山口敏夫 政治家としての遺書 ―不死鳥日本神話の終焉 | |
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その昔・・・東京地方裁判所で裁判の傍聴をした事がある。
(突然思い出したのでアップしてみる・・・。)
初傍聴は、元代議士の山口敏夫氏。
2回目は、オウム真理教の井上嘉浩死刑囚である。
どちらも知名度が高かったため抽選となったが、
見事に当たった。
まず朝、裁判所へ行って傍聴券を求める列に並び整理券をもらう。
時間になると抽選が始まるので、整理券の番号順に並ぶ。
両方とも傍聴券の枚数より傍聴希望者の人数が上回ったため、
抽選となった。山口被告の時は、棒を引く方法だった。
私が引いた棒は、先が赤く塗ってあった。
当たりである。傍聴券をもらって一旦、解散し、
集合時間にまた来ればいいのだ。
山口敏夫、1940年埼玉県生まれ。
1967年衆議院埼玉2区で無所属で出馬し、
26歳で最年少初当選を果たす。その後、当選10回。
1984年、第2次中曽根内閣で労働大臣として初入閣。
経営破綻した東京協和信用組合、安全信用組合の元理事長らが
背任容疑で逮捕された事件。捜査の過程で、
政治家の親族の会社に不正な金が流れたことが判明し、
事件は政界に波及。
1995年、国会で山口敏夫元労相と中西啓介元防衛庁長官が証人喚問された。
その後、山口は背任罪や偽証罪などで逮捕、起訴され、
懲役3年6か月の実刑判決が確定した。
もうだいぶ昔の事なので記憶が曖昧なのだが、
初公判の流れはこんな感じだった。
開廷すると、裁判長がまず被告人の氏名を確認する。
そして本籍地・・・・どうしてか、山口氏は、本籍地を間違えた。
裁判長から○△□では、ありませんか?と聞かれ、言い直した。
TVや映画で見る裁判とは違い、初公判だった事もあり、
弁護士、検事がお互いの主張をやり取りし、
裁判長から「静粛に!」とか「意義を認めます。」
などと言う言葉が発せられる事は一度もなく、
淡々としたやり取りが続き眠くなったのは覚えている。
裁判は休憩が入ったり昼休みが入ったりして、
また再開されるのだが・・・・・ 退屈したので、
昼休みと共に引き上げてしまった。
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