車輪を再発見する人のブログ

反左翼系リベラルのブログ

市場経済と市民社会

2009年03月01日 | 文化論

この前の記事でも取り上げた池田信夫blogのこの記事だが少し補足しておきたいことがあるのでまた一言。その前に少し引用を。

『資本論』で圧倒的に多く使われる概念は、資本主義ではなく市民社会(burgerliche Gesellschaft)である。これを「ブルジョア社会」と訳すのは誤りで、これはヘーゲル法哲学からマルクスが受け継いだ概念である(最近の言葉でいえば市場経済)。ヘーゲルにおいては「欲望の体系」としての市民社会の矛盾は国家によって止揚されるが、マルクスは国家は市民社会の疎外態だと考え、それを廃止することによって真の市民社会を実現する革命を構想した。・・・

むしろマルクスとハイエクがともに依拠した西欧的な市民社会の概念が、どこまで普遍的なモデルなのかが問題だ。歴史的には市民社会が普遍的ではないことは自明であり、「欲望の体系」が人々の感情を逆なでする不自然なシステムであることも、ヘーゲルが指摘した通りだ。しかしそれが西欧文化圏の奇蹟的な成長を可能にし、それ以外のモデルがすべて失敗に終わったことも事実である。マルクスは、階級対立を生み出さない純粋な市民社会としてのコミュニズムが可能だと考えたが、それは間違いだった。欲望を解放する市民社会は、必然的に富の蓄積によって不平等な資本主義を生み出すのである。

マルクス、ハイエクともに市場経済を特殊西洋的なものと捉え、先進的なものとしてそれを理論の出発点にした。これは、西洋の思想家に共通して言えることであるが、ヨーロッパを進んだ社会として、それ以外を遅れた社会として理論を構築していく。問題は、市場経済において西洋が進んでいたという主張そのものが怪しいものであるということである。市場経済で西洋が進んでおり東洋が遅れているというと、東洋では市場経済が機能していなかったかのような錯覚にいたるが、実はより自由で制約のない市場が機能していたのは東洋のほうであった。これは、国際的な海洋貿易において言えることで、西洋においては一部の国家による独占や排除が行われる一方、それ以外の社会においては本当に自由な交易システムが発達していた。だから、この点においては市場が機能していなかったのはむしろ西洋のほうである。

では何をもってマルクスやハイエクが西洋を進んでいたとしたのかというと、市民社会であったということである。わかりにくいかもしれないが、古代のギリシャや中世ヨーロッパを考えるとわかりやすいが市民の権利が発達し、上の支配を受けず自由に活動していたことをもって市民社会といっているのだ。つまり、東洋のように王が権力を持っていれば専制的と捉え、あらゆるものを否定し実際に存在している自由な市場さえ否定するが、西洋のように市民が存在する状態であればそれが他の階層を支配し搾取していても、市場を管理し自由を制約していても善と考える西洋において伝統的な考え方をマルクスやハイエクも受け継いでいたということだ。

そのような考え方に基づくものであるため、西洋の市場経済事態を否定したり、東洋を肯定しようとするのは、極端であるとしても、西洋には進んだ市場経済や市民社会があったという主張を鵜呑みにするのは危険なのだ。だから、問題を考える場合にはこのような歴史的な事実をちゃんと知った上で考える必要があるだろう。

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またもやTBS捏造疑惑

2009年03月01日 | 政治

麻生総理の講演に関する報道について、博士の独り言よりまたもやTBSが捏造をしたそうだ。(こちらにさらに詳しい情報あり)いつものことなので、もう誰も驚きもしないかもしれないが、これではマスコミ(左派知識人)=捏造という形がひたすら繰り返され定着しているといってもいい状態だ。

青森県で行われた麻生太郎総理の講演(2月22日)のニュース報道で、TBS報道の映像には、当時の会場が“ガラガラ”であったかに印象づけるかのシーンがあった・・・麻生総理の向こう側が、TBS映像の“ガラガラ”部分に当たるわけだ。東奥日報の映像では、“ガラガラ”どころか、人で埋まっていることを観てとれる。・・・つまり、合成されたシーンではないか、との疑惑が浮上する。・・・TBSの映像では、気のせいかもしれないが、映像の中で、壇上へフラッシュが焚かれるシーンがあるが、“ガラガラ”の会場の前席(カメラの傍)にいる人たちには反射が観られない。「はめ込み」ゆえの“成果”であろう。

マスコミお得意の捏造である。物事を客観的に捕らえるためには、それが事実であるだけでなくその事実を正しい文脈の中で捉える必要がある。自分勝手につなぎ合わせたり、合成したりしたものを事実として使うことを許せば、編集するものがどう思うかが事実を決めることになる。

言葉狩りのときもそうであったが、一部のものがどのように感じるかを基準にすれば、結局はその人がどう思うかだけがすべてを決めることになる。重要なのは、そのような恣意性をなくすことである。民主主義であれ平等であれ、強いものが勝手な解釈で恣意的に物事を決めることが出来ればどのような理想に基づいても専制に行き着くだろう。だから、このような捏造に断固反対していかなければならない。

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オリンパス制裁人事

2009年03月01日 | 経済一般

与謝野馨氏の発言の記事及びそこのコメントで言ったが、現在の日本の労働法規の問題の一つはすべての人を同じように保護していないということだ。保護の対象や事例によってバラツキが大きく、判断が恣意的である。その点を踏まえつつオリンパスの制裁人事を取り上げてみる。gooニュースより。

 東証1部上場の精密機器メーカー「オリンパス」(本社・東京)の男性社員が、社内のコンプライアンス(法令順守)通報窓口に上司に関する告発をした結果、配置転換などの制裁を受けたとして、近く東京弁護士会に人権救済を申し立てる。

 男性の名前は、通報窓口の責任者から上司に伝えられ、異動後の人事評価は最低水準に据え置かれている。公益通報者保護法では、社内の不正を告発した従業員らに対し会社側が不利益な扱いをすることを禁じているが、男性は「こんな目に遭うなら、誰も怖くて通報できない」と訴えている。

 申し立てを行うのは、東京都内に住む浜田正晴さん(48)。

 代理人の岡本理香弁護士によると、浜田さんは大手鉄鋼メーカー向けに精密検査システムの販売を担当していた2007年4月、取引先から機密情報を知る社員を引き抜こうとする社内の動きを知った。システムの追加受注を有利に進める目的の工作で、不正競争防止法違反(営業秘密の侵害)の可能性があると判断。最初は上司に懸念を伝えたが、聞き入れられなかったため、同6月、コンプライアンスヘルプライン室に通報した。その後、オリンパスはメーカーに謝罪している。

 ところが同室の責任者は、浜田さんとのメールを、当事者である上司や人事部にも送信。約2か月後、浜田さんはその上司の管轄する別セクションに異動を言い渡された。

 配属先は畑違いの技術系の職場で、現在まで約1年半、部署外の人間と許可なく連絡を取ることを禁じられ、資料整理しか仕事が与えられない状況に置かれているという。それまで平均以上だった人事評価も、通報後は労働協約上、原則として長期病欠者以外には適用されない評価を受けている。

法律を守ろうとすることを許さないというものすごい話であるが、日本の現在の問題をよく現しているといえる。サービス残業、労働法違反他多くの労働に関する基本的な法律や決まりごとが日本では守られていない。一方で、日本は過剰に労働組合に保護されている労働者がいることでも知られている。問題は、法律を同じように適用しようと政府が活動していいないことであり、司法が機能していないためちゃんと労働者の権利が守られていないことである。結果として、その場の状況によって恣意的な判断がなされてしまっている。今回の事例もまさにそのようなことが原因で起こった事件であるといって良いだろう。

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日本の税制の問題点

2009年03月01日 | 経済一般

日本の税制の問題点について、このサイトが結構詳しく書いているので見ても良いかと思う。相変わらず消費税増税の話題がちょくちょく政治議題になっている。そういうこともあって、今回は日本の税制について少し考えてみる。

よくある主張は、日本は所得税や相続税が高すぎ、平等主義過ぎる、優秀な人のやる気を殺いでいるという様なものだ。特に昔は、(今はかなり最高税率が下げられたが)所得税の限界税率が高く、累進課税過ぎると非難されていた。しかし、事実は実は逆で日本の最大の問題は、他の先進国と比べて極端に金持ち優遇で貧乏人無視であると言うことだ。

最大の原因は最も資産家に負担を強いる資産課税が分離課税のためほかと比べて低税率となっていることだ。その結果、日本は他の国と比べて土地や証券、預金等からの所得課税が低く、それが日本の所得税総額を引き下げている。さらに、最もお金持ちの人が低い税率しか収めていないため、逆に低資産低所得の人のほうが多く税金を納めるというようなおかしなことが起こっている。そういう意味で、日本に必要なのは累進課税を緩和することではなく、ちゃんと金持ちから税金を取ることだろう。

90年代から二千年以降に掛けて、日本においては所得の再分配を緩和する方向で税制を変更してきた。この時期はぴったり日本が不景気に陥り、経済停滞と経済格差の拡張が起こった時期と一致している。このことから、少なくとも経済格差を広げる政策が経済成長をもたらさないことがわかる。

これはある意味当然のことで、最も経済成長を阻害しているのは能力や成果に対して平等な賃金が与えられないため労働資源の分配の最適化が阻害されていることにあるからである。その意味で、今一番必要なのはこの本質的な不平等をなくし、平等化することである。平等な評価が成果や能力に対して与えられるようになれば、自然と経済成長が起こることになるだろう。

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大爆笑与謝野馨語録

2009年03月01日 | 経済一般

少し前に竹中平蔵氏の発言を取り上げたので今度は与謝野馨氏の爆笑発言を取り上げて見よう。J-CASTニュースより。

「一時期、会社は株主のものという誤った考えが広まった。会社は株主のものという考え方は私にはなじまない」

これは、「世界の常識」とも言われる考え方に、真っ向から反論したものだ。答弁は、共産党の委員が、雇用悪化の中で企業が株主配当の維持を優先していると指摘したことに対して行った。さらに、その中で、「会社のステークホルダーは株主だけでなく、従業員、経営者、お得意さま、下請けなどだ」と説明した。

この発言について、ネット上などでは賛否両論に分かれている。

IT企業でコンサルティングなどをしているブロガーは、「Zopeジャンキー日記」で、与謝野発言について、「会社は株主のものだし、株は会社の所有権だ。これは『誤った考え方』とか『なじまない』とかいう話ではない。これは法律であり、世界の常識だ」と批判。「世界への恥さらしだし、ますます日本経済への信頼が下がる」と主張している。2ちゃんねるでも、「こんなこという国の株が上がるはずがない」「そう思うんなら今の制度を根本から変える代案だせよ」などといった書き込みがみられる。

一方、評価する向きも、同様に多い。ある経済政策通の評論家は、「株主は金儲けの欲で動くので、下がりそうだと売ってしまって定着しない。会社は社員のものであり、こうした運営をしてきた日本で株主至上主義はうまくいかなくなっています」と話す。2ちゃんでも、「配当のために従業員の首を切るなんてのは 長期的な視点で見たら、結局のところ株主自身が損をすると思うんだけどなぁ」「まあ世間一般では今でも会社は経営者や従業員のものという考えが一般的だしな」といった書き込みがある

会社が株主のものではないにしても、従業員のものではないし、経営者のものではもっとない。当然のことながら会社は自らの利益と、社会的な利益をバランスさせないといけない。だから、株主だけの利益を追求することは間違いだが、その反対は与謝野氏の主張とはまったく違う。

会社は株主だけのものではないが、関係するのは従業員や経営者だけでなく、取引先を含めいたものでもなく、社会全体とバランスを取っていく必要がある。だから、従業員だけを重視することは逆に資源分配を極端に歪め社会全体の利益を損なう。現在問題になっているのは、従業員が保護されすぎるために過保護な従業員を会社が雇おうとせず、派遣社員で済ませようとするために会社と社会の利益が損なわれているということである。

朝日新聞のセンのインタビューもそうであるが、会社は株主だけのものという極論を作り出して、自分達の偏った意見が正しいかのような錯覚にのめり込む左派系の愚かさがまた爆発した形だ。保護する対象が一部だけなので、自分達が選んだ特殊な階層を特権階級として保護することしか出来ない愚かさがまた出た形になった。

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