(登場人物) 独眼鉄=D、ベルダンディーノ=B
D
シュールとは何ぞや?リアルとは何ぞや?
B
どうした、落ちてるもんでも食ったか?
D
いや、俺の問いに突っ込む前にベルダンディーノって誰だよ。ベルダンディーならともかくさ。
B
そりゃお前ぇこれに決まっとるやんけ。
D
Alas!!貴様は今、世界中のgodess partyを敵に回したぞ(;´Д`)
B
望むところだ。まあBalon Dinoのイニシャルってことでも私は一向に構わんがねw
D
藤崎平八、虎丸チ、鳴沢丁、そしてベルダンディーノ・・・・まさにねるねる的想像力は止まることを知らんな(・∀・)おっとつい本題を忘れとった。シュールとは何ぞや、リアルとは何ぞや・・・
B
落ちてるもんでも・・・
D
天丼カコワルイ。
B
最初に振ったのお前やないけwまあええわ。なぜうぬがシュールとリアルを分けてるのか知らんが、一度アルファベットに変換してみてはどうかね?
D
surrealismということかい??
B
そう。sur-は英語のsurpass、つまり「超えていく」が典型だが、要するに「上」を意味している。これはsub-、つまり「下」の対になるものやな。subwayで道路の下だから地下鉄、submarineで水の下だから潜水艦・・・といった例を出せばまあ十分だろう。
D
ってことは、sur-realismは「現実の上」だから「超現実主義」になるんやな!となると、前にも書いた現実を描写する派(新古典主義や写実主義)VS宗教であれ情念であれ現実ではない何かを描写する派(ロマン主義や表現主義)という対立の軸、つまりはアリストテレスVSプラトンの対立の延長で考えられるってこつかい。
B
せやね。フランス語や英語といった色んな発音がそのまま混ぜ混ぜするから訳がわからんくなるんや。ねるねるしておもしろがるのは別にいいが、ねるった結果訳わからん記号が溢れるのは愚の骨頂だとは思わんか。まあエクスカリバーやらラグナロクやらを訳わからん状態にあえて己を置くことで、ゲームとかやる時常に新規な刺激のように感じることができる、という技もなくはないと思うけども(・∀・)
D
まあ現地語の発音にするのって、良かったり悪かったりだよなあ。ベルリンは英語だとバーリンやしね。
B
まあな~。正確に言うと、現地語発音をしてるだけなのに、それがユニバーサルに通じると思い込むのは危険だべ、て話だわな。それとはちとズレるけど、たとえば歴史(正確にはカリオストロの城とエロゲーw)で出てきた「ゴート」文字とか言うても外国人に通じんけど、じゃあ何て言うんやと調べたらGothic letterてのが出てきて、「あれ?ゴシックてあのゴシック式とかの??」と気づくと、今度はじゃあ何でケルン大聖堂とかはゴート人が建てたわけでもないのに「ゴシック」とか言われるんだべ??て話になったりするよな。元に当たることで両者が共通の起源であることに気づき、今度はじゃあなぜそれが共通の起源なのか調べたくなるというね。
D
いやまあ外国人に「ゴート文字」の話をするシチュエーションがあるのかとむしろ問いたいw
B
答え:高校生の時の俺
D
特殊スギィ!
B
それにしても、ヨーロッパの話しとったらフランス旅行に行きたくなってきたで。体調悪いってのに(;´Д`)
D
Sinon, à propos du langage, on fait comment?
B
T'inquièt. J'ai la solution!
D
すぐ化けの皮が剥がれる蟷螂拳はこのぐらいにして・・・
B
言ってること自体は間違ってないんだがなあ・・・(´・ω・`)
D
いやパフォーマティブにおかしいんやっちゅうねんwつか外来語が混ぜ混ぜ状態ってことで言えばさあ、ガラスとグラスなんか典型じゃん?
B
確かに。ガラスとグラスって一応同じものを指してるのに、器の形状をしてたらグラスで、それ以外はガラスって使い分けだよね。で、何で発音が違うか言うたら、ガラスはオランダ語由来でグラスは英語由来というね。
D
まあオランダやイギリスとも貿易をしとったからな。八重洲口なんかがその名残やけど。同時代で言えば、ポルトガル語由来のカッパとか、スペイン語由来のボタンとかもあるし。
B
色々あるわな。いわゆる「ボタン」を英語でもそういうと思ってたら、習った時に「バトゥン」て言われてハァ??(バトンリレーのバトン?)てなるわけだが、「ボタン」は別に英語が訛ったわけじゃなく英語由来じゃないわけで。パンも当然英語でパンやろと思てたらbreadで、「そんなん聞いたことないわ(;´Д`)」と困惑してたらパンは元がラテン語で南蛮貿易の時に入ってきて定着したとかな。
D
まあその辺の事情は、普通に暮らしてる日本人はよー知らんからなー。
B
そうそうこないだなんかさあ、「メルヘン」て言葉を会話の中でいきなり言われて「何言ってんの?」て困惑しながら返したら、向こうから「外国人のくせに何でわかんねーの?」て反応され、知らんがなと思わずキレそうになったわw
D
そりゃウケますな(・∀・)Märchenてドイツ語じゃんよ。なんでイタリア人に伝わって当たり前と思ったのか。
B
ガイジンめ!
D
いやシルバーサムライはええねん・・・まあ要は外来語≒欧米の言葉=欧米人には通じるって認識してんだろうよ。
B
それやったら日本人には中国語も韓国語も通じるんやなあ。まじスゲーwww
D
まあまあ、悪気はないんだろうからそう言いなさんな。それに起源は知らないとかで言えばさ、そりゃ日本に限らん話で、たとえばinsomniaやcyclopiaみたいな病名がラテン語やギリシャ語起源であると、イギリス人やアメリカ人が知ってるのかって話よ。語尾がアレな名詞はフランス語起源!とか一々意識してたらむしろそっちが怖いわw
B
まあなwところで思ったんだけど、こういうバラバラのフラグメントを集めて瓦礫の山を作り、そこから一体何をしようってんだい?
D
色々由来がわかったりするとおもしれーじゃん。さらに別なものに広がっていくしさ。今までただの記号に思えたものに連関性があるとわかると、理解が深まると言うかね。
B
ほう、興味深い。じゃあお前さんがそういうった行為をおもしろいと思うのは、意味付けに価値を見いだす、あるいはそこに快楽を感じるからってことでいいかい?なぜ「快楽」と呼ぶかと言えば、その行為には基本何らの損得勘定も絡んでないからだ。
D
いかにも。一銭の儲けにもならん記事をここまで書き続けてきたこと自体、その行為がある種の快楽に駆動されなければ無理な話やからな。
B
だったら、あんたが否定してきた「生きる意味」の探求についてはどうだね?自分がどこから来てどこへ行くのかわからん以上、人がそれへの拘泥から脱却するのは難しいと思わんか?少なくとも、利益が出ないし人脈が広がるわけでもないという意味において何ら合理性のない行為を続けてるお前が、快楽にもとづいた生きる意味の探求を否定するのはパフォーマティブに矛盾してると思うがね。
D
それに対する俺の答えは二つだな。一つ。そもそも、「快楽」と言い切っていいんかね?ヨーロッパで言うなら状況はこうだ。12世紀ルネサンスを淵源とした、いわゆる15~16世紀の「ルネサンス」によって人間理性へと光が当たり、16世紀の宗教改革によって宗教の権威一極集中が終わり、そして大よそ17世紀に主権国家体制が確立、そんな中で人間理性によって因習から自由になるという啓蒙主義が少しづつ広がっていく・・・そういったことがあって、19世紀にはフリードリヒおじさんが「神は死んだ」とぶち上げたわけだけど、言い換えれば人は「羅針盤なき生」を生きねばならなくなった。
B
俺との愛を守るため、お前は旅立ち、明日を見失った・・・
D
世紀末にはまだだいぶ早えーわwともかく、そこで出てくるのが実存主義だ。「我々が生まれてきた意味とは何ぞや?」「生きる意味とは何ぞや?」と問いかけるわけだ。
B
神を疑うべくもない世界なら、「神が作りました」・「神の意志に沿うため」とか即答できるけど、そうはならないと。
D
そゆこと。まあ俺が今言ったことが全てじゃなくて、たとえばデモクリトスの原子論→エピクロスのアタラクシア(最少は原子=不可視の世界はない=死後の世界なし=じゃあこの世を愉しく生きようぜ!)→マルクスの唯物論といった流れもある。それにデカルト的二元論は今見てもわかりやすいけど、スピノザみたいな捉え方もあるわけで。と一応単線的でない思想状況を踏まえた上で言うと、「生きる意味」の探求という行為を考えた場合、どうしても今述べた実存主義の流れがクローズアップされざるをえないわけですわ。
B
だとすれば何とする?
D
いやだから「生きる意味」の問いが快楽であるようには思えないって話よ。なーんかみんなマジメすぎる感じがするったいねー。そげんシリアスにならんでも。だから、さっきの君の問いに対する答えの一つは、「生きる意味の問い」はしばしば快楽になってないので、その問いの立て方が間違ってる、てこと。
B
ほう、さよか。じゃあもう一つの答えは?
D
遊びとしてやるのなら、大いにやるとよろしい。
B
「遊び」とは?
D
たとえば、ワシゃよく自分のエロスの属性について記事を書いたりするが、要するにそれでおもしろがってるわけよ。その行為によってマッチポンプ的に己の欲望を強化してるケースもあるだろうし(観察することで変容する、つまり観測者の限界ってヤツねw)、全く捉え違いをしてるケースもあるだろう。でもまあアホらしくておもしれーからええやん、とレッセフェール状態にしてるわけwこのようなものとして、「生きる意味」とやらこねくり回すなら御随意に。
B
じゃあ別に「生きる意味」とやらを考えてもええってことやん。
D
そうだけど、少なくとも俺がこれまで人間を見てきた上では、みんな中途半端にマジメなんで、正直やめた方がいい人ばっかだと思うんだよねw結論「ありません」なのに、それに真剣になるのって時間の無駄やん?まあバルザックの『絶対の探求』みたいな感じでやるのならそれもまた一興だけど、日常生活の片手間で見つかる何かだったら、先人がとっくのとうに発見してますってばよwwwまあ「人工知能で人間の領域がゴリゴリ削られて人間の動物性がむき出しになっていく世界で、それでも探求し続ける覚悟があんたにはあんのか??」みたいなこと言ってneo reactionismの話をしてもいいけど、そんな風に圧をかけてもねえ・・・
B
何でそんなフニャフニャなんだよw
D
まあ俺の物言いが「不真面目」に見えるなら、何度か取り上げてる南直哉の語り口調を思い起こしてほしいかな。彼は別に妙な理想を語り(騙り)はせんし、何かを押し付けることもない。でも「ああ生きる意味って別にないんだな」ってことを理解している。むしろそこに妙な力みがないからこそ、潰されそうになっている人の重しを少しでも軽くできるわけよ(そして「そんなもんあんたがどうにかする問題で、俺に相談しても何も解決せんよ」ってこともハッキリ言ってしまうw)。世界は実が底が抜けてることを知り、それでも生きることを選んだ人間の、何とまあ軽やかなことかって話でね。
B
ああ、お前さんの場合は、高校の時に「世界は体系的なものであるはずだ」という考えが単なる自分の無根拠な妄想だと知って、そっからまあ底が抜けてしまったというか人間が変わってしまったってのがあったな。
D
そうだね。それはある時ふと思ったことで、何か暗い部屋の中でたまたまスイッチを触ったら電灯がつき、見える世界が劇変したというか世界の捉え方が変わったという感じだけど、そこには真摯さもなければ、高度な思弁もなかったわな。
B
じゃあ人はどうすれば問いへの拘泥から抜け出すことができるんだろうか?
D
まあ難しいんじゃね?たとえば、「人生に意味はあるのか」ではなく、「人生に意味あれかし」というところから問いがスタートしてるのに、それに気づかず純粋に思考してる気になってるケース。これはインストールされた勘違い発想(極端な話、ユダヤ人=共産主義者的なのと同じ)か、はたまた不全感から来る呪いなので、そもそも「問いじゃない」んだよね(くだらんアナロジーに思えるかもしれんけど、「DT松の謎」で書いた、「それって快楽の探求なの?それとも承認欲求なの?」てのと実は同じ問題)。それに気づくことがむしろ必要なんでは?
B
えー、じゃあ気づくにはどうしたらええのん?
D
知らねーよ。
B
おいおい、ちょっとそら無責任やろ(# ゚Д゚)
D
ええか、このところ俺はずっと複雑さに向き合う必要があるって書いてきた。沖縄の話なども含めてね。つまり、ちゃんと考えようと思えば単線的に答えが出ねーことは普通にあんだよ。にもかかわらず、「気付くのはどうしたらいいのか」とハウツー本みたいに答えを欲してる時点で何もわかってねーし、そんな状態につける薬はありませんわ。
B
そいじゃあそのつける薬がない状態について、人工知能の支配と「自由意思」、快楽の追求なんかについて、次回は話してみようじゃあないか。
D
唐突&タフな返しに驚いたぞなもし。
B
我ら塾生に後退と死亡の二文字なし!
D
いや、ワシ死んでんねんけど・・・
B
あ゛っ、俺もやった・・・
D
お後がよろしいようで・・・
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