車輪を再発見する人のブログ

反左翼系リベラルのブログ

朝日毎日不可解な論法

2009年03月10日 | 政治

博士の独り言氏も紹介している毎日新聞の社説が信じられないくらい酷い。漆間巌官房副長官が記者団からの「バランスを考えたら自民党の方も(捜査を)やるとの見方もある」という質問に、「自民党の方は金額が違いますからね。この件で自民党の方までやることはないと思いますよ」と答えたことを問題視し、「国民はどう受け止めただろう。「事件は内閣が指揮しているのではないか」、あるいは「少なくとも捜査情報は首相官邸にもたらされており、それが麻生首相が衆院を解散する時期を判断する材料になっているのではないか」と疑問を持った人も多いだろう。」というところへと論理が飛躍していく。

普通に考えれば、漆間氏はその時点での情報から一般論として自民党のほうが金額が少ないから罪も軽くてすみそうだと言ったに過ぎないのに、それが陰謀論・国策捜査に論理が飛躍していく異常な思考回路である。長年にわたって多額の政治資金をトンネル団体を通じて受け取り公共工事の利便を図ってきた小沢氏と、今回の事件について匿名で誤解を招く発言をした漆間氏との、責任の大きさには天と地ほどの開きがあるだろう。それがあたかも毎日新聞においては与党と漆間氏が悪いかのような口ぶりである。

朝日新聞の方にも傑作なのがあって、チベットからインドに亡命した長老の発言として「中国は我々の信仰や教育の自由を奪った。気にかかるのは、そんな中で暮らす人々の苦労だ。自由を奪い返すには話し合いしか方法はない。独立を叫ぶ若い世代はチベットの現実を見ていない」というのが引用されている。中国によるチベット侵略を認めつつ、独立を否定する。常に、日本を侵略国家として否定し続ける朝日新聞が中国の侵略に対してはそれを肯定するかのように支配に抵抗することを否定する。まったくの二重基準である。平和のために中国の軍国主義に反対を。


製造業派遣禁止

2009年03月10日 | 経済学

労働問題中心、ブログで製造業派遣禁止の話題が出ていたので一言。一般的によく聞く主張は派遣を禁止したら失業率が上がるだけだから、禁止なんかしたらだめだ感情的になるとというようなものだ。しかし、歴史的な経緯を考えてみると製造業の派遣が解禁されたことと、現在のような低待遇の製造業労働者の増加にはある程度の相関関係があるようにも見える。もし、製造業派遣の解禁が現在のような状況を生み出し、派遣労働者の低待遇を生み出したのなら、逆に禁止したらその状態が改善されるかもしれないというのは一つの意見かもしれない。そこで、この問題を考えてみる。

ある工場を考えよう。工場の生産の仕方を考えるとする。二つの方法があって、片方は正社員だけによって生産を行うやり方で、もう一つは人数を減らした正社員とそれに補助的に派遣社員を使って生産を行う方法とである。正社員だけの方がやり方としては優れているが、その分コストが掛かってしまう。逆に、派遣社員を使うとコストを削減できるが、効率が少し落ちるとする。そして、方法を選んでしまうとしばらくは換えられないとする。どちらを選ぼうか。

派遣社員が認められていないと正社員だけでやるしかない。だから、答えは簡単だ。しかし、派遣社員が認められている場合はこの工場ごとに利益が最大になるように意思決定するだろう。その結果、多くの工場が派遣社員を雇う方法を採用したというのが現在の日本の状況である。

では派遣社員を使う方法を多くの工場が採用している状況で派遣労働を禁止したらどうなるだろうか。結果は当然、仕事がなくなるし、工場も困るということになる。しかし、もし最初から派遣社員の使用が禁止されていたらどうなっていたであろうか。そうしたら、当然すべての工場が正社員だけでの生産方法を採用していただろう。なら、現在のような問題はそもそも起こらなかったはずだ。

つまり、最初に派遣労働が認められていたために、派遣労働を調整弁とした方法が採用されたから現在の問題が起こっている。その状態で、派遣労働者の雇用権を定めずに派遣労働を禁止したら派遣労働がなくなるだけだ。問題は、そうなる原因は派遣労働を認めるか禁止するかという問題が原因ではなく、そもそも派遣労働者と正社員との権利の違いがあるからであり、正社員は切れないが派遣社員は解雇できるからなのである。だから、このような状況をもって、製造業派遣の禁止が失業を生むというのはものすごい屁理屈なのである。問題は、製造業派遣を禁止するかどうかではなく、正社員と派遣社員とで法的な権利が違うことであり、この二つを行き来できないことである。また、市場原理によって正社員の賃金が調整されないことである。もし、市場原理が働くのなら製造業派遣を禁止しても現在派遣労働者の仕事がなくなったりせず、正社員との交替が起こる可能性があるのだ。

ということで、派遣労働を認め、さらに正社員との待遇格差を認めたことが、現在のようなシステムを生み出した。そのようなシステムがもう出来上がってしまっているために、今製造業派遣をなくしても効果がない状態にあると考えると辻褄が合うように思う。まあ、上の話が正しいかどうかはあまり重要ではなくて、本当に重要なのはそもそも労働の形態によって労働条件や雇用条件が現在の日本ほどに違う制度が認められてきたということである。学者やエコノミストには製造業派遣の禁止に反対する暇があったら、そのような状況を許したことを反省してもらいたいものだ。

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民主が検事総長の事情聴取検討へ

2009年03月10日 | 政治

あまりにも人を馬鹿にしたような話で呆れ返ってしまったが、民主党が小沢一郎代表の公設第一秘書が逮捕された西松建設事件に関して、検事総長の事情聴取を検討しているそうだ。今回の事件で民主党に対して厳しい世論が形成され小沢代表の辞任を求める声が高まることに対抗してのことらしい。民主党の参院幹部によると「東京地検特捜部が捜査中にもかかわらず、供述内容や文書など証拠物件の有無、捜査方針などがどんどん報じられているのは意図的な情報操作であり、許されない」だそうだ。

北國新聞の社説にもあったが、検察は民主党の議員だから小沢一郎民主党代表の公設第一秘書を逮捕したのではない。小沢代表の政治資金の管理と建設利権の悪質さを元に捜査を開始したのだ。これは、過去の田中角栄氏や金丸信氏のときと同じで、不正や利権政治家が日本の政治に与える悪影響を排除することを目的として行ったに過ぎない。それをあたかも自分達が被害者であるかのような今回の対応は国民を馬鹿にしているように映るのは私だけだろうか。

世論調査によれば、約八割が説明責任を果たしていないと答え、小沢代表の辞任を求める声も47、4パーセントに上った。この数字は、国民が今回の事件を深刻に受け止め、小沢代表の対応を非紳士的なもの言い逃れと感じていることを示しているだろう。今回の事件に対して、陰謀論・国策捜査といった言葉で小沢氏の責任を否定している民主党は大手マスコミの主張は、国民の世論とは対極的で一部の特権階級の特殊な主張にしか過ぎないことを示しているだろう。民主党としては、この事件に対して真摯に対応し自分達が自民党や旧社民党の怪しい人たちが寄り集まっただけの怪しい集団という一部の人のイメージを払拭する必要があるだろう。

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イノベーターの保守性

2009年03月10日 | 経済学

池田信夫blogでイノベーションの経済学についての記事があったので、著名な経営学者であるピーター・F・ドラッカーの『イノベーションと企業家精神』から一部分を引用してみる。

・・・心理学者たちの発言を聞いたことがある。それぞれの意見には対立する点も多かったが、起業家的な資質がリスク志向であるということでは意見が一致していた。そこで、プロセス・ギャップによるイノベーションをもとに、二十五年で世界的な事業を育てたある有名な企業家がコメントを求められた。ところが彼はこういった。

「みなさんの発言にとまどっている。私自身、大勢の企業家やイノベーターを知っているつもりだが、今まで起業家的な人には会ったことがない。私が知っている成功した人たちに共通している点は一つしかない。それはリスクをおかさないということである。彼らはみな、おかしてはならないリスクを明らかにし、それを最小限にしようとしている。そうでなければ、成功はおぼつかない。私自身、リスク志向でいたかったならば、不動産や商品取引、あるいは母が希望したような画家になっていたと思う」・・・

イノベーションは、どこまでリスクを明らかにし、それをどこまで明らかにできたかによって、成功の度合いが決まる。どこまでイノベーションの機会を体系的に分析し、どこまで的を絞り、利用したかによって決まる。まさに成功するイノベーションは、予期せぬ成功や失敗、ニーズの存在にもとづくものなど、リスクの限られたイノベーションである。あるいは、新しい知識によるイノベーションのように、たとえリスクが大きくとも、そのリスクを明らかにすることのできるイノベーションである。

イノベーションに成功する者は保守的である。彼らは保守的たらざるをえない。彼らはリスク志向ではない、機会志向である。

ドラッカーによるとイノベーションは保守的である。しかし、保守的であるというのは旧来のものにしがみ付くということではない。保守的というのは、無計画であったり、一か八かでやったりしないと言うことである。昔からあるものには、一定の合理性があったとしても、欠けているところや時代遅れになっているところが必ずあるものだ。そのような誰にも分かる形で答えが示されてはいないが、答えのヒントが与えられている状態を利用して、新しい方法や新しい価値を、旧来の物に付加するのがイノベーションである。

だから、イノベーションは保守的な気質の先にある革新である。しかし、日本においては、起業家的な事業の数が少ないことが大きな問題になっている。日本人は保守的でリスクを犯さないことを問題にする人がいる。本当にそれが問題だろうか。上の話に基づけば、問題は起業家に過度にリスクを負うことを強いる日本の起業制度に問題があるのではないだろうか。事業に失敗して一家離散になるようなリスクがあれば、保守的な人たちはそれを避け、社会の活力が殺がれることになるだろう。その意味でも、違法な取立てや闇金融の徹底的な取り締まりは緊急の課題だと言えるかもしれない。

イノベーションは保守的な考えから来るものかもしれない。しかし、それでもドラッカーによると平均的な成功率の最高は3分の1だそうだ。どんなに確実に見える事実や情報に基づいたイノベーションであっても足りないものがあったり、見落としている欠点があったりして、失敗していまうことがある。だから、そのようなことも踏まえて、保守的でありながら、失敗に対して寛容な態度を持つ起業家文化を築いていく必要があるだろう。

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学問の秘密

2009年03月10日 | 論理

経済学等の学問がなぜ失敗したり成果を上げなかったりするのか疑問に思っている人もいるかと思う。その理由の一つは、実は多くの理論が実はかなり多くの条件が付いた上での特殊な状況でしか明確にわかっていないというのがある。だから、非常に狭い範囲ではわかっているのだが、そこから少しでも離れると理論的には明確にはわかっていないことになる。これは、社会科学の世界だけの問題ではなくて、自然科学の分野においても理論が発展する初期においては起こったことだ。物理学においても最初は理想状態(余計なほかの力が作用していなかったり、一様に分布しているというような都合のいい状態)を想定して理論の基礎を構築した。だから、初期には明確には理想状態のような特殊な状態しかわかっておらずそれ以外は推測しているに過ぎなかった。

経済学においても、同じように多くの結論は理論からの推測によって成り立っている。現在は市場に基づく均衡を中心に据えている理論が主流だが、多くの現実の問題に対する処方は理論からの推測に基づくものなのでそこで違いが生まれたりもする。理論から少し離れたところでも同じような結果が起こると考える人もいれば、理論から離れた場所を最初のところと同じように考えることを拒む人もいる。だから、理論をどのように解釈するのかによっていろいろな結論が導き出されることになる。

さらには、他の要因との兼ね合いが問題になることもある。現実の世界は複数の要因が絡み合う複雑な世界なので、複数の要因を考慮して最適な解を求める必要がある。しかし、理想状態のような特殊な状態しかわかっていない場合には、都合よく複数の要因が同じ場所でわかれば良いが、そうでないと片方か両方を推測した上で正しい答えを導き出さないといけなくなる。そうすると、どうしても恣意性が入ってしまい客観的ではなくなってしまうし、どのようにそもそもの理論を解釈するかが結論に大きな影響を与えすぎてしまうことになる。

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