Marisapo.net | 横浜F-マリノスサポーターブログ

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APT(アクチュアルプレーイングタイム)がJ1最短のマリノス

2013-09-22 21:04:05 | 横浜Fマリノス
最近言われている指標の1つとして、よく挙げられている、APT。

マリノスはAPTが短い=つまらないサッカーをしている。

そういう事ではない。

昨年から言われている事の様だが、文面を下記サイトから引用するとこういう事。

+Qualityプロジェクト
http://www.j-league.or.jp/plusquality/


Jリーグでは2012シーズンより、試合自体の魅力向上を目指すための新たな取り組みとして、「+Qualityプロジェクト」(プラスクオリティープロジェクト)を発足しました。
同プロジェクトでは、選手、監督、審判、クラブ、リーグが一体となり、試合中の異議行為や遅延行為などお客様にとって不快となりうるプレーをなくし、フェアで、クリーンで、スピーディーで、タフな試合の実現を目指しています。


ちなみに、わかりにくい「アクチュアル」。

直訳としては、

アクチュアル=現実の,実際上の,事実上の
http://ejje.weblio.jp/content/actual

という意味で、プレイングタイムは説明する必要もないだろう。

しかし、「APTが長い=ボールが動いている=試合が面白い」という事ではない。

つまり上記の説明を補足するのであれば、マリーシアな時間は考慮されないという事だ。
今は劣勢だからルールの範囲内で時間を使おう。もっとわかりやすく言えば、今は劣勢、落ち着く時間が必要だから通常よりも数十秒多く使おうというのは、ルール違反ではない。

セットプレーのチャンスをちゃんと活かす為には、緩急が大事だ。
セットプレーはいつも急げばいいというものではない。
じっくりとヘディングの強い選手とアイコンタクトを取るのか、速攻的に身近に居た選手とショートコーナー等でダイレクトに崩すのかで、全く違う。
今は優勢だから、早くするのか遅くするのかも、経験値に裏付けされたものだ。

単純にいつもいつも早くリスタート(スローイン、CK、FKなど)をすれば面白いものではない。

これは玄人な見方かもしれない。
マリノスで言えば、中澤、栗原、富澤、マルキーニョスというヘディングの強い選手がいる。
1回目のCKは、中澤がニア(ボールに近い方)に走るが、2回目はファー(遠い方)に走るなどの駆け引きがある。
俊輔などはCKで、ニア、ニア、ファーと蹴って決めるなどの駆け引きがある。

再度言うが、

「マリノスはAPT(ボールを動かしている時間)が短い=つまらないサッカーをしている。」

という事ではないのだ。

執拗な時間稼ぎや、判定に抗議するのは、審判のレベルや人間性を置いておいても、控えなければならない。
ルールを守ってこそ、審判のルールの執行の仕方にモノが言える。
ルールを守っていながらそのルールを批判する者を、誰も批判はできないだろう。


偏差値やIQという言葉をご存知だろうか。
何れも指標であり、それ自体は悪ではない。

これらの指標の意味を理解せずに、人を安易に批判する事こそ、過ちとして理解する事だと思う。

指標で安易に全てを判断はできない。
1つの目安だ。

マリノスが、APTを短くして、審判に抗議して時間稼ぎをする、セットプレーでも出来る限り時間稼ぎをして、
勝利を手にしようとなどしていない。
ルールの範囲内で、勝つ事の為にやる事は真のマリーシアなのだと思う。

今の代表にない緩急のないメンタリティーとさえ思う。

東京オリンピック開催決定

2013-09-09 23:36:04 | 横浜Fマリノス
いきなり余談。
マリノスが柏にナビスコカップ準決勝で苦手とはいえ、4-0で大敗した翌日の内容だ。
嫌でも冷静になる。


さて、スポーツ好きでも東京オリンピック開催を応援していた人はどれぐらいいるだろうか。

大阪の時よりはマシだが、東京であっても政界や財界のバックアップは万全とは思えなかった。
それぞれの界の方達は尽力して頂いたのかもしれない。
けれど、真にスポーツを愛している、スポーツビジネスを熟知し人生を賭している人の姿は見当たらない。
いや、愛している、熟知している人も、五輪に影響を持つ程の政治力という面で強くはないというだけかもしれない。

日本による東京の五輪開催は、政治的な力は当然必要だったであろう。
しかし、スポーツを理解している人からではなく、政治家からスポーツを利用しようとした様に見えてしまう。
利権、つまり金の絡んだ話しであれば、政治家も誰も彼も動くだろう。
五輪を招致した政治家となれば、名誉にもなる。
そこに筋の通ったポリシーは見えなくても不思議はない。

俺が諸手を挙げて応援出来なかったのはそういう側面が見えたからだ。


しかし、周囲で金儲けをしたいだけの人達が五輪を招致したから、五輪を応援しないというのには違和感を感じる。


政治力があっても根本的にスポーツを理解してない人間はいるだろう。
昨今の資本主義的な五輪には似つかわしいが、スポーツが生活に溶け込んでいる人達からは、悲しい現実だ。
ただ、フェアーに考えるのであれば、スポーツが生活に溶け込んでいる人達の政治力はどうなのか?という問題だ。

つまり、金儲け主義的、利権に塗れた五輪という印象を抱くのは今はいいが、
開催と決まったのだからそれは止めて欲しいという事だ。

スポーツが生活に密着している人達、人生が掛かっている人達の情熱、行動力を俺は知っている。
それは、政治の専門家である政治家の政治力を凌駕する事もある。

日本でプロサッカーリーグ?
第一回東京五輪では考えられなかった。
そして、俺が生まれてから、なんとワールドカップの方が先に来た。
2002年を知っている人達は多くいるだろう。あそこからサッカー、ないしスポーツの素晴らしさに気付いた人達も、
多くいるだろう。

金儲け、利権、外交や内政の駆け引きなど、小難しい事はあっても仕方ない。
しかし、それを忘れる瞬間を持っているのがスポーツだ。

何も変わらないと思って、何もしないのは誰にでも出来る、怠惰な事だ。
何かが変わると思い、信じて行動する事こそ、スポーツマンであり、スポーツマンを愛する人達。

サッカーであれば、サポーターなのだと思う。

根性論や体罰が如何に非効率的か

2013-09-04 20:50:36 | 雑感
根性論。
身体を虐め抜いて精神的にも身体的にも鍛え上げる。
それにより、より強い心技体を手に入れる。
そういう価値観がかなり根強いのは、まだ過去の話しではない。

水を長時間飲まない事で我慢をする事で、
精神的強さを手に入れられるかもしれない。
俺もこの様な体験をした一人である。
しかし、今考えたらおかしいと思う。

精神的な強さというものは、我慢もあれば、異なる価値観を受容する事も必要である。
また、動揺しない強さを備える為には、苦しい場面を勝ち抜かなければならない事もある。
自分で考え打開する精神も必要だ。
以上の事をスポーツを通して学ぶ事もあるだろう。

しかし、コーチなどが精神的なトレーニングの知識がなく、
感覚的に精神的トレーニングを押し付ける事は、門外漢が適当な事を言ってやっているに等しい。
感情的に押し付けるのは、下の下だ。

自分が教えた通りに上手くできない、下手なのに練習が続かず上手くなろうとしない。
そんな感覚にとらわれたとしても、自分の伝え方、練習のやらせ方が下手なのではないか?と、
思わないものなのだろうか。
ここで怒りを感じ、根性が足りない、我慢が足りないと虐待するのは嗜虐と言われても、
仕方ない。


体罰について、少し前に問題になった。
体罰反対と声高に叫ぶ人権団体は多い。

俺は、体罰を全て反対とは言わない。
自分が経験してきた体罰において、感謝している部分がある。

それは、遅刻や忘れ物の際、力の加減としては数分ぐらいは痛さが続く程度のもので、
自分の甘さを指摘されたと思うからだ。
勿論、青痣が残るものでもない。

体罰として問題になる事件がよく報道される。
しかしあれは、暴行などの傷害事件という犯罪の範疇のものだ。
マスコミにも問題がある。あれを体罰として報道する基準の甘さだ。
何故、あれを体罰として報道するのか、理解できない。

体罰とは、受ける側が事前に理解していて、
加える側が感情論に左右されていないという大前提があると思う。

つまり、「怒られた」「注意された」などがあるが、
「叱られた」と「怒られた」では全く違う。
体罰を加える側、教える側と、加えられる側と、
教えられる側が理解して納得しているのかどうかだ。

信頼関係を築く大事さ、これを真摯に大事だと思う。

ちなみに、体罰とは、暴力的以外のものも含まれるが、今回は題材的に除外させて頂く。


体罰にせよ、根性論にしても、厳しい事を言えば、
教える側のコミュニケーション能力や、経験値、勉強の不足だろう。

精神的な強さを手に入れさせたいのあれば、瞑想やマラソンなど、他にも幾らでもある。

厳しく注意したい時もあるだろう。
それで体罰を用いるのも個人的には1つだとは思う。
しかし、絶対に感情的になり、体罰、制裁を加えてはならない。
それは自信の成長も止めるし、受けた側にも不幸でしかない。