今日の産経の夕刊に「エンディングノート」の出版が相次ぎ、数万部売れていて、その草分けは平成8年にノンフィクション作家、井上治代さんの「遺言ノート」が草分けだとか。ノートを書くことで「死」をいったん味わうと、生きていることが有難く思えて充実した時を過ごせるとの意味のことが書かれてあり、プレゼントにもいいとか。本当にそうであろうか?エンディングノートに遺言なり、自分が嬉かったことや、辛かったこと、愛しい人々に対するメッセージを書いている間、そしてしばらくは「死」を意識して生きていることの実感が湧き充実感を味わえるかもしれない。しかし、日々の日常に埋もれる生活が数日続けば、どうであろうか?魔法は解けてしまうのではないかなと思ってしまう自分がいる。自己開発セミナーに入って人間が変わったような人がいた。1ヶ月後は以前の人格にもどっていた。そんな話を知人から聞いた。昔は、日常の中にいつも「死」が存在していた。隣家で葬式があり、「死」を隠すような社会システムはなかった。時間とともに、我々の生活感から「死」が遠のいていく。自殺が増えていることに平気でいられる神経。子供を「死」から遠ざけるような教育。果たして、「エンディングノート」は日常生活の中に「死」を忌み嫌うものではなくて、生を充実させるものとして機能するのであろうか?
「しかし、セシルは朝起きた時には聞けないですねえ」とマスターに言うと、レイ・ブライアントのLPが出てきた。「ベティー・カーター ミート レイ・ブライアント」である。レイ・ブライアントのピアノが、べティー・カーターのボーカルを引き立てている。ブライアントのピアノは都会的な匂いと軽さもあるが、ソウルの持つ独特の風土も感じて、なんだか洒落てるだけではない何かが魅力なんだろうな。友人のMちゃんを見て、マスターがレイ・ブライアントに似ていると言った。その時は笑ったね。確かに歳いってからのレイに似ているのだ、我が友人は!
仕事帰りに、例のジャズカフェAに寄ると、客はいなかった。コーヒを注文すると、おもむろにマスターが「聴きますか?」とLPアルバムを見せる。な、なんと!セシル・テイラーではないか。フリージャズの元祖様である。キースのソロアルバムをマスターと先日聴いていたためか、セシルの東京でのソロコンサートの録音盤である。1973年であった。マスターは「私はセシルを聴きに京都へ行きました」と。お主!やるなあ。山下洋輔を聴きに東京へ行った自分としては、山下に影響を与えたと言われるセシルは懐かしい。あらゆる音楽のもつ形式からの脱出であろうか。現代音楽とどこがちがうんですかね?等マスターと話をしながら聴く。解放と破壊である。その時代性にあっていたこともあるのかな。
ただ今、風呂上りで上半身裸です。体がなんとなくすべすべ。10歳は若くなったカナ。悲しくも老眼の為、風呂でボディーソープとシャンプーを間違い、体をDoveのシャンプーで洗ってしまった。最中も気がつかず、何故か洗いあがりが、つるつるして気持ち悪いなと思って、よく見るとボディーソープがシャンプーであった。そのまま湯船につかった状態で理解したので、仕方ないなあと、湯船の中で体中を手で洗いまくる。以前、クレアラシルの洗顔用で歯を磨いたことがある。あれはなかなかいけました!寝る前の失敗が明日に繋がらないようにしなければね。今夜は音楽なし。眠剤なしで寝てみようかな。おやすみなさい。
先日、友人が「一個人」という雑誌面白いよ、と教えてくれたので書店で立ち読みした。ごめん。本屋さん、出版社さん。40才からの男性の為のライフスタイルマガジンである。「自分の時間を愉しむ」ことをコンセプトにおいての編集である。内容も豊富過ぎて、好きな人は好きになるかな。情報が多すぎてうっとしく感じる人もいるかな。友人は、無人島、地下家、18きっぷ等が面白かったとメールしてきた。ライフスタイルというものは本来自分で作り出すものだと思うのだが、やはり誰かにヒントなり、ご指導をもらわなけっれば安心できないのですね。これからのライフスタイルを提示するということと、「自分の時間を愉しむ」ということの乖離についてはどうなのかな。40才からはお金も要ります。かかります。自分の時間を愉しむということは、子供に戻り愉しむということと思うけど、まだまだ子供に手がかかりますよね。ま~~子供と同じ視線で、子供と遊ぶことのできるお父さんはいてるけれど、余り遊びすぎのお父さんも心配だし。余り子供に関わりすぎると嫌われるしね。特に娘には。そんな中で凹まずやってほしいですね。中年のお父さん!がんばれ~~~~っ!
ニュースとして、何だか哀しいですねえ。偉大な兄貴が負担だったような気もするし、子供二人の不和、そして自分の離婚。まだまだ55歳だったとか。人生成り行きなれど哀し!名大関貴ノ花の名前は相撲界の歴史には残りますね。女性フアンも当時は多かったです。細い体でしぶとい相撲を見せてくれました。あの体で大関までいったのは、凄い気迫、気力があったからでしょう。しかし、癌には勝てずか。合掌。
帰宅して居間に入ると、長男夫婦がいる。ありゃ!なんだ?「休み?」「そうや」。これはこれは三連休かいな。かないませんなあ。職種が違うから仕方ないけど、若い長男の方が、中年のわたくしめより休みが多いのは、これは不条理ではないだろうか。長男が就職したときから、土曜は憂鬱だったのだ。休みで起きない長男を後にして、勤務に出かける!この情けなさよ。有休を「とらされる」と、よく休んでいるようで。これは何だか世の中矛盾しておりますなあ。歳とるほどに生活の質が良くなるはずなのに、おかしいな?あじゃぱー。
ジャズカフェAのマスターが、マイルスのプラウド・ニッケルでは、マイルスらしさがなく、ウエイン・ショーターのサックスの方がさえているんじゃないかと言う。そう言われると、トニー・ウイリアムムスのドラムスに遅れをとっているような気がした。少し前のE.S.Pそして、少し遅れての録音のマイルス・スマイルよりデキがわるいんじゃないかとの話であった。時期的には、マイルス・クインテットはモードジャズからフリーフォームの取り入れの時期と言われているから、マイルスに、かなりの気持ちの動揺があったのか、ハービー・ハンコック、ロン・カーター、トニー・ウイリアムス、ウエイン・ショーターの総合的な気合がマイルスの気合に勝っているのかなとか、色々とマスターと話題が絶えなかった。実際のところどうなのかな?アマチュアですから、分からず。残念。そろそろ寝る準備。久しぶりに、ユーミンでも聴きましょうか。眠剤はユーロジンで。
業界用語で「死に筋商品」という言葉があるらしい。消費者である僕にとっては「売れ筋商品」という言葉は聞きなれているが、「死に筋商品」とはびっくりくりくりである。聞いた時、その商品の行方はどうなるのかな?とか、つくった人とか、仕入れた人が「死に筋商品」という言葉を聞いた時どのような気持ちになるのかな?割り切りができるのかな?プロだから在庫は換金して資金を動かすのは当たり前だが、何だか複雑な気持ちだった。しかし、ユニークな命名ではある。そのうち、「死に筋社員」とか「死に筋会社」「死に筋老人」などの言葉が蔓延するかもしれないなあ。そのような陰謀が深く静かに仕組まれていないことを祈る。
日曜の午後、ジャズカフェAに顔だしすると、二組の男女がテーブル席に。思わず腰が引けてしまいカウンターの端に座ろうとすると、マスターがいつもの席にと言ってくれたので移動する。久しぶりの人出でAも活気づいて賑わうと嬉しい。秘密にしたい店だか、潰れてもらってもなー。新聞を見ると、オードリー・ヘップバーンが可愛かったローマの休日に出ていたエディ・アルバートが99才で亡くなられたとのこと。新聞記者のグレゴリー・ペックと行動して秘密に写真をとるカメラマン役をした俳優である。99才!100までいかず残念。合掌。