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Sunset Cafeへようこそ

いつか、夕日の美しい絶景の地にカフェを・・と願う私のバーチャル・カフェ。未知の音楽と人との出会う場所。

がんばれ、東北。 がんばれ、ニッポン。

2011-03-28 20:02:15 | 日々徒然
2011.3.11 
(2011.03.28 東京都文京区)


2011年3月11日の東北関東大震災から2週間余りが過ぎました。
地震、津波から始まり、原発、石油不足、食料不足、停電と、3月11日を境に私たちに襲い掛かっています。

今日(3.28)時点で、すでに見つかった死者9000人超。
犠牲になった方とそのご家族、ご友人の方々のことを思うと、いたたまれない気持になります。

そんなどん底のような状況下で、心底素晴らしいと感じることがたくさんありました。
避難所でお年寄りをサポートする若者、避難所で自ら手伝う小学生や中高生、何かしたいと思い楽器を演奏する人、
井戸を解放する家、見えないところで原発と戦っている人々、必死にがれきの撤去をする方々、
必死に修復を試みる水道局の人、そして日本中、世界中からどんなに支援の声が集まっていることか。

失ったものが大きすぎますが、
不便になって、すべての物事が過剰だったこと、過剰なまでのモノが生きていく上で本当に必要なのか?が
私たち日本人、世界の先進国に問われている気がします。
私たちの浴するレベルに合わせ、電力やモノを無理に合わせていく生活、、、、それは私たち人間から理性とか
道徳的な考えを排除してしまうのではないかと感じます。
モノが豊かなことが人間の心を全て満たしてくれるわけではないのです。

改めて思うことは、「人」は支えあって生きることができてはじめて満たされるのではないか、ということ。
それは人間を愛す力に尽きるような気がします。

ひとつの小さな力が、まとまって大きな力となって、東北いや日本が復興の輪へと繋がりますように。
世界のひとびとのあり方が見直されますように。

がんばれ、東北。
がんばれ、ニッポン。
がんばれ、わたしたち。

いいですね、豊川悦司の織田信長。

2011-01-25 18:54:22 | 日々徒然
完訳フロイス日本史〈2〉信長とフロイス―織田信長篇(2) (中公文庫)
ルイス フロイス
中央公論新社



NHKの大河ドラマ・「江~姫たちの戦国~」は第3回放映を終わった段階ですが、豊川悦司の演じる
織田信長が素晴らしいですなあ・・。

やや沈うつで抑制の効いた声がなによりも良い。
186Cmの気迫のこもったデカイ身体(痩せているが)、鋭角的な体の動き、鋭敏な表情は、
それだけで居流れる戦国武将たちを睥睨するのに充分な迫力があります。
これまでに演じられたいろいろな織田信長のなかで、この豊川信長は一番のはまり役なのでは?

ただし、歴史上の本物の信長は、(少なくとも外見上の特長は)やや違うようですな。

   「信長は、中くらいの背丈で、体格は華奢であり、いつも、憂鬱そうな表情をしていた。
    髷(まげ)は少なく、よく響き渡る声をしていた。
    彼の人に対する態度は、真に、尊大であり、またシンプルなものであった。

    信長の前に出た家臣団は、いつもピンと張り詰めた空気が充満し、彼が、手で少し
    合図をしただけで、重なりあうように消え去って行くのであった。
    それはあたかも、一刻も早く、凶暴な獅子の前から遠ざかりたいようにも見えた。
    逆に、信長が、内から一人を呼んだだけでも、百名ほどの人間が外からただちに大声で
    返事をした」

これは、実際に信長に面会し話をしたポルトガル人宣教師・ルイス・フロイスによる印象記で、
永禄12年(1569年)、信長が36才の時の会見です。
今から約450年も前に、それも外国人によって、これほど精緻に信長という人物の人となりを
端的に言い表しているのは驚くばかりであると思います。

この、ルイス・フロイスの見た「リアルな信長」と、ドラマで演じられている豊川悦司の信長とは
身体的な部分を除き、ほぼフロイスの印象どおりなのではないでしょうか。

ドラマの中の信長があまりに素晴らしいので、「出来たらこのまま最終回まで信長に登場して
欲しい」と思うほどです。
(どうやら、次の第4回で本能寺の変になってしまうようですが・・)。

この人を大河ドラマの主人公に ・・・・ ヤン・ヨーステン(サムライになったオランダ人)

2011-01-14 18:26:37 | 日々徒然

(東京都目黒区駒場・旧前田侯爵邸和館)

前回このブログで、「日本の歴史の中で、激動の戦国時代末期が大変面白く、それゆえこの時代をテーマとした
大河ドラマはストーリー展開もドラマチックで面白い」と書きました。

戦国の覇者である信長・秀吉・家康は言うに及ばず、その外周で、ドラマチックに生きた伊達政宗、前田利家、
山内一豊などが主人公の大河ドラマもかなり見ごたえがありました。
しかし、私としては、「未だ大河ドラマには未登場だが、この人物にスポットライトをあてて、これから先の
大河ドラマを企画すれば、それはそれは面白い内容になるに違いない」と思う人が何人かいます。

その第一は、東京の「八重洲」という地名の起源ともなり、関が原の戦いの年(1600年)に遠くヨーロッパから
船に乗って戦国時代の日本に漂着したオランダ人乗組員ヤン・ヨーステンです。
ヤン・ヨーステンが乗ったオランダ船「リーフデ号」は他の4隻と共に船団を組んで
1598年6月にロッテルダム港を出航しましたが、航海中に船団はばらばらとなり、
約2年後の1600年4月に豊後の国・臼杵に乗組員が24人までに減った「リーフデ号」だけが漂着します。

この時、日本では豊臣秀吉は既に数年前に死去し、その秀吉の遺言により徳川家康が五大老の
首座となっていました。
家康は「リーフデ号」の積荷(大砲・火縄銃・弾薬を含むヨーロッパの品々)を没収するとともに、
ヤン・ヨーステンらリーフデ号生き残りの乗組員を引見します。
秀吉亡き後の天下統一を狙う家康にとって、この絶妙のタイミングで、思いもかけずに目にし耳にすることの
できたヨーロッパの文化の一端はどんなにか家康の好奇心を刺激したことでしょうか。

ヤン・ヨーステンと、彼と一緒に家康に引見した英国人のウィリアム・アダムスは、家康が日本の覇権を手中に
し、「征夷大将軍」として君臨するのと並行し、家康からの深い信頼を得るようになります。
ヤン・ヨーステンは徳川政権の外交・貿易顧問として重用され、幕府から朱印状を得て対東南アジア貿易に
努めます。その後、家康・秀忠の死後、徳川幕府は250年もの長きにわたって鎖国政策をとりますが、
諸外国との門戸を閉ざした鎖国の間も、長崎・出島を通じて、オランダと中国だけに門戸を開き続けます。
つまり、ヤン・ヨーステンが「リーフデ号」で日本にもたらしたオランダ(さらにヨーロッパ文明)との
結びつきは、細々ながら絶えることなく明治維新・開国まで、数百年も続くこととなります。

ヤン・ヨーステンは江戸に居宅を与えられ、日本婦人と結婚し子供も授かります。
彼の住んだ場所は彼の名前にちなみ、「八重洲(やえす)」として今に残る、というわけです。
(東京駅前八重洲地下街に「ヤン・ヨーステン像」があります)。

ところで、1980年上映のアメリカ映画・「将軍 SHOGUN」は、ヤン・ヨーステンと共に家康の信頼を
得て幕臣となった英国人・ウィリアム・アダムスをテーマに作られたものです。
映画では、アダムスはブラックソーンとなりハリウッド俳優のリチャード・チェンバレンが演じ、家康は
虎長という戦国大名役で三船敏郎が演じました。

もしヤン・ヨーステンの数奇な一生を日本の大河ドラマで企画すれば、日本はもちろんオランダでも大人気と
なることでしょう。
肝心の主役ヤン・ヨーステン役は誰にするのが良いでしょうか?
私はオランダで(オランダ人を)一般から公募するのがベストだと思います。何よりも、このドラマは
オランダと日本との運命的な深い結びつきが根底にあるものであり、オランダには日本学(ジャパノロジー)
を研究する学部を持つ大学もあると聞き及んでおり、日本語能力は言うに及ばず日本の歴史文化への造詣
の深い人物を発掘し起用することからある意味でこの大河ドラマは始まる、とも言えるでしょう。

オランダ人ヤン・ヨーステンの日本漂着の250年後、アメリカのペリーの黒船来航により鎖国から開国
へと大きく舵をきった日本は、勝海舟ら日米修好親善使節を乗せた「咸臨丸」をアメリカに向けて出航させ、
勝海舟のこの異文化原体験が、後に坂本竜馬の世界観の形成にと続くことになります。
この咸臨丸こそ、ライン河口のオランダの小港で造られ、遠く日本へ回航された船だった事実は、
何という歴史の不思議さでしょうか。





大河ドラマの登場人物たち

2011-01-10 16:57:50 | 日々徒然

(東京都駒込・旧古河庭園茶室)

昨年のNHK大河ドラマ・「竜馬伝」は本当に見ごたえがあり、毎週日曜日の夜は、「うん、そうだよなあ・・」と竜馬に
共感したり、「よし、いいぞ・・」と声援を贈ったり、ほろっとさせられたり・・。
夏休みに山へキャンプに出かけた時を除いて、家族全員がほぼ完全にテレビの前に釘づけになった1年でした。
昨夜から第50回目の大河ドラマ・「江(ごう)」が始まりましたが、今後とても期待できそうで楽しみです。

大河ドラマを見ながらいつも思うことは、「戦国末期と幕末期、この二つの時代くらい日本の歴史全体を通じて最も
ドラマチックで、数多くのヒーローが生まれ、ドラマとしても面白い時代はない」という事です。
従って今年で50回(50年)にもなる大河ドラマのその時代テーマは、戦国末期と幕末に6割程度が集中しています。

その戦国末期(例えば1560年の桶狭間の戦いから、例えば1615年の大阪夏の陣までの55年間)で言いますと
大河ドラマの主人公は、信長・秀吉・家康の3人に集中し、この3人が主人公で計6回演じられています。
この信長・秀吉・家康以外で、この3人を取り巻く戦国のヒーローたちの大河ドラマへの登場は次の通りでした。

1969年  上杉謙信  (石坂 浩二)  「天と地と」
1973年  斉藤道三  (平 幹二朗)  「国盗り物語」
1987年  伊達政宗  (渡辺 謙)   「独眼流政宗」
1988年  武田信玄  (中井 貴一)   「武田信玄」
1997年  毛利元就  (中村 橋之介)  「毛利元就」
2002年  前田利家  (唐沢 寿明)   「利家とまつ」
2006年  山内一豊  (上川 隆也)   「功名が辻」
2007年  山本勘介  (内野 聖陽)  「風林火山」
2009年  直江兼続  (妻夫木 聡)  「天地人」

私としては、
・演技力の点では、「葵徳川三代」で徳川家康を演じた津川雅彦さんに金メダル、
 「利家とまつ」で前田利家を演じた唐沢寿明さんに銀メダルを、と考えます。
・登場人物の面白さという点では、「第30作・信長KING OF ZIPANGU」で緒形直人さんが演じた織田信長に
 ダントツの金メダルをお贈りしましょう。

しかし何ですなあ、何よりも大事な「ドラマの面白さ」ということを考えますと、2002年の「利家とまつ」
あたりから、NHKの大河ドラマは実に見ごたえのある面白い番組になってきたと思います。
(正直に言えば、50回の歴史の中では、金銀銅のどのメダルの価値も見出せない、どこにも共感できないという
内容のものもあったと私は率直に思います)。

この大河ドラマというやつは、案外、400年以上も前の出来事を扱いながら、2011年を生きている視聴者の私達に
日本人としての共通認識を問いかけ、共感を訴えかけ、見事に国民的な番組として
この50年を生き抜いてきたと言えますなあ・・。

こんにちは、2010年!

2010-01-02 18:24:31 | 日々徒然

(2010.01.02 ホテルニューオータニ・メインロビー)

新年あけましておめでとうございます。
当ブログをお読みいただいている皆様にとりましてこの2010年という年が素晴らしい1年となりますように心からお祈り申し上げます。

さて皆様はこのお正月をどのようにお過ごしでしょうか?

私めでございますか?
私は極力テレビは見ずに借りてきた本を読み、DVDを見、また音楽CDを聴きあさっておりますよ。
大晦日から今日1月2日までの3日間で特に面白かったのは、
・佐藤雅美著の時代小説・「縮尻鏡三郎(しくじりきょうざぶろう)」上下2冊
 (江戸に生きる下級役人の市井の生活・出来事がリアリティに富む筆致で語られ読みながら年を越してしまった程です)。
・「路上のソリスト」というDVD
 (LAのスラム街を舞台に路上でチェロを弾く黒人ホームレスと白人新聞記者の物語。
  てっきりフランス物かと誤解して見始めたDVDでしたがジェイミー・フォックスの快演に魅せられ画面から離れられませんでした)。
・テレマンのトリオ・ソナタ集のCD
  (今年一番にお雑煮を食べながら聴きました。何度も飽きるほど聴き込んだ曲なのに元日に聴くと又、違った奥深い味わいがありました)。

今年も1年こころ豊かにゆきたいと思います。
(でも、それにしてもオカネには全く縁は無さそう・・・今年も)。


2009年もあと僅か

2009-12-29 17:15:02 | 日々徒然
2009年も残すところ、あと数十時間・・。
今年過ぎ去った数々の時間(あくまでも私の時間)を振り返ってみたい。

今年最も面白かった映画 ・・・ 「モンテーニュ通りのカフェ」
今年最も退屈した映画  ・・・ 「パリ・オペラ座のすべて」
今年最も感動した音楽CD ・・・ 「エヴァ・ポブウォッカのショパン・バラード第一番」
今年最も面白く読んだ本 ・・・ 「竜馬がゆく・全8巻」
今年最も良かったTVドラマ ・・ NHK・「坂の上の雲」(現在放映中)
今年最も退屈したTVドラマ ・・ NHK・「天地人」
今年最も美味しく飲んだ酒 ・・・ 仕事帰りにエノテカ/ウィング高輪店で軽くひっかけたワイン・「エナーテ」(スペイン・白)
今年最高の音楽コンサート ・・・ 姉が義兄の喜寿のお祝いに企画し箱根ホテルで催したサロン・コンサート
今年見た最高のサクラ   ・・・ 国際基督教大学(三鷹)の500mに及ぶ左右2列のサクラ吹雪の並木道
今年見た最高の紅葉    ・・・ 北鎌倉・瑞泉寺の奥庭のカエデ
今年一寸良かったこと   ・・・ ブラームスの良さが納得できたこと
今年最も多く聴いた曲   ・・・ F・クープランの鍵盤音楽集I・II 代表曲は「空想にふける女」・毎晩、就寝時に聴きながら眠る

来年は今年以上に新しい発見や出会いがありそうな予感がします。
ウフフ・・・フ。


  

行間から音楽が聴こえる・・・村上春樹ワールド

2009-08-29 18:18:22 | 日々徒然
村上春樹氏は公けに得られる情報から判断する限りでも、彼以外の多くの日本人小説家とは明らかに一線を画している部分が多いと思います。

・生産者(小説家)⇔消費者(読者)とのダイレクトの関係を成立させ、「出版社」という仲介者の企画や意向への考慮なしに執筆活動し、書く物全てが次々と読者の心に肉迫し ミリオンセラーになっている。
・その過程に於いて、(日本とのしがらみから完全に隔絶した形で)、海外(イタリア、ギリシャ、アメリカ等)を拠点に作品を生み出し、しかも生み出した作品は全て日本の大衆に受け入れられ大ヒットしている。
・村上氏は「小説家」という職業に対し我々がイメージしがちな「自由奔放な生活スタイル」とは無縁の、「きっちりした自己管理下」で執筆活動をしている。
早朝起床し、ジョッギングを愛好し、午前中だけ物を書く(恐らくはヘンデルが流れる環境下で)。

しかし村上氏の小説が際立って他と異なるのは、村上作品のどのページをめくっても、その行間から音楽が聴こえてくるような、その「小説の音楽性」にあると思います。小説のタイトルさえポップスのヒット曲のタイトルからそのイメージを転用する場合が多いのは周知の事実です;
 ・「ダンス・ダンス・ダンス」は
   ビートルズの「ダンス・ダンス・ダンス」から。
 ・「国境の南、太陽の西」は
   ナット・キング・コールの「国境の南」から。
 ・「ノルウェイの森」は
   ビートルズの「ノルウェイの森」から。
 ・「世界の終わりとハード・ボイルド・ワンダー・ランド」は
   スキーター・デイヴィスの「ジ・エンド・オブ・ザ・ワールド」から。
といった具合です。
村上作品に登場する音楽のジャンルもジャズ、オールディーズ、クラシックと多岐にわたりますが、私は村上氏の好みの中心はビーチボーイズやドアーズ、ビル・エヴァンスやスタン・ゲッツ等のように60年代の白人系の音楽であるように感じられます。

しかし、村上氏の最新作である「1Q84」では冒頭からヤナーチェクの「シンフォニエッタ」という渋い曲が登場します。
村上氏が小説の中で表現したい内容や主眼点は「ノルウェイの森」がヒットした初期の頃に比べるとかなり変化してきていると思いますが、同時に小説の中の大事な味つけ・スパイスとして使われる音楽そのものも、かつてのポップス系からクラシック系の隠れた逸品へと変化していると感じるのは私だけでしょうか?
(少なくとも村上氏は最近はドアーズを余り聴かなくなり、それに反比例してヘンデルなどを好んで聴いているような気がするのですが)。

因みに私は、村上作品をよりよく分かる為には(或いは皮膚感覚でその内容を楽しむ為には)、頻繁に登場する音楽について或る程度以上の理解度が必要だと思っています。
「何故村上氏はこの場面でこの曲を登場させるのか?」を憶測しながら、また登場する曲を実際に聴きながら読むと更に一段と面白いものです。


コータン、床屋へ行くの巻

2009-08-12 20:46:59 | 日々徒然


(コータン) オゥ、オヤッサン、いつものようにさっぱりやってくんな。
(オヤジ ) へい、くすぐったがり屋の若旦那、じっとしててくんなよ。



(コータン) 何か、首のトコがちくちくするぜ、おやじよぅ。
(オヤジ ) いつもうるさくて落ち着かないね、若旦那よぅ。
       すぐ終わるからもうちっと静かにしててくんなよ。



(コータン) オヤッサン、さっぱりしたぜ。釣りはいらねえ、とっといてくれ。
(オヤジ ) これ、5円玉じゃんか、冗談きついぜ。トホホ。



雨の日には村上春樹を読もう。

2009-07-18 15:05:21 | 日々徒然

(2009.07.18 小石川源覚寺ほうずき市)

久し振りに村上春樹氏の「国境の南、太陽の西」を読み返しました。この本を手に取ったのは実に10年ぶり位ですが、行間に漂う村上氏独特の浮遊感、言葉の一つ一つに込められた深い意味、印象的な情景描写などを楽しみつつ雨の休日を「村上春樹三昧」で過ごしました。

私は村上春樹氏の著作の中でこの「国境の南、・・・」が一番好きです。
現在爆発的に売れ続けている最新作・「1Q84」と比べると、村上氏の作風や視点に大きな変化があると思いますが、村上氏がその変化に至る過程で作家としてあれこれと悩みながらこれを生み出したのであろうと考えると、ますますこの本が好ましく思えます。

他の著作でもそうですが、村上氏にはストーリー展開の中で「人生の深遠を語りながら、音楽に触れカクテルの味に触れドレスの色に触れる」風があります。
「国境の南・・・」の中では、主人公の僕(ハジメ)が自分の経営する青山のジャズバーに小学六年生の時親しくなり初めて異性を意識した女性・島本さんが突然24年ぶりに出現する印象的かつ大事な場面があります。
「十一月初めの月曜日の或る雨の夜に」、突然現れた島本さんは流れるジャズを背景にダイキリを、その後はオリジナルカクテルの「ロビンズ・ネスト」を飲み、僕(ハジメ)と様々な話をし、そして雨の中を去って行きます。

(前略)
「島本さん、また君に会えるかな?」
「たぶんね」と彼女は言った。そしてかすかな微笑みを口もとに浮かべた。
風のない日に静かに立ちのぼる小さな煙のような微笑みだった。「たぶん」
そして彼女はドアを開けて出ていった。僕は五分ばかりあとで階段を上がって通りに出てみた。彼女がうまくタクシーを捕まえることができたか気になったのだ。
外にはまだ雨が降りつづいていた。島本さんはもうそこにはいなかった。通りにはもう人けはなかった。車が濡れた路面にヘッドライトの光をぼんやりと滲ませているだけだった。
 あるいは僕は幻のようなものを見ていたのかもしれない、と思った。
僕はそこに立ったまま、通りに降る雨を長いあいだ眺めていた。僕は自分がもう一度十二の少年に戻ってしまったような気がした。
子供の頃、僕は雨降りの日には、よく何もせずにじっと雨を見つめていた。
何も考えずに雨を見つめていると、自分の体が少しずつほどけて、現実の世界から抜け落ちていくような気がしたものだった。おそらく雨降りの中には、人を催眠術にかけてしまうような特殊な力があるのだ。少なくともその頃の僕にはそう感じられた。
 でもそれは幻ではなかった。
店に戻ったとき、島本さんの座っていた席にはまだグラスと灰皿が残っていた。
灰皿の中には口紅のついた吸殻が、そっと消されたかたちのままで何本か入っていた。僕はその隣に腰を下ろして、目を閉じた。
音楽の響きが少しずつ遠のいて、僕は一人になった。その柔らかな暗闇の中では、まだ雨が音もなく降り続いていた。
(後略)

色や匂いや音が、読む人の心に肉迫してくるようなこの場面・・・。
この後、島本さんが再び冷たい雨の夜に現れる場面も含め、雨の日とジャズはこの小説の大事なスパイスになっています。

そして私はその味つけがとても好きです。


国境の南、太陽の西 (講談社文庫)
村上 春樹
講談社

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