周知のように、「おそ松さん」の六つ子は全て童貞であり、そのコンプレックスから生じるドタバタが劇中では頻出している。言い換えれば、そこに起因する「イタさ」、あるいは不全感(=承認の欠落)はニートであることとも含め、物語をドライブするために童貞という設定を与えられている、と表現することもできる(というか、彼らは必要があればバイトをしている時点で「ニート」ではないはずなのだが)。
なぜそんなことをわざわざ言うかというと、この六つ子、正確にはそのうちの一人がどう考えても童貞という設定に無理があるからである。その一人とは、ずばり長兄おそ松である。え?合コンの練習でいきなり弟を素で押し倒しにかかるクズ松がどうして童貞なのはおかしいかって?その理由は、おそ松のようなメンタリティの持ち主なら風俗で童貞を捨ててるからである(まあアニメ描写を見る限り、普通に付き合ってというのは当分厳しいでしょーなーw)。他の兄弟については、風俗に行かない理由を次のように説明できる。
カラ松
ロマンチストなので行かない。しかし、ボッタクリバーに連れていかれた話や花の精への尽くし方を見ると、一度行ったら確実にハマるタイプだろう。
チョロ松
ライジングシコルスキーなので行かない、行けない。以上w蛇足ながら言っておくと、万一店に行って個室で嬢と対面しても、石化するか下手すりゃ風俗で働いていることを非難し始めるタイプ。
一松
密室で二人になった日には脱糞行為に及ぼうとするので却下wあるいは看病の時のことを考えると、シチュエーションを設定するイメクラでは例外的にハマるかもしれんが・・・つーか、そもそも何でお前は合コンに行こうと名乗りを上げたのか・・・まあ本人の性格上の必然性ないけど、話の展開上(他の兄弟との比較もかねて)おもしろいから入れただけだろうなあw
十四松
行くには行く。しかし部屋で嬢とおしゃべりして「楽しい人~!」と盛り上がるかキモがられるかはさておき、セックスはせずに帰る(高齢の客に多いが、話だけして帰るのは実はありふれたケース)。で、兄弟に総突っ込みを食らうw
トド松
潔癖症(正確には、「知らないオヤジと便器で間接ケツするのがイヤ」などと発言するようにノイズ耐性が低い)なので行けません。てゆうか、仮にこのキャラはベッドインしたとしても、相手の色々な生理的なものが見えて緊張するなり幻滅するなりでインサートまで至らんのやないか?ということさえ思う。こういう手合いは、掲示板とかで満州(お察しください)がどうとか広州(お察しください)がどうとか毛の処理がどうとかと、延々文句を書き連ねるタイプとなる危険性も高い。
という具合に、まあ大体説明しきれるわけだが、おそ松だけはこれといって風俗に行かない、行けない理由がない(一回目こそ合コン練習のように暴走して失敗する可能性はあるが、二回目、遅くとも三回目には相手に任せた方が早いと学習して妖怪マグロンとなり、無事目標が達成されるものと予測。ちなみに六つ子がそもそも風俗に行くと発想するなんて・・・と思う人は、「レンタル彼女」の話を一体どのように見ているんだろうか?)。「兄だから他の兄弟を気遣っているのでは?」 という見方もあるかもしれないが、いかに「最下層から抜け出すか」「抜け駆けするか」でドタバタやってる姿を何回も映し出している以上、その意見は苦しいと言わざるをえない。だから、たとえばパチンコで2万くらい買ったら、その金を他の兄弟から隠すのことの困難さもあるから(cf.パチンコ警察)、そのまま風俗につぎ込むといった形で童貞を捨ててるのがよほど必然性がある、という話。
以上のことから、六つ子、特におそ松が童貞であることには全く必然性がなく、物語を駆動するために童貞という「スティグマ」を与えられている、と表現するのが適切なわけである。まあそれは話をおもしろくする一要素にはなっているんだけど、彼らの振る舞いを見ていると、お前らは童貞を捨ててーのか(≒欲望を満たしたいのか)、それとも彼女を作りてーのか(≒他者との関係性を作りたいのか、他者から承認されたいのか)、どっちなんだ?・・・と問いたくなる(この二つを完全に峻別することはできないし、また峻別できると思うのはすぐに「純愛」といったものを措定したがるナイーブな人間のすることだと思うが、それにしても件の六つ子はそういった自覚がなさすぎる)。20歳も過ぎてそんなことすら考えずに他者との関係を求めたって、相手を傷つけることにしかならんだろう。だったらとっとと風俗にでも行ってまず童貞捨てチャイナよ、と俺は思うんですがいかがでごさいましょうか?
追記
ちなみに言っておくと、「童貞=純潔であるがゆえに多少の屈折はありつつも無邪気」といった発想およびおそ松たちの少年的ビジュアルは、女性版だと「主人公のことだけを思っているのでもちろん処女の幼馴染」とかあるいはその変化形であるロリキャラを私に連想させる。
そういったもの、特にロリキャラについては、「自分の支配しやすいものを求めるメンタリティがキモいと感じる」という女性側の意見もあり私は完全にそれに同意するのだが、だとすればおそ松たちの設定が女性からどのように映るのか、興味深いところではある(まさか他人のことは批判しておいて、自分たちのことになったら誤魔化すわけじゃないよねえ?という意味でもそうだが、男性→女性の場合と女性→男性の場合とでは、斎藤環風に言えば他者の「所有」に関する意識の違いもありそうなので)。
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