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未だ奥大介の死を受け止められない

2014-10-19 14:59:34 | 横浜Fマリノス

奥大介の訃報を知ったのは、昼間の休憩中のツイッターだった。タイムライン上は、故人を偲ぶ言葉が並んだ。
俺は思考停止した。無理して言葉を吐いてみても、違和感が身体を固くさせる。マツが亡くなった時と、同じ状態だった。
そこで、友人のガスサポさんが、彼の印象をツイートしていた。
的確で、また自分の印象とも近いと感じたので、紹介します。因みに本人了承済みです。

磐田の黄金世代の中でも奥は異質だった。周りが凄い速さでガンガンポジションチェンジしたり、パスをビシビシ通す中、一人だけ変なところを漂っていた。最初は理解できず「何やってるんだろう」と思っていたのだけど、磐田の中で異分子として機能してることがやがて分かった。
ただ、その不思議な立ち位置が磐田での立場でもそのものだったというか、中心選手なのに名波や藤田の影に隠れた扱いだった。彼が本当に輝いたのは鞠時代の岡田政権だろう。文字通りチームの中心として守りに攻めにゴールにセットプレーに主将に、それこそ何でも貢献していた。
逆に、その何でも出来てしまう能力こそがフル代表では損な立場になった。スペシャリストを集めていたジーコジャパンでなければ…。もう少し早く、もしくは遅く生まれていたら代表で欠かせない存在だったと思う。鞠を去る経緯も横浜FCでの終わり方も何か凄い寂しい形だったのは覚えている。


付け加えるのなら、マリノスからあろう事か横浜FCに行った事、また、そこで慣れないGMをやった事、DV容疑で逮捕、離婚した事など、
どれも彼の波瀾万丈さを物語っている。

俊輔が海外へ飛び立とうとしている時、ルーズなソックスの彼は来た。
当時、磐田と言えば代表よりも強い、そして鹿島との二強時代である。
また、1試合9得点、34試合で107得点、得失点+64という記録を残す様な、強くて面白いサッカーをやるチームであった。
その中で奥は、もがいている様に見えた。
そしてどうしてもトップ下をやりたくてマリノスへ来た。
俊輔の後釜として移籍して来たが、正直最初は色眼鏡で見ていた。
考えている事がよくわからない様に見え、プレーも90分でどれだけやれるのか疑問だった。
しかし、その後の事はご存知の通りの大車輪の活躍で、大黒柱となり、彼なしに連覇はありえなかった。
岡ちゃんの時、ドラゴン久保が来た。
ポテンシャルは未知数、まさにドラゴン、何をやるかわからないが、言葉数少なく、何を考えているかわからない彼。
人見知りが激しく、不安を抱えて広島から単身来た彼は、ダイさんと呼んで奥を慕っていた。
一緒に横浜FCに移籍した事からも、よくわかる。

色々と彼の事や、今回の訃報について調べてみても、違和感がまだ体に残る。
死を現実として受け止めるのには、まだ時間がかかりそうだ。


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