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分配政策のあり方

2010年01月11日 | 経済学

相変わらず、所得の再分配を考えるよりも資源の最適化の方が先だとか、再分配のようなばら撒きはやめるべきだとか、所得再分配を否定する人が多くてうっとうしいのだが、その人たちは日本の生活保護予算が他の先進国と比べて圧倒的に少なく、もっとも脆弱な社会保障制度しかないことを理解しているのだろうか。

根本的な問題は、どのような保障政策や保護政策、所得の再分配が効果的で重要であるかという分析がないことである。だから、結果として所得再分配でなくて、資源の効率化が先だとか、市場競争で弱肉強食が起こるのは仕方がないと言った理由で、いかなる所得再分配政策も否定されてしまう。それでいて、何らかの理由付けが行われれば多くの大企業性社員や公務員のような高所得の労働者に対する手厚い保護に対しては寛容になってしまう。

結局のところどのような保護政策や保障政策、所得再分配が社会全体として、あるいは資源分配との兼ね合いで、有効なのか好ましいのかをまず考えなければ、あるところではほんのわずかの効率性のために安定性や平等性を犠牲にし、他方では一部の特権的な階層を保護するために社会全体が経済的に多大な負担をすることになる。

ここ二十年日本は先進国の中で、もっとも経済が停滞した。不思議なことに先進国の中で突出して保護されている労働者と、それ以外の保護されていない非正規雇用労働者などとの格差が大きいのも日本だった。また、男女間、企業規模間の所得格差がもっとも大きいのも日本だった。

もし、労働者を保護しないことが経済発展をもたらすのなら、また現在言われているように派遣を規制することが労働者のためにならないことで規制しないことがいいことなのであれば、きっと日本は世界に類を見ない成長をしていただろう。経済のある部分だけで以上に規制を緩めるという政策は知識人の頭の中では正しくても、客観的な事実によっては支持されていないのである。

実のところ、先進国におけるここ二十年の経済成長ともっとも大きな相関があるのは、経済内の保護のされ具合の差、特に労働政策における正規非正規、就業者失業者間の保護や保障を受けられる程度の差であった。社会保障政策の額においては大きな差があったが、もっとも大きな経済的社会的な成功を達成したのはスウェーデンとアメリカだった。そして、社会全体の社会保障は整っているが、現在の被雇用者を保護しすぎる大陸ヨーロッパが続いた。そして、もっとも保護のされ方が偏った日本が圧倒的に経済停滞した。

スウェーデンとアメリカの両方が成功していることからもわかるように、社会保障の充実度と経済成長とにはほとんど何も関係も見られない。しかし、保護や保障の程度の格差と経済成長とには大きな相関がある。これは、少し考えればわかることだが、保護の程度が強いにしろ弱いにしろ同じ程度であれば差はないので効率的な分配がされやすいのに対して、もし保護の強さに差があれば強い保護を多くの人が求めて社会全体の資源分配の効率性が大きく損なわれることになるだろう。

現在の日本において、経済停滞の結果もっとも非効率的な公務員に多くの人が群がっているようでは経済が停滞するのも当然のことである。結局のところ、社会全体で資源分配が歪むような状況になっていれば、いかに部分的に効率化の効果があるといっても全体からすればほとんどゼロと同じだろう。そして、それがもし他の部分との歪みを増幅するのであれば、逆に社会全体としては効率が大きく低下する可能性さえある。だからこそ、社会全体としてバランスのとれた社会制度を構築する必要があるのである。

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