11月11日(水)哲学学習会を会社で実施しました。参加人数は、8名でした。教材は、「自然の哲学」(下)田中 一著で「第十九話 否定の否定の法則」です。
雑感
10月の23日、24日に関西電力様のサービス懇談会で青森の六ヶ所村の原子燃料サイクル施設に行ってきました。前回の哲学学習会でたまたまウラン238などの放射性元素について学びましたので大変興味深く見学をさせていただきました。
まず、三沢空港に降り立ったのは初めてでしたが、米軍の施設が空港内にあり、沖縄と同じでいつもとは違う緊張感を感じました。
そこからバスで日本原燃さんの六ヶ所村へと向かいましたが、道すがらは観光地とは違い寒々しい殺風景な風景でした。
施設に近づきますと、まず、目に入るのが風力発電用の風車です。少し前に三重県の青山高原に行ったときにも風車は見ていたのですが、六ヶ所村は圧倒的な数でした。ちなみに風車の数は青森県が日本一多いそうです。そのほかにも、国家石油備蓄基地もありました。六ヶ所村の施設は、広大な原野の中に「ウラン濃縮工場」、「高レベル放射性廃棄物貯蔵監理センター」、「低レベル放射性廃棄物埋設センター」そして「再処理工場」がありました。
施設内には、PRセンターがあり、たいへんわかりやすく核施設の内容や原子力発電のしくみやウラン鉱石の実物や原子力のことがよくわかるようにつくられていました。
その後、施設内をバスで見学しましたが、印象的だったのは警備が大変厳しいことと、施設の安全管理が今までいろいろな工場を見てきましたがこれほどのところはありませんでした。一例を申し上げますと、建物屋根は1.2メートルのコンクリートで保護されていますので飛行機が落下してきても大丈夫だそうです。また、建物は、地上に見えている部分の高さは、そんなに高くないのですが、地下がすごいです。地下施設といっていいぐらいです。また、使用済みの燃料棒といっても大変高温(300℃)で放射線も多量に放出していますが、人が触れることなく地下で移動できるようになっているそうです。また、施設内で働く人たちの安全教育などは、模擬施設も完備しており、かなり高度で徹底されていると感じました。
ここで原子力について基礎的なことを経済産業省 資源エネルギー庁編集、(財)日本原子力文化振興財団発行の「原子力2008」から少し学んでおきます。
今回は一部で、次回に続きます。
一口に原子力といっても、そのエネルギーを発生させる現象は原子核の崩壊、核分裂、核融合等さまざまなものがあります。このうち大きなエネルギーを発生させるものは、核分裂と核融合です。
核分裂とは、原子核が分裂することで、核融合とは複数の原子核が合わさり1つになることです。現在、エネルギーの分野で実用化されているのは、核分裂によるエネルギー利用です。
すべての物質はたくさんの原子から成り立っており、原子は原子核とそのまわりにある電子からできています。
原子核は中性子と陽子からなり、それぞれは核力と呼ばれる強い力で結び付いています。陽子と陽子の間には、クーロン力と呼ばれる電気的な反発力も存在しますが、核力のほうが勝っており、原子核は1つにまとまっています。原子核を1つにまとめているエネルギーを、その原子核の結合エネルギーと呼びます。結合エネルギーの観点から見ると、鉄やニッケル等の中くらいの重さの原子核が一番安定しており、いくつかの例外を除き、重くなるにつれ、あるいは軽くなるにつれ不安定になります。このため、ウラン等の重い原子核は、分裂して軽い原子核になろうとする傾向があります。反対に水素等の軽い原子核は、融合して重い原子核になる傾向があります。
しかしながら、不安定といっても比較の上での話であり、それぞれの原子の原子核は非常に安定しており、基本的にはそのままの状態で核分裂や核融合が起こることはありません。核分裂を起こすには、原子核を一度不安定な状態にする必要があります。この役割を担うのが中性子です。ウランの核分裂を例に取ると、ウランの原子核に外から中性子が飛び込むと、原子核は不安定な状態になり、分裂して2つ以上の異なる原子核に変わります。この時、膨大なエネルギーが発生します。
核分裂反応の前後で、陽子、中性子の個数の合計は変化しません。しかしながら、元の原子の質量に比べ、新しく発生した原子や粒子の質量の合計は、わずかながら減少しています。これを質量欠損と呼びます。
相対性理論によると原子レベルでは、質量とエネルギーは同じものであり、その変換式はE=MC²(E:エネルギー、M:質量、C:定数(光の速度))で表されます。質量欠損は、元の原子が質量として持っていた結合エネルギーの一部が、核分裂によって外部にエネルギーとして放出されるために生じます。このエネルギーのほとんどは、新しく発生した原子や粒子の運動エネルギーとなりますが、最終的には熱エネルギーとなります。この熱を発電に利用したものが、原子力発電です。
一方、核融合では、水素等の軽い原子を超高温高圧のプラズマ状態(電子と原子核が分離してバラバラになっている状態)にしてやることにより、その原子核を融合させます。太陽は核融合を持続させることにより、エネルギーを発生しています。太陽の内部では水素が融合し、ヘリウムが次々に生まれています。
原子の存在は遠くギリシア時代のデモクリトスから予言されていましたが、原子力開発の歴史が始まったのは、19世紀末から20世紀の始めにかけて、多くの科学者によって原子論が展開され、放射線が発見されたときからです。こうした分野で活躍した人たちとしてドルトン、長岡半太郎、レントゲン、キュリー、ラザフォード、アインシュタイン等が挙げられます。
その後、放射線の実験から原子が人工的に変えられることがわかり、多くの科学者を核分裂の実験に駆り立てました。そして、ついに1938年オット・ハーンとマイトナーが核分裂を確かめました。しかし、核分裂の発見の時期が第2次世界大戦と重なったことは、原子力にとって、とても不幸なことでした。
1942年、アメリカへ亡命していたイタリア人エンリコ・フェルミを中心に、シカゴ大学で史上初の原子炉が作られ、ウランの核分裂が人の手で自由にコントロールできることが確かめられましたが、これは世界に先駆けて原子爆弾を作ろうとするアメリカの計画の一環としてでした。
原子力が平和のために本格的に使われ始めたのは、第2次世界大戦後の1953年、アメリカのアイゼンハワー大統領が国連総会で「平和のための原子力」と呼びかけてからです。
核分裂を起こす物質(核分裂性物質)として、ウランやプルトニウムがよく知られています。
自然界に存在するウランのうち、核分裂を起こしやすいものは、陽子と中性子の合計数(質量数)が235であるウラン235です。自然界に存在するウランのうち、大部分(99.3%)は、核分裂を起こしにくいウラン238であり、ウラン235は残りの0.7%です。ウラン鉱石から精製した状態のウランは、ほぼこの構成比になっており、これを天然ウランと呼んでいます。
我が国の商業用の原子力発電所(軽水炉)においては、天然ウランで発電を行うことはできず、ウラン235の比率を3~5%程度に高めたものを燃料として使用します。この状態のウランを濃縮ウランと呼びます。
このほか、核分裂性物質の中には天然に存在しない人工元素があり、プルトニウム239やウラン233が知られています。プルトニウム239はウラン238が中性子を吸収することにより、ウラン233はトリウム232が中性子を吸収することにより生成されます。
ウラン235等の原子核が、外部から入ってきた中性子が当たる等のきっかけにより複数の異なる原子核に分裂するとき、同時に中性子を出します。この中性子で次の核分裂を起こすようにし、これをくり返していくと、核分裂が継続して発生するようになります。これを核分裂連鎖反応と呼びます。
ウランやプルトニウムでは、1回の核分裂により、複数個の中性子が放出されます。核分裂により発生した中性子は、外に逃げ出す、核分裂を引き起こさない物質に吸収される、次の核分裂を起こすという3つの場合のいずれかとなります。1回の核分裂で発生した複数個の中性子のうち、1つのみが次の核分裂を引き起こす状態、つまり核分裂を引き起こしたのと同数の中性子が次の核分裂を引き起こす状態では、核分裂の数がつねに一定に保たれます。この状態を臨界と呼びます。
これに比べ、核分裂を引き起こした数よりも多い中性子が次の核分裂を引き起こす状態では、核分裂を起こす原子核の数がどんどん増えていきます。この状態を臨界超過と呼びます。次の核分裂を起こす中性子の数が核分裂を引き起こした数より少なければ、臨界や臨界超過は発生せず、核分裂連鎖反応はやがて終焉に向かいます。
原子力発電の運転においては、出力を一定に保つため、核分裂の数を一定に維持する必要があります。つまり、臨界の状態を維持するように運転します。
原子爆弾と原子力発電はともに核分裂によるエネルギーを利用する点は同じですが、その仕組みは根本的に違います。
例えばウランを用いた原子爆弾は、一瞬のうちにほとんどのウランを核分裂させ、爆発的にエネルギーを放出させるものであり、効率よく瞬時に核分裂連鎖反応を引き起こさせるようにウラン235の割合が100%に近いものを使用します。原子爆弾の核分裂は、複数の中性子が、他の物質に吸収される間もなく次の核分裂を引き起こします。核分裂で発生したままの速い状態の中性子によって行われるため、非常に短い時間で核分裂数が倍増することになります。
これに対し、ウランを燃料とする原子力発電では、燃料中のウランを少しずつ核分裂させ、少しずつエネルギーを取り出すものであり、一定の規模で核分裂連鎖反応が継続されるように、燃料中のウラン235の割合が3~5%のものを使用しています。
そして、燃料の大部分を占めるウラン238が中性子を吸収する働きがあるのに加え、原子力発電では、発生した中性子の速度を遅くしてから次の核分裂を行うような設計となっているため、原子爆弾と比べると、核分裂の変化は非常に緩やかになります。
また、我が国の商業用の原子力発電で使用されている軽水炉は、温度が上昇するとウラン238がより多くの中性子を吸収する現象(ドップラー効果)等を利用して、核分裂数が増加して原子炉の出力が上昇しても、燃料の温度が上昇することによって自然に核分裂が抑えられるような設計になっています。
次回は、放射線について学びましょう。
それでは、本題に戻ります。
本日の学び
まず、弁証法とは何でしょうか?世界を語る普遍の真理とでもいいましょうか。ただ、ひとつの理論で世界を語りつくせないことは、その後の哲学が証明していますが、この弁証法を知っておくことは世界を深く探求するためには、有益な手法だと思います。
弁証法の三法則は以下のものです。
原因の法則:対立物の統一と闘争
変化の法則:量的変化と質的変化
発展の法則:否定の否定の法則
今回は、弁証法の第三法則、否定の否定の法則についてです。
デモクリトスの原子論
物質は質的に同一でかつ不可分な、不変で自立性をもつ究極の単位からつくられていまして、この究極の単位が原子と呼ばれるものです。万物、人間精神および社会状態までをふくめてすべての現象は原子の離合集散によって生じます。したがいまして、世界は原子の離合集散という単一の現象の世界と考えられ、その意味ではけっしてばらばらでもなく、まとまりがつかないものでもなく統一した存在です。その反面、原子の離合集散が多様であればあるほど、それに応じて自然は多様性に富むことになります。
このようにこの世界の矛盾した特徴、すなわち多様性と統一性をきりはなさないで一つのこととして理解する唯一の道が原子論です。
事物の進化発展についてですが、事物はその内部に矛盾を有しており、この結果として、けっして静かな不変な状態を続けることはできません。その内部矛盾をみなもととして、たえず変化し運動することを余儀なくされています。その変化が量的に一定のところまですすんで、もはやいままでの質でささえきれなくなると急速に質的変化をひきおこして質的に異なるものに変化し、さらにたえず量的に変化していきます。
生命について
ほとんどすべての生物個体は一定期間生存して死にいたりますが、個体は個体を生んで生命自身は変わりなく維持されていきます。たんに維持されるだけでなく、進化をかさねて発展していきます。いいかえれば、個体がその生命を有限な時間で終え、つぎの個体を生むというかたちで、その生命を長時間にわたって維持しているからこそ、生物は進化することができる考えるべきだと書いてあります。
ということは、生物としてわれわれの生きる究極の目的は、種(生命)を残すためだということができるでしょう。それが、自然の摂理だからです。
親の個体とは幾分異なるDNAをうけた卵子は、親とやや異なる個体となります。卵子は細胞分裂を繰り返して新しい個体となります。親の個体はみずからと異なる卵子という生命体となることによって、新たな個体を形成する可能性を獲得していきます。このように生物は、個体の絶え間ない発生を通じてはじめて進化しうるものです。
だんだんわれわれの生命のなぞが解けてきましたね。
たとえば、父親と母親がいまして、その一部の質を否定することによって質的に異なる精子や卵子となり新しい変化の可能性を獲得します。こうして父親と母親とが合体した結果、卵は、新しい質的存在としての卵として以前には不可能であった新しい量的変化をつづけていきます。この新しい卵は、当然のこととして父親や母親が有していた多くの質を肯定したまま新しい質的存在として運動していきます。やがてその量的変化はぎりぎりに達し、質的に新しかった卵はその特有な質を否定しいっそう新たな父・母へ質的に発展します。これが、否定の否定の法則です。
このように事物の変化発展は否定の否定をとおしておこなわれ、たえず変化しながら新しく質を再現していきます。
人も会社も社会も、このような二回の否定すなわち、二回の大きな質的変化を経て、進化発展していくとうことです。今年の衆議院の選挙で古い体質の自民党の政治が量的変化を続けてきた結果、古い体質を残しながら新しい民主党の政権が誕生し、また何年か後には、また民主党が否定されて次の何かが誕生する、このようなことが永遠に繰り返されて進化発展していくのが、世界です。経営も、昨年から今年のように経営の外部環境が大きく変化してきているときに、経営をさらに進化発展させるには、時流にあわせて現在の体質を強制的に否定し、新たな体質に脱皮する必要があります。人も、この時代で生きていくには、古い体質を自ら変化させていくか、自然に任せ量的変化が限界に達して質的変化を起こすかのどちらかです。ですから、自分が世の中で受け入れられなくなったり、ちょっとおかしいなと思うことがあれば、いまの自分の一部を否定してみるのもいいかもしれません。
雑感
10月の23日、24日に関西電力様のサービス懇談会で青森の六ヶ所村の原子燃料サイクル施設に行ってきました。前回の哲学学習会でたまたまウラン238などの放射性元素について学びましたので大変興味深く見学をさせていただきました。
まず、三沢空港に降り立ったのは初めてでしたが、米軍の施設が空港内にあり、沖縄と同じでいつもとは違う緊張感を感じました。
そこからバスで日本原燃さんの六ヶ所村へと向かいましたが、道すがらは観光地とは違い寒々しい殺風景な風景でした。
施設に近づきますと、まず、目に入るのが風力発電用の風車です。少し前に三重県の青山高原に行ったときにも風車は見ていたのですが、六ヶ所村は圧倒的な数でした。ちなみに風車の数は青森県が日本一多いそうです。そのほかにも、国家石油備蓄基地もありました。六ヶ所村の施設は、広大な原野の中に「ウラン濃縮工場」、「高レベル放射性廃棄物貯蔵監理センター」、「低レベル放射性廃棄物埋設センター」そして「再処理工場」がありました。
施設内には、PRセンターがあり、たいへんわかりやすく核施設の内容や原子力発電のしくみやウラン鉱石の実物や原子力のことがよくわかるようにつくられていました。
その後、施設内をバスで見学しましたが、印象的だったのは警備が大変厳しいことと、施設の安全管理が今までいろいろな工場を見てきましたがこれほどのところはありませんでした。一例を申し上げますと、建物屋根は1.2メートルのコンクリートで保護されていますので飛行機が落下してきても大丈夫だそうです。また、建物は、地上に見えている部分の高さは、そんなに高くないのですが、地下がすごいです。地下施設といっていいぐらいです。また、使用済みの燃料棒といっても大変高温(300℃)で放射線も多量に放出していますが、人が触れることなく地下で移動できるようになっているそうです。また、施設内で働く人たちの安全教育などは、模擬施設も完備しており、かなり高度で徹底されていると感じました。
ここで原子力について基礎的なことを経済産業省 資源エネルギー庁編集、(財)日本原子力文化振興財団発行の「原子力2008」から少し学んでおきます。
今回は一部で、次回に続きます。
一口に原子力といっても、そのエネルギーを発生させる現象は原子核の崩壊、核分裂、核融合等さまざまなものがあります。このうち大きなエネルギーを発生させるものは、核分裂と核融合です。
核分裂とは、原子核が分裂することで、核融合とは複数の原子核が合わさり1つになることです。現在、エネルギーの分野で実用化されているのは、核分裂によるエネルギー利用です。
すべての物質はたくさんの原子から成り立っており、原子は原子核とそのまわりにある電子からできています。
原子核は中性子と陽子からなり、それぞれは核力と呼ばれる強い力で結び付いています。陽子と陽子の間には、クーロン力と呼ばれる電気的な反発力も存在しますが、核力のほうが勝っており、原子核は1つにまとまっています。原子核を1つにまとめているエネルギーを、その原子核の結合エネルギーと呼びます。結合エネルギーの観点から見ると、鉄やニッケル等の中くらいの重さの原子核が一番安定しており、いくつかの例外を除き、重くなるにつれ、あるいは軽くなるにつれ不安定になります。このため、ウラン等の重い原子核は、分裂して軽い原子核になろうとする傾向があります。反対に水素等の軽い原子核は、融合して重い原子核になる傾向があります。
しかしながら、不安定といっても比較の上での話であり、それぞれの原子の原子核は非常に安定しており、基本的にはそのままの状態で核分裂や核融合が起こることはありません。核分裂を起こすには、原子核を一度不安定な状態にする必要があります。この役割を担うのが中性子です。ウランの核分裂を例に取ると、ウランの原子核に外から中性子が飛び込むと、原子核は不安定な状態になり、分裂して2つ以上の異なる原子核に変わります。この時、膨大なエネルギーが発生します。
核分裂反応の前後で、陽子、中性子の個数の合計は変化しません。しかしながら、元の原子の質量に比べ、新しく発生した原子や粒子の質量の合計は、わずかながら減少しています。これを質量欠損と呼びます。
相対性理論によると原子レベルでは、質量とエネルギーは同じものであり、その変換式はE=MC²(E:エネルギー、M:質量、C:定数(光の速度))で表されます。質量欠損は、元の原子が質量として持っていた結合エネルギーの一部が、核分裂によって外部にエネルギーとして放出されるために生じます。このエネルギーのほとんどは、新しく発生した原子や粒子の運動エネルギーとなりますが、最終的には熱エネルギーとなります。この熱を発電に利用したものが、原子力発電です。
一方、核融合では、水素等の軽い原子を超高温高圧のプラズマ状態(電子と原子核が分離してバラバラになっている状態)にしてやることにより、その原子核を融合させます。太陽は核融合を持続させることにより、エネルギーを発生しています。太陽の内部では水素が融合し、ヘリウムが次々に生まれています。
原子の存在は遠くギリシア時代のデモクリトスから予言されていましたが、原子力開発の歴史が始まったのは、19世紀末から20世紀の始めにかけて、多くの科学者によって原子論が展開され、放射線が発見されたときからです。こうした分野で活躍した人たちとしてドルトン、長岡半太郎、レントゲン、キュリー、ラザフォード、アインシュタイン等が挙げられます。
その後、放射線の実験から原子が人工的に変えられることがわかり、多くの科学者を核分裂の実験に駆り立てました。そして、ついに1938年オット・ハーンとマイトナーが核分裂を確かめました。しかし、核分裂の発見の時期が第2次世界大戦と重なったことは、原子力にとって、とても不幸なことでした。
1942年、アメリカへ亡命していたイタリア人エンリコ・フェルミを中心に、シカゴ大学で史上初の原子炉が作られ、ウランの核分裂が人の手で自由にコントロールできることが確かめられましたが、これは世界に先駆けて原子爆弾を作ろうとするアメリカの計画の一環としてでした。
原子力が平和のために本格的に使われ始めたのは、第2次世界大戦後の1953年、アメリカのアイゼンハワー大統領が国連総会で「平和のための原子力」と呼びかけてからです。
核分裂を起こす物質(核分裂性物質)として、ウランやプルトニウムがよく知られています。
自然界に存在するウランのうち、核分裂を起こしやすいものは、陽子と中性子の合計数(質量数)が235であるウラン235です。自然界に存在するウランのうち、大部分(99.3%)は、核分裂を起こしにくいウラン238であり、ウラン235は残りの0.7%です。ウラン鉱石から精製した状態のウランは、ほぼこの構成比になっており、これを天然ウランと呼んでいます。
我が国の商業用の原子力発電所(軽水炉)においては、天然ウランで発電を行うことはできず、ウラン235の比率を3~5%程度に高めたものを燃料として使用します。この状態のウランを濃縮ウランと呼びます。
このほか、核分裂性物質の中には天然に存在しない人工元素があり、プルトニウム239やウラン233が知られています。プルトニウム239はウラン238が中性子を吸収することにより、ウラン233はトリウム232が中性子を吸収することにより生成されます。
ウラン235等の原子核が、外部から入ってきた中性子が当たる等のきっかけにより複数の異なる原子核に分裂するとき、同時に中性子を出します。この中性子で次の核分裂を起こすようにし、これをくり返していくと、核分裂が継続して発生するようになります。これを核分裂連鎖反応と呼びます。
ウランやプルトニウムでは、1回の核分裂により、複数個の中性子が放出されます。核分裂により発生した中性子は、外に逃げ出す、核分裂を引き起こさない物質に吸収される、次の核分裂を起こすという3つの場合のいずれかとなります。1回の核分裂で発生した複数個の中性子のうち、1つのみが次の核分裂を引き起こす状態、つまり核分裂を引き起こしたのと同数の中性子が次の核分裂を引き起こす状態では、核分裂の数がつねに一定に保たれます。この状態を臨界と呼びます。
これに比べ、核分裂を引き起こした数よりも多い中性子が次の核分裂を引き起こす状態では、核分裂を起こす原子核の数がどんどん増えていきます。この状態を臨界超過と呼びます。次の核分裂を起こす中性子の数が核分裂を引き起こした数より少なければ、臨界や臨界超過は発生せず、核分裂連鎖反応はやがて終焉に向かいます。
原子力発電の運転においては、出力を一定に保つため、核分裂の数を一定に維持する必要があります。つまり、臨界の状態を維持するように運転します。
原子爆弾と原子力発電はともに核分裂によるエネルギーを利用する点は同じですが、その仕組みは根本的に違います。
例えばウランを用いた原子爆弾は、一瞬のうちにほとんどのウランを核分裂させ、爆発的にエネルギーを放出させるものであり、効率よく瞬時に核分裂連鎖反応を引き起こさせるようにウラン235の割合が100%に近いものを使用します。原子爆弾の核分裂は、複数の中性子が、他の物質に吸収される間もなく次の核分裂を引き起こします。核分裂で発生したままの速い状態の中性子によって行われるため、非常に短い時間で核分裂数が倍増することになります。
これに対し、ウランを燃料とする原子力発電では、燃料中のウランを少しずつ核分裂させ、少しずつエネルギーを取り出すものであり、一定の規模で核分裂連鎖反応が継続されるように、燃料中のウラン235の割合が3~5%のものを使用しています。
そして、燃料の大部分を占めるウラン238が中性子を吸収する働きがあるのに加え、原子力発電では、発生した中性子の速度を遅くしてから次の核分裂を行うような設計となっているため、原子爆弾と比べると、核分裂の変化は非常に緩やかになります。
また、我が国の商業用の原子力発電で使用されている軽水炉は、温度が上昇するとウラン238がより多くの中性子を吸収する現象(ドップラー効果)等を利用して、核分裂数が増加して原子炉の出力が上昇しても、燃料の温度が上昇することによって自然に核分裂が抑えられるような設計になっています。
次回は、放射線について学びましょう。
それでは、本題に戻ります。
本日の学び
まず、弁証法とは何でしょうか?世界を語る普遍の真理とでもいいましょうか。ただ、ひとつの理論で世界を語りつくせないことは、その後の哲学が証明していますが、この弁証法を知っておくことは世界を深く探求するためには、有益な手法だと思います。
弁証法の三法則は以下のものです。
原因の法則:対立物の統一と闘争
変化の法則:量的変化と質的変化
発展の法則:否定の否定の法則
今回は、弁証法の第三法則、否定の否定の法則についてです。
デモクリトスの原子論
物質は質的に同一でかつ不可分な、不変で自立性をもつ究極の単位からつくられていまして、この究極の単位が原子と呼ばれるものです。万物、人間精神および社会状態までをふくめてすべての現象は原子の離合集散によって生じます。したがいまして、世界は原子の離合集散という単一の現象の世界と考えられ、その意味ではけっしてばらばらでもなく、まとまりがつかないものでもなく統一した存在です。その反面、原子の離合集散が多様であればあるほど、それに応じて自然は多様性に富むことになります。
このようにこの世界の矛盾した特徴、すなわち多様性と統一性をきりはなさないで一つのこととして理解する唯一の道が原子論です。
事物の進化発展についてですが、事物はその内部に矛盾を有しており、この結果として、けっして静かな不変な状態を続けることはできません。その内部矛盾をみなもととして、たえず変化し運動することを余儀なくされています。その変化が量的に一定のところまですすんで、もはやいままでの質でささえきれなくなると急速に質的変化をひきおこして質的に異なるものに変化し、さらにたえず量的に変化していきます。
生命について
ほとんどすべての生物個体は一定期間生存して死にいたりますが、個体は個体を生んで生命自身は変わりなく維持されていきます。たんに維持されるだけでなく、進化をかさねて発展していきます。いいかえれば、個体がその生命を有限な時間で終え、つぎの個体を生むというかたちで、その生命を長時間にわたって維持しているからこそ、生物は進化することができる考えるべきだと書いてあります。
ということは、生物としてわれわれの生きる究極の目的は、種(生命)を残すためだということができるでしょう。それが、自然の摂理だからです。
親の個体とは幾分異なるDNAをうけた卵子は、親とやや異なる個体となります。卵子は細胞分裂を繰り返して新しい個体となります。親の個体はみずからと異なる卵子という生命体となることによって、新たな個体を形成する可能性を獲得していきます。このように生物は、個体の絶え間ない発生を通じてはじめて進化しうるものです。
だんだんわれわれの生命のなぞが解けてきましたね。
たとえば、父親と母親がいまして、その一部の質を否定することによって質的に異なる精子や卵子となり新しい変化の可能性を獲得します。こうして父親と母親とが合体した結果、卵は、新しい質的存在としての卵として以前には不可能であった新しい量的変化をつづけていきます。この新しい卵は、当然のこととして父親や母親が有していた多くの質を肯定したまま新しい質的存在として運動していきます。やがてその量的変化はぎりぎりに達し、質的に新しかった卵はその特有な質を否定しいっそう新たな父・母へ質的に発展します。これが、否定の否定の法則です。
このように事物の変化発展は否定の否定をとおしておこなわれ、たえず変化しながら新しく質を再現していきます。
人も会社も社会も、このような二回の否定すなわち、二回の大きな質的変化を経て、進化発展していくとうことです。今年の衆議院の選挙で古い体質の自民党の政治が量的変化を続けてきた結果、古い体質を残しながら新しい民主党の政権が誕生し、また何年か後には、また民主党が否定されて次の何かが誕生する、このようなことが永遠に繰り返されて進化発展していくのが、世界です。経営も、昨年から今年のように経営の外部環境が大きく変化してきているときに、経営をさらに進化発展させるには、時流にあわせて現在の体質を強制的に否定し、新たな体質に脱皮する必要があります。人も、この時代で生きていくには、古い体質を自ら変化させていくか、自然に任せ量的変化が限界に達して質的変化を起こすかのどちらかです。ですから、自分が世の中で受け入れられなくなったり、ちょっとおかしいなと思うことがあれば、いまの自分の一部を否定してみるのもいいかもしれません。
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