車輪を再発見する人のブログ

反左翼系リベラルのブログ

民主主義と政策

2010年02月07日 | 政治

民主主義においては多数派の意見が重視されすぎる。少数派の意見が軽視される。それが民主主義の欠点の一つだと言うことはよく言われる。

それに関して、現在の日本における大企業正社員の過剰な保護などの労働問題の原因をそこに求める声もある。しかし、客観的にはそれは非常に可笑しな主張だ。実のところ、保護されている階層は人数的には明らかに少数派だ。高齢者、多くの女性、若者を除けば、人数的には少数派である。だから、多くの国においては民主的な投票によって労働市場の規制緩和と、待遇の平等化が政治的に進められた。これは、日本と同じ位の出生率のヨーロッパの国々においても同じである。つまり、問題は多数決にあるのではなく、少数派の意見が異常なまでに政治に影響を与えていることである。

これと同じで、若者の投票率が低いから政治家が若者の意見を相手にしないというのもナンセンスである。若者とそれ以外との投票率の差を考えても、それが全体の投票者の割合に与える影響は微々たるものである。そのような少しの要因ですべてが決まっているとすれば、それは民主的ではない。つまり、問題は数の力ではなく、政策決定が多数決ではなく、少数派の独善によって行われていることである。

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戦後政治に見る政治の失敗

2009年06月28日 | 政治

愚民思想の話の続きでもあるのだが、戦後の世界の基本的な政治の流れを見るとなぜ政治が失敗したのかがよく分かる。第二次大戦後、ヨーロッパを中心として福祉国家政策が行われた。政府による社会保障制度が拡充される一方で、労働者の権利が強化され高額な失業保険や、解雇規制が行われた。その結果、政府支出は急激に増大したが、その支出の中心は主に中高所得者層に対する厚い福祉のためだった。そして、多くの国で経済が停滞し、若者の失業率が上昇することになった。

それが、八十年代以降自由化の動きが世界中で起こり、規制緩和や政府支出や福祉の削減が行われ、自由競争が導入された。その時、真っ先に問題になったのは福祉問題児とも言われる福祉に頼って生活する低所得者層であった。慢性的に失業している、あるいはほとんど仕事をしない労働者の存在は経済の生産性を低下させるものとして、市場主義者の非難を受け、福祉の削減や、一定時間の労働の義務化が世界的に行われた。また、規制緩和などの市場主義政策によって低所得者層の所得が低下していったのもこの時期だった。これらのことは、一方で福祉国家による問題を低下させる一方で、福祉を打ち切られた低所得者層を厳しい環境に追い込むことになった。

と、このように見てくると分かるのは、福祉国家において保護され、多額の予算が割かれたのは中高所得者で、規制緩和や市場主義によって真っ先に予算が削られたのは低所得者に対するものであった。これは、日本においてもまったく同じで、生活保護のような最底辺の貧困層を保護する制度が戦後一貫して劣悪な条件でごく少数しか利用できない一方で、中高所得者層に対する解雇規制などの制度的な保護や、大企業保護による間接的な保護が継続して行われてきた。その結果、母子家庭のような最も貧しく福祉が必要な世帯には予算が割かれない一方で、緑のおばさんが年収八百万というようなことになった。

これこそが知識人が行ってきた政治というものである。弱者保護だ福祉だといって、自分達に都合のいい階層への保護を増やす。市場原理だといって、自分達に都合のいい階層の負担を増やす。そこには、福祉や自由主義のどこを選べば効率的であるか、社会的な公平性が保たれるのかという視点がない。自分達にとって都合のいい解釈の下で、自分勝手な福祉や市場主義を他社に強制する。そのような、やり方の結果もたらされたのは、強者を保護し、弱者から搾取する社会でしかなかった。このように、いつも理念の中から自分達に都合のいい特殊なものを選んで大衆に押し付けてきた知識人達は政策が失敗するたびに、大衆が愚かであるせいだとして、責任を大衆に押し付けたのである。

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植民地問題と拉致問題

2009年06月17日 | 政治

朝鮮半島と日本の間にある非常に大きな問題として、日本による過去の植民地問題と、北朝鮮による拉致問題がある。しかし、この二つの問題に対する左翼の思考回路は真逆といっていいほどに違う。

植民地問題においては、ひたすら日本を批判し日本は永遠に謝罪し続けなければならないと言い続けている。村山談話のような、たくさんある政府の見解の中のたった一つだけをすべてを超越する絶対的な真理のように尊重し、総理大臣が代わるごとにそれを継承するかどうか聞いてくる。日本は過去に何度も謝罪を行い、賠償も行った。普通の国際政治の常識から言えば、これで問題は終わりだ。それにも関わらず、特定の事件や発言を永遠の真理のように繰り返すのは異常である。

それに対して、拉致問題に対しての態度はまったく違う。拉致被害者はもう死んでしまっているかもしれない、拉致のことは忘れよう。そんなことは忘れてしまって、北朝鮮と国交正常化しよう。日本には過去の植民地時代の責任があるから、日本は徹底的に謝罪して賠償すべきだ。どこにも、北朝鮮がした人権侵害に対する批判が存在しない。拉致自体が重大な人権侵害・国家犯罪であるだけでなく、もし拉致被害者が死んでいるのなら死亡原因が何なのか知る必要があるだろう。その中にもし拷問などでの死者がいれば、北朝鮮という国家の反社会性がまた一つ明らかになることだろう。そのような、重大な問題が左翼にはまるで存在しないかのようだ。

このように、自分達に都合のいいことに関しては永遠に重要な意味を持ちすべてに優先される。他方では、都合の悪いことはまるで存在しないかのように考える。これが左翼の思考回路である。問題は、このような思考回路においては客観的な事実や論理的な結論に関する議論が出来ないことである。だから、日本と朝鮮半島との外交がちゃんとした話し合いの下に進展しないことは当たり前である。客観的な事実の下に議論する能力を持たない人たちとは、客観的な事実に基づいた議論など不可能なのである。

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鳩山総務相更迭

2009年06月12日 | 政治

麻生首相が鳩山総務相に辞表を出させ、実質的に更迭した。それにしても、今回の鳩山氏の郵貯に絡む言動は異常だった。(産経ニュースより)

日本郵政の西川善文社長の再任問題をめぐり、麻生太郎首相は12日、西川氏の退任を要求してきた鳩山邦夫総務相に辞表を提出させ、更迭した。麻生内閣の閣僚辞任は中山成彬前国土交通相、中川昭一前財務相に続き3人目。首相は後任の総務相を佐藤勉国家公安委員長に兼務させた。

首相は12日夕、記者団に更迭理由を「政府と郵政会社の間に混乱が生じたような印象を与えたのははなはだ遺憾だ。早急に解決されてしかるべきだった」と説明。西川社長については「日本郵政は特殊会社とはいえ民間会社だ。株主(国)が人事権を使ったり、事業に対し色々なことで介入したりするのは努めて避けるべきだ」と述べ、続投を支持する考えを示した。

一方、鳩山氏は「正しいことが通用しないならば潔く去る。首相の判断は間違っていると思う。今後は正しい判断で政治をやってほしい」と述べた。

かんぽの宿に売却手続きに不備があったのかも知れないが、それだけの理由で暴走し郵政民営化全体を全否定しようとする鳩山大臣の言動は常軌を逸していたと言えるだろう。少なくとも郵政民営化は選挙によって国民の支持をちゃんと受けた政策であり、それを一人の大臣が否定し官僚の支配下に置こうとする行動は政治的に可笑しいと言うべきだろう。その意味で、自分勝手な解釈で過去の改革を否定し、時間を巻き戻そうとした鳩山大臣の更迭は政治的に必要なものだったと言えるだろう。

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社民党の自民党世襲議員批判を笑う

2009年06月03日 | 政治

社民党の福島瑞穂党首が自民党の世襲制限見送りを非難したというニュースを読んで思わず笑ってしまった。自民党や民主党の世襲議員が大問題だと考えているようだが、国民からすれば党首選挙がちゃんと行われない民主党の現状や、同じ党首がずっと居座っている共産党の党員無視や、土井たか子氏から福島瑞穂氏へと権力者の意思で党首の座が受け渡された北朝鮮のような党の独裁性の方がよほど大問題だろう。

世襲制を非難しながら、自分の党がやっていることがそれを対して変わらないことを一番上の地位においてやっていることに気づかない、同じだと理解できないことの愚かさがここにある。そういえば、ピースポートが自衛隊の派遣に反対しながら、護衛を要請したという話があったが、自分の言っていることとやっていることが矛盾している、自分の主張していることの論理矛盾に気づかないこの左翼脳が治ることはないのだろうか。

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小沢氏代表代行に

2009年05月18日 | 政治

いや、ホントびっくりしたよ。民主党の小沢代表、辞任したから身を引くのかと思ったら代表代行に就任して民主党の首脳として残るそうだ。鳩山氏を強引に支持して、押し通した時から影響力を残そうとしているのは分かっていたが、後ろから影響力を行使しようとしているのかと思っていた。公設第一秘書の起訴を理由に辞任しておいて、民主党の首脳として居座るとは思ってもいなかった。

ある意味今回の話は小沢一郎と民主党というものを象徴しているのかもしれないが、民主主義によって選ばれた政党にも関わらず党内において民主的なプロセスが機能していないことを印象付けたと思う。代表がその地位を利用して力を拡大し、汚職によって窮地に立たされたら自分の権力を利用して最大限次の体制に影響力を残そうとする。問題は、そのような形で権力者が権力を握り続けるというのは途上国の独裁政権と同じで、民主的な仕組みを無視しているとしかいいようがない。

自民党と比較すると分かりやすいが、権力闘争をしながらも一人の人間がすべての力を握ることなく、歴代の総理も辞任すればすぐに他の人たちがその地位を取って代わって来た。安倍総理も、福田総理も今回の小沢氏のような形で影響力を後の体制に残したりはしなかった。今回の小沢氏の代表代行就任への流れは民主党の抱える構造的な問題を明らかにしたのではないだろうか。

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民主党小沢代表辞任

2009年05月12日 | 政治

とうとう西松建設からのトンネル献金事件で公設第一秘書が起訴された小沢一郎民主党代表が辞任することになったそうだ。(産経ニュースより)

民主党の小沢一郎代表は11日夕、党本部で記者会見し、「衆院選の必勝と政権交代実現に向け、挙党一致の態勢をより強固にするため、あえてこの身をなげうち、党代表を辞することを決意した」と代表辞任を表明した。小沢氏は西松建設違法献金事件で公設秘書が逮捕・起訴されたことで、党内外から辞任論が出ていた。小沢氏は平成21年度補正予算案の衆院通過後に代表選を行う考えを示し、後継には鳩山由紀夫幹事長、岡田克也副代表を推す動きが出ている。・・・

という訳で小沢氏が辞任の意思を固めたようなのだが、相変わらず民主党の対応には国民の目から見て不可解であるとしか言いようがない点がたくさんある事件であった。首相や閣僚の些細ないい間違いなどを徹底追及していたかと思えば、自分達の代表が政治献金という重大な問題において公設秘書が逮捕される事態に至った身も関わらず続投を許してきた。どうしても、このような論理的に意味不明な、支離滅裂な価値判断を見ていると、民主党は本当に国民のためになるまともな政治が可能なのかと心配に成ってきてしまう。

民主党は自民党の古い体質を批判することによって支持を集めようとしてきたが、現実問題としては民主党の最大の支持母体は連合という最大の既得権集団であると言う現実がある。前原氏は代表に着いた時に、そのような民主党の体質を改善しようとしたが、代表が代わり小沢氏が代表に着くに至って労働組合におんぶに抱っこの体質が戻ってきてさらに強まってさえいるようである。日本以外の国においてもいえることであるが、革新政党が実は労働組合等の最も強力な守旧派の政党でしかないために、改革を行えないという問題を抱えているのではないだろうか。国民全体の支持を得られるようなリベラルな政党に民主党は生まれ変わることが出来るのであろうか。

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スパイ取締り強化を

2009年05月06日 | 政治

産経ニュースの主張が産業スパイを取り締まる法律の厳罰化を取り上げている。

軍事転用可能な技術や機密情報の海外流出防止と産業スパイの取り締まり強化を目的にした改正外為法と改正不正競争防止法が成立した。

産業機密情報の漏洩(ろうえい)にあまりに無防備で「スパイ天国」とさえいわれてきた日本にとって一歩前進といえる。施行は来年中というが前倒しすべきだ。加えて重要な国家の防衛、外交機密についても外国のスパイから守る法の整備が必要で、長年の懸案である国家秘密法(スパイ防止法)の制定が急がれる。

今回の法改正は3年前に発覚した光学機器メーカー、ニコンの研究者がロシアに軍事転用可能な機密部品を渡した事件や、一昨年の自動車部品メーカー、デンソーの中国人従業員による図面データの大量不正持ち出し事件などがきっかけとなった。研究者は窃盗罪、従業員は横領罪に問われたが、結局は起訴されず、両社とも泣き寝入りする結果に終わっている。

このため改正外為法では、安全保障上の懸念がある技術を国外に提供する場合は、すべて経済産業相の許可が必要とした。さらに、無許可の技術提供や輸出に対する罰則についても、最長10年の懲役へと量刑を引き上げた。

一方、改正不正競争防止法では、産業スパイが企業の重要情報をコピー、送信などの手段で不正に持ち出しただけで刑事罰が科されることになる。

これまでは、従業員が企業秘密を外国政府に渡しただけでは摘発が困難で、不正取得された情報がライバル企業に渡った事実まで被害企業が立証する必要があった。それが今回の改正により、デンソー事件のようなケースも立件が可能となる。

しかし法整備はこれでも十分とはいえない。日本では情報の不正持ち出しが窃盗罪の対象にはならない。スパイ行為を包括的に取り締まる法律もない。日米相互防衛援助協定等に伴う秘密保護法や自衛隊法、原子炉等規制法などに部分的な取り締まり規定はあるが、抑止力は不十分だ。日本を舞台にしたスパイ活動が分かっても、外国人登録法や出入国管理法違反などの軽い処罰にしかならない。

個別法による対応は、すでに限界にきている。ほとんどの国ではスパイ防止法を制定し、国家機密の保護を当然の責務としている。日本も情報漏洩で国益が損なわれる事態をいたずらに見過ごすことは許されない。

スパイが犯罪であることは議論の必要もないことだ。日本には他国が日本に侵略してきたときに何もしないことが絶対的な善だと考えている人がいるようだが、そのような人は今中国のチベットやウイグル自治区で何が起こっているかを見てみれば良いだろう。日本の産業機密や国家機密を盗むことを取り締まることは当然のことで、遅すぎたという言葉さえ弱すぎるくらいだ。このような当然の取り締まりに反対してきたもの達の非論理性と、犯罪的思考回路に対する追求が行われるべきである。

北朝鮮がミサイル発射実験を行い、核兵器の開発を続けている。また、中国が軍備拡張を続け、東アジアでの脅威が増している。このような状況を考えると、国家機密を保護し、軍事国家が他国に侵略する誘引を取り除くことが急務であることが分かる。相手の言うことに無条件で従うことが共生であるという差別主義的な考え方ではなく、他国に対して高圧的に出る国家を牽制することによって対等な国際社会を日本は建設していくべきだろう。戦前に、欧米諸国による略奪的な支配に反対しアジアの開放を信じた日本にはその義務があるだろう。

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多様性と優越性

2009年04月23日 | 政治

今日の産経ニュースの主張がいいことを言っていると思うので紹介する。

麻生太郎首相が靖国神社の春季例大祭に真榊(まさかき)を供物として奉納した。「内閣総理大臣 麻生太郎」名で奉納され、供物料5万円は私費から支出されたという。

麻生首相は「国のために尊い命を投げ出された方々に感謝と敬意を表するものだと思っている」と説明している。できれば靖国神社に参拝してほしかったが、真榊奉納も、国民を代表して戦没者らに哀悼の意をささげた行為として相応の評価をしたい。

今回、中国外務省は「靖国神社は中日関係の中で重大かつ政治的に微妙な問題だ」としながら、直接的な批判を避け、「問題を適切に処理してほしい」と述べるにとどまった。韓国も「正しい歴史認識という側面から、非常に遺憾だ」(外交通商省)とする論評を発表したが、批判のトーンは盧武鉉前政権のときのように強いものではなかった。

今月上旬、北朝鮮がミサイルを発射し、日本と中国、韓国は協力して北の核・ミサイル開発を封じ込めなければならない時期だ。今月末には、日中首脳会談も予定されている。

そうした近隣外交への配慮もあり、麻生首相は参拝でなく、真榊奉納という形を選択したと思われる。中韓の抑制的な反応を見る限り、外交的にはやむを得ない判断だったように見える。だが、遺族や国民の立場に立てば、小泉純一郎元首相が行ったように、直接、靖国神社を訪れ、参拝するのが本来のありようである。

麻生首相は今後の靖国参拝について「適切に判断する」と明言を避けた。機会がめぐってくれば、8月15日の終戦記念日などに堂々と靖国に参拝してほしい。

今年1月の米大統領就任式で、オバマ大統領はリンカーン元大統領が用いた聖書に手を置いて宣誓を行った。就任2日目には、ワシントン大聖堂で行われた礼拝にクリントン元大統領夫妻らとともに参加した。

多くの国々では、政治は伝統的な宗教と密接に結びついている。それを国民に押しつけない限り、「政教分離違反だ」などと問題視されるようなことはない。

戦没者の霊が靖国神社にまつられ、その霊に国民が祈りをささげるのは日本の文化である。中国や韓国などが互いの文化の違いを認めつつ、北の核や拉致問題解決など共通の目標に向かって力を合わせるような関係を築きたい。

多様性を認めるといって、日本の伝統や行事、文化を否定したら、それは相手の優越性を認めることに他ならない。尊重と優越の違いを理解する必要があるだろう。ましてやそのような主張をしてくる相手が先ごろ露骨な外国人労働者排除政策を発表した韓国や、少数民族を弾圧し虐殺している中国なのだから益々だ。相手の思考回路は中華思想に基づく上下関係の論法に過ぎない。日本は日本として行うべきことを行っていく権利があるだろう。

余談なのだが、宗教が力を持ちすぎると一つの価値観を強制しがちになるということは確かなのだが、政教分離が進んでいると考えるのも一つの偏った考えであるということは心に留めておいたほうが良いかも知れない。ヨーロッパにおいては、教会が精神世界と物質世界の権力を一手に握り、社会に偏った価値観を強制し、内部対立によって宗教戦争という惨劇をもたらしたという過去があるが、宗教が社会に安定をもたらした社会も多かった。中世のイスラム社会においては、イスラム教の教えの下にイスラム教だけでなく、ユダヤ教やさらには仏教をも包括した社会が存在したし、アメリカもまた教会が社会活動において重要な役割を今でも担っていることを言っておく必要がある。

自由な社会を築くには一つの価値観が強制されることを警戒する必要があるが、それは政教分離によって確実に達成されるのではなく、十九世紀から二十世紀のヨーロッパによる植民地支配から明らかなように他の偏狭さや価値観の強制を排除しようとしなければならない。そのような、多元的な試みを否定し政教分離を絶対的に優先することは、また一つの偏狭さであるだろう。

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移民反対の波

2009年04月21日 | 政治

ネットを見回してて気づいたのだが、ネットでは左寄りの人も右寄りの人もほとんどが移民反対のようだ。論理的、客観的に考えればそういう答えしか出ようがないから当たり前といえばそうだが、経団連のトップや民主党の政治家、メディアの異常性が見事に浮き彫りになっている。多くの援助が必要な途上国の人たちをほっといて一部の外人や不法労働者を優遇することが効率的であるはずはないので移民反対は当たり前のことだが、移民を求めている人たちは自分の利益しか考えられない人たちなんだろう。

そういえば、麻生首相が靖国神社に供物を納めたそうだ。いかにも左翼が問題にしそうな話題だ。私自身は「あっ、そうなんだ。」って感じなんだけど、日本は日本人だけのものではないなんていっている人たちは国粋主義者・軍国主義者・ファシストといって非難するんだろう。はっきり言って、他の考えを尊重して靖国神社に参拝するなという人たちがいるが、それでは靖国神社に参拝するということを全否定していて、お互いの考えを尊重しているのではなくて向うの考えの絶対的優越性を認めているだけであることに気づかないのだろうか。

それでいて、そういう人たちは他の考えとして朝鮮半島や中国などの一部の国や、一部の不法労働者しか認めない。つまり、色々な考えを認めることを要求しているのではなくて、既存の考えとは違う一部の人間の特殊な考えを要求しているのだ。日本を否定して中国の言いなりになったり、在日朝鮮人の絶対的な権利を認めれば多様な共生社会が生まれるとはお笑い種だ。強制社会が生まれるだけだろう。

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