2016年の作品、タイトルは「パパ」。
タルナ・カナグワルが監督で主演。
<ストーリー>
5歳の頃を思い出し父親(ヴィカス・シュリヴァスタブ)が自分に
どれだけの愛を持って育ててくれたか語る女性(タルナ・カナグワル)。
現在25歳の彼女は父親から離れ自立しているが、
成長の過程で父親とぶつかったり、叱られた事を回顧しながら、
語っていく。
監督で主演と言う事は、自身の思い出なのか?
フィクションなのか? だから何?と言う感じ・・・。
2016年の作品、タイトルは「パパ」。
タルナ・カナグワルが監督で主演。
<ストーリー>
5歳の頃を思い出し父親(ヴィカス・シュリヴァスタブ)が自分に
どれだけの愛を持って育ててくれたか語る女性(タルナ・カナグワル)。
現在25歳の彼女は父親から離れ自立しているが、
成長の過程で父親とぶつかったり、叱られた事を回顧しながら、
語っていく。
監督で主演と言う事は、自身の思い出なのか?
フィクションなのか? だから何?と言う感じ・・・。
2017年の作品、タイトルはヒンディー語で「幻影」。
<ストーリー>
車に乗った男4人が女性を誘拐し監禁する。夜になり、
外で物音がするたびに男たちは怯えて外に出て周囲を確認する。
犬であったり、風であったり、何かが倒れた音であったり・・。
何回目かに女性の前に見知らぬ男が現れる。女性は驚く。
物音がして4人が女性の元に戻ると何かの気配がして、
4人は外に出る。するとそのすきに女性は車を奪って逃走する。
女性は見知らぬ男に縛られている縄をほどかせ、
誘拐犯が落とした車の鍵を拾って逃走したのだった。
そう上手く車の鍵が落ちて、それを見つけて、拾えるとは、
思えないのだけど・・・。
女性が逃げてしまった事で4人は監禁場所に戻るが、
現れた見知らぬ男の姿に驚いて一目散に逃げる。
見知らぬ男もその後を追って逃げる。と・・・
監禁場所で亡霊が笑う。
誘拐犯たちは居るはずもない亡霊に怯え、
現れた男を亡霊だと思ってしまうが、最後に笑う
亡霊は・・・・本物か? 幻影か?
2016年の作品、タイトルはヒンディー語で「灯り」。
主人公の女性の名前でもある。
<ストーリー>
アカシュ(アカシュ・カプール)と妻ディーピカ(カシャヴィ・
カンチャン)は離婚を考えている。アカシュはディーピカに
時折かかってくる電話で浮気を疑っている。ディーピカも、
疑われている事には気づいており、仲睦まじかった頃をディーピカは
思い出し歩みよるが疑惑は深まるばかりだった。
ある日、アカシュが帰宅しチャイムを鳴らすがディーピカは、
迎えに出てこない。合鍵で中に入り室内を探すとディーピカは
床に倒れてこときれていた。そこに電話がかかって来る。
主治医と言う表示にアカシュは電話に出る。
ディーピカは自分が病に侵された事で結婚生活が続かないと
知っており、それをアカシュに隠していたのだった。
自分が病気だと知った時にそれを家族に話すかどうかである。
逆に家族が病気だと分かった時に本人に知らせるかどうか。
昔なら本人には知らせずと言う事もあったが、もうそう言う時代じゃ
ないしなぁ・・・。
私は知りたいなぁ。私に家族がいたら・・・
どちらの立場でも話しはするなぁ。
2016年の作品、タイトルは「赤い服の女」。
アビシェーク・チャッタルジーの小説「グッティ(よじれ)」に
基づいている。
ある作家とゴミ回収人と謎の女性の3人の物語。
<ストーリー>
作家の家にゴミ回収人がやって来る。男は回収したゴミをあさるため、
その家の秘密を知っていた。作家は回収人を観察する。
インドではその地区を担当するゴミ回収人(カースト)がおり、
一軒当たり一か月50~100Rs(約160円)程度で回収する。
基本的には毎朝、家に回収に来る。ゴミの中から換金できる物を
分別するため、プライバシーをも知る事になる。
階段ですれ違う女性が大金を渡し麻薬を買っていたのを見て、
作家は回収人からマリファナを買い家に招き入れ、
煙草を回し飲みしながら秘密を聞き出す。
作家はサプナと言う名前の女性を探していた。作家が回収人に
石膏で造られた女性の胸像を見せると、回収人は腰を抜かす。
ある時、回収人はある家のゴミ箱の中に謎めいたメモを発見し
それを手掛かりに女性の胸像を見つけ換金しようとしたが、
胸像は忽然と消えてしまっていたと話す。
このメモは英語で書かれていたが、ゴミ回収人は文字が
読めるはずがないと思った。学校に行っているとも思えず、
英語はおろかヒンディー語ですら読めないのでないだろうか?
それからゴム手袋を着用していたが、普通は素手である。
作家はサプナと出会い交際していたようで胸像はサプナが
創ったものだった。サプナは殺されているようで、作家は
その犯人を捜していた。作家は気を失って倒れる・・・。
サプナを殺したのはゴミ回収人で、それを知られたので、
作家を殺そうとしたのだ。高笑いする回収人。
ゴミ回収人は本物の回収人ではなく(英語を読めたので)、
自分をサプナを殺した犯人だと知った作家を殺すために、
回収人を装って近づいたのだと思われる。
2017年の作品、タイトルは主人公の女性の名前。
シヤの人生に焦点を当て、約20年毎に3つの場面を
つなぎ合わせている。ただ、これと言って特別な女性の人生でもなく
だから何?と言う感じは否めない。
<ストーリー>
1984年、インドの叙事詩「ラーマーヤナ」を舞台で演じる子供達。
恐らくシーター役の女の子がシヤのようだ。
1996年、母親と電話で話すシヤ。結婚したばかりの様子だが、
夫と口論となる。「ラーマーヤナ」の舞台の場面が挿入される。
2016年、映像電話で会話するシヤとその息子。周囲の風景を
シヤが映して見せると、家に帰ると話す息子。
1984年にシヤが5歳くらい(子役)だったとして、
1996年の若々しいシヤが27歳、2016年には47歳
であるが、どう見ても20年経ったとは感じられず・・・
同じシヤに見えてしまった。
2018年の短編映画、タイトルは主人公の女性の名前。
短編と言っても50分ほどあるのだが・・・。
酷い・・・このアマゾンプライムの日本語訳が・・・
最初はヒンディー語の直訳っぽかったので、
日本語が少しわかるインド人の翻訳かと思った。
でもヒンディー語すら聞き取れていない所もあり、
日本語がカタコトすぎる訳の所も多かった。
日本語字幕がないよりあった方がいいのか???
それにしても・・・アマゾンがこれでいいのか?
<ストーリー>
ハリヤンヴィと言う村で5人兄弟が悪だくみをしている。
シーンは変わって荒野を車が走っている。後部座席に男女、
助手席に男性。と、突然、運転手が狙撃されてしまう。
助手席の男が車を止めて運転手を車外に引きずり出す。
恐怖におののく女性パンチャリ。運転手はまだ息がある。
助手席にいた男の元に悪だくみをしていた兄弟が駆けつけ、
運転手ともう一人の男を射殺しパンチャリを連れ去る。
ここでようやくタイトルバック。
兄弟達はパンチャリを自宅に連れ帰り監禁する。長兄は女性に
手出しをしないよう兄弟達に告げるが手籠めにしてしまう。
翌朝、母親がそれに気づきパンチャリを嫁として迎え、
兄弟で共有するように告げる。
パンチャリは逃げ出そうとしたところを長兄に見つかり、
このまま平和に家にとどまるか、逃げて殺されるのを選ぶか?
と問われ一旦、留まる事を選んだが、下の4人それぞれに
上手く取り入って争い事をおこそうとする。
結末として、たらし込まれた兄弟間で殺し合いが起き、
兄弟達は撃ち合って死んでしまう。母親は悲しむが、
女パンチャリは母親に兄弟達を獣にしたのはあなただと告げる。
テーマが古い。50年くらい昔の古い映画を観ているような
そんな気分になった。なんでまた、これを創ったのか?
と思った。
2019年の作品、タイトルは「写真」。 邦題のサブタイトルが、
あなたが私を見つけた日である。インドの観光地では観光客相手に、
記念撮影をしてプリントしてくれる人々がいる。まぁ日本にもいるが。
かっこよく言えばストリート・フォトグラファーらしい。
<ストーリー>
マハラシュトラ州の州都ムンバイ、ラフィ(ナワズッディーン・
シディーキ)が)インド門で観光客相手に写真を撮っている。
一方、ミローニ(サンニャ・マルホトラ)は家族と買い物した帰り道、
インド門でラフィに写真撮影はどうか?と声をかけられるが、
撮影の後、姉に呼ばれ支払いをせずに去ってしまう。
ラフィは父親の借金返済のためにムンバイに出稼ぎに来ており、
稼ぎの全部を送金する。祖母には結婚相手が見つかったと嘘をつき
ミローニ(イスラム教徒の名前ヌーリーと偽り)の写真を送る。
喜んだ祖母はヌーリーに会うために夜行列車で来る事になるが、
どこの誰かも知らないラフィは困り果てる。ある日、バスの中から
ミローニの看板を見つける。ミローニはある経営塾の首席だったため、
その塾の看板に出ていたのだった。
インドでは良くある事で、優秀な生徒を写真入りで実名で、
看板や新聞広告に紹介し自校の宣伝の為にも活用する。
ラフィは塾の前で張り込むが、ミローニはラフィを探して
インド門にいた。そしてついにバスの中で再会する。
ラフィは祖母の事を話し協力を求める。簡単な打合せの後、
二人は祖母に会いミローニは作り話を語り気に入られてしまう。
ミローニはヒンドゥー教徒なので、イスラム教徒のふりをする
するのは難しい。他の宗教の事は知らないので言えないのである。
また二人の年齢差18歳だし、観光写真家と会計士を目指す才女
と言う組み合わせも通常では考えられない。
ミローニが帰宅すると、両親が縁談を持って来ていた。ミローニは
相手に会うが断る。ラフィの祖母がいる間、毎日に様にラフィは
ミローニを迎えに来て祖母との時間をもつ。ラフィはミローニが
今はなき「カンパ・コーラ」が好きな事を知り、探し求める。
カンパ・コーラはその昔、コカ・コーラに対抗してインドで
作られていたが2000年頃、製造中止となった。デリーに
会社跡地があるので行った事がある。
ミローニはラフィの人柄を知るにつれて惹かれて行く。ある日、
祖母がラフィに話しかける、全てお見通しであると。芝居は
バレていたのだった。
ラフィはついにカンパ・コーラを自分で作っているという人を
探し当て、ミローニの為に1本だけ特別に作ってもらう。
劇場、映画の途中でミローニが席を立ちラフィが後を追う。
映画はここで終わる。
全編を通してラフィは借金を残して死んだ父親の返済をするために、
働き、姉二人を結婚(持参金などあり)させた、貧しいながらも
真面目な男として描かれていた。祖母を悲しませない為に仕方なく
嘘をつき、ミローニを巻き込んでしまった事に心を痛めている。
ミローニは若く聡明であるが、自分の置かれた立場に胡坐をかかず、
貧しい村の出身であるメイドさんやラフィを見下す事もなく、
頼まれた芝居を感情の起伏なく演じている。
もうインド映画ではイヤと言うほどに使われつくされた展開、
恋人同士の芝居から本気になるパターン・・・・。そして異教徒、
格差(女性が裕福で男性が貧乏)のある恋愛。ただ少し違うのは、
芝居を演じて心を通わせるのであるが、二人のキャラクターもあり、
熱情にうなされる所なく、決して結ばれる事はない事を、
大人として理解し距離を保っている。
「SIR(あなたの名前を呼べたなら)」に近いが、そこまで
感情は燃え上がっていない。
観ていて嫌な気持ちになる事はなく、それでいて物足らない感じも
しない。穏やかな作品だった。祖母のキャラクターも良く、
ラフィと同居の男達も良く、自殺したティワリ(何故か上位の
カースト)の話も上手くストーリーに絡まっていた。
2012年のテルグ語映画だがタイトルはヒンディー語で「蝿」。
テルグ語の現代は「エーガ」。蝿の敵討ちである。
<ストーリー>
ある夜、女の子が眠りについた父親にお話しを聞かせてほしいとせがむ。
その様子が蝿のように煩かったため、父親は蝿の話をする事にする。
「むか~し、むかしある街に一匹の蝿が住んでいた。
蝿と一緒に悪い男も住んでいた。」
「男の名前はなんて言うの?」
「スディープだ。」
場面は変わってスディープ(スディープ)が射撃の練習をしている。
すると隣のレンジで美女が練習を始める。スディープは美女に近づき、
身体を密着して教え始める。(この美女が商売相手の妻であった。)
スディープが商談をまとめるため上手くたらし込んだのだった。
スディープは自分の魅力にひれ伏さない女性はいないと豪語する。
またまた場面は変わる。ある夜、ビンドゥ(サマンタ・アッキネニ)は、
作業中に停電になって困っていた。向かいに住むジャニ(ジャニ)は、
そんな様子をみてビンドゥを助ける。
ジャニは2年間もビンドゥに片思いしてつきまとっていたが、
全く見向きもされていなかった。
ある日、スディープの会社がビンドゥのNGOに寄付する事になり、
ビンドゥはスディープに会いに行く。スディープはビンドゥを見初め
150万Rs(約240万円)もの大金を寄付し顧問になる。
スディープはビンドゥを誘うがそこに現れたジャニをビンドゥの
恋人だと思い込み殺そうとする。ジャニの想いがようやく
ビンドゥに伝わった時、ジャニは誘拐されスディープに
殺されてしまう。その時ビンドゥから「愛している」と言う
メッセージが届きジャニは死ぬが魂が蝿の卵に落ちる。
10日後、一匹の蝿が羽化した。蝿は様々な困難を乗り越えて
スディープの家にたどり着きアイスティーの中に落ちる。
蝿は自分がジャニでありスディープに殺された事を思い出し、
スディープに向かって行くが無力であった。
蝿はビンドゥの家に行きアピールするが気づかれるはずもなかった。
ビンドゥは死んだジャニを必死で忘れようとしていた。
スディープはそんなビンドゥに近づき自分のものにしようと
していたが、蝿は二人の間に現れて邪魔する。
スディープがビンドゥとデリーに行く事になったが、
蝿が邪魔をしてスディープの車を事故らせてしまう。
そして窓ガラスに「お前を殺す」と文字を書く。
スディープは軽傷だったが、蝿が復讐に来たと思い、
その手には殺虫剤が握られていた。ビンドゥが蝿に殺虫剤を
噴射した際、ジャニに贈ろうとしたネックレスが切れる。
ビンドゥは何かを察知する。蝿はビンドゥの家に行き、
自分がジャニであり、スディープに殺されたと告げる。
ジャニとビンドゥはスディープを殺すために協力するが、
なかなか上手くいかない。スディープは今や蝿を退治する事で
頭の中がいっぱいになり大事な商談で相手を怒らせてしまい、
国税局に密告されてしまう。裏金が見つかると思ったスディープは、
金庫を開けようとするが、蝿が妨害して大金を燃やしてしまう。
スディープが祈祷師の所に行くと、そこはジャニを殺した場所だった。
スディープは蝿がジャニである事を知る。祈祷師は二羽の鳥を操り、
蝿を退治しようとするが、蝿は防犯装置を操りスディープを
閉じ込めてしまう。何とか助かったスディープは防犯カメラを見て、
蝿を家の中に入れたのがビンドゥだと言う事を突き止める。
そしてビンドゥを自宅に呼び、囮にして蠅をおびき寄せる。
蝿はスディープと対決し採取的には自分を犠牲にしてスディープ
もろとも自宅を爆発させる。ビンドゥの前にハラハラと蝿の羽が
落ちてくるとビンドゥはそれをお守りにする。
数日後・・・ビンドゥの前にナンパ師が現れると、どこからともなく
蝿が現れてビンドゥを守る。
馬鹿馬鹿しいと思っていたのだが、馬鹿馬鹿しさの中にも
面白さがあった。蝿に翻弄されるスディープ、蝿とビンドゥの
やり取りも面白かった。まぁ観てもいいかなぁと思う。
2011年のドイツとインドの合作、ヨーガの起源に興味を持った
ドイツ人監督が南インドを訪れ、近代ヨガの父と呼ばれる
T・クリシュナマチャリアの軌跡をたどったドキュメンタリー。
原作のタイトルは「Breath of Gods」サブタイトルは、
「A Journey to tha Origins Modern Yoga 」。
ヨーガの師(グル)はたくさんいるのだが、初めて聞いた名前・・・。
ティルマライ・クリシュナマチャリヤ(1888~1989年)。
現代ハタ・ヨーガをベースに西洋式体操を取り入れてアレンジした。
共感する師の言葉を見つけた。「人がヨーガに合わせるのではなく、
ヨーガを人に合わせること。」インド人には珍しい考え方だ。
私が今までに出会ったインド人の先生(普通にクラスを指導する人)は、
一概に自分のやり方の生徒を合わせようとしたり、みな同じように
やらせようとする人が多かった。
私は人間はそれぞれ体型も違えば骨格も筋力も違うので、
その人に合わせたヨーガがあるべきだと思っている。人によっては
いとも簡単にできるアーサナ(ポーズ)もあれば、なかなか出来ない
難しいアーサナもあるわけである。
<ストーリー>
現代ヨーガのルーツを探るためドイツ人監督ヤン・ シュミット・ガレが
南インドのムチュクンテ村を訪れる。
ティルマライ・クリシュナマチャリヤ師の鍛錬を映した白黒の古い映像が
流れる。1930年代に現代ヨーガの基盤を作った人物であるとの紹介。
カルナータカ州マイソールで師の弟子たちを取材しする。弟子によると
師はヨーガを知るためにヤシの葉にサンスクリット語で書かれた、
古代文献を読み理解し弟子に伝えていたそうだ。
マハラシュトラ州プネに師の指示で道場を開いたアイアンガーがいる。
師は気性が荒く(ヨーガの師なのに!?)指示通りに実践できない
アイアンガーに興味を失ったためアイアンガーは独自の方法で、
正しいアーサナを実践できるようブロックやボルスター、ロープや
チューブなどの補助器具を用いた指導を行ったそうだ。
アイアンガーの姉が師の妻だったため、師は身内のアイアンガーには、
他の弟子たちとは違って厳しかった。そのためアイアンガーは怪我をし、
怪我によって学び、師の元を離れてプネに来た時は嬉しかったそうだ。
アイアンガーは自分の心と身体と対話し独自の方法を編み出した。
監督は師の弟子や子供達の情報を得て、それぞれに話を聞きに行く。
当時のヨーガは魂の追求であったが今はいろいろな利益が絡んでいる。
同感である、私はヨーガはお金を得るための道具ではない、
と思っているのでインストラクターには興味がないのである。
いつの間にかヨーガはビジネスになってしまった。
古代文献にあったヨーガを動きが早く、ヴィンヤサ(ポーズをつなげて
行う)スタイルに変えたのもクリシュナマチャリヤ師であった。
スーリヤ・ナマスカーラ(太陽礼拝)もヴィンヤサである。
マイソールのマハラジャ・サンスクリット大学での
師の三男によるヨーガの教義風景。
アシュタンガ・ヨーガの考え方は、まず身体を制御する。身体を制御
できるようになると次に心も制御できるようになる。
流派によって考え方も違い、アーサナのアプローチの仕方も異なる。
自分に合ったヨーガに出会うまでいろいろ試してみれば良い。
指導者も同じで自分に合う合わないはある。
1947年インド独立後、クリシュナマチャリヤの道場は資金難のため、
閉鎖に追い込まれたが、チェンナイに住むプラサードと言う人の要請で、
師はチェンナイに呼ばれそこでヨーガを実践し広めた。ヨーガの効能は
1,健康な身体づくり、2,健全な精神、3,集中力の取得であると。
この頃、大学の授業に取り入れられた。この頃から師の教えは、
アイアンガーのスタイルに近づいていた。
ヨーガの起源はどこにあるのか? 師の三男が監督を小さな寺院に
案内しそこでナラシンハ神が座って呼吸をする絵を指し、それが
神が最初にとったポーズであると説明する。
監督はヨーガの起源を知ろうとしたが得られなかった。しかし、
ヨーガとは・・・呼吸に合わせてアーサナを集中して行う事である。
と言う根本的であり大切である事を学んだ。
私はヨーガとは、その人が望んでいる物にしかならないと思っている。
美容体操だと思って取り組めば、美容体操にしかならない。
ストレッチだと思えば、ストレッチに。ファッションだと思えば、
ファッションに。しかしもっと崇高な次元を望めば、いつかそれを
手に入れる事ができる、そう思う。
ヨーガとはヒンディー語で「結ぶ」と言う意味である。
心と身体を、地球と宇宙を、私と神を、そして私とあなたを・・・。
2013年の作品。ムンバイのホーリー・ファミリー・スクールに
通う4年生の少年スタンリーとクラスメイト対ヴァルマ先生の対決を
中心に描いたストーリーだが、その裏に児童労働があった事も
見逃してはならない。
食い意地のはった教師役で出演しているアルマール・グプテ監督の
デビュー作。自然な表情を撮るために子供達に映画の撮影と知らせず、
1年半に渡りワークショップとして週一回子供達を集めて編集した作品。
オープニングに5分近いアニメーションがあるにだが、
私的には早く本編を開始して欲しかった。
<ストーリー>
スタンリー(パルソー)が校門を入って来てイエス・キリストと
聖母マリア像に手を合わせるシーンから始まる。
スタンリーの顔は晴れて汚れている事を先生に注意される。
彼はお弁当を持ってくる事が出来ず、
昼食時にはクラスを抜け出し水を飲んで空腹を紛らわせていた。
弁当を持たない教師のヴァルマ(アルマール・グプテ)は、
友人から食事を分けてもらうスタンリーを咎めて横取りしていた。
スタンリーはクラスの人気者で英語教師のロージー(ディヴィヤ・
ダット)に憧れていた。ロージーもスタンリーの詩を褒める。
クリスマスの前日、スタンリーは灯台の模型を作りロージーには
絶賛されるが、科学教師のアイヤル(ディヴィヤ・ジャグダレ)には、
テーマに沿っていないと叱られてしまう。
クリスマス休暇の後、補習が行われるため生徒はいつもより大きな弁当を
持って来ると、それをあてにしていたヴァルマは大喜び。しかし、
スタンリーが食べてしまった事に腹を立てる。翌日からスタンリーは、
家に帰って食べると嘘をつき教室から出て行く。
後をつけたクラスメイトはスタンリーが歩き回っているのを見る。
翌日、理由を聞かれたスタンリーは両親がデリーに行ってしまい、
食事を作る人がいなくなった事を打ち明ける。クラスメートは、
ヴァルマに言い訳をしてスタンリーの為に弁当をわけるようになる。
新任の歴史教師ズーチー(ラジェンドラナート・ズーチー)が赴任し、
ヴァルマに弁当を分けてやるようになる。生徒たちは協力して、
ヴァルマに見つからないように食事の場所を変え続ける。
馬鹿にされたヴァルマはステンリーに「弁当を持たない奴は学校に
来るな。」と告げスタンリーは学校から出て行く。自分を棚に上げて。
スタンリーは学校に来なくなった。
支援協会主催のコンサートが行われる事になり歌の上手な生徒を
参加させる事になるが、一番上手いスタンリーがいないので、
クラスメイトはスタンリーを探しコンサートの場所を伝える。
スタンリーは支援協会へ行き独りで準備を始め特別に出演を許可される。
結婚休暇を終えたロージーが学校に戻って来て経緯を聞き、
ヴァルマに意見するとヴァルマも反省する。
スタンリーはコンサートで活躍し学校の先生たち観客を魅了する。
校長に送られたスタンリーは定食屋に入って行くが店主に叱られ
殴られてしまう。スタンリーの両親は交通事故で亡くなり叔父に
引き取られたが店で使われていたのだった、
コックのアクラムがスタンリーのために残り物で弁当を作ってくれる。
翌日、スタンリーは弁当を持って学校に行き、母親が4時起きで作って
くれたと嘘をつきクラスメイトや先生、職員にふるまい絶賛される。
エンドロール、インドでは1200万人以上の子供が働いており、
家事労働に従事する子供は5000万人以上にものぼる。
スタンリーにクラスメイトがお弁当を分け与えるのだが、
横取りをもくろむヴァルマ先生を一致団結して出し抜くシーンは、
ほほえましかった。スタンリーがなぜ弁当を持って来れないのかは、
最後まで明かされないのであるが、このような状況下の子供は、
かなり多いと思われる。
スタンリーの叔父は悪人だが、コックのアクラムが善人で良かった。
「捨てる神あれば 拾う神あり」これは私の友人が好きな言葉で、
落ち込んだ時に言ってくれたのだが、本当にそう思う。
2016年の作品、原作のタイトルは「ウォリヤー・サヴィトリ」。
サヴィトリはインド神話における太陽神の1人であり、
ラクシュミーはヴィシュヌ神の妻で美と富と豊穣と幸運を司る女神。
だから別物なのであるが・・・日本ではサヴィトリは知られておらず、
ラクシュミの方が有名だから、このタイトルにしたのだろうけれど、
劇中でもヒロインの名前はサヴィトリである。なんだかなぁ・・・。
舞台はブルーシティとも呼ばれるラジャスタン州ジョドプルと、
ラスベガスである。
<ストーリー>
舞台はジョドプル、サヴィトリ10歳の誕生日、男手一つで娘を育て上げた
父親タークル (アディティヤ・ラージ・カプール)はサヴィトリと
マーケットへ買い物に行くが、目を離したすきに悪人に襲われそうになる。
サヴィトリは居合わせた僧侶(ティム・マン)に助けられた事から、
武術の道を志し修行をする。
成長したサヴィトリはある日、街でサティヤ(ラジャット・
バルメチャ)と出会い恋に落ちる。サティヤはアメリカでカジノを
経営しており経済面は申し分ない。しかし占星術によると結婚すれば
サティヤは命を落とす事になるため父親は反対する。
親が決めた結婚(お見合い結婚)の場合、占星術が最も重要となるが、
恋愛結婚の場合もやはり・・・そう言えば大スター・アミターブ・
バッチャンも厄を落とす為に最初は「木」と結婚したそうだし。
反対を押し切って二人は強引に結婚式を挙げラスベガスへ行く。
父親の命を受けた殺し屋が二人の乗った車を襲撃しサティアは危うく
命を落としそうになる。二人はサティヤの屋敷へ行くが、
サティヤの盲目の父親(グルシャン・グローバー)は自分に内緒で式を
挙げた事に激怒する。しかし三人は一緒に生活する事にする。
ところが爆発事故が起きたりサティヤの命を脅かす事故が、
起こり始めると心配になったサヴィトリは占星術師に電話するが
ヤマの神(閻魔)が禍を興すと言われる。
ある日、サヴィトリの前にヤマの神(オム・プリ)が現れる。夫は
渡さないとサヴィトリは告げると神は仕事をするだけであると告げる。
サティヤは捕えらえてしまうが、そこには高利貸しのマニー・ジョン
(ロン・スムーレンバーグ)がおり事故に見せかけて殺すと宣言する。
占星術師の予言通りになるのを恐れるサヴィトリは、占星術を信じない
サティヤが外出できないようカンフー技で気絶させる。
サティヤの父親が襲われるがサヴィトリが助ける。サティヤ親子の土地を
奪うためのジョンの仕業だと知ってるサティヤはサヴィトリに知らせずに、
処理しようとするがジョンは警察ともつながっているため難しい。
サヴィトリはサティヤの命を救うために離婚しようとするが相当な時間が
かかると言われ、その間、車が爆破されサティヤは重体となる。以前は
景気も良かったがジョンから借金をし返済できなかった際に、ジョンは
事故を装ってカジノに火をつけ、サティヤの父の視力を奪い、母を焼死
させてしまっていた。そのためサティヤの会社は信用審査を通らず、
10万ドルの手術費用が支払えなかった。全てを聞いたサヴィトリは、
ヤマの神に執行期限延長を願い出て4日間の猶予をもらい身分を偽り、
ジョンのパートナーであるキャンディ(ルーシー・ピンダー)に近づき、
ジョンに取り入りとしてダンサーとして働く事にする。
10万ドルを手に入れたサヴィトリ。卑怯なジョンは仲間に襲わせ金を
取り戻そうとするがサヴィトリがやっつけてしまう。サヴィトリは
キャンディに取り入り金庫を開けさせ機密書類を始末する。
サティヤの命が危うくなるとサヴィトリはヤマの神にさらに24分の
猶予をもらい、ジョンとの決闘に向かう。格闘の末、高層ビルから
落下した二人・・・。
サヴィトリが楽園で目覚めると天国だった。ヤマの神が現れインドを
浄化するための壮大なプロジェクトの計画を語り始める。サヴィトリは
サティヤの代わりに死んでいた。サヴィトリはヤマの神を相手に
戦い始め下界に戻される。
ラスベガス、サヴィトリのお腹には子供がいる。男の子を望むサヴィトリ、
女の子を望むサティヤが言い争う。
なるほど・・・まずやっぱり邦題はおかしい。
サヴィトリはラクシュミではなくサヴィトリである。
死んだサヴィトリが生き返るので女神転生(転聖)なのだろう。
愛のため、神をも欺き、ぶった斬る。この説明もおかしい。
ヤマの神を欺てはいない、お願いして運命を変えさせてはいる。
ぶった斬る・・・武道で戦いはしているが斬っていない。
まぁストーリーも変なのであるが・・・・。襲われそうになった10歳の
少女が助けた僧侶(中国系)に弟子入りして武道の達人になるのは、
まぁいいだろう。反対を押し切って強引に結婚してラスベガスに行く。
そこで占星術師の予言通りに夫が死にかける。それを助ける辺りから、
ちょっと飛躍しすぎで漫画チックになって行った。
強引で無茶苦茶な展開になるのがインド映画か・・・。
2015年のタミル語映画、原作のタイトルは「Ⅰ」。
劇中で主演の2人が宣伝する女性用の香水の名前である。邦題は
「マッスル・踊る稲妻」、何でもかんでも踊るは止めて欲しい。
主演はヴィクラムとエイミー・ジャクソン。エイミーはイギリス出身、
2010年にタミル語映画で主演し評価を得て、他にテルグ語、
カンナダ語映画にも出演している。2018年にはラジニ様主演の
「ロボット2.0」でも共演している。監督は同じシャンカル。
最初の方で「ロボット2.0(2018年)」の宣伝シーンが入り、
笑ってしまった・・・。すると至る所に・・・監督が同じだから。
純粋なラブストーリーかと思いきや、醜い姿に変えられた男が、
自分を陥れた人々に復讐すると言う話が絡んでいる。
<ストーリー>
結婚式の花嫁の控室に醜い姿の男が侵入し花嫁を襲い、
気絶した花嫁を連れ出し列車で逃げるシーンから始まる。
男は連れ去った花嫁を荒廃した屋敷に監禁する。
ボディビルダーのリンゲーサン(ヴィクラム)はモデルのディヤー
(エイミー・ジャクソン)の熱狂的な大ファン。ライバルのラヴィ
(M・カマラージ)の妨害をもろともせず、タミルナドゥ州の大会に
優勝し全国大会を目指す。負けたラヴィは逆恨みし復讐を誓う。
ラヴィの家に冒頭の醜い姿の男が忍び込みラヴィに油をかけ火をつけ
大やけどを負わせ逃げる。ラヴィは男だ誰だか知ってる様子。
リンゲーサンは友人に誘われディヤーのCMの撮影に行き、
ボディーガードだと言いサインをもらい記念撮影をして有頂天。
ディヤーは共演のジョン(ウペン・パテル)の誘いを断った事で、
業界から干されてしまう。
困ったディヤーはリンゲーサンに共演を依頼するが、中国ロケは
9月だった。9月にはボディビルの全国大会があり一旦は断るが、
ディヤーの頼みを受け入れ、トランスジェンダーのスタイリストの
オズマ(オージャス・ラージャニー)によって別人に変身する。
ディヤーはリンゲーサンを新人モデルのリーに仕立てあげ、
香水「I」のCM撮影に売り込む。ジョンは自分の代役が新人に
なった事を根に持つようになる。
その頃、醜い姿の男は自分がそうなった原因を調べていた。
ディヤーとリーの撮影は中国雲南省で行われたが、素人のリーは
NGを連発し監督が激怒する。困ったディヤーに監督がアドバイス、
リーはディヤーを愛している。だから嘘でいいからリーに愛を囁き
その気にさせろ、と。その気になったリーは要求通りの
パフォーマンスを見せるが、告白をすっかり真に受けていた。
スタイリストのオズマ(トランスジェンダー)もリーに告白するが、
リーはディヤーに二人の将来を語る。嫉妬したオズマはリーに
ディヤーに騙されている事をばらす。真実を知り傷心のリーは
謝罪するディヤーを許すが、逆にディヤーは集中力を失う。
ディヤーを励ますリー。してやったりのオズマはリーに強引に
告白する。それを見たディヤーの心は泡立つ。
ある日、リーは中国人達に襲われるが1人で大勢をやっつける。
それを見たディヤーはリーに告白する。
リンゲーサン(リー)に恨みを持つ人間は3人。ボディビルで
負けたラヴィ、仕事を取られたジョン、振られたオズマ。
ある夜中に目覚めたオズマは身体が剛毛で覆われているのを見る。
そこへ醜い姿の男が現れ、オズマが話した台詞を話し、
オズマの化粧品と発毛剤を入れ替えていた事を聞かせる。
醜い姿の男はリンゲーサンらしい。
荒廃した屋敷に監禁された花嫁(ディヤー)の所へ醜い姿の男が、
好みの服や化粧品、食事を持ってくる。「あなたは誰?」と
ディヤーが問うとTVでは香水「I」のCMが流れる。
毎朝、新聞でディヤーの広告をチェックしていたリンゲーサンは、
新聞に自分とディヤーの広告が載っている事を確認する。
街の至る所に「I」の看板が掲げられ商品は飛ぶように売れて行く。
そして二人は様々なCMに出演しトップモデルとなる。ジョンは、
落ち目になりリーを恨むようになる。
ある日リーは自分を広告に起用してくれた社長のインドラクマール
(ラームクマール・ガネーシャン)の飲料が健康に良くない事を知り、
降板を申し出る。商品ボイコットが起こり会社の株価が暴落し
大損をしたインドラクマールは復讐に燃えジョンとオズマを抱き込み、
リーを抹殺するためにラヴィを雇い襲わせるが逃げられる。
インドラクマールの屋敷に醜い姿の男が忍び込み彼にハチミツをかけ、
ミツバチに襲わせる。インドラクマールも男が誰だか知ってる。
捕らわれたディヤーは醜い姿の男のすきを見て逃げようとするが、
男がリンゲーサンのスマホを持っている事に気づく。男は
リンゲーサンを殺したと答える。
ある日、リンゲーサンの身体に異変が起こり始める。髪が抜け、
歯が抜け、背中が曲がり、皮膚がただれたり盛り上がったり。
リンゲーサンはディヤーの理解者である医者のヴァスデヴァン
(スレーシュ・ゴピ)に相談するが検査の結果、遺伝性の
脊柱後湾症、筋萎縮、骨粗鬆症で治療薬はなく、悪化はするが
治る見込みはないと告げられる。
ディヤーと結婚できないと思ったリンゲーサンはヴァスデヴァンに
口止めをして行方をくらます。一目会いたいとリンゲーサンは
勇気を出してディヤーの前に行くが物乞い扱いされ、絶望して
自殺を図り河に身を投げる。運び込まれた病院の医者は、
リンゲーサンの姿を見てあらゆる検査をする。
死にきれなかったリンゲーサンは神が自分の命を助けたのには
理由があるはずだと、身代わりになる死体を探し自分に仕立て、
自動車事故で死んだ事にする。リンゲーサンを助けた医者は、
彼が「I」と言うウィルスに感染している事を調べ上げる。
ところがリンゲーサンは事故死した事になっていた。
ディヤーは母親のために仕方なく別の人と結婚する事にするが、
世間はリーとの関係を知っているため候補は現れなかった。
ディヤーの母親はヴァスデヴァンに結婚してくれと頼みこみ、
リンゲーサンもそれを聞いて喜ぶ。
リンゲーサンを助けた医者が偶然リンゲーサンを見つけ、
醜い姿に変わってしまったのは遺伝性ではなくウィルスを注射された
せいだ告げる。リンゲーサンは、いつ、誰が?を考える。
親ほど歳の違うヴァスデヴァンはディヤーが子供の頃から
目をつけており相思相愛になったリンゲーサンを恨んでいた。
ラヴィ、ジョン、オズマ、インドラクマール、ヴァスデヴァンの
5人が共謀し「I」(インフルエンザウィルスの一種)を
リンゲーサンに注射したのだった。5人はリンゲーサンを
監禁し結婚式の後で始末しようとする。
監禁されたリンゲーサンは逃げ、結婚式上からディヤーを
誘拐する。(冒頭のシーン)
リンゲーサンはヴァスデヴァンの家に忍び込むが、ヴァスデヴァンは
それを待ち構えていたためリンゲーサンは逃げる。
リンゲーサンがディヤーの元に帰るとディヤーは醜い男が、
リンゲーサンである事を悟っていた。どんな姿でも自分の夫であると
言うディヤーをリンゲーサンは、はねのけてしまう。
醜い姿になったラヴィ、オズマ、インドラクマールが入院する病院に
「破滅への転落」と言う特集のために記者がやって来る。まだ復讐を
受けていないジョンはおびき出され高圧電線で感電させられる。
リンゲーサンはディヤーを帰し自分は姿をくらます事にするが、
ディヤーは愛を貫こうと一緒に花畑の中の自宅へ帰る。
数カ月後・・・記者が感電し片腕を失い失明し焼けどでケロイド
状態になったジョンの病棟へやって来る。ヴァスデヴァンは別の
病室にいた。ヴァスデヴァン襲撃は失敗しておらず犬に嚙まれて、
狂犬病の注射をしていると思ったヴァスデヴァンは別のウィルスを、
自分に注射しており変わり果てた姿になっていた。
ここでエンドロール。花園の楽園の中の家にリンゲーサンを
助けた医者が往診にやって来る。ディヤーと一緒にリハビリを
しながら毎日が楽しく過ぎて行く。そして少しずつ回復して行く。
いくぶんふざけたような所もあり、ありえない復讐手段もあるが、
どんな姿になっても愛は不変であると良い事も伝えている。
なんでもてんこ盛りで典型的なタミル語映画であるが、
たまにはいいかな。とヒンディー語映画に慣れてくると思う。
ボディビルダーとしてはヴィクラムより良い身体の選手はたくさん
いたように見えたけど・・・。醜い姿も好演だったと思う。
ディヤーが処女ではない(世間の想像、正しいとは思うが)事で、
花婿になろうとする男性が現れないと言うのがインドの実情。
外国との交流があるセレブ階級は別にして、一般的にはそうである。
一癖も二癖もあるラヴィ、ジョン、オズマ、インドラクマールの
4人に比べ最も善人面したヴァスデヴァンが一番、変態で悪人だった
と言うのも凄かった。
リンゲーサンを助けた老医師の目利きも凄いが原因のウィルスを
治療する魔法使いのような所も、なさそうでありそうなのが、
タミル語映画である。
2017年の作品、タイトルは「マサラ・チャイ」。
ミルクと砂糖で煮詰めた紅茶にスパイスを入れて煮詰めた、
インドの国民的飲料の事。
冒頭で「チャイ屋の出世頭はナレンドラ・モディである。」との
ナレーションがあるのだが、モディの政治戦略の一部なのか?
5人のチャイ屋にスポットを当てたドキュメンタリーである。
インドの首相モディはチャイ屋の倅であったと言われているが、
同情票を得る為の政治戦略であると語るインド人もおり、
いい所の坊っちゃんだがチャイ屋のバイトをした事もあるのか?
ハッキリしない。ちなみに私ヒンドゥー至上主義は反対である。
監督はマルコ・ヒュルサーと言うドイツ人。
インド映画にしたけど、ドイツ映画か??
<ストーリー>
5人のチャイ屋の生活や仕事だけでなく、家族、思想などにも
踏み込んで、5つの場面を混ぜながら進めて行く。
1人目:マハラシュトラ州プネで紅茶の店を経営している
ヨゲシュ。マンション住まい、外車所有・・・。
チャイを自分で煎れて生計を立ててる者ではなく、
チャイ屋を経営しているビジネスマンである。
1人だけ違う毛色だけど。
路上のチャイが10Rs(約16円)、ヨゲシュの店では
90Rsだが店内で座ってくつろげるしwifiも使える。茶葉も
高給な物を使用している。多すぎるほどの従業員を使っている。
10年間のアメリカ生活で得た知識で店を始めたが・・・・
やはりインドにはそぐわなかったのか閉店しバーベキュー店に、
転換して経営を続けている。
チャイ専門のチェーン店は数店あり営業を続けているが、
基本的にインド人は1日に何杯も少量のチャイを飲む。
腰を落ち着けて会話を楽しみながらと言うのが合わないのかも。
2人目:西ベンガル州コルカタの少女ゴウリは父親のチャイ屋を、
手伝っている。2人の姉と弟と両親。
ここで怪しいかったのはコルカタは西ベンガル州の州都であり
言語はベンガリー語である。少女はヒンディー語を話していた。
チャイ屋の少女が母語であるベンガリー語ではなく、
ヒンディー語を話していた事に違和感を覚えた。それも文法が
かなり正しかった。例えばベンガリー語はヒンディー語とは
男性詞と女性詩の区別、単数と複数の区別が違うので、
そこを区別してヒンディー語を話せないベンガル人は多い。
吹き替えである可能性もあるけれど。
28歳の長女は離婚しており再婚する。次女も結婚。
まだ十代のゴウリと弟は二人の姉とは考えが異なり、
愛のない結婚はありないし、持参金で婿を買うのは違うと言う。
弟は18歳で肺炎で死亡。
女性の再婚もかなり難しい。セレブ階級ならいざ知らず、
チャイ屋の娘が再婚できるのか? かなり疑問であった。
その都度、結婚のための持参金が必要だろうし・・・。
3人目:マハラシュトラ州の映画撮影現場で40年間チャイを
作り続けるムハンマドはウッタル・プラデシュ州のアラハバード
からムンバイにやって来た。監督にも俳優にも裏方にも平等に
チャイを煎れている事を誇りに思っている。
これぞ、プロ!のチャイ屋である。
本人は元アル中で(イスラム教なのに)なかなか縁談がまとまらず、
6人目でようやく結婚できた。孫にもチャイ屋の誇りを教えている。
40年働いたため定年(チャイ屋でも従業員か)する。
4人目:西ベンガル州ダージリンのスシャンタは夫と店をやっている。
小学生の娘がいる。カーストが下の夫と結婚したために親や親戚からは
さげすまされている。女性の地位向上のためにも娘を育て上げようと
頑張っているが、夫は肺がんで死去。
ダージリンは紅茶の産地でストレートで飲むダージリンティーが
主流であった。チャイ屋も探せばあったのかもしれないけど。
スシャンタがダージリンの人はダージリン紅茶は嫌いだと
言っていたが味が嫌いと言うよりは、イギリスの植民地として
働かされていたのだからかもしれない。
5人目:首都デリーの大きな市場でチャイ屋を営むスボダは、
ラジャスタン州出身で弟二人を連れてデリーに来た。初めは
月50Rs(約80円)の仕事で15年働き、その後、
チャイ屋を始め同じ村出身の若者の面倒を見ている。
ドイツ人監督が創った映画なので、インド人目線とは違う。
最初のビジネスマンはやはり違うんじゃないかと思う。
「マサラ・チャイ」ではなく「チャイ・ワーラー」として、
純粋にチャイで生計を立てている人だけにスポットを
当てた方が良かったのではないだとうか。私的意見だが。
2019年の作品、タイトルはヒンディー語で「恥」。
デリーから羽田行きのJALの機内上映で観た。
ヒンディー語映画は2本あったのだがもう1本も歴史物
「タナジ」であった。なぜ娯楽作品ではないこの作品が
選ばれたのか?大手プロダクションだからか?
キャスティングは豪華で、若手のワルン・ダワン、アーリヤ・
バット、ソナクシ・シンハ、アディッティヤ・ロイ・カプールに
往年のスター、サンジェイ・ダットにマドゥーリ・デクシット。
舞台は1945年以前の独立前のパキスタンのラホール近く
にあるハスナバードと言う町。インドのマディア・プラデッシュ州の
グワリオール城でロケをしていたので(下手に知っていたため)、
位置的に錯誤してしまったのだが、パキスタンのラホール近くから
インド領のアムリトサルへ逃げると言うストーリーだった
<ストーリー>
サティヤ(ソナクシ・シンハ)はデヴ(アディッティヤ・ロイ・
カプール)と結婚していたが癌を患っており余命いくばくも
なかったため、故郷に戻り幼馴染のループ(アーリヤ・バット)に
デヴと結婚して欲しいと依頼する。ループは承諾するがデヴは
サティヤを愛しておりループとはプラトニックの関係になると
告げる。ループはショックを受け、ヒラ・マンディにある売春宿の
女主人バハール(マドゥーリ・デクシット)の所に行き歌を習い始め、
同時にデヴの新聞社で記者として働き始める。
鍛冶屋のザファル(ワルン・ダワン)はループがデヴの妻である事を
知り、デヴの父親であるバルラジ(サンジェイ・ダット)に復讐する
為に近づいて行く。ザファルはバハールとバルラジとの間にできた
子供でバルラジに捨てられたのであった。
ループは人妻であると断るがザファルに惹かれて行く。バハールは
ループの歌が上達した事を不思議に思うが自身の息子のザファルと
心を通わせている事を知り、交際を反対する。
サティヤの死後、宗教的な対立が起き、ザファルの友人アブドゥル
(クナル・ケム)がイスラム教徒を先導しデヴの新聞社を襲う。
ザファルはループとデヴを逃がす為、アムリトサル行の列車に
乗せようと努力するがアブドゥルによって殺されてしまう。
ループはなんとか追手を逃れてデウと供にアムリトサルへ逃げる。
10年後、デヴとループは記者の取材を受けている。
ヒンドゥー教徒であるループとイスラム教徒であるザファルの
禁断の愛はよくあるストーリーである。ループの家が富豪であり、
ザファルは鍛冶屋である。この貧富の差(女性が上位)も
よくあるストーリーである。そしてそれだけではなくループが
人妻である事、ループの夫とザファルが異母兄弟である事、
盛りだくさんである。
これにイスラム教徒とヒンドゥー教徒&シク教徒の宗教対立が
絡んでくる。
サティヤが癌で余命いくばくもなく、死んでしまうのだけど、
申し訳ないのだがソナクシが健康体で、死にかけているようには、
全く見えなかった。これはキャスティングミスだと思う。
インド映画にリアリティはない・・・のだけれど。役柄に合った
キャスティングをすべきだし、キャスティグされたら、
役柄に合った役作りをすべきだと思うけどね。
1945年の印パ分離独立の際には宗教的な大虐殺があり、
大きな犠牲をはらっての独立があった。インドもパキスタンも
この事は決して忘れてはならない事だと思う。
2004年の作品、タイトルは「殺人」。もともとは
1969年のフランス映画「不貞の女」のリメイク版であった
2002年のアメリカ映画「運命の女」のリメイク版。主演は
ダイアン・レインとリチャード・ギア。
この後、マーダー2、マーダー3とシリーズ化され、
主演のイムラン・ハシミの出世作になった作品。
もともとはバット一族の助監督として働いていたが俳優になり、
その後もバット一族のホラー、サスペンス映画の常連である。
ちなみにイムランは身長168cm、マリカが164cm、
アシュミト・パテルが180cm。
<ストーリー>
舞台はバンコク、警察が女性を追い逮捕する。逮捕された
シムラン(マリカ・シラワット)は供述を始める。
5年前、シムランは夫スディール(アシュミト・パテル)の
仕事の関係で息子カビールとバンコクへ引っ越してきた。
あるスコールの日、シムランは街中でサニー(イムラン・
ハシュミ)とぶつかる。
スディールはシムランの亡くなった姉ソニアの夫であり、
カビールの母親になるためにスディールと結婚したのだった。
夫婦の間には愛はなかった。シムランがサニーと逢瀬を
重ねるようになるとスディールは探偵を雇って二人の
浮気の現場の写真を撮らせる。
浮気がバレたシムランはサニーと別れようとするが、
心うらはらで溺れて行くのだった。やがてサニーはシムランの
自宅にストーカーのように現れるようになるト、シムランは
恐怖を覚えるようになる。そしてカビールの為にも別れようと
サニーの所に行くが、サニーが別の女ラディカとも付き合って
いる事を知り逆上する。そしてなだめようとするサニーを
刺し殺してしまった・・・。
別れようとして行ったのに他の女を見て逆上って・・・。
警官はシムランの話を聞き、嘘をついていると言い、
隣の取り調べ室にいるスディールを指し、彼が真犯人だと言う。
スディールが供述を始める。シムランの浮気を知ったスディールは、
インドへ出張に行く事にし探偵と会っていた。サニーが複数の女性と
関係を持っている事を聞いたスディールはサニーの家に行き、
シムランと別れるように頼む。サニーはスディールより前から、
シムランを知っていると言い挑発した上に冒涜した。スディールは
サニーと乱闘になり撲殺してしまった。
スディールは室内の証拠を隠滅し死体をカーペットに巻いて、
車で運び出して、自宅の裏に埋めた。
後日、警官がシムランの所へ捜査にやって来る。サニーが失踪し、
GFのラディカの話からシムランが浮上したと言う事だった。
警官はシムランに夫の事を聞き込み、家からCDを盗み出す。
シムランはスディールにサニーが失踪した事を問いただし、
スディールは怒ってシムランを叩く。
スディールがサニーの死体を埋めた後、何者かが重機で自宅に
突っ込んでくる。そこにはサニーの死体と一緒に埋めたはずの
血塗られた洋服がカーペットに巻かれていた。そしてサニーの死体を
埋めた場所には死体はなかった。
スディール家族はインドへ逃げようと空港へ向かい
シムランは現金を引き出すために車で銀行へ向かう途中で、
警察に逮捕されてしまったのだった。
警察はスディールが真犯人だとして逮捕し、シムランを釈放した。
しかし肝心のサニーの死体が見つからない。警察はラディカを
重要参考人として呼ぶ。シムランが自宅に帰ると突然サニーが現れる。
サニーはシムランを自分のものにするために芝居を打ち、
スディールを殺人犯として投獄させようとしていたのだった。
死んだふりをしていたサニーは埋められた後、共犯ラディカによって
掘り起こされたいた。執拗にシムランを追いかけるサニー。
スディールは護送途中で脱走しシムランの元へ駆けつけ、
サニーと格闘になる。サニーはスディールの背後から襲い掛かるが、
警官によって射殺される。
フランス映画「不貞の女」もアメリカ映画「運命の女」も
観ていないので何とも言えないが、全体的な暗さ(ストーリー、
画面)とラブシーンの多さがフランス映画っぽい感じだった。