Marisapo.net | 横浜F-マリノスサポーターブログ

マリノスの記事を中心に、映画や雑感、お知らせなどを掲載。

「嬉しく思います。」の違和感について

2015-04-15 23:31:05 | 雑感

皆さんは「嬉しく思います。」という言葉を使った事がありますか?
最近、スポーツ選手のコメントで良く耳にします。

私は言語学者でもありませんし、学生時代に現国が特に得意だったわけではありません。
しかし、物凄く違和感を感じるのです。
同じ様に違和感を感じている方はいないものかと、検索しました。
ある一例(教えてgoo)を御覧下さい。 

「嬉しく思いました」のニュアンス

うちの義父母は手紙を書くことが大好きなので、目上・目下・著名人など相手構わず手紙を送ります。それは義父母の勝手なので構わないのですが、その中の言葉遣いで気になることがあります。「嬉しく思いました。」としょっちゅう書くのです。それを夫が真似するので訂正したほうがいいのか迷っています。

 

これに対して、ベストアンサーのもの引用が以下です。

確かに違和感があり誤用と言って良いのではないでしょうか。
「思う」を辞書で引いてみました。たくさんありましたが、とりあえず、
考える。思慮する。判断する。信ずる。
推し量る。推量する。想像する。
といったところです。

「おばあちゃんが元気でお過ごしなので、嬉しく思います。」
に適用してみると、どこが不自然なのか?
この表現における問題は、
「元気で過ごしていること」に対して、考えたり、判断したりしないと「嬉しい」という感情に至らないのか?
という点ではないでしょうか。

詳しくはこの引用元にて


どうやら「嬉しかったです。」と応えると幼く聞こえる事を警戒して、大人の対応っぽく聞かせる為の言葉の様に思います。
つまり、「嬉しかったです」+「色々考えてますよ」=「嬉しく思います。」
しかし、本当の大人の対応であれば・・・
引用先にもある様に「おばあ様がお元気でなによりです。」だろうと。

つまり、、、
「今日、ゴールを取る事が出来て嬉しく思います。」
で、あるならば・・・
「今日、ゴールを取れた事で、チームの力になれて良かったです。」
ではないか?
「ゴールを取って嬉しかったです。」+「でも色々考えてます。」=「ゴールを取る事が出来て嬉しく思います。」
ではないのではないか?

感情を素直に表現するのか、大人の表現をするのか、曖昧であり、それが逆に不自然さ、
若しくは若さを露呈している様に思えます。
外人的な対応で、感情を出し切るのか。
超日本人的に、奥ゆかしく、述べるのか。
今の日本では何れでもいい気がします。特にワールドスポーツなサッカーでは。
しかし、どちらでもない返答、それが一番の問題に見えてきます。 


否定と差別とブーイング(その3) ブーイングとは

2014-09-22 16:49:31 | 雑感

先日、マリノスの一部のサポーターが差別的行動をした事で処分をされました。また、現在一部のサポーターが応援やブーイングを自粛しています。
これらの事について、少し考えてみました。 


今回はブーイングについてです。
その前に、少し整理したいと思います。

否定は容易に出来る事であり共感を得られやすく、仲間意識も生まれやすい。
しかし、肯定された事に共感を得て、仲間意識が生まれる事は中々難しい。
但し、肯定にて共感した仲間意識は否定よりも明らかに結束は固くなる。
何故なら、ネガティブな感情より、ポジティブな感情を誰もが持っていたいと思うからだと思う。

差別は心の弱さ幼さが生む。
経験不足、知識不足、力不足による恐れ。
一度は差別をしてしまった相手を正しく知り、 自己研鑽をして客観視をすれば差別は減ると思う。

これが今まで私が述べてきた概要である。
ここで、今回は少し題材として具体的に変わり「ブーイング」についてである。

先ずは、あまりJリーグに馴染みの無い人と観戦に行った時によく聞かれる事だ。
「何故、あの選手ばかりブーイングされるの?」
その場で即座に説明してみても、理解は得にくい。
何故なら遺恨があるからなのだが、遺恨はその時にいなければ、感情としては伝えにくい。
例えば、元所属で裏切りを感じる移籍をしただとか、 毎度怪我をさせる様な危険なプレーをする、だとか、
相手の力を恐れて、そういったものが多いと思う。

移籍云々については、それぞれの価値観、嫌悪があるので、中々に難しい。
好きではないけど頑張っているから応援したのに、だとか。
シーズン中に中核でいたのに、急に移籍してしまった、だとか。
例えを上げたらきりがないし、これの捉え方も千差万別だ。

毎度危険なプレーをする選手については、フェアプレーではないのだから、仕方ないだろう。
また、これに正しいレフリィングが行われていない場合も、ブーイングはある。

また相手の力量を恐れての、挨拶代わりのブーイングもある。
マリノスで言えば、俊輔とそれ程関わりがない対戦相手であっても、中心選手であるから、
俊輔にプレッシャーを与えてやろうという事である。
また、PKやCKでのブーイングもこれに類すると思う。

ここまで色々述べてきたが、どれが許されないブーイングだろうか。 
先ずは、危険なプレーについて、ルールから外れる行為についてはあってしかるべきだろう。
次に、相手の中心選手へのブーイングは、選手への勲章と取れる部分もあり、簡単に否定するのは、
どうかと思う。

遺恨の場合、少し難しい。
いつまで引き摺ってるんだよ!と言われる様な、因縁、遺恨からのブーイングはある。
決して、一年経ったら止めるという類のものではないし、これがスパイスだとも思える。
というのも、遺恨を残して移籍した選手が、一年目は物凄いブーイングを受けたとする。
しかし、二年目から全くブーイングがなくなった。
そうすると、許したのか、忘れたのか、 力量がそれ程ではないと判断されたのか、
という事は、選手からしたら、中々酷だ。 
尤も、この手のブーイングは、やり過ぎは御法度であるし、スタジアムを出たら忘れて欲しいとも思う。

否定、差別、ブーイングは何れも負の感情から生まれる。
そして何にせよ差別によるブーイングは許されない。

ここから話しをもう一つ違う方向からしたい。
サッカーとはワールドワイドなスポーツである。
頻繁に海外との交流(試合や移籍)がある。
その中で、否定、差別は置いておいて、ブーイングなどは頻繁に行われている。

国内においてブーイングを悉く止める、若しくは半減させる、といった方向性を取れば、
スタジアムが見た目綺麗な雰囲気に包まれるかもしれない。
しかし、一歩海外へ出れば戦えない事にはならないだろうか。
只でさえ、ナショナルチームもクラブチームも、海外で思うような結果が出ていない。
ブーイングが選手を鍛えるとまでは言わないが、それに負けてしまう様であると、
世界の荒波に晒されたら、何もできないと思う。 

つまり、良いものは拍手!悪いものはブーイング !という一定の基準、文化、思考を育てる。
そういう事が大事である。
だから、個人的な憂さ晴らし、必要以上であり度を越えたもの、この様なブーイングには、
何も意味がない。愛もない。

勝った試合だがブーイング、負けた試合だが拍手という事もある。
それは真剣に試合を見て、応援したからこその評価だ。
こういった表現はもっともっとあっていい。 

結局、ブーイングは否定や差別にも使えるツールだから危険、というのではなく、
使い方によるのだと思う。
鋏を危険だと思うか、便利なツールだと思うかは、人それぞれである。
だから、使い方を長い期間かけて啓蒙していけば、有用であると思う。


否定と差別とブーイング(その2) 差別とは

2014-09-14 20:53:41 | 雑感

先日、マリノスの一部のサポーターが差別的行動をした事で処分をされました。また、現在一部のサポーターが応援やブーイングを自粛しています。
これらの事について、少し考えてみました。 


今回は差別についてです。
差別とは、偏見や先入観が要因として大きいと思います。
○○人は、人を取って食う。など、不確かな情報や、恐れから生じる妄想や連想などから、
誤った情報の拡散などは有史以来枚挙にいとまがないでしょう。
自分と違う種類の人間には誰でも恐れは抱きます。これは人間ならば仕方ありません。

日本でも欧米程酷くないとしても差別はあるとは思います。
しかし、様々な国の人、様々な状況の人を知れば知る程、偏見や先入観は減ります。
偏見や先入観は人間の恐れとして仕方がない部分はあると思います。
ですから、客観的に俯瞰的に見る視点があれば、減ってくると思います。

けれど、一口に差別と言っても、違う種類のものもあります。
先入観や偏見だけではなく、ある程度知っていながらも差別を行う場合です。
些細な箇所が違う事で、先入観や偏見に負けてしまい、差別する様になってしまいます。
また、自分の所行を誤魔化す為の、自己の精神的防衛本能的な差別です。
同族嫌悪的な部分もあったりするでしょう。

差別とは、偏見や先入観に誤魔化されず、様々な経験や情報を得て、
潔く自らの否を認めれば、撲滅できるかはわかりませんが、減るでしょう。

問題は、そういう余裕がない、という事だと思います。
明日の命もわからない人が地球上には多い。
その方にゆっくり考えて下さい。という事は死を意味する事がある。 

それでも差別を減らすという事は、人類として大事な目標だろう。

但し、平和とか差別とか愛だとか言う事を殊更に言うのは欧米発信だと思う。
それは何故かと考えれば、平和じゃない、差別がある、愛がない、だからとも言える。
目前に問題があるから、皆が唱える。
それに比べたら、いまいち日本に平和だとか差別だとか愛を広める様なアピールが足りないのは、
日本はおしなべて平和であり、差別が少なく、愛があるのだと思う。
無論、だから怠っていいという事ではない。日本は恵まれているのだから。

蛇足。
先日の川崎F戦での一部の未成年のサポーター(?)がバナナで挑発したという。
この相手が黒人だったという。
これに個人的にはかなり違和感を抱いた。
欧州において、人種差別的に使われるツール(相手を猿扱い)だが、日本ではそれ程一般化しているだろうか。
マリノスは試合中に即座に対応をした為、大きな問題にはならなかったと思う(チームに罰金500万円、当人は無期限入場禁止)。
第一、白人が有色人種に対して、モンキーだの何だのと言うのが人種差別であり、
日本人というか黄色人種が、黒人に対して白人の真似をした所で、滑稽なだけだと思う。
調べでは、本人の意志は一応そういう意図もあったとの事だが、川崎Fはバナナをイベントに度々使っているだけに、
個人的には疑問が残る。
しかし、TwitterやYoutubeで拡散された場合、これはJリーグだけの問題だけではなく、
FIFAが口を挟むわけで、こうなるとJリーグもどうしようもない。
その事を考えると、マリノスの法人として英断だったのかもしれない。 


否定と差別とブーイング(その1) 否定とは

2014-09-14 20:34:22 | 雑感

先日、マリノスの一部のサポーターが差別的行動をした事で処分をされました。
また、現在一部のサポーターが応援やブーイングを自粛しています。
これらの事について、少し考えてみました。 


 

あなたは否定した事がありますか?
つまり存在を否定した事が。

モノだと日常的だと思います。
極論ですが、使えないモノ、食べられないモノ、です。
それは仕方ない。実際に不便だし、食べられない(或いは、不味い)モノは。
しかし、使えないモノや食べられないモノを作った人はいる事が多い。
その裏側、裏方までを考えたら、簡単には否定しにくい。
知人が作ったものを否定しにくいのはその為だ。

さて、好きなもので同調するのと、嫌いなもので同調するのでは、
どちらが話しが盛り上がり、結束力が強いだろうか。
明らかに嫌いなものである。

好きなものでは、ある程度の方向性に差異があり、これを許容する事は簡単ではない。
他人より自分の方が好きであるという証(愛)をどうしても証明したがる。
しかし、嫌いなものの場合、嫌いな点を列挙した時、許容範囲は比較的広い。同調しやすい。
他人より自分の方が嫌いだという競争は少ない。

また、駄目な部分、短所は目に付きやすい。吟味する必要性は高くない。
感覚的に、生理的に嫌い、に理屈などない。

つまり、駄目出し、否定、それは誰でも出来るという事。
肯定や好きになる事はそれ程簡単ではない。

どうして嫌いなのか。嫌いなモノはどうして、そういう存在なのか。 
それとどう付き合えばいいのか。

単なる否定は進歩、進化、成長を阻む。
しかし、否定からの分析、分析的な否定があれば、それは単なる否定ではない。 


根性論や体罰が如何に非効率的か

2013-09-04 20:50:36 | 雑感
根性論。
身体を虐め抜いて精神的にも身体的にも鍛え上げる。
それにより、より強い心技体を手に入れる。
そういう価値観がかなり根強いのは、まだ過去の話しではない。

水を長時間飲まない事で我慢をする事で、
精神的強さを手に入れられるかもしれない。
俺もこの様な体験をした一人である。
しかし、今考えたらおかしいと思う。

精神的な強さというものは、我慢もあれば、異なる価値観を受容する事も必要である。
また、動揺しない強さを備える為には、苦しい場面を勝ち抜かなければならない事もある。
自分で考え打開する精神も必要だ。
以上の事をスポーツを通して学ぶ事もあるだろう。

しかし、コーチなどが精神的なトレーニングの知識がなく、
感覚的に精神的トレーニングを押し付ける事は、門外漢が適当な事を言ってやっているに等しい。
感情的に押し付けるのは、下の下だ。

自分が教えた通りに上手くできない、下手なのに練習が続かず上手くなろうとしない。
そんな感覚にとらわれたとしても、自分の伝え方、練習のやらせ方が下手なのではないか?と、
思わないものなのだろうか。
ここで怒りを感じ、根性が足りない、我慢が足りないと虐待するのは嗜虐と言われても、
仕方ない。


体罰について、少し前に問題になった。
体罰反対と声高に叫ぶ人権団体は多い。

俺は、体罰を全て反対とは言わない。
自分が経験してきた体罰において、感謝している部分がある。

それは、遅刻や忘れ物の際、力の加減としては数分ぐらいは痛さが続く程度のもので、
自分の甘さを指摘されたと思うからだ。
勿論、青痣が残るものでもない。

体罰として問題になる事件がよく報道される。
しかしあれは、暴行などの傷害事件という犯罪の範疇のものだ。
マスコミにも問題がある。あれを体罰として報道する基準の甘さだ。
何故、あれを体罰として報道するのか、理解できない。

体罰とは、受ける側が事前に理解していて、
加える側が感情論に左右されていないという大前提があると思う。

つまり、「怒られた」「注意された」などがあるが、
「叱られた」と「怒られた」では全く違う。
体罰を加える側、教える側と、加えられる側と、
教えられる側が理解して納得しているのかどうかだ。

信頼関係を築く大事さ、これを真摯に大事だと思う。

ちなみに、体罰とは、暴力的以外のものも含まれるが、今回は題材的に除外させて頂く。


体罰にせよ、根性論にしても、厳しい事を言えば、
教える側のコミュニケーション能力や、経験値、勉強の不足だろう。

精神的な強さを手に入れさせたいのあれば、瞑想やマラソンなど、他にも幾らでもある。

厳しく注意したい時もあるだろう。
それで体罰を用いるのも個人的には1つだとは思う。
しかし、絶対に感情的になり、体罰、制裁を加えてはならない。
それは自信の成長も止めるし、受けた側にも不幸でしかない。

東北関東大震災義援金への募金の仕方

2011-03-24 18:02:53 | 雑感
色々な義援金を送る方法があります。

街角で、コンビニで、支援団体を通じて。

少し前まではマリノスを通じて募金をしようかと思っておりましたが、

対応に不満があり、急遽違う方法を取りました。

調べて実際にやった所、ものの数分で募金完了です。

それは、日本赤十字社に直接、クレジットカードで募金する方法です。
http://www.jrc.or.jp/contribute/help/l4/Vcms4_00002074.html

最低2000円からですが、確実に手早くやる事ができます。


募金したお金がどこへ流れるのか、わかりにくい団体もある為、
これが今回の震災の為に使ってくれる一番の方法だと思いました。

また、継続的に募金に参加したいと思います。

ワールドカップ開幕しましたね。

2010-06-14 10:02:16 | 雑感
毎日、祖国のプライドをかけた戦いが3試合あります。
TV観戦したものをここに記事にしたいのですが、
なかなか時間が無い・・・。

日本代表についてはちゃんと整理して書きたいとは思います。

という事で、ツイッターではTV観戦しながら呟いております。
良かったらフォローしてみて下さい。

keinosuke1976 がIDです。

どうぞよろしくお願いします。

朝青龍引退

2010-02-04 18:45:51 | 雑感
横綱の品格という言葉をこうも崩した人はいない。
多くのアンチを生み、けれども強く歴代3位の優勝回数という。
笑顔などは無邪気で、行動も破天荒で、日本の国技という言葉も、
何処吹く風である。
その為、悪役のイメージが強くついた。

行動する度に、ニュースになる。

優勝しても、非行があってもである。

ある意味悪役スターではあったのかもしれない。

相撲という国技でなければ、もっと違うアスリートになっていたのではないか?とも思う。
そう、伝統とか格式とかあまり関係のないもので。

ある人が語った言葉についてまさに思う。
彼は横綱ではない。
横綱にはずっと成り切れなかった。
横綱の精神を纏う事なく、横綱になり、そのまま引退してしまった。
彼を横綱にした人達が間違いである、と。

確かに、実力だけで横綱にはなれないのであれば、彼も考えたかもしれない。
それに、横綱に品格を求めるのであれば、品格が備わってから横綱にすればいい。
強いから、話題になっているからという理由で横綱にした責任は角界全体の宿題であると思う。
そういう意味では、少し彼は可哀想でもある。

◆いじめ撲滅は馬鹿げてる

2007-03-30 08:17:07 | 雑感
いじめ撲滅。いじめをなくそう。
そんな運動がスポーツ選手を通して行われていたりする。
いじめられて、それを苦に自殺。
だからいじめをなくせば、自殺はなくなる。

はたしてそうだろうか?

俺はいじめられた経験がある。
いじめられて良い気分はしないし、いじめるのはやめて欲しいと思う。
しかし、だからといって、いじめ撲滅とは思わない。

何故か?

いじめとは、社会に出れば幾らでもある事だからだ。
社会人として働けば、いじめ、またはこれに類する事は多々経験する。
小中学校でいじめがなくなってしまった時、社会人になって初めて出会ういじめに、
どう対処したらいいかわからない筈である。

相手を追い詰めてしまう様ないじめは確かに問題である。
これは程度を考えるべきである。
しかし、それと共にいじめに打ち勝てる様な生命力を養う事も、
大事であると思う。
むしろ、これを養う事の方が難しい。

昔、喧嘩にも喧嘩の仕方があると言われた事がある。
相手を殺してしまう様なやり方はやめろ。
最近の子は喧嘩慣れしていないと。
いじめも同じである。
例えば、冗談で言った事を、いじめの兆しと捉えられたらどうだろう?
いじめを撲滅してしまったら、冗談も言えない窮屈な
学校生活になるんじゃないのか?と思う。
冗談で言った事を、いじめと捉えられた時に、冗談といじめの境界線を
学んでいくのではないだろうか?
そういう心の交流の場を設ける事が、今の日本に求められている事だと思う。
そう考えていくと、いじめ撲滅とは悪い事ではないが、
見当違いな事をしている気がする。

また、世界でも同様である。
世界でも喧嘩(戦争)、いじめ(制裁、テロなど)は国家間で行われている。
そこで平和を叫ぶ事は大事で悪い事ではない。
しかし真には、対話の場を設ける事が大事なのであって平和を叫ぶだけでは、
見当違いな事をしている気がする。
よく日本が武装せずそこから平和を広げるみたいな事を言う人がいるが、
これも同様で見当違いで安易である。

戦争もいじめも喧嘩も無くなりはしない。
その中で如何に理想を求めて生きるかという術を身に付ける事こそ大事なのである。

◆転職を考えるあなたへ

2007-01-29 11:32:54 | 雑感
ここ最近、友人から転職を考えている事をよく打ち明けられる。
漠然と現在の仕事に違和感を抱き、やりたい事は靄の様に胸にある。
しかし、辞めていいのかという事に、恐怖感、不安感が入り交じる。

転職回数が少なくない俺。経験値は数奇であるかもしれない俺。

そんな俺が、彼らにかける言葉と言えば、以下の二つ。

・次の目的がないまま、辞めるな。自信を持って辞めよう。
(辞めた後の事を考えよう。辞めるという事は、辞めて次へ行く事までが辞めるという事。)

・現在の仕事で疲れすぎる前に辞めよう。
(次の仕事への余力を残して、辞めよう。打ちひしがれて辞めても誰も助けてはくれない。)

一見、矛盾するこの二つだけど、心に留めておくだけで、きっと違うものになると思う。どちらも完璧にこなせるわけがない。世の中はそんなもんだ。
ただ、勇気と自信を持って、夢、希望に向かう人達を応援したいと、切に願う。

◆ジダンの事件

2006-07-14 09:38:20 | 雑感
ジダンの暴力行為とマテラッツィーの挑発行為が毎日ニュースで流れている。
サッカーファンであれば興味ある話しではある。
しかし、はっきり言って毎日ニュースで、それもトップトピックなどで流す様な
重要性はないと思う。
サッカーでは、挑発行為などは日常茶飯事であり、それが行き過ぎた場合に、
今回の様な事態になるだけである。
それに、いくらW杯の決勝という目立つ舞台であったとはいえ、世界各国の
リーグ戦でも今回の様な話しは、無い話しではない。

北朝鮮との問題、サミット、日米関係などの外交、国内では、殺人事件や
誘拐事件。
日本にとってもっと伝えるべきニュースはあると思う。

◆応援される立場でプレーしてみて

2006-06-04 21:51:48 | 雑感
昨日、マリノス対磐田のナビスコカップがあるにも関わらず、フットサルの大会に出場してきた。
もともと大会の方が先に決まっていて、なおかつキャプテンをやっていたので、参加する事になった。

15チームで優勝を争うリーグ戦。
初対面の人も多く、上手い人がいるものの、ディフェンシブな選手が少ないというあまりバランスのよくないチーム構成。ミックスなので女性もいる。
そこをどうやってメンバーを構成していくか?、そして交代していくか?、そして皆に楽しんで貰うか?という課題があった。

しかし、自分のつたないチーム戦術を理解し相互意識を高め、声を出して指示し、ゴールの時はみんなで盛り上がって喜ぶ、そんな事を皆で実践した結果、予選では2位だった。
そして優勝のかかった最終戦まで行く事ができ、この試合に勝てば優勝という試合。
そこで、ある一人にメンバー構成を変更して、より攻撃的に行く事を提案された。多少バランスを崩すものの、急遽代案を提案し、その案で行く事を決める。
しかし、いきなりの2失点。
ところが、この後、一人が2点を返す。
ウチのチームと所属が同じチームの人が、頑張れ~!と応援をしてくれ、それがまたパワーに変わる。そして終了間際に逆転ゴールが決まり、そのまま終了。
ハットトリックが決まり、劇的勝利の瞬間、皆で抱き合った。
歓喜のあまりゴールゲッターの上へ覆い被さる。
感動の瞬間である。

皆それぞれに上手い下手はある。
攻撃的、守備的というのもある。
そして、初対面である人や、顔は知っていてもプレーするのは初めてという人もいる。そんな仲間達でもそれぞれが頑張る事での力を合わせた優勝。
ある一つの方向性に向かってそれぞれが頑張り、異論があるときはそれを話し合い、そして違う方向性に調整をした結果である事が素晴らしい。
チームスポーツとは、こうやってコミュニケーションを取りながら結果が出ると、とても楽しいという事を改めて実感した。

普段観戦しているサッカーについても、選手達はきっとこういう事を感じているに違いないと思うと、何か嬉しい気がした。

また、同じ所属というだけで、他チームのウチを応援してくれたみんなにも凄く感謝した。応援してくれる事があれほど心強いものとは思わなかった。
何かテンションが、一つ二つ上がるのだ。
普段はサポーターとして応援している俺だけど、熱い応援を受けるのはいい事だと感動した。

◆迷惑をかけない事

2006-04-05 23:34:37 | 雑感
ニュース23の「甦れ!ニュータウン」という特集を見た。
30年前に作られた多摩ニュータウンは、募集当初こそ皆の憧れであったが、
団塊の世代が引退し始める今となっては、子供のいない活気のない街と化している。

そこで甦らせようとしている運動として、新しい集合住宅を造ろうという建築士がいた。
皆が個室(家)をそれぞれ持つが、その中心に談話室の様なものを作ることで「ご近所付き合い」を促進させるというもの。

現在、皆に個室が与えられ、皆にテレビが与えられ、皆に電話が与えられている。
どちらが先に部屋を使うか、誰がテレビを見るか、誰と電話しているか。
そんな気を使う必要がなく、ある種の我が儘が通る。

しかし、これは気を使う事の大事さ、相手への思いやり、周囲の雰囲気を考えて行動する必要性を感じなくなってしまう。

自分の我が儘を通し続けると、周囲との関係を上手く保てず、孤立していく。
すると寂しくなっていき、反動として奇行などを起こしてしまう。

人付き合いを我慢しながらも続ける事で、自分の存在価値を知り、また自分も成長ができる。
皆がそんな思いを抱けたら、最高だと思う。

◆ 一生の内での大事な事

2006-03-20 00:57:57 | 雑感
最近、よく考える事。
今は、毎週の様にマリノスのゴール裏に陣取り、仲間と応援する。
又は、mixiでの仲間とフットサルをやる。
服を買う。映画を見る。親友と過ごす。

そんな休日を過ごしながら、ネット関連の仕事をしてきた。

パソコンとの付き合いも既に10年ちょっとになる。
MS-DOS5.0から、プログラムを学んだり、色々勉強してきた。
だけど、ネットショップ店長になってから、モノ作りをコツコツとやる事より、モノを売って喜んで貰う事に喜びを見付けてから、何かが変わった。
何かを企画して、人にそれをのせるのは楽しい。そこに喜びを見いだした。

フットサルやサッカーの応援は、土日休みでないとダメだ。
しかし、仕事が店長であるとすると、それは難しい。
そんなくだらない事に悩むとは、少年の頃には思ってなかったと思う。
だけど、毎日の生活の一つ一つってこれほど大事と思った事はないね。
仕事やパソコンとは別に、部屋の片づけは本当に下手なので、特にちょっとしたものをしまう事の大切さを最近思い知る。
つまり、毎日のコツコツとやる事、やらなければならない事、やる事になる事、
甘く見ちゃいけないね。