深センまごころブログ(新)

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新 蘇州の詩 三編 その3

2015年02月22日 | 上海 日記

新しい朝が来る

気付くと日が暮れている

正月が過ぎ あっと言う間に四月が訪れる

五月になると「新鮮な気持ち」と「倦怠感」が交互に押し寄せ自己葛藤する

九月には月満ちる

十月には神様が島根県へ集合する

十二月、先生でさえも走る

 

はるになるとさくらなみきは桃色にいろどられる

はる、なのはなばたけはいちめん黄色のじゅうたんとなる

青いはるを、だれもがせいちょうのかていでけいけんする

 

花を求めてばかりの人がいる

自分の歩いた跡にしっかりと花を咲かせる人もいる

 

美人を見ると男はかっこつける

イケメンを見ると女はウットリする

 

ナンバーワンを男は望み

オンリーワンを女は望む

 

愛くるしい子供がいる

愛に苦しむ大人もいる

 

情けない気持ちになることがある

本当に悔しい時がある

しばしばある

最高の幸せを感じることも一生の間にほんの少しだけある

幸せは長続きしない

長く続いているが、見えなくなるだけなのかもしれない

 

燃えるような夕陽が沈んでいく

突き抜けるような青空を飽きもせず見上げ続け首が痛くなる人がいる

 

考え方が柔軟な人がいる

体は柔らかいが頭の固い人もいる

 

物分りの良い人がいる

物分りはとても良いが、物忘れもひどい人もいる

 

国際的平和賞を授与された人がいる

産まれたばかり第一声は「オギャー」である

数十万人を殺戮し逮捕された人がいる

産まれた時にはやはり無垢な声を発している

力点、作用点が折り重なり、人はつくられていく

 

「けしからんですよ」 コメンテーターはただ言い放つ

軍事評論家は 戦争が勃発するとテレビの仕事が増える

 

雨の日でもゴミを収集してまわる 髪の毛ボサボサの清掃局のおばさんがいる

雪の日に自宅前の雪掻きすらしないくせに

世直しを声高らかに叫ぶショートカットの人もいる

 

人が多く集まるとゴミが増えて困るが、

人が全くいないと過疎化が進み 町はやがて死んでいく

 

食堂でネズミを見かけると「ギャー」と言い、

浦安のレジャーランドでもっと大きなネズミを見かけると「キャー」と言う

 

合唱コンクールで「ドナドナ」を詩って 金賞を得たマダムがいる

金賞祝賀会でミディアムレアのステーキをおいしそうに食べるマダムもいる

 

行き交う雑踏の中で、自分一人だけが取り残されている様な錯覚に陥る人がいる

実は、遠くでひそかに応援してくれている人がいる

 

人類の永い歴史の中で巡り合えた人がいる

この広い宇宙、広い世界において天文学的な確率で巡り合えた人がいる

 

「生きるとは何ぞや」

「自分の存在意義とは・・・」

くよくよ考える人がいる

じっくり思いに耽る人もいる

そんな事を考えている暇すらなく、

生きていくためにくたくたになるまで働いている人もいる

 

多くの人が悲しみ、悩み、傷つき、もがき、彷徨い、葛藤し、

そして時々 素敵なことも起き、

私たち人類の歴史は脈々と受け継がれて行く

 

人は水から生まれ やがて土に還る

 

梅が咲き

桃が咲き

桜が咲く

 

どこか遠くの教室から卒業式の歌が聞こえてくる

張り詰めていた空気に優しい生命が蘇ってくる

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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新 蘇州の詩 三編 その2

2015年02月13日 | 上海 日記

王様がいる

大統領もいる

社長もいる

ヨッ 社長!もいる

 

ひげのアラブ人がいる

嘘をつくインド人もいれば、声の小さな中国人もいる

 

最初が肝心という部長がいる

終わりが大切という課長もいる

 

「急がば回れ」が口癖の猪突猛進な部長がいる

「~すべき」を連呼する何もしない課長もいる

 

「今日は無礼講で・・・」 鵜呑みにする若手社員がいる

「あとは臨機応変に・・・」 こんないい加減な言葉で締めくくられる会議もある

 

社長派

会長派

狭い会社内でもこの有り様

世界平和などあり得ない

 

セビルロウで仕立てたバリッとしたスーツを着こなしている取締役がいる

スーパーマーケットで買った二着で9800円のスーツを8年間も着続けている

副担当次長代理補佐という微妙なポジションの人もいる

 

AさんはBさんを悪く言い

BさんはAさんを悪く言う

 

「ここだけの話」は決してここだけで話されているわけではない

噂話 悪口は驚くべきスピードで世界を一周する

一方で、真理は遅々として一向に誰にも伝わらない

そもそも真理がどこにあるのかさえも誰も知らない

 

「自分なんか大したことないです」 謙虚に言いながら

「そんなことはないよ、お前はすごい奴だ」と慰めの言葉を

期待している人がいる

 

こんなにまじめにやっているのに!と文句をぶちまける人がいる

もっとまじめに生きている人もいる

 

自分のことはわかって欲しい

他人のことはなかなか理解しようとしない

 

駒のように使われる兵隊さんがいる

駒のように使われる兵隊さんのようなサラリーマンもいる

 

当たり前のことを当たり前のように続ける人がいる

実は意外と難しいものである

 

すべての人には与えられた役割がある

多くのプレーヤーは精一杯のパフォーマンスをしようと努力している

 

モクモクと自分の役目を果たす人がいる

権利だけを主張し義務を果たさない人もいる

 

同じ失敗を繰り返す人がいる

失敗を成功の糧にできる人がいる

 

失敗を恐れて何もせず、人の失敗を見て鼻で笑うだけの人もいる

失敗すると「先生が悪い」「あいつが悪い」と自分以外に原因を求め、

いつまでもウダウダと引きづる人もいる

 

壁にぶつかってあきらめる人がいる

勢いで壁を乗り越える人がいる

力で壁をぶち壊して進んでいく人がいる

よく見ると高い壁の横に抜け道があることを冷静に発見する人もいる

 

時には張り切ることが必要かも知れない

時には割り切ることも必要かも知れない

 

仕事をすればお金は少しずつ貯まり、

仕事をしないと浪費しなくてもお金は結構な勢いで無くなっていく

 

朝の湖のように穏やかな気持ちの日もあれば、

波立つような気持ちになる時もある

 

川の水は低い方 低い方へとトウトウと流れる

人もまた低い方へ流され、とうとうどうしようもなくなる

 

酒を飲む人がいる

酒に飲まれる人もいる

 

オフィスのライトが消える

北斗七星は輝き、月は優しく見つめ やがて空は白み始める

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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新 蘇州の詩 三編 その1

2015年02月08日 | 上海 日記
さむい
昨日は寒かった

今朝もこごえるように寒い
明日も間違いなく寒い

外は寒い
アパートへ戻ってきても寒い

布団に入ってからも しばらく寒い
ポッカロンはちっとも効きやしない

毎日さむい
寒い 寒い

道行く人は「寒いですね」と挨拶する
暑い日には「暑いですね」と挨拶する

寒い日には陽だまりを探し求める
暑い日には日陰を選んで歩く

冬になるとこたつを準備し、夏が近づくと扇風機を押入れから出す

冬には加湿し、夏には除湿する

夏になると太陽がサンサンと輝き、冬になると雪はシンシンと降り積もる
冬になると空気はピンッと張りつめ、夏になると陽炎がユラユラと立ちのぼる

寒い日には寒い戸外で、暑い日には暑い戸外で体を酷使している
ニッカポッカ労働者がいる
バランスを崩して 足場から滑り落ちて大怪我する人もいる

寒い日には暖かい室内で、暑い日には空調の効いた室内で
頭を酷使している白襟族がいる
時には、頭だけでなく心までも酷使してしまう人もいる
心のバランスを崩し、命までも落とす人もいる

日照り続きで、飲む水さえ手に入らない人がいる
大雨で家を流され、家族を失った人もいる
多少の雨でブツブツと文句を言う人もいる

「踏んだり蹴ったりだ」と文句を言う人がいる
広い世の中、踏まれたり蹴られたりばかりの人もごまんといる

舗装された道路をただ歩く人がいる
道を切り拓く人がいる

苦労はするもの
人の苦労は労う(ねぎらう)もの
「私、あの時は大変だったんですよ」 その一言を発した途端
その人の「苦労」はとても軽い存在となる

都会の人は田舎暮らしに憧れ
田舎の人は都会暮らしに幻想を抱く

いつの時代も人はないものねだりをする
人は 「今 目の前にあるもの」「今の環境」に感謝することなく、
失ってから初めてそのありがたさに気づく

権力と金を手に入れた人がいる
権力と金を手に入れた途端、心のバランスを失った人がいる

過去の栄光にいつまでも浸っている人がいる
過去のしがらみを思いきって捨てた途端、
思いがけず道が開けることもある

新しいからニュースという
新しいから新聞という

新しいものはいつしか古くなる
未来はいつか現在となり やがて過去へと遠ざかる

新人は年月を経てベテランになる
鉄は錆び、木もいつかは朽ち果てる
尖っていた石はやがて丸くなる

悩み相談に乗ってくれる人がいる
悩みに対して最終的に判断し決断を下すのは他ならぬ自分自身である

明日無事に生きていられるという保証は誰にもない
だからあえて今日、自ら命を絶つ必要などまったく無い

生死は自然の摂理の為すがままに任せるしかない

あっちの道を行くとあっちへ行く
こっちの道を行くとこっちへ行く
自然の摂理に従わず、あっちの道でこっちに行こうとするから
あちこち彷徨う事となる

自分探しの旅で道に迷う人がいる
自分探しの旅で自分を失う人もいる
命までも失う人もいる

深く考えてもうまくいかないこともある
クヨクヨ考えないでとりあえず行動してみると
意外とうまくいくこともある

土曜の朝には、眼をキラキラさせた子供たちを乗せたセダンが東へ向かう
日曜の夕方には、スヤスヤ眠る子供たちを後部座席に乗せた、
疲れ切った顔のお父さんが運転するステーションワゴンが西へ向かう

赤信号で人は止まり、青信号で人はまた動き出す
人は動き続け、今 目の前の風景が再現されることは二度とない

太陽が西の空に沈むのを見て、物思いにふける瞬間、
はるか彼方の西の国ではようやく1日が始まろうとしている


























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