学校では韓国は日本の植民地だったと教わりました。僕はそれに疑問を持っています。皆様はどのようにお考えでしょうか?
皆さんから色々回答ありますが、私は要点を:
この「植民地」という呼び名ですが、日本が韓国(というより朝鮮)でやったのは一般的に知る「植民地=支配してその地から搾取する;欧米式コロニー」ではなくて「併合・統治」でした。韓国(朝鮮)は日本の一部扱いとなった。だから日本は韓国(朝鮮)を”日本並みな国土と市民” にすべく、色々と社会の仕組みを変えてインフラへも投資しました。なので 経済的搾取型の ”植民地(コロニー)” ではない。 琉球が日本の沖縄、ハワイ島がアメリカの一部に成ったのと同じです。
確かに日本の歴史的文献に ”植民地” という呼び方してますが、正しい表現は「日本は朝鮮を併合し、統治していた」だと思います。
当時の日本は朝鮮から搾取するものは特になく、逆に日本は朝鮮に金掛けて投資してました。 それらが戦後全て棚ぼた式に韓国(朝鮮)は手に入れた。 併合・統治前の朝鮮と比べれば一目瞭然です:
まだ続きます。ぜひおよみください。
このどこをとらえて「搾取」とか、「苦しめた」というのでしょうか。
最初に断っておきますが、「朝鮮半島が植民地だったかどうか」は当事者側の立場によって感情的に変わるものである事は念頭に置いておくべきでしょう。
その上で、当時の状況を書いていきたいと思います。
まず、日清戦争勝利によって朝鮮半島は清国の冊封国(属国)から解放され、李氏朝鮮から大韓帝国へとなりました。独立国家として近代化するにあたり、イギリスから経済アドバイザーとして人員が送られます。
ところが、大韓帝国初代皇帝の高宗は今迄清国へ献上していた財を使って自らが贅を尽くす様になります。イギリスが「経済再生と近代化」を具申しても一向に取り組みません。
更には李氏朝鮮時代には人口の2割と言われた「両班(支配階級)」が大韓帝国では人口の5割になりました。これは「金で身分を買う」臣民が続出した為で、身分を買えなかった臣民の生活は更に困窮する事になります。
この様な状況にイギリスは匙を投げ、人員を引き上げます。代わりに大韓帝国の経済アドバイザーをする事になったのは「朝鮮半島を独立させた日本」でした。
日本は高宗を厳しく諌め、高宗の贅沢は多少マシになりました。皇帝が贅沢を控えたので両班も贅沢を控えざるを得ず、朝鮮臣民の生活は少しづつ改善されて朝鮮臣民の日本に対する感情は極めて好意的でした。
しかし、高宗にとっては日本が邪魔で仕方ありません。「自分達が中国文化を日本に教えてやった」というプライドが朝鮮人、特に朝鮮王族には強かった事もあるでしょう。高宗は日本に対抗する為に帝政ロシアに近付きます。
日本としては南下政策を掲げる帝政ロシアが勢力拡大する事は国防上大きな問題となります。朝鮮半島を「帝政ロシアとの緩衝地域」とする為に大韓帝国への干渉は次第に大きくなり、朝鮮臣民はそれを喜びました。
そんな中起こったのが「ハーグ密使事件」です。高宗の密使が欧州に「日本の干渉は不当である」と嘆願しようとしたのです。
しかし、欧州の反応は「日本の行為は正当である」というものでした。唯一帝政ロシアだけが高宗を支持したのです。
その様な経緯もあり「朝鮮半島の中立化」を巡って日露戦争は起こりました。朝鮮半島では「皇帝は帝政ロシアを、臣民は日本を応援する」形になりました。
戦争は日本の勝利で終わり、帝政ロシアの南下政策は頓挫する事になります。ところが、高宗は「自身の身分を保障する事を条件に帝政ロシアに国を譲る」事を画策します。
さすがに、この暴挙には側近達も怒ります。高宗は帝位から降ろされ、息子の純宗が即位しました。朝鮮臣民は帝室に失望し、日本への併合を望む様になります。
まだまだ続きますが、この通りだと思います。
ぜひ、原文をお読みください。
最後にこう述べて見えます。
ここで個人的な見解を述べれば「現在の韓国で行われている反日活動は韓国の国内問題から目を逸らす為のものであり、日本への不当な干渉である」と捉えています。
「韓国が国内問題に真摯に向き合い、日本への不当な干渉をやめる」事でしか日韓の将来は無いと考えます。
全く同感です。