車輪を再発見する人のブログ

反左翼系リベラルのブログ

偏狭なる多様性がもたらすもの

2009年06月29日 | 社会

昨年からの不況の結果多くの企業が人員を抑制している。しかし、外国人だけは少し違うようだ。Diamond Onlineよりローソンが外国人の正社員の採用を急増させていることに関する記事から。

ローソンでは、大卒の新入社員も全員店頭業務からスタートするが、今年は「新入社員122人中、実に3割にも上る39人が外国人」という異例の多さとなった。

国籍は、中国が33人と大多数を占める。その他にベトナム、台湾、韓国、インドネシア、バングラデシュの出身者がいる。男女比は約半々だ。皆日本の4年制大学を卒業し、日本人の大学生と全く同じ条件でローソンの採用試験に合格して入社して来た。入社後の待遇もすべて日本人と同じだ。

これでは日本人が差別されて外国人、特に中国人が特別待遇を受けているようにしか見えないが、これを多様化として賞賛する人たちもいるのだろう。多くの女性や、フリーターが差別を受け、正社員としての道を閉ざされている一方で、外国人に対してはこのように寛大に門を開くことに違和感を覚える人も多い。トヨタ自動車は、女性や高齢者、フリーターは雇う気はないから外国人労働者を大量に入れろと要求したが、これこそが自分勝手な多元主義の見本だろう。

ヨーロッパにおいても、大量の移民を受け入れ低賃金の労働者として活用したが、結果は貧困と社会的対立の深刻化と、社会の荒廃でしかなかった。社会の中の絶対的な差別を解消しようとせずに、他所から自分勝手に人を入れてそれを多様性と呼ぶ。そのような、差別的な多様性は単なる身分制でしかない。五千万人の国民に同じ権利が与えられる社会と、二千万人の特権階級と五百万の外国人だけに特権が与えられ、残りの三千万人と三十億はいる途上国を見捨てる政策は愚かでしかない。途上国の感染症対策や栄養問題に資金を出せば、はるかに多くの人の役に経つだろう。そんなことさえ理解できない知識人は、今日も差別を絶対的な善と信じて、殺戮を繰り返すのだろう。

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戦後政治に見る政治の失敗

2009年06月28日 | 政治

愚民思想の話の続きでもあるのだが、戦後の世界の基本的な政治の流れを見るとなぜ政治が失敗したのかがよく分かる。第二次大戦後、ヨーロッパを中心として福祉国家政策が行われた。政府による社会保障制度が拡充される一方で、労働者の権利が強化され高額な失業保険や、解雇規制が行われた。その結果、政府支出は急激に増大したが、その支出の中心は主に中高所得者層に対する厚い福祉のためだった。そして、多くの国で経済が停滞し、若者の失業率が上昇することになった。

それが、八十年代以降自由化の動きが世界中で起こり、規制緩和や政府支出や福祉の削減が行われ、自由競争が導入された。その時、真っ先に問題になったのは福祉問題児とも言われる福祉に頼って生活する低所得者層であった。慢性的に失業している、あるいはほとんど仕事をしない労働者の存在は経済の生産性を低下させるものとして、市場主義者の非難を受け、福祉の削減や、一定時間の労働の義務化が世界的に行われた。また、規制緩和などの市場主義政策によって低所得者層の所得が低下していったのもこの時期だった。これらのことは、一方で福祉国家による問題を低下させる一方で、福祉を打ち切られた低所得者層を厳しい環境に追い込むことになった。

と、このように見てくると分かるのは、福祉国家において保護され、多額の予算が割かれたのは中高所得者で、規制緩和や市場主義によって真っ先に予算が削られたのは低所得者に対するものであった。これは、日本においてもまったく同じで、生活保護のような最底辺の貧困層を保護する制度が戦後一貫して劣悪な条件でごく少数しか利用できない一方で、中高所得者層に対する解雇規制などの制度的な保護や、大企業保護による間接的な保護が継続して行われてきた。その結果、母子家庭のような最も貧しく福祉が必要な世帯には予算が割かれない一方で、緑のおばさんが年収八百万というようなことになった。

これこそが知識人が行ってきた政治というものである。弱者保護だ福祉だといって、自分達に都合のいい階層への保護を増やす。市場原理だといって、自分達に都合のいい階層の負担を増やす。そこには、福祉や自由主義のどこを選べば効率的であるか、社会的な公平性が保たれるのかという視点がない。自分達にとって都合のいい解釈の下で、自分勝手な福祉や市場主義を他社に強制する。そのような、やり方の結果もたらされたのは、強者を保護し、弱者から搾取する社会でしかなかった。このように、いつも理念の中から自分達に都合のいい特殊なものを選んで大衆に押し付けてきた知識人達は政策が失敗するたびに、大衆が愚かであるせいだとして、責任を大衆に押し付けたのである。

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必要な規制

2009年06月27日 | 経済一般

Diamond Onlineの山崎元氏のコラムより。

6月17日、アメリカ政府は金融規制改革案を発表した。今般の金融危機の発生をうけて、危機の再発を目指した規制案であり、「大恐慌以来の改革」との触れ込みだ。決定・実施に向けては、議会・業界との調整が必要であり、このまま決定するかどうかは不確定だが、米政府の現在の考え方が分かる。・・・

具体的には、社員・経営者の報酬の問題への対処が不十分であることと、預金受け入れとハイリスクなビジネスとの遮断が不十分であることの二つの問題が残ったことが問題だ。このおかげで、今度は商業銀行に寄宿した「金融ギャンブラー」たちが、預金をリスクにさらして上手く行ったら成功報酬をふんだくる、というビジネス・モデルが可能なままだ。・・・

アメリカ政府の今回の金融規制案から透けて見える、今回アメリカが「懲りた」と感じたものは、(1)銀行と異業態(証券・保険・ノンバンク)とのリスクの連鎖、(2)複雑な金融商品による消費者保護の不十分、(3)大きすぎるレバレッジによる金融機関経営の不安定、(4)カウンター・パーティーリスクの連鎖、といったことだろう。・・・

サブプライム問題の報道を見ていてある意味でアメリカが羨ましかったのは、住宅ローンがノンリコースのローンであり、返済が不可能になった場合には、担保である住宅を渡してしまえば終わりという「後腐れの無さ」だった。その分、住宅価格のリスクと損失が金融機関に集中しやすかったが、借り手の人生は相対的に安全だった。日本の住宅ローンの場合には、担保を処分しても十分な返済額にならない場合、さらに借金が追いかけてくる「しつこさ」がある。・・・

また、今回、アメリカでは複雑な金融商品の弊害が、消費者保護の観点からも問題になったが、日本でも、1998年の橋本政権下の「日本版ビッグ・バン」による規制緩和によって、無意味に複雑な金融商品によって消費者の利益が損なわれているように思う。

端的に言って、EB(他社株転換権付き債券)のような仕組み債や、各種のオプション性のある条件を盛り込んで目先の利回りを魅力的に見せている仕組み預金のような「仕組み物」は、消費者保護の観点から、商品自体の販売を禁止するべきだと思う。

この種の仕組み商品は金融工学を応用して作られた商品との触れ込みだが、それこそ、金融工学的には「上手い話はない(裁定機会はない)」ということが価格計算の条件になっていて、実際には、売り手側に利益が出るような条件に大きな「余裕」を持たせて売っているわけで、ある意味では、買い手がいるということ自体が、価格計算の出来ない顧客、即ち商品を理解していない顧客に販売されているということの何よりの証拠である。

政府による過剰な介入や保護が市場経済の効率性を阻害することは度々指摘されている。しかしながら、それと同じくらいに問題なのは本来必要な規制が行われていないために社会全体の利益が阻害されていることである。この金融規制の例は分かり易いが、正社員や公務員の過剰な保護や、農業などの保護主義が社会全体の利益を損なっていることが明らかにも関わらず必要な規制緩和が行われていない一方で、一部の金融機関の利益にしかならない無秩序な規制緩和が行われている。

結局のところ、労働問題における「労働者を守ろう、よし正社員を保護しよう」、「市場競争を強化しよう、派遣労働者の権利を剥奪して規制緩和してしまえ」という論法と同じで、どのような理念を掲げようともそれが都合のいいように解釈されて実行されるのでは意味がない。その意味で、規制緩和が必要な領域を規制緩和せずに、不必要な場所を規制緩和すれば経済が効率化するというような幻想を捨て去る必要があるだろう。

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愚民思想の意味不明

2009年06月26日 | 論理

相変わらず大衆は愚かだというような主張がそこらじゅうで見られる。その隠れた意図は大衆は馬鹿だ、合理的で賢明な知識人が先導しないといけないというものだ。しかし、歴史的に見るとここ二世紀の悲劇の大部分は知識人が愚かな理想や幻想、自己中心的な思想に支配されたことが原因だった。また、マスコミが馬鹿だ、政治家が馬鹿だ、ああこれは愚かな大衆の責任だというのもあるが、それも知識人の大部分が愚かであることを棚に上げて大衆に責任を擦り付けているだけである。

このような主張が行われるのには、大衆に対しては完全無比な合理性が要求されていると言うのがある。選挙であれ、日常の経済行動であれ、完全な合理性が認められなければ非合理的とされ大衆は愚かだとされる。しかし、問題はそのことは大衆が愚かで間違って選択を必ずするということを意味しないし、知識人が完全に合理的で正しい選択をすると言うことも意味しない。つまり、大衆に対して非常に厳しい基準で合理性を判断し、それに達していなければ知識人の愚かさの結果起こった失敗に対しても大衆がすべてを予見して合理的な判断を行わなかったという理由で責任を擦り付けているのである。

行動経済学の大衆行動の非合理性の実験結果も同じような性質を持っている。実験をする側の研究者は問題を完全に知り尽くしているために問題の設定条件での正しい答えを知っている。それに対して、被験者は限定的な情報を与えられるだけである。その条件で実験をした結果、「はい合理的には行動しませんでした」というのが結論である。それぞれの実験自体には意味があるのであるが、問題はそこからは大衆が完全には合理的に行動しないことしか明らかにならないということである。決して大衆が非合理的な行動を取るということではないし、ましてや知識人が合理的な行動を取るということでもない。

だから、愚民思想というのは実のところ根拠のない主張に過ぎないと言っていいだろう。知識人たちは昔から大衆は愚かだといい続けてきたが、現実には知識人の方が愚かであった事例で溢れかえっている。それを、特定の事例を元にに大衆の愚かさを主張し責任を擦り付けようとする非論理的な主張に過ぎない。

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請負制度の非経済性

2009年06月25日 | 経済一般

正規社員と非正規社員との格差や、派遣社員や請負の問題を何度も取り上げてきたが、そのような身分制度がもたらす弊害は深刻なようだ。東洋経済よりキャノンの現状についての記事から。

2005年以降(製品発売時期ベース)、キヤノンは一眼レフカメラの新製品を12機種発売しているが、そのうち5機種で製品不良が発生している。品質不良のオンパレードと言っていいだろう(2ページ目下表参照)。その間、ライバルのニコンでは、製品不良は1機種も公表されていない。製造台数が少ないものの、オリンパス、ソニー(06年に旧ミノルタの事業を買収)などその他の一眼レフメーカーも、製品不良を公表していない。・・・

キヤノンの主力カメラ工場は九州・大分県に立地している。大分空港近く、国東市にあるのが、1942年から74年まで社長、74年から84年まで会長を務めた御手洗毅氏の時代、82年に建設された大分キヤノン安岐事業所。もう一つ、大分市内から車で20~30分、大野川を越え小高い丘陵地帯を登ったところに立地しているのが、大分事業所だ。こちらは、95年から06年まで社長を務め、現在は会長の御手洗冨士夫氏が社長を務めていた時期に建設が決まった国内カメラ工場だ。

この2工場がキヤノンのカメラの7割弱を製造している。コンパクトデジカメの低価格品を中国やマレーシアの工場で製造しているものの、すべての一眼レフを大分で製造している。

大分キヤノンを支えてきたのが、常時数千人規模で製造現場に従事する請負労働者(請負会社社員)だ。主に製造管理や工具のメンテナンスなど組み立て以外の業務を大分キヤノンの正社員、期間社員が担当する一方、日研総業、テクノスマイルなどの社員が、請負労働者として、現場での組み立て作業を行ってきた。・・・

ところが、大分キヤノンの2つの事業所では作業者はマスクをしていない。それはクリーンルーム内でも同じだという。キヤノン広報部は「マスクをしなくても品質にかかわりはないという判断をしている」と説明する一方、現場で働く30代請負会社社員からは「クリーンルームはホコリが多い。圧着時に大気中のホコリがモジュールに入り込んで不良になることは常にある」と食い違う意見が聞こえてくる。大分事業所で働いていた20代女性に尋ねると、「蛍光灯の光で、大気中にホコリが舞っているのが目に見えるときがある」と言う。・・・

が、“ホコリが舞うクリーンルーム”というのはそもそも、ありえない。「クリーンルームに要求される水準は0・5ミクロンという超微細なチリが大気中にどれだけあるかで測られる。簡易的なものでは『可視塵埃なし』という設備もあるが、それはクリーンルームと言わない。ましてやホコリが舞っているのが見えるというのは、話にならない」とあるクリーンルーム設計者は語る。

なぜ、こんな非常識が放置されているのか。それはクリーンルームの内部が、キヤノンにとって“治外法権”になっているためだ。

請負契約は業務委託元の会社(キヤノン)が現場の請負会社に所属している作業者に直接指示、命令を行えない業務契約だ。仮に直接の指示を行えば偽装請負となり、労働者派遣法違反となる。そのため、キヤノン社員は、作業者を統括する請負会社の管理者に指示を出し、そこから現場の作業者に指示が流れることになる。

04年に解禁された製造派遣を用いれば、現場の作業者に直接指導を行うことが可能だ。しかし、08年末現在、キヤノンは製造現場で派遣労働者を使っていない。3年以上同一業務で派遣労働者を使った場合、キヤノンに直接雇用を申し入れる義務が生じる。生産量に応じていつでも調整できるようにするためには、派遣労働者は不向きなわけだ。

キャノンの工場において行われている請負社員を使った生産というのは非常に非生産的なもののようだ。このような非生産的なやり方をするのであれば、海外で生産した方が効率的なのではないだろうかと考えてしまうが、そのようなことは正社員の仕事の保護の観点から無理なのだろう。その意味で、正社員の解雇規制は二重の意味で社会の効率を損なっているといえる。第一に、非生産的な雇用を企業が強制され、第二にそのような負担を避けるために非生産的な方法で生産を行わなければならなくなる。

海外との競争から仕事の減少を防ぐためには、派遣労働者や請負労働者などの賃金を下げる必要があると主張する人がいる。しかし、このような現実を見てみるとそのような主張が的外れであることが分かる。本来、海外において行うべき仕事というのは賃金差から国内で行うことは本来非生産的である。だから、一番賃金水準の引く労働者の賃金を少し賃金下げたところでほとんど違いはない。請負労働者などの低賃金労働者が必要なのは、高賃金の正社員の雇用水準を維持するためである。だから、派遣労働者や請負労働者の賃金を下げても、正社員の特権が維持されるだけであり、雇用が守られたりする効果はほとんどないだろう。

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セブンイレブンが排除措置命令

2009年06月24日 | ニュース

セブンイレブンが公正取引委員会から排除措置命令を受けたニュースが話題になっているが、根本的な問題は現在の日本の多くのフランチャイズ契約が諸外国の基準からすると違法であるという現実である。

当然のことながら、契約というのは対等な関係において結ばれるべきものであるし、契約にあたっては必要な情報が開示され双方が条件を理解して納得した上で契約を結ぶ必要がある。しかしながら、現在の日本の法規制においてはフランチャイズ本部に必要な情報を開示する義務を課しておらず、嘘の業績予想や、特殊なケースに基づく予想によって、勧誘することが許されている。つまり、多くの場合偽の情報によって会員は騙されているし、またそれを防ぐための行動を新たな契約者が取ることも認められていない。さらに、フランチャイズの会員になることによってどれだけの利益が出るかを知るためには、どのようなコストが掛かるかを知る必要があるが、日本の場合においてはフランチャイズ本部がノウハウだけでなく、商品なども同時に卸として供給することになっているのでその値付け次第でどのようにでも収入が変化するようになっている。つまり、白紙委任状を書いているようなものである。

日本以外の先進国においてはこのような新規会員に必要な情報を提供せず、一方的に有利な条件で契約を結ぶことは完全に違法である。通常の法律論に基づいても虚偽の情報によって顧客を騙すのは詐欺なので、日本のフランチャイズ契約は実は大規模な組織犯罪である。そのような、現実が昔から明らかであるにも関わらず、諸外国の常識や通常の法律論を無視して、産業界に迎合し契約だから契約を守るべきだという意味不明な論法で、規制を加えてこなかった政府に非常に大きな責任がある。その意味で、今回の公正取引委員会の排除措置命令は必要な政策のだ一歩であると言えるだろう。

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不公平な民間企業救済

2009年06月23日 | 経済一般

現在の経済危機によって多くの企業の経営状況が悪化している中、政府はパナソニック等の民間企業への資本投入などを通じての支援を行おうとしている。アメリカにおいてもGM・クライスラーや金融業界への大規模な資金投入が行われたが、このような民間企業支援は本質的に不公平であり、非生産的である。

静岡県袋井市に立地するパイオニアのプラズマテレビ工場。プラズマ事業低迷で2008年春から山梨、鹿児島と関連工場を相次ぎ閉鎖したが、静岡だけは最後のテレビ工場として組み立て工程を続けてきた。だが09年2月、パイオニアがついにプラズマ完全撤退を発表したのを受け、静岡工場も閉鎖となる見通しだ。

段階的なリストラを経ながらも、静岡工場ではまだ正社員を含む約300人が働く。勤務歴19年の女性社員はため息をつく。「もっと早く工場閉鎖が決まっていれば、再就職の口を探せたかもしれない。でも今では見つかるかどうか不安」。地域の有効求人倍率は08年3月、1・1倍あったが、昨秋以降の景気悪化で、現在は0・3倍にも満たない。

打撃を受けているのは、地域の雇用だけではない。袋井市内には部品メーカーなど静岡工場と直に取引する地場企業が少なくとも3社ある。運送業などの出入り業者や工場周辺のサービス業にとっても工場閉鎖は痛手だ。袋井商工会議所の高橋徹事務局長は、地場企業からこんな声が漏れると話す。「不況になれば、われわれ中小企業は真っ先に苦しい。でもパイオニアさんみたいな大手は“国の支援”で生き残れるのですね」。

パイオニアが近く申請する見通しの“国の支援”とは、改正産業活力再生特別措置法(改正産活法、4月成立・施行)に基づく出資だ。小谷進社長は5月中旬の決算説明会で、「当面必要な資金400億円の一部として、公的資金の申請を検討している」と明言した。

改正産活法による出資を受けるには、四つの要件を満たさなくてはならない。すなわち(1)売上高が四半期で前年同期比2割以上減など急減している、(2)財務制限条項に抵触するなどで出資が必要、(3)連結従業員が5000人以上など国民経済への影響が大きい、(4)民間金融機関の支援がある、――だ。経済産業省は「本来なら倒れない企業が一時的に直面する資金繰り問題の対策として出資を可能にした」と説明する。具体的には、経産省(製造業、流通・小売業等)、金融庁(金融機関等)、国土交通省(建設業、運輸業等)など事業所管省庁が産活法適用を承認した上で、政投銀が出資の可否を決定。将来、損失が発生した際にはその一部を日本政策金融公庫が財投資金から補填する、という枠組みだ。・・・

日本においてもアメリカやヨーロッパにおいてもそうであるが、経済全体への影響を避けるとして大企業の高待遇従業員を全面的に助ける一方で、失業者に対しては厳しい処置を取っている。そのようなやり方は、本質的に資源配分を歪めるだけでなく、不公平でもある。このような、国民全体にとって望ましくない弱者救済しか出来ない労働組合べったりの平等主義者の愚かさが、多くの国の不平等と社会の荒廃の原因である。

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正しすぎる赤木智弘

2009年06月22日 | 経済学

一部で非難を受けているらしい赤木氏のコラムを読んでみた。内容は非常に的を射ている。とりあえず、livedoorニュースより。

難病のために生活保護を受けていた北九州市の夫婦が、通院や買い物など、日常生活のために軽自動車を使っていたことから、生活保護を打ち切られていた問題で、5月29日に福岡地裁は「処分は違法」として生活保護停止処分の取り消しを求めた。(*1)

また、北九州市か!
一昨年の7月に52歳の男性が生活保護を取り消され、日記に「おにぎりを食べたい」と書き残して餓死した事件がおきたのも、北九州市である。
事件はマスコミで広く取り上げられ、大きな批判を受けて、少しは反省したかと思ったら、まだこんな弱いものイジメ、いや、むしろ殺人ごっことでも言われるべき馬鹿げた行為を続けているようだ。

私は、生活保護制度の大幅な拡充を求めている。
生活保護が憲法25条に記された「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を保証するものである以上、多くの人が所有している物の所有を否定する、「車を所有しちゃダメ」「エアコンもダメ」のような規制は、憲法違反である。
「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」というのは、自分の考えで言えば、1人頭6畳程度の専有面積を持つ家に住み、電気ガス水道は当然として、エアコンや自動車等の、これまで生活保護行政で問題にされてきた物ももちろん認められるべきである。また、携帯電話やインターネットの利用も、それがこれだけ多くの国民に利用されている以上、認める必要がある。そうそう、国の勝手な都合でアナログ停波が決定したので、地デジ対応TVも「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」の範疇でいいだろう。
まぁ、予算の都合はともかく、原則的にはそのくらいの内容となって始めて、先進国にふさわしいセーフティーネットとして誇れる制度になるのではないかと、私は考えている。

そういうことをいうと「生活保護に頼って生活して、働かない人間が出てくる」という意見がでてくる。しかし、私は「働かない人間がいる」ことが、日本にとって問題だとは思わない。むしろ「働かないほうがマシな人間を、働かせないことができる」という効用に期待する。
多分、あなたの周りにも「仕事もろくすっぽ出来ないくせに、威張っている」ような人間がいるだろう。それが上司だとして、そんな人間のせいで、あなたの仕事が進まないとしたらどうだろうか?
世の中には残念ながら、経済的な生産能力がマイナスの人間というのがいる。しかし、仕事をしなければ生活できない日本社会においては、そうした人間に対しても必ず仕事を与えなければならないし、賃金が支払われなければならない。社会は踏んだり蹴ったりである。
ならば、そうした人間を仕事の場に出してマイナスを発生させ続けるよりは、家で酒でも飲んで寝ててもらった方がマシだとは考えられないだろうか?
働くべきではない人間が働かないことによって、社会全体の生産性が上がる。私はそういう形での社会貢献もあると考えている。

そして、そうした考え方を実践できるだけの、充実した生活保護制度ができたとすれば、最初に働かないでもらうのは、この馬鹿馬鹿しくも残酷な行為を行った、北九州市の福祉課の人間達である。
彼らは生活保護のなんたるかをまともに理解できる能力がないのにもかかわらず仕事をしていたために、さまざまな悲劇を産み出した。
彼らが働かなければ、52歳の男性は餓死せずにすんだかもしれないし、今回の老夫婦イジメもなかったかもしれない。
彼らの現在の給料よりも、月25万ぐらいの生活保護費の方が安いだろう。経費を減らして、なおかつ北九州市民の安全を守る、とってもいいアイデアだと思うのだが、どうだろうか?

内容ははっきり言って経済原理の本質を突いたものであるとしか言いようがない。世の中には優秀な人間がやらないと経済にダメージを与えてしまう仕事がある。例えば、経営者などが典型だろう。そのような仕事を無能な人間にやらせてしまうと結果として社会の生産性が下がってしまう。

この話をより一般的に考えるとすると生産性に対する賃金という視点から考えるのが妥当だろう。英語ではoverpayやunderpayといった表現がスポーツの世界でよく使われるが、個人成績に比べて年俸が高すぎたり、安すぎたりすることだ。同じようなことは普通の企業でも普通に起こっている。上げている成果に比べて賃金が高ければその人は会社からお金を奪い取っているのであり、成果に比べて賃金が安ければ搾取されていると言える。そして、現在の日本の抱える非常に大きな問題は中高年正社員が成果に比べて賃金が高すぎ、それが他の人の生活水準を下げていると言うことだ。

このような成果と賃金の関係を理解できず、きっと地位の高い人は優秀に違いないと考えている人は赤木氏を非難するのだろう。また、これは生活保護に関する上のような事件が起こる原因でもある。成果を賃金という視点で考えれられず、地位が能力を伴っているはずだと考えるために、平等なら同じように正社員を保護しましょうとなり、自由競争だと自己責任で失業者を苦しめないといけないとなる。高賃金を貰っている者は賃金に相応しい成果を上げているはずだという空想の世界でしか考えられないから、自分に都合のいい同じ二つの考えしか考えることが出来ない。

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地球温暖化

2009年06月21日 | ニュース

最近地球の寒冷化が進んでいるそうだ。太陽の活動が弱まったのが原因だそうだ。巷では、地球温暖化と環境保護、エコの話題がニュースを賑わしているが、実際にところどうなんだろう。

私の周りでもアイドリングストップや電気を消しましょうという張り紙が張ってたりするが、そのようなちょっとしたことによってはとても二酸化炭素の消費量を減らすことは出来ないだろう。結局は、左翼お得意の自分勝手な理想に基づく自己満足に終わることになるだろう。

そこで環境保護の方法としてどのような方法が効率的で、世界の国々が合意可能かを少し考えてみた。環境保護を行う場合に大きな問題になるのが、今まで多大な環境破壊をしながら経済発展をしてきて現在の状態にある先進国と、これから経済発展をしていこうとする途上国との利害をどのように調整するかと言うことだろう。象牙や象の保護の時の様にすべての負担を現地に押し付けて、欧米人が原因で破壊された環境をアフリカの国々が重い負担をした上で環境を保護するというのは非常に拙い。かといって、現在の中国のように何の規制もかけずに、環境破壊をしたいだけすることを許せば、将来の世代だけでなく周辺の国々への被害も深刻なものにならざるを得ない。

だから、統一した基準の下に公平な負担を強いる制度であるべきであるし、同時に途上国一般にとって恩恵のある制度にもなっている必要があるだろう。そうすると、汚染量に対して世界一律の税金を科すことによって環境にやさしい形での生産活動を促すのがいいのではないだろうか。そして、税収に先進国からの特別な予算なども合わせて、途上国に食料や水、衛生、教育など基本的な社会投資に支出することによって先進国と途上国との利害を乗り越える政策に支出する。相すれば、全体として上手く機能するのではないか。

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近代ボクシング部廃部

2009年06月20日 | ニュース

近大ボクシング部の部員が強盗容疑で逮捕されたことを受けて、ボクシング部の廃部が決まった。(産経ニュースより)

ホンマに廃部? それはやりすぎや…と叫んでいたら、塩谷文科相も「廃部にまでしなくてよかったのではないか」と疑問を呈したそうだ。近大ボクシング部員2人の強盗逮捕というショッキングな事件発覚からわずか1日。大学日本一11度の名門に“消滅”の断が下された。呆気ないほどのスピードで。

「拳」という凶器を持つボクサーが、それを使用して犯罪に手を染めることは断じて許されない。「ヤクザや」と称していたというから、もう救いようがない愚か者たちだ。当事者の厳罰に何の異存もない。総監督が辞表を提出するなど、暴走を事前に食い止められなかった監督責任のある人たちも処分されているが、これも当然。

悪質な犯罪者を生んだ組織が、他人事で試合を行うなんて許されるはずもなく、長期間の活動禁止も仕方ない、と思っていた。でも、だからといって廃部はない。大学スポーツ界で廃部になった例は皆無に近い。1999年に部内で傷害致死事件を起こした国士大剣道部が解散(その後再開)というのがあるぐらい。・・・

部員の中に犯罪を犯したものがいるだけで、連帯責任で部自体が廃部に追い込まれる。普通の感覚からすると、可笑しいだろう。しかし、このような行動原理は戦後日本を特徴付けるものであるのかも知れない。このような判断の問題点と原因について書きたいのだが今は時間がないので、ここまで。

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