赤穂事件と忠臣蔵については何度か記事を書いてきたが、その背景や裁定、世間の評価についてのわかりやすい動画が上がっていたので紹介したい(なお、そもそも史料的裏付けない「歴史」から教訓や日本社会論を導き出すことの危うさについては、呉座勇一『戦国武将、虚像と実像』の書評で言及したので、そちらもあわせてご覧いただければと思う)。いくつか重要なポイントがあるが、ここでは二つに絞って言及したい。
1.
「浅野側=善玉、吉良側=悪玉的発想は不確かな情報に基づいた短絡的・妄想的な見方(プロパガンダ)だが、一方で吉良こそ善であるという見方もまた根拠に乏しい主張(カウンタープロパガンダ)である」というのは重要な指摘だろう。
私は以前、シェイクスピアの『リチャード3世』で描かれる暴君としてのリチャード3世像に反発し、その名誉回復を図るリカーディアンに言及した。そしてそこで、リチャード3世=暴君が極めて偏った見方(テューダー朝側から見たプロパガンダ)だとしても、その反対=英明な君主というのが正しい評価ということにはならない(それはカウンタープロパガンダだ)、と述べたのであった。
両者とも、(意識的にせよ無意識にせよ)「逆張り」と呼ばれるスタンスが持つ危険性に関する話と言える(ちなみに「忠臣蔵」は反体制的要素を持ち、『リチャード3世』は体制順応的だから違うと考える向きもあるだろうが、体制寄りか反体制的かというのは、その内容の妥当性とは関係がない。これについては近いうちに書評の形で記事にする予定である)。
2.
「同時代の人々が赤穂事件をどう見たか」ということと、「我々がその評価に乗るべきである」というのは全く別の話だ。なるほど確かに、中世的自力救済の発想の名残であるとか、民衆が幕府側の事情を詳細には知りえないことを踏まえると、浅野側に同情的な世論が形成される背景は理解できる部分がある(それによって「忠臣蔵」の元になるものが作られ、さらにそれが世論をブーストしていくわけだが)。
しかしだからと言って、そのような評価を妥当とみなすとか、ましてやその評価を今日の我々も受け入れるべきだということには全くならない。このような視点が理解できないのであれば、動画内でも紹介されている五・一五事件について想起してみるとよいだろう。すなわち、首相を暗殺した将校たちに対する助命嘆願の動きとその背景を知ることは有益だが、さりとてそういった同情的スタンスが妥当なものかは全く別の話である(カール・シュミットの記事でも触れたような当時の政治不信と鬱屈が背景にあり、それが被告たちに対する同情的態度の大きな要因となったと予測される。詳しくは小山俊樹『五・一五事件』を参照)。
なお、これでも理解できない向きについては、現代のSNSなどによる世論の沸騰や社会的抹殺行為を想起するのが最もわかりやすいだろう。そのような世論(もっと言えば誤認・錯覚)が生み出される背景を知ることは必要だが、それを受け入れねばならぬ理由はどこにもないのである。なぜこの例えを持ち出したのかと訝る方もいるかもしれないが、赤穂事件当時において討ち入りをすべきという世論が構成され、その結果として特に討ち入り後にはそこへ参加しなかった人間への抑圧を生み出したからである。つまり、当時の世論は単に浅野側の仇討ちを善と心情的に評価しただけでなく、その側につかなかった者たちへの社会的圧力をも伴った=抑圧的機能を果たした事実を忘れるべきではない。つまり、単に美的感覚の領域=個人の感想レベルで済まされるものでなく、具体的な社会的圧力と不利益を伴う「空気」を醸成していたのであった)。
以上あげた2点の他、もはや古典となった川島武宜『日本人の法意識』のような法社会学的アプローチも有益だろう。また、そもそも脱法的暴力行為に及んだ人物を半ば英雄視する事例はフランス革命期のシャルロット・コルデーに対する反応などにも見られるのであって(背景として、恐怖政治やそれを遂行する山岳派への鬱屈した民衆感情なども考慮する必要がある)、過剰に「日本人の特殊性」と直結させるのは慎重にならねばならないことも注意を喚起しておきたい(近代以降に政権側が「忠臣蔵」を国民教育の過程でが美談として刷り込んでいった、という事実などにも留意する必要がある)。
以上。
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