「大岡裁き」の法意識 西洋法と日本人/青木人志 著
一気に読むことができました。
つまるところ、「日本では法が好かれない。」ということです。
第1章では、明治時代の法学者・穂積陳重の写真6枚を時代順に並べて比較し、そこから明治以降の日本法(学)の歩みを整理しているのは斬新です。
次のように分けています。
(1) 江戸時代から連続する古い日本法に支配されていた時期
(2) それを全面否定し極端な西洋法信奉に傾いた時期
(3) 西洋法を摂取しつつも日本的修正を加えようとした時期
(4) 外見上の西洋法化を一応完成した時期
第2章では、日本が影響を受けた外国法について説明しています。
(1) フランス法の影響
(2) イギリス法の影響
(3) ドイツ法の影響
(4) アメリカ法の影響
第3章では、法廷見取り図から入り、裁判観に迫っていきます。
特に驚いたのは、ヨーロッパで「権利」を表す語が、「正」「直」さらには「法」という意味を含んでいることです。
今の日本語でいう「権利」とはまるで異なります。
むしろ、「規律」「規範」に近いでしょう。
そうなのです。
近年増えつつある「権利主張」が「規範主張」だったなら、日本のモラルはここまで堕ちていないでしょう。
「権利」と「義務」は対するセットで語られますが、「規律・規範」と「義務」は同じ方向性を示す言葉です。
もう一つ。
今でいう司法試験の合格率にも驚きました。
明治12年には、163人中149人が合格しています。筆者は「粗製濫造」と揶揄しています。
第4章では、日本人の法意識を問題にしています。
次の野田良之氏の言葉が端的に語っています。
「一般の日本人は、法は国家がその意思を人民に強制するための道具であると考え、法と刑罰は同義であると捉える。日本人にとって法は嫌なものであり、なるべくなら距離をおきたいものである。法に訴えることがなく、かつ法によって訴えられることもないというのが、立派な人の正常なふるまいである。誰かを裁判に訴えることは、それが民事事件であったとしても、善き市民にとっては恥である。この「恥」という観念は日本文明を支える要石である。つまるところ、日本では法が好かれないのである・・・。」P137
わかります。
2つの裁判の事例や、それに対する新聞報道から、日本人は法が好きでないことを説明しています。
今、何かあるとすぐに訴訟を起こしますが、それに対してほとんどの日本人は眉をひそめています。
話し合いで解決してきた日本人、法で解決してきた欧米。
はたして、どちらが進んでいるのでしょうか?
この本を読んで、ますますわからなくなってきました。
江戸時代は確かに法は未整備でしたが、社会としては、欧米より成熟していたのでは?といったら言い過ぎでしょうか。
題名に惹かれて読みましたが、大岡裁きについて書かれているのは P163~P171 だけ。
素直に『西洋法と日本人』とした方が内容としてはわかりやすかったかも。
以下は目次です。
序章 法文化改革の試みとしての司法制度改革
司法制度第三の改革/法科大学院と裁判員制度の意味/法と「この国のかたち」/日本人の法意識は変わったか/自己と法を見つめなおす
第一章 穂積陳重の外見の変遷と日本法の歩み
穂積陳重と明治法制史/大学南校貢進生のスナップ/激動の時代の司法エリートたち/法学の名門穂積一族/法律を愛した親子/マゲから蝶ネクタイへ/自信たっぷり西洋紳士への変身/現れる帝国主義と愛国心 ほか
第二章 日本人は西洋法とどう向き合ってきたか
西洋法継受のはじまり/「法律は開化に伴うて進む」/西洋列強への対抗心/不平等条約の影/四つの外国法/(1)フランス法の影響/(2)イギリス法の影響/(3)ドイツ法の影響/(4)アメリカ法の影響 ほか
第三章 西洋法の継受と法文化の葛藤
法廷見取図の変遷と裁判観の歴史/三つの法廷図/弁護士のいないお白州裁判/お白州の構造と身分序列/断獄廷――弾正台から検事へ/法廷の近代化――当事者主義へ/市井の賑わいが残る外国法廷/法受容の三つの段階/八雲の観察した日本人の法意識 ほか
第四章 日本人の法意識――大岡裁きと自己責任
法律と文化を考えた学者たち/野田良之氏の議論――日本では法が好かれない/民族メンタリティの三つの型/「感情的・非行動的・反応が遅い」日本人?/川島武宜氏の議論――法的社会行動と法意識/研究者のメンタリティの違い/二つの「隣人訴訟」/(1)預けた息子の死をめぐる判決の事案(津地裁)/(2)町内会の口げんか事件判決の事案(大阪地裁)/新聞が報道した「大岡裁き」 ほか
終章 法とどう向き合うか
西洋法が映し出すわたしたちの姿/西洋法の見落とされがちな側面/西洋法と日本文化
あとがき
一気に読むことができました。
つまるところ、「日本では法が好かれない。」ということです。
第1章では、明治時代の法学者・穂積陳重の写真6枚を時代順に並べて比較し、そこから明治以降の日本法(学)の歩みを整理しているのは斬新です。
次のように分けています。
(1) 江戸時代から連続する古い日本法に支配されていた時期
(2) それを全面否定し極端な西洋法信奉に傾いた時期
(3) 西洋法を摂取しつつも日本的修正を加えようとした時期
(4) 外見上の西洋法化を一応完成した時期
第2章では、日本が影響を受けた外国法について説明しています。
(1) フランス法の影響
(2) イギリス法の影響
(3) ドイツ法の影響
(4) アメリカ法の影響
第3章では、法廷見取り図から入り、裁判観に迫っていきます。
特に驚いたのは、ヨーロッパで「権利」を表す語が、「正」「直」さらには「法」という意味を含んでいることです。
今の日本語でいう「権利」とはまるで異なります。
むしろ、「規律」「規範」に近いでしょう。
そうなのです。
近年増えつつある「権利主張」が「規範主張」だったなら、日本のモラルはここまで堕ちていないでしょう。
「権利」と「義務」は対するセットで語られますが、「規律・規範」と「義務」は同じ方向性を示す言葉です。
もう一つ。
今でいう司法試験の合格率にも驚きました。
明治12年には、163人中149人が合格しています。筆者は「粗製濫造」と揶揄しています。
第4章では、日本人の法意識を問題にしています。
次の野田良之氏の言葉が端的に語っています。
「一般の日本人は、法は国家がその意思を人民に強制するための道具であると考え、法と刑罰は同義であると捉える。日本人にとって法は嫌なものであり、なるべくなら距離をおきたいものである。法に訴えることがなく、かつ法によって訴えられることもないというのが、立派な人の正常なふるまいである。誰かを裁判に訴えることは、それが民事事件であったとしても、善き市民にとっては恥である。この「恥」という観念は日本文明を支える要石である。つまるところ、日本では法が好かれないのである・・・。」P137
わかります。
2つの裁判の事例や、それに対する新聞報道から、日本人は法が好きでないことを説明しています。
今、何かあるとすぐに訴訟を起こしますが、それに対してほとんどの日本人は眉をひそめています。
話し合いで解決してきた日本人、法で解決してきた欧米。
はたして、どちらが進んでいるのでしょうか?
この本を読んで、ますますわからなくなってきました。
江戸時代は確かに法は未整備でしたが、社会としては、欧米より成熟していたのでは?といったら言い過ぎでしょうか。
題名に惹かれて読みましたが、大岡裁きについて書かれているのは P163~P171 だけ。
素直に『西洋法と日本人』とした方が内容としてはわかりやすかったかも。
以下は目次です。
序章 法文化改革の試みとしての司法制度改革
司法制度第三の改革/法科大学院と裁判員制度の意味/法と「この国のかたち」/日本人の法意識は変わったか/自己と法を見つめなおす
第一章 穂積陳重の外見の変遷と日本法の歩み
穂積陳重と明治法制史/大学南校貢進生のスナップ/激動の時代の司法エリートたち/法学の名門穂積一族/法律を愛した親子/マゲから蝶ネクタイへ/自信たっぷり西洋紳士への変身/現れる帝国主義と愛国心 ほか
第二章 日本人は西洋法とどう向き合ってきたか
西洋法継受のはじまり/「法律は開化に伴うて進む」/西洋列強への対抗心/不平等条約の影/四つの外国法/(1)フランス法の影響/(2)イギリス法の影響/(3)ドイツ法の影響/(4)アメリカ法の影響 ほか
第三章 西洋法の継受と法文化の葛藤
法廷見取図の変遷と裁判観の歴史/三つの法廷図/弁護士のいないお白州裁判/お白州の構造と身分序列/断獄廷――弾正台から検事へ/法廷の近代化――当事者主義へ/市井の賑わいが残る外国法廷/法受容の三つの段階/八雲の観察した日本人の法意識 ほか
第四章 日本人の法意識――大岡裁きと自己責任
法律と文化を考えた学者たち/野田良之氏の議論――日本では法が好かれない/民族メンタリティの三つの型/「感情的・非行動的・反応が遅い」日本人?/川島武宜氏の議論――法的社会行動と法意識/研究者のメンタリティの違い/二つの「隣人訴訟」/(1)預けた息子の死をめぐる判決の事案(津地裁)/(2)町内会の口げんか事件判決の事案(大阪地裁)/新聞が報道した「大岡裁き」 ほか
終章 法とどう向き合うか
西洋法が映し出すわたしたちの姿/西洋法の見落とされがちな側面/西洋法と日本文化
あとがき