何才頃か覚えていないが、幼児期であろうか、家に誰かが来て庭で散髪されたのを覚えている。当時は家を回わる散髪屋があったのだろうか。もちろん、家は貧乏だし、母親に髪を切られた記憶もある。しかし、記憶とともに不安になる散髪シーンがある。父母に連れられて、最寄り駅の裏側にあったと思われる寂しげな散髪屋。そこに一人置かれて、どうも父母は買い物にいったらしい。私は、置き去りにされたような感じて今にも泣きそうで・・・散髪椅子の上に子供用の補助椅子、その上に座って不安で固まっている。分離不安が強い子供だった。
今日は朝から天気が良かった。心地良い季節。ぶらりと何処かへ行ってしまいたい気分が。
職場に着いて考えた。こんな天気の良い日に働く自分の馬鹿さかげんは何としたことか!しかし、少しして、ふと気付いた。
その馬鹿さかげんが自分と家族、そして、少しばかり自分と関わった人たちを支えていたことを。しかし・・・
明日も天気がよさそうだが、益々馬鹿になる自分がいるようで複雑な気持だ。
もちろん、馬と鹿の区別は出来ているのだがね。
家族の生活の質を落とさない為にと、そして、自分の幸せな老後の為と働き続けた今の中年の馬鹿さかげんのプラスとマイナス、これこそ先ず自分の心の中で総括しなくては。
職場に着いて考えた。こんな天気の良い日に働く自分の馬鹿さかげんは何としたことか!しかし、少しして、ふと気付いた。
その馬鹿さかげんが自分と家族、そして、少しばかり自分と関わった人たちを支えていたことを。しかし・・・
明日も天気がよさそうだが、益々馬鹿になる自分がいるようで複雑な気持だ。
もちろん、馬と鹿の区別は出来ているのだがね。
家族の生活の質を落とさない為にと、そして、自分の幸せな老後の為と働き続けた今の中年の馬鹿さかげんのプラスとマイナス、これこそ先ず自分の心の中で総括しなくては。