 

 


韮山反射炉見学後昼食予定の安田旅館に向かう。

*安田旅館 
  創業明治20年、国登録有形文化財に指定されている。 昭和22年2月から約1ヶ月間、小説家 太宰治が滞在し、 斜陽の第1章、
  第2章を執筆された旅館だという。 現在もそのお部屋の間取りは当時のままで、 宿泊も可能だそうだ。

      
          安 田 旅 館                           安田旅館から富士山を望む

安田旅館での昼食後帰途に着き、途中伊豆縦貫自動車道三島塚原IC付近の伊豆フルーツパークに立ち寄り、東名高速道らから往路と違う富士山の西側を通る朝霧高原経由で、
中央道甲府南ICで中央道に入り長野へ帰った。