獅子王クリスをよろしく

2023-02-11 11:39:39 | Vtuber関連

 

最高の笑みだろう?これでもミミズ食ってるんだぜ・・・

 

 

とまあ某ジョーブラック的な題名と某野球漫画のセリフ(どっちもネタが古い)で始めてみましたが、冒頭に挙げたのは「シュガーリリック」というグループの獅子王クリスというライバーが登録者数5万人を迎えた記念配信(ちなみに獅子王クリスを見始めたきっかけは、今はグループを脱退してソロ所属になった虎城アンナである)。

 

この満面の笑みと、題名の「過去に挙げたしょうもない動画をみなで見よう」という題名のギャップが獅子王ぽくて実によい(・∀・)警戒心があるのに人懐こい、人懐こいのに警戒心満載というかね。あんまし詳しいとこまで突っ込んだ身の上話は聞いたことないけど、基本的に家族仲は良さそうやな。

 

 

まあそれがある程度は基礎になっているんだとすると、どうも自分の嗜好が受け入れられなかった経験が結構あるらしく(実際かなり独特)、それで人懐こさと警戒心が同居する臆病な小動物みたいな(注:吠えるし噛みますw)感じになったのかもしれんね🤔でもそんな不器用なおなごが焚火を背にこの世への怒りを吠える姿が、ある時には微笑ましく、ある時には心に響き渡るという・・・(トオイメ)ちなみに生き方の不器用さはギャンブルや借金にも反映されており、それに対する杞憂民(てか正常な心配か)も少なからずいるとかいないとか・・・

 

 

というわけで、クリスパイセンはこんな感じに拗らせ方もハンパねーっす(・∀・)まあでも、ここに登場する大浦るかこが獅子王の「またとない理解者」ってのはよくわかる。

 

というのも、彼女は(おそらく)その生い立ちや幅広い経験に基づく懐の深さ・理解力の高さによって、獅子王クリスの持ち味を存分に引き出してくれる(獅子王の口下手っぷり、というか己の特異な体験や嗜好をあまり上手く言語化できていない程度は相当なもので、これは正直かなり損をしてる場面が多いなあと思う。ちなみに大浦るかこ自身もまた極めて面白い人物なので、別で記事を設けて書きたいが、ひとまず「常識」などで否定せずにまずは背景を聞き、なぜそう思うのか・そう行動したのかを問うという姿勢に長けている。逆に、その真逆とも言える権威主義・反動主義的な態度への嫌悪感が節々に出ているようにも見えて興味深い)。

 

加えて言語化能力が極めて高くただ聞き役に回るだけでなく話を広げることもできるため、コラボ自体が面白体験レポートな上に獅子王クリスの魅力をガンガン引き出してくれるという寸法だ。そりゃー獅子王もぞっこんになりますワ。なんか理解ある親戚のおねーちゃんに懐いてる子みたいなムーブが実に微笑ましいのである(*´ω`*)

 

 

というわけで、774inc.のファムファタール=大浦るかこが「微公式wiki」という同グループのメンバーたちの魅力をリスナーの意見を元にプレゼンしたりアウフヘーベン(適当)していく企画をやるのはマニフェストディスティニーだったという話だが、そこに獅子王が呼ばれたのが最近(龍ヶ崎リンや虎城アンナの方が早い)というのは驚きながら、内容が魅力まとめじゃなくて注意喚起だったのはおもしろかった🤣

 

まあそういうwikiになるのも獅子王らしいっちゃらしいし(小動物ですが吠えるし噛みますw)、そういう感じになるのは二人の関係性をもまたよく表していると言えるかもしれない。

 

ちなみに、終盤の脱線シーンは知るかコンビのシナジーを感じる場面だが、「モラルを語る人間が、同時にそれとそぐわない他者をアグレッシブに社会から抹殺しようとする話」は興味深い。その闇をあれこれ見ることに興味を持つ、というのがいかにも二人らしいが、これは狭い世界なら単に異常に思えるが、歴史という見地に立つとしばしば観察される(=ありふれた)重要かつ興味深い人間の特性の一つと言える(だからこのタイミングで獅子王クリスに言及してもいるのだが)。

 

それは例えば異端審問官の行為十字軍の蛮行、大航海時代の原住民虐殺(異教徒は「人間ではない」)、ナチスドイツルワンダなどの民族浄化である(『夜と霧』で描かれた、「温かい父親が同時に冷酷な収容所の刑吏である」事例を想起したい)。私たちはこういった人類の暴虐さの歴史を知り恐れ戦くのだが、極めて重要なことは、「身内」に対しては善良でさえあったりする人が、同時に「外側」に対しては極めて攻撃的で残虐であることがしばしば観察される、ということである(創作物にはなるが、「ルワンダの涙」で紹介した「異民族を虐殺する姿を友人に見られてバツの悪い反応をする=完全に狂気に染まり切っていないことが示されるがゆえに、その状態で人を殺戮できることに戦慄する」という、作中でも白眉の場面がそれにあたる)。

 

とまあこういう具合に歴史の話だけ書いているといかにも抽象的な話に思われるかもしれないが、外面のいい毒親だとか、ムラ社会の病理といった形で、少し日常から引いてみれば実は周辺にこういった事例はごろごろ転がっているのである。にもかかわらず、悪辣・残虐な態度と善良な姿勢の同居に困惑するのは、その「整合性のなさ」に不快を覚え、「どちらかを真、もう一方は偽」としたい欲望が働くからだろう(これまた認知的不協和というありふれた反応の一つである)。

 

それをどれだけ腹の底から理解しているかで、人間の解像度は大きく変わる。私が「性善説も性悪説も等しく馬鹿げている」という趣旨の話をよくするのは、そういう前提からである(もちろん、社会を合理的に設計するためにある側面からの人間理解を前面に押し出すという意図は理解するが、そういう機能主義的な背景を忘れて性善説や性悪説が人間そのものの理解だと考えるナイーブな者が後を絶たないのが問題、と言える)。

 

とまあ以上のような話は、「嘲笑の淵源」で書いた「極限状況でも日常と同じように行動できると信じて疑わない人間の愚かしさ」=正常性バイアスの件にもうつながるわけだが、こういう方向性で人間を見ていると、非日常というか境界線に立って彼岸をのぞき込もうとする知るかコンビの配信は、非常におもしろく感じられるのである。

 

獅子王クリス自身は非常に多くの可能性を秘めた存在だが、彼女がシュガーリリックも新体制になって774inc.も過渡期となるこのタイミングで、新たな領域を開拓していく1年になることを祈念してこの稿を終えたい。


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