車輪を再発見する人のブログ

反左翼系リベラルのブログ

ものすごい漁業の規制

2009年03月23日 | 経済学

大竹文雄ブログよりスピード競争をする漁師という記事だ。

問題 あなたが漁師だったとしよう。一定の労働時間で、最大の所得を得るにはどのように働くべきだろうか。

(1) 毎日決まった時間に漁に出て、決まった時間漁をする。
(2) 魚が多く取れそうな天候の日に長時間漁をして、そうでない日は他のことをする。
(3) 魚が少ない日に集中的に漁をする。
(4) 誰よりも早く漁をして魚がいなくなるまでがんばる

・・・(1)と(2)を比較して、同じ総労働時間なら(2)の方が漁獲量が高くなる・・・。(3)は、魚がいない日に集中的に働くというのは、(2)とは全く反対の戦略で、明らかに漁獲量は最低になるはずだ。しかし、所得が最低になるかどうかはわからない。なぜなら、漁獲量が多い日は魚の値段が下がるという効果もあるからだ。魚が取れない日は、一匹あたりの魚の値段が上がる。不漁の時は、時間当たりの漁獲高が減るかもしれないが、一匹当たりの値段が高いときに魚をとると時間当たりの所得は高くなるかもしれない。実は、上の4つの選択肢には、正しい戦略が書かれていない。時間当たりの所得が高い日に長時間漁をすることが、所得最大化行動なのだ。・・・

(4)の戦略は、どのように考えるべきだろうか。・・・なぜ、日本の漁師はこのような行動をとるのだろうか。それは、漁業では獲れるだけ魚を獲ってもいいのではなく、漁業資源を守るための規制が存在するからだ。具体的には、魚種ごとにTAC(総漁獲可能量)が決められて資源管理が行われている。日本の沿岸漁業では、オリンピック方式という資源管理が行われている。オリンピック方式では、漁期と漁獲量の上限が決められているだけである。漁民は、漁期がはじまると一斉に漁をはじめ、漁獲枠が一杯になると漁期が終わるのである。正に、オリンピックと同様、漁獲競争をして、一番早く一番多くとったものが最大の所得を得られる仕組みだ。ゆっくりしていては、魚をとらないうちに漁期が終わってしまう。みんなが一斉に魚を獲ると値段が下がることがわかっていても、漁師は誰よりも早く漁場にいくことを目指し、漁期の最初に集中して取るのである。そのために、船の本体がぼろぼろなのに、スピード狂のように高性能エンジンを積み、GPSを装備するのだ。スピードさえ落とせば、原油の値段が上がっても十分に、漁をすることができるという。

かなり爆笑な内容だが、いわゆる共有地の悲劇というやつだ。そもそも漁業は、海という誰もが利用できる場所で、誰の所有物でもない海産物を取ってきた。そうすると、未来のことや他の人のことを考えずに取れるだけ取ることがその人の利益となる。結果として、現在世界中で漁獲量が減り、海の資源の減少が問題になっている。

その対策として、魚資源の管理が行われいる訳だが、そのやり方が悪くて管理されている中で漁獲競争が行われ共有地の悲劇が発生してしまっているというのが記事の内容だ。これをなくすには大竹文雄氏も指摘しているように数量割り当て等を行えばいいのだが、そのように変更する改革が行えずにこうなっているらしい。信じがたいような話だ。

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リベラルとは?

2009年03月23日 | 反左翼論

リベラルとは何だろうか?リベラルというのは単純なようでいて実は非常に分かりにくかったりする。基本的にリベラルというのは語源からしても、既存の権威や社会構造、権力の介入と言ったものに反対するというのが基本的な立場だ。だから、色々な思想が別の形でリベラルだったりする。保守派というのはリベラルではない気がするかもしれにないが、大きな政府や福祉国家に反対し自由主義(リベラリズム)を信奉するという点でリベラルだったりする。現在の左派的な考えは伝統的な家族観や資本主義の中心的階層(資本家や経営者)に反対するリベラルと考えると分かりやすいかもしれない。

しかし、リベラルは既存の権威や権力に反対し、権力の介入に反対するが、実はリベラル自体が一つの権威や権力の形となって影響力を持つことがよくある。旧来の伝統的権威や国家に反対し、自分達の新しい権力構造を導入したりする。ギリシャにおいては伝統的な貴族制が否定され民主制が導入されたが、それは一部の者に選挙権が限定された民主制だった。フランス革命も王政という旧来の権力構造に反対したが、議会である三部会は全国民を代表しているわけではなかった。近代資本主義の下ともなったレッセフェールも、政府による介入に反対したが有力銀行化や産業家による管理は厳然としてあり、植民地支配の持続や二十世紀初めの独占的産業家の成長の元にもなった。

だから、リベラル=権威や権力、規制の否定、自由な社会という訳ではなく、リベラルというのは旧来の権威を否定するが別の集団による権威に変えただけであるかもしれない。結果として、新しい権力が社会を支配することもあるし、それに反対するさらなるリベラルが生まれたり、逆に不公平な支配に反対して国家などの中心的な権威への復古が起こったりした。アダム・スミスはイギリスの不十分な市場経済に反対し真の市場経済のために戦ったし、労働組合は資本家に対峙するリベラルなものとして始まったがそれは組合員以外を排除する制度でもあった。結果として、極右のような国家の元での平等を求める動きが反動として起こった。

このことを理解すれば、リベラルな人たちに率いられた共産主義が、中国において中国共産党幹部が他の人民を支配し、都市と農村との徹底的な格差社会を形成していることも納得できるかもしれない。リベラルといっても民衆を向くわけではなく、国家ではない一部の集団かもしれない。また、日本のリベラルが世界ではなく特定アジアにだけ向かっていることもこれで説明可能だろう。リベラルの弱点は真にリベラルではなく、無責任な一部の集団による恣意的な支配になってしまうことにあるのではないだろうか。

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小沢一郎居直りか?

2009年03月23日 | 政治

民主党の小沢一郎代表が、公設第1秘書の政治資金規正法違反事件に伴う自身の進退について、虚偽記載で秘書が起訴されるにとどまった場合、代表を続投する方針を固めたことが21日、分かった。党幹部が明らかにした。秘書の勾留(こうりゅう)期限の切れる24日までに、次期衆院選への影響や党内情勢を慎重に見極め、最終判断するとみられる。(産経ニュースより)

他人に厳しく自分に甘い民主党の体質が分かる。起訴されるかどうか判らないという理由で小沢氏が進退を保留していると思っていたら、秘書が起訴されたとしても虚偽記載に止まった場合は小沢氏が代表の座に居座ることになるようだ。当面の検察の起訴理由が政治資金の虚偽記載に止まったとしても、もうすでに報道されているようにその裏には西松建設からの多額のトンネル献金があったことは明らかである。小沢氏の東北地方への影響力を下に多額政治献金が毎年行われ、それを不動産投資していた事実事態が大いに問題視されるべきではないだろうか。

今回の事件に対する民主党内の対応も不可解そのものである。小沢氏の公設第一秘書逮捕後から、陰謀論や国策捜査という批判を繰り返し、小沢氏を辞任に追い込み小沢氏抜きで心機一転選挙に臨むという声は大きくならなかった。このことから、小沢氏の権力は大きく、独裁的な力によって他の意見を押し付けるまでに大きくなっていることが伺える。社民党との親密な関係や、共産党との協力関係、さらには公明党との裏での取引の噂など、小沢氏の民主的な過程を経ようとしない独裁的な党運営に大きな不安を覚えてしまう。

日本のこれからの政治運営にとって、民主党がどのような政党になっていくかということは、非常に大きな影響を与えることになるだろう。しかしながら、政局、政局、政局で、麻生総理の漢字の読み方や、定額給付金に対する態度のぶれといった些細な問題を大騒ぎする一方で、政策に関して国民に明確なポリシーの掲示が行われていない気がする。一般的には自民党に近い普通の政策を掲げる一方で、少し中に入ると社民党的な真っ赤な政策であったりすると指摘されたりする。民主党としては、国民に対してどのような政策を掲げるのか、どのような政治運営をしていくのかをちゃんと伝える必要があるのではないだろうか。

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