車輪を再発見する人のブログ

反左翼系リベラルのブログ

民主主義と政策

2010年02月07日 | 政治

民主主義においては多数派の意見が重視されすぎる。少数派の意見が軽視される。それが民主主義の欠点の一つだと言うことはよく言われる。

それに関して、現在の日本における大企業正社員の過剰な保護などの労働問題の原因をそこに求める声もある。しかし、客観的にはそれは非常に可笑しな主張だ。実のところ、保護されている階層は人数的には明らかに少数派だ。高齢者、多くの女性、若者を除けば、人数的には少数派である。だから、多くの国においては民主的な投票によって労働市場の規制緩和と、待遇の平等化が政治的に進められた。これは、日本と同じ位の出生率のヨーロッパの国々においても同じである。つまり、問題は多数決にあるのではなく、少数派の意見が異常なまでに政治に影響を与えていることである。

これと同じで、若者の投票率が低いから政治家が若者の意見を相手にしないというのもナンセンスである。若者とそれ以外との投票率の差を考えても、それが全体の投票者の割合に与える影響は微々たるものである。そのような少しの要因ですべてが決まっているとすれば、それは民主的ではない。つまり、問題は数の力ではなく、政策決定が多数決ではなく、少数派の独善によって行われていることである。

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規制強化か、規制否定か

2010年02月04日 | 経済学

J-castの記事より

   経済状況の悪化で「派遣切り」が問題化し、正社員のあり方が問われるなか、経済協力開発機構(OECD)の報告書で、非正規労働者と正規労働者に大きな格差がある日本の労働市場の「二重性」を問題視していることが分かった。さらに、待遇の差を縮小させるため「正規労働者の雇用保護を減少させるべきだ」とまで提言しているのだ。ところが、この報告書が提出された時期には、報告書について報じた記事は少なく、一般読者からすれば、ほぼ「封印」状態だった。

OECD加盟28か国のうち、10番目に「強く保護」

   OECDは2008年春、日本経済の動向についてまとめた「対日経済審査報告書」を公表した。同報告書では、規制緩和や女性の就業促進を急ぐように勧告。6章あるうちの1章を、「加速する二重化と高齢化に対応するための労働市場の改革」と題し、日本の労働市場について割いている。

   日本の労働力のうち、1985年には83.6%だった正規労働者の割合が、07年には66.3%にまで減少する一方、16.4%だった非正規労働者の割合は、07年には33.7%にまで増加。実に3人に1人以上が非正規労働者という計算だ。

   このような現状に対して、「企業が非正規労働者を雇う、最も重要な理由は『労働コストを減らせるから』」という調査結果を紹介。

   その背景として、

「日本はOECD加盟28か国のうち、10番目に、正規労働者に対する雇用保護が強い」と指摘している。つまり、「正規労働者が強く保護されている分、コストカットがしやすい非正規労働者が増えてきている」

という分析だ。

   報告書でも、時間(パートタイム)労働者の1時間あたりの賃金は、フルタイム労働者の4割に過ぎないし、非正規労働者を雇うことで、企業はボーナスや退職金の支払いを減らすことができる、などとしている。

正規労働者と非正規労働者との格差是正を求める

   このような現状に対して、「勧告」されている内容が、国内で議論されている内容とは一線を画したものなのだ。報告書では、「加速する『労働市場の二重化』傾向を反転させる」という見出しが付いた上、(1)雇用の柔軟性を高める目的で(企業が)非正規労働者を雇う動機を少なくするため、正規労働者に対する雇用保護を減らす(2)非正規労働者のコスト面での利点を減らすために、非正規労働者に対する社会保障の適用範囲を広げる(3)人材育成や、非正規労働者の雇用可能性を高める、ことなどを勧告している。

   さらに、OECDは、08年12月にも、日本の若年労働者(15~24歳)についての報告書を公表しており、その中でも

「日本の若者は、日本の労働市場で加速する二重化の影響を大きく受けている」
「期間労働から定職に移行するのは困難で、多くの若者が、不安定な職に『はまり込んだ』状態になっている」

と指摘。そして、この現状に対して3項目が勧告されているが、そこにはこうある。

「正規労働者と非正規労働者との保護率の差を減らし、賃金や福利厚生面での差別的措置に対応する。この措置には、期間労働者に対する社会保障の適用範囲を拡大する一方、正規労働者に対する雇用保護を緩和することも含む」

   いずれの報告書でも、正規労働者と非正規労働者との格差是正を求める内容となっているが、正規労働者側に犠牲を求めるという点が共通している。日本の労働環境にとってはショッキングとも言える内容だが、日本国内の報道と見てみても、報告書について触れた記事は多くない。正社員保護についての論点に触れているのは、せいぜい日経新聞くらいだ。日経新聞のバックナンバーを調べてみると、

「OEDD対日経済審査 女性の就業促進勧告へ」(08年1月22日)

という記事で、報告書を作成するにあたっての途中経過を報じている。このほか、報告書が発表された時には、

「日本の正社員 過保護? OECDが労働市場分析 『非正社員、処遇改善遅れ』」(08年3月5日)

という記事が掲載されている程度だ。

   引き続き雇用情勢の悪化が避けられないとみられるなか、格差問題をどう扱うのかに注目が集まりそうだ。

OECDの勧告に関する記事だ。内容的には、このブログ的には(論理的に考える限り常識的には)当たり前の内容だ。労働政策において一部の人間だけ保護することをやめる必要があることを指摘している。

一つ注目すべき点は、非正規労働者の社会保障の適用範囲の拡大を求めているところだ。非正規労働者の待遇を改善しようとすると、仕事がなくなる。海外に仕事が逃げるだけだとして、非正規労働者に対する保護を絶対的な悪だと言って、派遣法の改正などに絶対反対な人がたくさんいる。しかし、国際機関の客観的な目で見てみると違うようだ。

これは少し考えてみるとすぐわかることだ。非正規労働者は非正規労働者だけで働いているだろうか。多くの場合、役割分担しながら働いているだろう。そして、非正規労働者の賃金コストは全体のコストのごく一部でしかない。そのような状況で社会保障の拡大によってコストが上がったからといって、すぐ海外に移転するだろうか。日本の多くの仕事においては考え難いだろう。

もし、海外移転するとしたら非正規労働者だけでなく、正規労働者も大量に削減する必要が出てくるだろう。結局のところ、非正規雇用労働者に対する保護が非正規労働者だけに関係し、それの待遇を悪化させるから絶対的な悪だというのは、極めて特殊な状態を想定した屁理屈に過ぎないのだ。非正規労働者の社会保障を拡充したら、本当に困るのは正規労働者達だろう。だからこそ、非正規労働者の社会保障の拡充を絶対的な悪として否定しようとするのだ。

そういえば、欧米の奴隷や使用人の主人たちは、奴隷を解放しようとすることを奴隷から権利を奪う悪魔の所業として糾弾したが、奴隷が開放されどうなったかは歴史を見ればわかる。

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二つの労働価値説

2010年02月03日 | 経済学

経済学には労働価値説というのがあるが、意味的には二つの種類があり非常に紛らわしい。片方は、労働者にのみ価値があり、資本家や経営者には価値がないとする。もう一方は、生み出される価値の源泉は資源がどのように利用されているかに依存するとして、すべての労働には同じ価値しかないとする。

最初の方の労働価値説は勿論、共産主義の労働価値説である。共産主義においては、資本家や経営者の経済的機能が全否定され、労働にのみ価値があるとされた。しかし、ここで注意するべきなのはすべての労働者の賃金が同じであるべきであると主張された訳ではないとこである。能力や貢献によって優れた者は当然のこととして多くの報酬を貰うべきだとされた。

しかし問題は、どのようにして誰が報酬を決めるのかということだった。結果として、共産主義においては、中央の特権的な官僚機構がすべての労働者の報酬を恣意的に決めた。笑えるのは、資本主義において何の価値もないとされた資本家や経営者の機能が、共産主義において官僚に置き換わったとたん、それは普通の労働者よりも圧倒的に大きな貢献をし、特権的な待遇を正当化する対象となったことである。そして、圧倒的に優れているはずの官僚達が資本家や経営者よりも、遥かに劣っていた結果共産主義は崩壊することになった。

もう一つの労働価値説は、経済学の創成期にアダム=スミスが最初に主張したものである。スミスは、ピンの例に見られるように仕事のやり方の改善が生産量の増大をもたらすことを発見し、仕事の生産性の違いが生産量を決めると主張した。スミスは製造業に注目したのに対して、農業にも製造業と同じような仕事のやり方の改善による生産量の改善があることを主張したのがケネーで、新しい市場に投下する資本を移動させる企業家が経済成長をもたらすとしたのがセイだった。

スミスもケネーもセイも、言っていることは同じだった。結局のところ、資本家であれ、経営者であれ、企業家であれ、資源を管理するものが資源の使用方法を改善することによって生産量が増加するということだった。このような考え方の下では、労働は基本的には同じとみなされた。

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学生運動と左翼の平等主義

2010年02月02日 | 反左翼論

こんなコメントが来て思わず笑ってしまった。

ロースクール生です。大学で○法協に入った卒業生がビラ配りをするのを大学院側が許可し、堂々と大学の構内で配布しているのが我慢ならず大学側に抗議をしました。すると学院長が直々に許可をしてたらしく、弁護士になっていない者が口を慎めと逆に罵倒されました。このような左翼の弁護士達は、自分が正義かのようにわけのわからない活動をし、自分の主義にあわないものの人権を平気でふみにじっています。本当にあきれてしまいます。弁護士になったらこのような左翼の横暴を根絶させたいと思います。

左翼はよく平等を主張するが、その平等は普通の人の平等とは違う。六十年代に学生運動が起こり、東大などの大学で学生が日米安保反対などの理由で政府に抗議したりした。本人たちは、その時の権力に抵抗して自由や平等を掲げていたつもりだったが、実際にはその裏には他のものが隠されていた。エリート学生たちにとっては、なぜ自分たちのような東大の学生というエリートの意見を受け入れないのかという憤りだった。

学生運動の反権威というのは、社会全体の平等主義ではなく、自分たちに特権を与えない社会や政治に対する怒りだった。そのことは、そのとき自由や平和を掲げていた者たちがその後何をもたらしたかを見てみれば明らかだ。現在の一部の大企業の労働組合員だけを保護する制度、世界でもっとも抑圧的な社会中国を賛美する左翼活動家、結局のところ彼らが支持してきたのはは徹底的に抑圧的な社会でしかなかったのである。

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