この前の記事でも取り上げた池田信夫blogのこの記事だが少し補足しておきたいことがあるのでまた一言。その前に少し引用を。
『資本論』で圧倒的に多く使われる概念は、資本主義ではなく市民社会(burgerliche Gesellschaft)である。これを「ブルジョア社会」と訳すのは誤りで、これはヘーゲル法哲学からマルクスが受け継いだ概念である(最近の言葉でいえば市場経済)。ヘーゲルにおいては「欲望の体系」としての市民社会の矛盾は国家によって止揚されるが、マルクスは国家は市民社会の疎外態だと考え、それを廃止することによって真の市民社会を実現する革命を構想した。・・・
むしろマルクスとハイエクがともに依拠した西欧的な市民社会の概念が、どこまで普遍的なモデルなのかが問題だ。歴史的には市民社会が普遍的ではないことは自明であり、「欲望の体系」が人々の感情を逆なでする不自然なシステムであることも、ヘーゲルが指摘した通りだ。しかしそれが西欧文化圏の奇蹟的な成長を可能にし、それ以外のモデルがすべて失敗に終わったことも事実である。マルクスは、階級対立を生み出さない純粋な市民社会としてのコミュニズムが可能だと考えたが、それは間違いだった。欲望を解放する市民社会は、必然的に富の蓄積によって不平等な資本主義を生み出すのである。
マルクス、ハイエクともに市場経済を特殊西洋的なものと捉え、先進的なものとしてそれを理論の出発点にした。これは、西洋の思想家に共通して言えることであるが、ヨーロッパを進んだ社会として、それ以外を遅れた社会として理論を構築していく。問題は、市場経済において西洋が進んでいたという主張そのものが怪しいものであるということである。市場経済で西洋が進んでおり東洋が遅れているというと、東洋では市場経済が機能していなかったかのような錯覚にいたるが、実はより自由で制約のない市場が機能していたのは東洋のほうであった。これは、国際的な海洋貿易において言えることで、西洋においては一部の国家による独占や排除が行われる一方、それ以外の社会においては本当に自由な交易システムが発達していた。だから、この点においては市場が機能していなかったのはむしろ西洋のほうである。
では何をもってマルクスやハイエクが西洋を進んでいたとしたのかというと、市民社会であったということである。わかりにくいかもしれないが、古代のギリシャや中世ヨーロッパを考えるとわかりやすいが市民の権利が発達し、上の支配を受けず自由に活動していたことをもって市民社会といっているのだ。つまり、東洋のように王が権力を持っていれば専制的と捉え、あらゆるものを否定し実際に存在している自由な市場さえ否定するが、西洋のように市民が存在する状態であればそれが他の階層を支配し搾取していても、市場を管理し自由を制約していても善と考える西洋において伝統的な考え方をマルクスやハイエクも受け継いでいたということだ。
そのような考え方に基づくものであるため、西洋の市場経済事態を否定したり、東洋を肯定しようとするのは、極端であるとしても、西洋には進んだ市場経済や市民社会があったという主張を鵜呑みにするのは危険なのだ。だから、問題を考える場合にはこのような歴史的な事実をちゃんと知った上で考える必要があるだろう。