やんやんブログ

ゲームって、なぜこう面白いのでしょう

潮流1

2008-01-13 23:02:17 | 思い出のゲーム
大昔、ゲームがまだ家庭に普及していない頃
となると、日本ではファミコン以前になります。
スペースインベーダーというゲームが登場した
のは1978年だそうです。私は当時まだまだ
子供。当然のことながらゲームセンターに
行った事はありません。ファミコンの登場は
その5年後1983年です。この5年間には
ゲーム&ウオッチなどがありましたが、やはり
今につながるゲームは、ゲームセンターで
培われたと思います。この辺りは、私も深い所は
分かりません。

ただゲームセンターも商売として、行われて
いるわけです。単純に考えれば、より多くの
コインを投入してもらった方が、お店は儲かり
ます。より多くコインを投入してもらうには
プレイヤーには、何度もゲームオーバーして
貰わなければなりません。そして何度も挑戦
してもらわなくてはなりません。
100円を一回入れただけで、2時間も3時間も
楽しまれては、お店の商売は上がったりです。
勿論、あまりにも難しすぎると、人気が低迷
することも考えられます。ゲームオーバーに
するなら簡単ですが、再挑戦してもらうのが
大変です。

当時のゲーム事情を推測すれば、そこに登場
する人たちは、単純に考えて3つの立場が
あったと思います。一方はゲームメーカー
一方はゲームセンターの店主、そして最後は
プレイヤーです。プレイヤーはげーむをする
時にお金を払うだけで、メーカーからゲーム
自体を買うことはありません。当然メーカーは
直接のお客さんである店主を向いて商売して
いたことでしょう。店主はお客の動向をつぶさに
見ながら、それをメーカー側に伝え、メーカーは
その意見を活かして、ゲーム作りを行っていたと
思います。

確かじゅげむで連載されていた、山崎浩さんの
漫画「ゲーム開発物語」の中で読んだと思うの
ですが、こういうお話がありました。
あるシューティングゲームでは、子供たちが
あえて敵を倒さず、弾を避け続け延々とゲームを
楽しむ遊び方をしていたそうです。これは困ったと
店主さんはメーカーに、修正を依頼します。
そこでメーカーは、ある一定時間を過ぎると
画面いっぱいの巨大な敵を出現させ、強制的に
ゲームオーバーに追い込む仕掛けを作ったそうです。
結果的には、これが上手くいったようですが
大昔ではこのように、難易度の調節にメーカーは
工夫を重ねていたようです。

つづく