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三河 安祥城と周辺史跡 -5-

2024-04-19 05:25:42 | 取材・旅行

2024年4月13日(土)、栄中日文化センター主催、「歩いて巡る東海の古城史跡」(2024年4~6月)「三河 安祥城と周辺史跡」へ行ってきました。

講師は七種英康先生です。その様子を、5回にわたって紹介してきました。今回は、最終回です。

今回は、⑤山崎城祉、⑥保科正直邸址、⑦富士塚 です。


⑤山崎城祉

出典 https://blog.goo.ne.jp/midorishako/e/d4a9339ae32e94cf6c34a0035e6a54aa

下の家系図から、松平信孝(三木)を探してください。7代清康の弟です。

清康は「守山崩れ」で亡くなった後、その子広忠に付いていましたが、広忠の家臣や、そのバックにいる今川義元に嫌われたため、広忠と敵対するようになり、織田に付いたのです。

そのため、岡崎城にそなえて1543年(天文12年)に築いたのが、この山崎城です。

航空写真です。

下の古図と見比べてください。

山崎神明社の北の堀の西半分が残っています。その北東の曲輪に日長神社があります。

今の神明社の数倍の敷地があったと思われます。

神明社の社誌です。

社殿のすぐ裏が土塁です。

土塁が続いています。

深い堀が見えます。

堀に下りてみました。

昭和の工事により、堀を石垣で補強してあります。

石垣は社殿の裏のみです。

1960年代には、まだ土塁がまるまる残っていました。

説明です。

さらに新しい説明です。

動画をご覧ください。

No.203_城跡巡り 山崎城址(愛知県安城市)


⑥保科正直邸址

保科正直については、まずこの動画をご覧ください。

保科正直 武田、北条、徳川と渡り歩き、生き延びた勇将

こうやって見ると、それなりに活躍した人ですね。

正法寺です。ここに保科正直の屋敷がありました。

土塀です。

 

短い動画です。

【保科正直邸址】(正法寺)安城市指定史跡 安城市山崎町大手82


⑦富士塚

『岡崎領主古記』(江戸時代)によると安城城付近には安城畷(安祥縄手)合戦の戦死者を弔った十三塚があったとされています。
 その中で、最大のものが富士塚です。富士塚は安城城から北北西約800mにあり、天文9年(1540)6月6日の安城城落城時の合戦で戦死した者の塚とされています。

区画整理のためか、前半分が切れています。中かから何が見つかったのかが気になります。

左側の説明部分です。

短い動画です。

【富士塚】安城コロナワールドの南にある古戦場

安城市は、歴史の史跡整備にとても力を入れていると感じました。

そして、そのパンフレット類もとても充実しています。

第2回で紹介した安祥城のほか、以下の資料が簡単に手に入ります。

今回でこのシリーズもおしまいです。

今回も、新しい発見をさせていただいた七種英康先生アシスタントの則竹さん、そして一緒に学ぶ皆さんに感謝申し上げます。

安祥城周辺-1- -第2回- -第3回- -第4回- -第5回-


このブログでの他のシリーズは・・・

ベトナム・ホーチミン みてある記 -1-  タイ・バンコク 見てある記-1-  シェムリアップみてある記 -1-  香港に来ています  台湾レポート-1-  平成25年度北方四島交流訪問事業 -古釜布湾-  函館 京都散策  さわやか中欧 見てある記 -1-   美濃 見てある記 -1-  東京散策 みちのく三陸海岸 見てある記-1- 滋賀探訪 新城FWに参加しました-1- 碧南FWへ行ってきました -1- 安城へ行ってきました1 -本證寺- 「勝鬘寺と大久保氏ゆかりの上和田城址」(岡崎市)-1- 北陸探訪 -1- 剱神社 近江FW  長久手FWへ行ってきました -1- 遠州FW -1- 小牧FW -1- 末森城周辺FW-1- 「宮宿」-1- 大野城・大草城-1- 「鳴海宿」-1- 富士周辺五名城と諏訪の旅-1-  犬山城周辺 -1- 近江FWⅡ 安祥城周辺-1- 堀川七橋めぐり-1-

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