「アラー・ウッディーン・ハルジー」と言う人物をご存じだろうか?
私も昨年まで全く知らなかった(笑)
北インドを支配したデリー・スルタン朝の一つハルジー朝の
第3代スルターン(イスラム教の皇帝)である。(一説によると第2代)
在位は1296年から1316年でる。
私がこの人物を知ったのは映画「パドマワット」だ。
主人公パドマワットはラジャスターン州チットール国の
王ラタン・シンの妻パドミニーの事で絶世の美女だったらしく、
噂を聞きつけたアラーウッディーンが奪いに来る・・・
と言うくだりである。
1303年にこのチットール城を落城させたが、
パドミニーは自決したため、
その顔を拝む事は出来なかったらしい。
さて、アラー・ウッディーンは1192年に、
当時のスルタン:クトゥブッディーン・アイバクが着工した、
デリーにある世界遺産クトゥブ・ミナールを11倍の広さに拡張し、
1310年、南側にアラーイー・ダルワーザという入口を築いた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/c6/677a6ea1243e2b71d36bcb35a09d67b4.jpg)
そしてクトゥブ・ミナール(72.5m)の北側に
150mのアラーイー・ミナールを建てようとしたのだが、
建設途中で病死したため未完成である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/69/bba1debe329fd1fdd55ad7a89fd8de96.jpg)
アラーイー・ダルワーザの南東にアラーイー・マドラサと言う、
インド最古のイスラム神学校の跡地があり、
その中にアラー・ウッディーンの墓がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/42/8a2daaae4b9608ec91b4e21fab734bf7.jpg)
実はクトゥブ・ミナールには何回も行っていたのだが、
アラーイー・マドラサへは行った事がなかった。
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私も昨年まで全く知らなかった(笑)
北インドを支配したデリー・スルタン朝の一つハルジー朝の
第3代スルターン(イスラム教の皇帝)である。(一説によると第2代)
在位は1296年から1316年でる。
私がこの人物を知ったのは映画「パドマワット」だ。
主人公パドマワットはラジャスターン州チットール国の
王ラタン・シンの妻パドミニーの事で絶世の美女だったらしく、
噂を聞きつけたアラーウッディーンが奪いに来る・・・
と言うくだりである。
1303年にこのチットール城を落城させたが、
パドミニーは自決したため、
その顔を拝む事は出来なかったらしい。
さて、アラー・ウッディーンは1192年に、
当時のスルタン:クトゥブッディーン・アイバクが着工した、
デリーにある世界遺産クトゥブ・ミナールを11倍の広さに拡張し、
1310年、南側にアラーイー・ダルワーザという入口を築いた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/b6/827f0b12949689ac19dcdf4261e7da7e.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/c6/677a6ea1243e2b71d36bcb35a09d67b4.jpg)
そしてクトゥブ・ミナール(72.5m)の北側に
150mのアラーイー・ミナールを建てようとしたのだが、
建設途中で病死したため未完成である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/99/f2146699faa3f98ef04a76789c0fbeb9.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/69/bba1debe329fd1fdd55ad7a89fd8de96.jpg)
アラーイー・ダルワーザの南東にアラーイー・マドラサと言う、
インド最古のイスラム神学校の跡地があり、
その中にアラー・ウッディーンの墓がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/42/8a2daaae4b9608ec91b4e21fab734bf7.jpg)
実はクトゥブ・ミナールには何回も行っていたのだが、
アラーイー・マドラサへは行った事がなかった。
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