ルネーサーンス情熱~一人一人が~♪

2018-12-10 17:02:29 | 歴史系

 

(登場人物)

ドゼー=D  べシェール=B

 

D
最近更新速度早くね?

 

B
体調悪いからな。

 

D
いやいや、体調悪いならむしろ遅くなるでしょ。

 

B
て思うじゃん?しかしチャート化すると
「体調悪い→動きたくない&新しいものを頭に入れたくない→頭の中のデフラグが活性化→すでにあった構想がどんどん形になる」
てな感じになるんだわ。

 

D
ほう、さよか。で、今回のテーマは何だね?

 

B
「天を目指す者たち」

 

D
ハァ?ラオウじゃあるめーし、何の話や?

 

B
冒頭画像の題名だ。2005年にトルコのブルサで撮ったヤツだけど。

 

D
いやいや、そんなこと聞いとらんちゅうねん。

 

B
あーへいへい、お題は「12世紀ルネサンス」ですわ。

 

D
こないだルネサンス以降の文化(流行)の流れについて、ざっくりにもほどがあるまとめ方したけど、その続きってわけかい?

 

B
それもあるけど、丁寧なコメントをいただいたので、その返信代わりに、と思ってな。

 

D
いや、普通に返信せーよ・・・

 

B
いやまあそうなんだけど、ちょうどコメントの内容が今回の記事と、次回予定してる記事に関わるものだったんでちょうどええわ、と。あと、その二人をコメント欄で書こうとするとクソ長くなるので本編記事にしてまえ!って思いますた。

 

D
まあ一つの記事で4000字とかいくからな・・・

 

B
というわけで、「12世紀ルネサンス」。それが何でコメントの返信になるかはおいおいわかると思うけど。

 

D
ルネサンスは一日にしてならず、ってヤツだな。日本の神仏習合や無宗教と同じことで。まあ高校で習った時(1990年代後半)の記憶で言うと、いきなり「ルネサンス」が出てきてダヴィンチとか習った感じだったけどw

 

B
本当はずっと前から続いてるんだけどね。以下のような感じで。

「10世紀の三圃制などによる農業生産力の向上→人口爆発で移動の促進→11世紀の十字軍・レコンキスタ・東方植民→人の移動の活発化による商業ルネサンス&異文化交流による12世紀ルネサンス→13世紀にアリストテレスに影響を受けたヨーロッパ内での神学論争(理性か信仰かetcそして信仰一辺倒からの変化)&東方貿易でイタリアが財を成す→14世紀に貿易で財を成した人々が芸術家たちを保護し、ルネサンスへ。」

まあルネサンスもこれで終わりじゃなく、十字軍の失敗やシスマなどで教皇権が失墜していき、そこにウィクリフやフスを先駆者とするカトリック教会批判が出てきてエラスムス&ルターにつながるわけだが。こっから近代的自我とかの話や大航海時代による財の蓄積による主権国家体制の成立(重商主義による常備軍・官僚の維持)とかにもつながるが、長くなるのでこの辺で。

 

D
おいこら、ざっくりまとめ過ぎやろ・・・大体イタリアの話はするのに何で三つの文化が混淆したシチリア島の件とかは説明してないの?オラオラされる覚悟はできてんやろなあ(# ゚Д゚)

 

B
俺のこの記事はただの入口だと思ってるので、歴史的事実をより深く検証したい人は自分で調べてちょーだい。

 

D
まあ12世紀ルネサンスが近世ヨーロッパの成立、すなわちヨーロッパの劇変に大きな役割を果たしたことは理解した。でもそれがどうしたって言うんだい?

 

B
欧米での12世紀ルネサンスの認識のされ方がおもしろいと思ってさ。もちろん、その分野の研究者は違うんだろうけど。これに関しては、リチャード・E・ルーベンスタインの『中世の覚醒』がおもしろい。

 

D
あぁ??この著者って専門は国際紛争や公共問題って書いてあるやん。全く専門領域外の人が書いた本をなぜわざわざ紹介するんだい?

 

B
そうだね。著者がこの本を書くきっかけになったのは、宗教間の衝突が生じる原因を研究していた時に「アリストテレス革命の物語に遭遇した」とあるから、まあハンチントン的な視点などから現代的問題の由来を検証していた際、そもそもヨーロッパの文化、もっと広く言えば社会がイスラームの巨大な恩恵の中に成立していると気づいた、ということなんだろう。

 

D
まあ彼の研究分野では「文明の衝突」みたいな視点が幅を利かせていたんだろうけど、歴史現象をつぶさに見ると、実際はそうでないケースが多々あるばかりか、むしろヨーロッパが今では「遅れた」地域とみなされがちなイスラームから大きな影響を受けていた、ということだな。

 

B
その通り。そしてこの著作を勧める理由は、著者の眼差しと発見、パラダイムシフトのあり方が、むしろ一般の人々に目線が近くて、興味を持ちながら読むのに最適だと思うからさ。

 

D
たとえば?

 

B
「アベラール、アンセルムス、ウィリアム=オブ=オッカム、ドゥンス=スコトゥス、トマス=アクィナス、ロジャー=ベーコン」といった名前を聞いてどんな共通性を思い浮かべる?

 

D
うーん、まあ全員教会関係者ってことかな。フランチェスコ修道会とかドミニコ修道会とか違いはあるけど。

 

B
Richtig!

 

D
何でドイツ語なんだよ・・・

 

B
彼らはいわゆる「普遍論争」の中で、逆輸入されたアリストテレス哲学をどのようにキリスト教と調和させるか、もっと言えば世界をどのように理解するのかを探求した人々だ。で、これに関するルーベンスタインの視点がおもしろい。

 

D
というと?

 

B
彼は欧米の視点として、ルネサンス期からの科学革命を考える時、「宗教家VS科学者」という構図で考えがちだ、と指摘する。 ガリレイの地動説の扱われ方をモデルに考えてしまう、というわけだ。

 

D
なるほどね、「妄信する宗教家と、新規の発見を元に蒙を啓いていく科学者」って発想か。それはよくわかる。でも、その二項対立は正しくないよな?だって、ベーコンが典型だけど、彼はフランチェスコ修道会士ながら、実験と観察を重視した近代科学の先駆者と言われるし、不完全に翻訳されたものではなく、ギリシア語・ヘブライ語を学んで原典に当たることを目指した点ではいわゆるルネサンスの正当な先駆者(cf.ペトラルカの業績)でもあった。

 

B
まさしくその通りで、そのような誤った図式を脱却するためにも12世紀ルネサンスを知ることは非常に有意義なのだ、と著者は言ってるわけよ。

 

D
ふーん。まあそもそも、12~13世紀という時代だと、ユダヤ教の例を見るまでもなく、「カトリックではない=人間ではない」に近いからなあ。破門はexcommunicationだが、まあ日本で言う村八分みてーなもんだってことだし。あと蔵書とか語学の学習という点でも、「薔薇の名前」じゃないけど、教会を切り離して考えることはできない時代だからね。その意味では12世紀ルネサンス後の普遍論争の担い手たちが教会関係者ってのは別に驚くにあたらんと思うが。

 

B
まあそういう反応になりますわな。実態としてはその通りや。この時代の専門家ならそのように言うんじゃないかと思うよ。じゃあもうちょっと踏み込んで、俺がこの著作を推す理由を述べると、近代的バイアスから自由になるためなのさ。

 

D
ほう、「近代的バイアス」ってのはどういう意味だい?

 

B
1.「宗教VS科学」という二項対立図式

2.1と関連するが、科学の「宗教性」を意識してない

3.ヨーロッパ中心主義

 

D
始めからまとめろや!1はさっきの話でわかったとして、2と3は何なの?

 

B
2は、科学が宗教的探求から生まれてきたということさ。つまり、「世界がどうなっているのかを知りたい」。だから観察をする、実験をする、検証をする。アリストテレス哲学が入ってくるまでの中世ヨーロッパは、言ってしまえば「世界ってどうなってるの?」→「聖書を読みたまえ」(読めない人は教会に行け)で終了だった。しかし、アリストテレス哲学、つまりはプラトンと違ってイデアのようなものが実在すると考えず、ゆえに現実世界のものをつぶさに観察・実験・分析・分類するというベクトルで世界の在り様を理解するという志向が流入し、これが教会関係者に強大な影響を与える。否定してプラトン的立場をとる(実在論)にしても、アリストテレス的立場をとる(唯名論)にしても、だ。ちなみに近代への繋がりを理解するために書いておくと、前者が大陸合理論つまりデカルト的なもの(コギトエルゴスム)につながっていき、後者がイギリス経験論つまりフランシス=ベーコン的なもの(まあこっちは後に「観察者たる私を信用できる理由は何か?」ってヒューム先生が言ってしまい、終わっちゃんだけどw)につながっていくわけで、さらに言えばその両者を統合したのが怪物エマニュエル=カントって話だな。

 

D
なるほど、つまり「科学も宗教も、この世界がどのようにして成り立っているのかを探求するための営為という点では同じ」と認知することにつながるわけだな。

 

B
Exactly(その通りでございます)!まあこれも古代ギリシアの自然哲学を思えば当たり前の話なんだけどね~。どうしても俺らは近代のバイアスで考えてしまうし、学問も細分化された状態でレッテル貼りして理解しようとしてしまうからね。それをキャンセルするきっかけとしてはおもしろいかと。

 

D
「徹底的に論理的・合理的であろうとする態度の源泉は、非合理的な動機付けかもしれないぜ」って話か。

 

B
ウイ。まあそもそもこの場合の「合理」・「非合理」って何よ、というか世界の在り方の探求については次回書くつもりだけどね。で、これがコメントに対する返答であります。

 

D
だから長いってばよ・・・しかし、メソポタミアの占星術と七曜制(全て星の名前に由来)、あるいはエジプトの測地術とか、水の増減の周期を把握する必要があるっていう生活のための知恵が抽象化されたケースも少なくないから、一概には言えないけどね。

 

B
無論。そのベクトルの違いを抽象化すると、「理学的な知」と「工学的な知」って話になるわな。ポストモダンという時代は小さな物語が乱立するがゆえに、前者へのこだわりが無駄なものとされ、後者への傾斜が促進される、とか言われたりするが。

 

D
その話はまたクッソ長くなるんで置いといて・・・最後に3な。12世紀ルネサンスを学ぶのが欧米中心主義からの解放になるってなあどういうことだい?

 

B
さっきもイスラーム世界の巨大な恩恵って書いたけど、アリストテレスを始めとする著作群って、元々ヨーロッパにあったものをただ逆輸入したわけじゃあない。たとえばアリストテレスなら、イブン=ルシュドの詳細な注解のおかげで西ヨーロッパ世界がこれを使いこなすのが相当楽になった面があるわけ。つまり、ヨーロッパは古代ギリシアやヘレニズム文化の発展・継承形を受け継いだわけよ。

 

D
でもさあ、ヨーロッパが知の中心だと思ってる人たちは、やはり起源はヨーロッパなんだ!と強弁しそうな気もするけどねw 

 

B
だとしたら、こんな例も挙げられる。イブン=シーナーの『医学典範』はイスラーム世界で書かれたのが10世紀だけど、ヨーロッパに輸入された後、16世紀まで医学の雄サレルノ大学とかでテキストとして使われていた。それにグーテンベルクの活版印刷の元になった製紙法と木版印刷はともに中国由来だし、百年戦争から使われ始めた火薬も、大航海時代に貢献した羅針盤もそうですわ。

 

D
主要な発見はことごとくヨーロッパ外から来てると。

 

B
そゆこと。この点、日本人も下手すりゃ鉄砲の伝来とかのイメージで「鉄砲の元はヨーロッパやで。やっぱヨーロッパさんは進んでるわ~そこに痺れる憧れるっ!」とか妄想してる人がおるかもしれんがwちょっと話が外れたんで12世紀ルネサンスに戻るわ。科学的思考=ヨーロッパみたいな図式を思い描く人は少なくないと思うけど、その淵源は12世紀ルネサンスにあるというのが重要である、ということ。そしてその革命の手助けをしたのがイスラーム世界=非ヨーロッパ圏であったということ、これはいくら強調してもしすぎることはない。そしてこのような実態を見るならば、意識的・無意識的なヨーロッパ中心主義は相対化されるし、また「文明の衝突」的見解と距離を置く契機にもなる、というだな。

 

D
ああ、それ聞いてっと大学での福井先生の授業を思い出すわ。

 

B
何だったっけ?

 

D
マルコ=ポーロの「世界の記述」についてヨーロッパ(確かイギリス)で紹介した時、いやいやヨーロッパ入ってないですやんと学生たちが笑ったらしいんだよね。で、じゃあもしマルコ=ポーロがヨーロッパ中を旅してそれを「世界の記述」と題しても同じように笑うのか?(だってヨーロッパしか記述してないんだから)と向こうの教授に問うたら「笑うべきである」って答えたというw

 

B
ああはいはい。「べきである」ってあなたねえwという福井先生の突っ込みがおもしろかったなアレはwまあでも福井先生は俺たちが何気なく内面化してしまっているヨーロッパ中心主義ってものについて自覚してほしいと思ってたんだろうね。

 

D
おそらく。ともあれ、12世紀ルネサンスは、そういう西欧中心主義がいかに浅薄なものの見方であるかに気づくきっかけとなるし、その点で専門家が淡々と描くより、専門外であるからこそ今の発想法との落差に自身驚きながら著述される『中世の覚醒』は非常にinstructiveだと思うんだよね。

 

B
確かに。これって単に欧米とイスラーム世界のことに限らんよな。たとえば、「日本人の無宗教」というのはこのブログでの主要テーマの一つだが、そこにまつわる言説を調べれば調べるほど首を傾げるような発言が平気でなされていることに驚きを禁じ得ない。

 

D
あーね。その一つに「日本人は多神教なんで特定の宗教にはコミットしないんですぅ~」みたいなのがあるけど、「は?ヒンドゥー教は??」て話だしね。「いやいやシンクレティズムは日本の特徴でして・・・」てのも見るけど、「は?ヒンドゥー教も仏教を飲み込んだものなんですけど。ついでに言えばシンクレティズムは韓国とかにもありますよ」とかね。ちなみに下のはこないだの旅行で撮った写真(前が慶州の仏国寺、後が釜山の海東龍宮寺)。

 

 

 

 

B
伽藍の中に狐とか龍がいるってやつね。まあそれはともかく、言説からアジアを全然見てないってことか透けて見えるわけやな。

 

D
そうそう、驚くほどにね。つまり議論がしばしばアジア不在の状態で「(近代)欧米VS特殊日本」として展開されるわけだけど、そこからは屈折したオリエンタリズムと明治以来の欧米追いつけ追い越せ的発想が今もって我々を強く縛っていることに気づかされる(ちなみにこの屈折は、外国人技能実習制度にも端的に表れているように思われる)。で、12世紀ルネサンスとその影響を知ることは、そんな近代的バイアスをキャンセルするきっかけにもなるだろうから、我々自身のことをよりよく理解する一助にもなるんでねーの?って話ですわ。

 

B
あーそーゆーことね完全に理解した。ところで最後に聞きたいんだけ。

 

D
何じゃね?

 

B
ミスター味っ子はどこに関係してんの?あと攻守はいつの間に入れ替わったの?

 

D
あ゛っ入れ忘れてた・・・しかしもうワシのガッツはゼロじゃ(´・ω・`)

 

B
お後がよろしいようで・・・

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