いきなり余談。
マリノスが柏にナビスコカップ準決勝で苦手とはいえ、4-0で大敗した翌日の内容だ。
嫌でも冷静になる。
さて、スポーツ好きでも東京オリンピック開催を応援していた人はどれぐらいいるだろうか。
大阪の時よりはマシだが、東京であっても政界や財界のバックアップは万全とは思えなかった。
それぞれの界の方達は尽力して頂いたのかもしれない。
けれど、真にスポーツを愛している、スポーツビジネスを熟知し人生を賭している人の姿は見当たらない。
いや、愛している、熟知している人も、五輪に影響を持つ程の政治力という面で強くはないというだけかもしれない。
日本による東京の五輪開催は、政治的な力は当然必要だったであろう。
しかし、スポーツを理解している人からではなく、政治家からスポーツを利用しようとした様に見えてしまう。
利権、つまり金の絡んだ話しであれば、政治家も誰も彼も動くだろう。
五輪を招致した政治家となれば、名誉にもなる。
そこに筋の通ったポリシーは見えなくても不思議はない。
俺が諸手を挙げて応援出来なかったのはそういう側面が見えたからだ。
しかし、周囲で金儲けをしたいだけの人達が五輪を招致したから、五輪を応援しないというのには違和感を感じる。
政治力があっても根本的にスポーツを理解してない人間はいるだろう。
昨今の資本主義的な五輪には似つかわしいが、スポーツが生活に溶け込んでいる人達からは、悲しい現実だ。
ただ、フェアーに考えるのであれば、スポーツが生活に溶け込んでいる人達の政治力はどうなのか?という問題だ。
つまり、金儲け主義的、利権に塗れた五輪という印象を抱くのは今はいいが、
開催と決まったのだからそれは止めて欲しいという事だ。
スポーツが生活に密着している人達、人生が掛かっている人達の情熱、行動力を俺は知っている。
それは、政治の専門家である政治家の政治力を凌駕する事もある。
日本でプロサッカーリーグ?
第一回東京五輪では考えられなかった。
そして、俺が生まれてから、なんとワールドカップの方が先に来た。
2002年を知っている人達は多くいるだろう。あそこからサッカー、ないしスポーツの素晴らしさに気付いた人達も、
多くいるだろう。
金儲け、利権、外交や内政の駆け引きなど、小難しい事はあっても仕方ない。
しかし、それを忘れる瞬間を持っているのがスポーツだ。
何も変わらないと思って、何もしないのは誰にでも出来る、怠惰な事だ。
何かが変わると思い、信じて行動する事こそ、スポーツマンであり、スポーツマンを愛する人達。
サッカーであれば、サポーターなのだと思う。
マリノスが柏にナビスコカップ準決勝で苦手とはいえ、4-0で大敗した翌日の内容だ。
嫌でも冷静になる。
さて、スポーツ好きでも東京オリンピック開催を応援していた人はどれぐらいいるだろうか。
大阪の時よりはマシだが、東京であっても政界や財界のバックアップは万全とは思えなかった。
それぞれの界の方達は尽力して頂いたのかもしれない。
けれど、真にスポーツを愛している、スポーツビジネスを熟知し人生を賭している人の姿は見当たらない。
いや、愛している、熟知している人も、五輪に影響を持つ程の政治力という面で強くはないというだけかもしれない。
日本による東京の五輪開催は、政治的な力は当然必要だったであろう。
しかし、スポーツを理解している人からではなく、政治家からスポーツを利用しようとした様に見えてしまう。
利権、つまり金の絡んだ話しであれば、政治家も誰も彼も動くだろう。
五輪を招致した政治家となれば、名誉にもなる。
そこに筋の通ったポリシーは見えなくても不思議はない。
俺が諸手を挙げて応援出来なかったのはそういう側面が見えたからだ。
しかし、周囲で金儲けをしたいだけの人達が五輪を招致したから、五輪を応援しないというのには違和感を感じる。
政治力があっても根本的にスポーツを理解してない人間はいるだろう。
昨今の資本主義的な五輪には似つかわしいが、スポーツが生活に溶け込んでいる人達からは、悲しい現実だ。
ただ、フェアーに考えるのであれば、スポーツが生活に溶け込んでいる人達の政治力はどうなのか?という問題だ。
つまり、金儲け主義的、利権に塗れた五輪という印象を抱くのは今はいいが、
開催と決まったのだからそれは止めて欲しいという事だ。
スポーツが生活に密着している人達、人生が掛かっている人達の情熱、行動力を俺は知っている。
それは、政治の専門家である政治家の政治力を凌駕する事もある。
日本でプロサッカーリーグ?
第一回東京五輪では考えられなかった。
そして、俺が生まれてから、なんとワールドカップの方が先に来た。
2002年を知っている人達は多くいるだろう。あそこからサッカー、ないしスポーツの素晴らしさに気付いた人達も、
多くいるだろう。
金儲け、利権、外交や内政の駆け引きなど、小難しい事はあっても仕方ない。
しかし、それを忘れる瞬間を持っているのがスポーツだ。
何も変わらないと思って、何もしないのは誰にでも出来る、怠惰な事だ。
何かが変わると思い、信じて行動する事こそ、スポーツマンであり、スポーツマンを愛する人達。
サッカーであれば、サポーターなのだと思う。